第20話 姉の親友と、ランニングをする。
日曜日の朝。
いつものようにランニングの格好に着替えた俺が1階に降りようとすると、「待って、ハルくん」と声を掛けられた。
元・姉の部屋から、詩織さんが顔を出していた。
詩織さんはキャップを被り、薄手のナイロンパーカーと、ランニングタイツに身を包んでいる。まるでこれから走りに行くような格好である。
「今日のランニング、私も一緒に行っていい?」
「一緒に? 詩織さんも走るんですか?」
「もちろん! 前に使ってたランニングウェアを引っ張り出してきたんだけど……、どう? 似合ってる?」
「ええ、まぁ、似合ってはいますけど……」
たしかによく似合っている。
似合っているからこそ、目のやり場に困る。
なにしろ詩織さんはとてもスタイルがいい。
生地が薄いランニングウェアだと身体の線がくっきり出るため、ボディラインが余計に強調される形となる。正直、目のやり場に困る。
しかしそれ以上に、俺には気がかりなことがあった。
「その、体調のほうは平気なんですか?」
「ぜーんぜん。なんともないよ。もともと身体は健康そのものだしね」
詩織さんはなんでもないように笑う。
「最近、ろくに運動してなかったからさ。少しでもいいから、調子を取り戻しておきたいの。いいかな、ハルくん」
たしかに身体のほうは問題ないと姉も言っていた。
それに精神衛生を鑑みても、部屋に引きこもるより、走っている方がずっと健全ではあるだろう。
「わかりました。無理だけはしないでくださいね」
「はーい」
玄関の扉を開け、家を出る。朝日が昇ったばかりの空気を吸い込みながら、いつも以上に念入りにストレッチを行う。
俺はともかく、詩織さんは運動するのが久しぶりだという。
ケガには気をつけないといけない。
「いつもハルくんはどの辺のコースを走ってるの?」
「一度、大通りに出たあと、川沿いのランニングコースを走るようにしてます。途中に神社や公園があるので、そこまで来たら折り返す感じですね」
「そうなると往復で3㎞くらいかな?」
「ですです。そのくらいですね。ひとまず今日は公園を目指して走りましょうか」
詩織さんも昔このあたりに住んでいたので、しっかり土地勘は残っているようだ。
「あそこの公園、懐かしいなぁ。大きな滑り台があったところだよね?」
「いまでもありますよ。リニューアルして、昔よりキレイになってますけど」
「そうなんだ。見てみたいな。昔、アサちゃんと一緒に遊んでたよね」
言われてみれば、そんなこともあった気がする。
姉は遊具を使って、無茶な遊びばかりしていたはずだ。
だいたいそこに俺や詩織さんも巻き込まれてきた。
子供の頃って、なんであんなに無茶な遊びを平気でやれたんだろうな。
閑話休題。
「では、いきますか」
「うん」
そのまま俺は、詩織さんと一緒に走り始めた。
いつもよりペースは軽めに。
詩織さんとの並走を心掛ける。
詩織さんの走りは安定している。とにかくフォームがいい。
体幹が鍛えられているためだろう。ブランクを感じさせない足さばきだ。
「ペース、これくらいで大丈夫ですか?」
「うん、問題ないよぉ。久しぶりに走ると気持ちいいねぇ」
屈託のない様子で、詩織さんは応えた。
会話も余裕でできている。無理をしている様子もない。
いつもより多少ゆっくり目のペースだが、問題なく公園まではつけそうだ。
「詩織さん、ランニングってよくしてたんですか?」
「ランニングは週1かな。どちらかというとダンスの稽古のほうが多かったよ。時期によってはしょっちゅうスタジオにこもってたし」
「もしかして『アイドライド』の稽古ですか?」
「そうそう! よく知ってるねぇ」
詩織さんは嬉しそうに言った。
「エレンちゃんは、最初の当たり役だからね。ライブの稽古、大変だったけど、楽しかったなぁ」
「うちの生徒会長が『アイドライド』好きなんですよ。霧山シオンのファンクラブ……、メイトっていうんですか? それらしいです」
「ホントに!? 嬉しいなぁ。現役の生徒会長さんに推されてるなんて」
俺と詩織さんは大通りを抜けて、川沿いのランニングコースへと入る。
土手のある川を横目に走っていると、散歩中の人やおなじくジョギングをしているランナーとすれ違う。
「この時間、走ってる人が多いんだね」
「日曜日ですからね。今日は天気もいいですし」
「うん。気持ちよく晴れてよかったぁ」
とはいえ、ちょっと気になることもある。
すれ違うランナーや散歩してる人たちが、ちらちらとこちらに視線を向けている気がする。
俺ではない。詩織さんに視線が向けられているようだ。
中にはあからさまに詩織さんの胸元に目を向けている輩がいることに気づく。
あ、マズいな。
なるべく周囲を警戒しながら、俺は詩織さんの横についた。
ほかの通行人の妨げをしないようにしつつ、詩織さんに向けられる視線を遮れる絶妙なポジションを探る。
「どうしたの、ハルくん」
「……なんでもないです。あ、この位置、邪魔になってませんか?」
「うん。それは大丈夫だけど」
「ならよかったです」
しばらく俺は無言で走っていたが、なにがおかしいのか、詩織さんはクスクスと笑い始めた。
「なんか、ハルくん。番犬みたいだね」
「番犬?」
「うん。すごくシベリアンハスキーっぽい!」
シベリアンハスキー?
あのアラスカとかで、犬ぞりを引いてる狼っぽい犬種だっけ?
詩織さんの中で、俺はどういうイメージなんだろうか。
腑に落ちない想いを抱きながら、詩織さんが楽しそうなので、特に気にしないことにする。
だんだん疲れが出てきたのか、俺と詩織さんの会話が途絶える。
心地いい疲労感が溜まってきたところで、折り返し地点の公園にたどり着いた。
芝生に覆われた敷地にはブランコや滑り台、ベンチが設置されている。
さすがに朝早いため、遊んでいる子供の姿はない。
「着いた~~! ホントだ。滑り台、キレイになってる!」
「……よかったら、ちょっと公園に寄ってきます?」
「うん! 寄ろう、寄ろう! あ、ブランコはそのまんまだぁ!」
息を切らしながらも、詩織さんは公園の遊具に目を輝かせている。
いつもなら、このまますぐに折り返すところだが、せっかく盛り上がっている詩織さんのテンションに水を差したくない。
俺自身は、いつも通りかかる公園なので特に懐かしさは感じたりしないけど。
おなじ場所でも人によって感じ方は違うのだと改めて実感させられる。
「ほら、頑張って。あと少しだよ」
「お姉ちゃーん、待ってよー」
話し声が聴こえてくる。
見ると、ジャージを着た小学生の女の子が2人、公園に駆けこんできた。
顔立ちがよく似ている。おそらく姉妹だろう。
2人とも息を切らしているので、どうやらジョギングでここまで来たらしい。
「はぁ……はぁ……、やっと着いたぁ……」
「おつかれ。ガンバったじゃん」
「もう、お姉ちゃんってばペース早すぎっ! 置いてかれるところだった……」
「そんなことするわけないでしょ? お姉ちゃんなんだから、ノロマなあんたの速さにちゃんと合わせましたよーだ」
「ひどーい! わたし、ノロマじゃないもん!」
口喧嘩ともじゃれ合いともつかないやり取りだが、険悪な雰囲気はまったくない。
仲の良さが伺える。兄弟仲がいいのは素直に羨ましい。
姉とは別に仲が悪いわけじゃないが、なんだろうな。
仲の良さよりも先に、力関係という言葉のほうが先にくるからなぁ。
小学生姉妹のほのぼのとしたやり取りを眺めてから、なんの気なしに詩織さんを見やった。
詩織さんは、姉妹のほうをじっと眺めている。
なぜかまったく動こうとせず、その場に立ち尽くしていた。
「詩織さん?」
俺は声を掛けながら、詩織さんに駆け寄った。
詩織さんは返事をしなかった。
浅く呼吸を繰り返している。
この公園へ着いたときは大した汗をかいてなかったのに、額から大量の汗が噴き出している。
「詩織さん、詩織さんっ」
何度も名前を呼び掛ける。
詩織さんは返事をせず、助けを求めるように俺の腕を掴む。
呼吸がどんどんと荒くなる。
目を大きく見開いたまま、苦しそうに胸元を抑えた。
先ほどの姉妹がこわごわとした顔でこちらを見ている。
詩織さんの背中をさすりながら、俺はただひたすら詩織さんの名前を呼び続けた。
詩織さんはその場でうずくまると、かすれるような声で、何度もおなじ言葉を繰り返す。
どうして どうして どうして どうして どうして どうして……
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