第19話 親友にも、親友の弟にも、話せない。

 私は舞台に立っていた。


 6歳の私。

 まだ現実がキラキラして見えた、輝いていた頃の私。


 無数の観客で埋めつくされた劇場。

 最前列にはずらりと並んだ撮影カメラ。

 観客の目も、カメラのレンズも、スポットライトに照らされる私に向けられる。


 みんなが私を見ている。


 舞台の上で、私は与えられた台詞を口にし、与えられた役を演じた。

 ときには踊り、歌い、大勢の人たちに愛嬌を振りまいた。


 たくさんの拍手が私に送られる。

 たくさんの人が私を褒めてくれる。

 

 ――サイコーよ! あなたは私の天使ね!

 

“あの人”の声がこだまする。

 私を天使と呼ぶ“あの人”の声に応えようと、私はさらに舞台の上で躍動し続ける。

 

 もっと“あの人”に褒めてほしかった。

 もっと“あの人”に抱きしめてほしかった。

 もっと“あの人”に愛してほしかった。


 もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと――


 気がつくと、舞台には私しかいなくなっていた。

 観客席には誰の姿もない。撮影カメラもない。

 スポットライトも消え、暗い劇場に私だけが取り残される。

 

 私は“あの人”を呼んだ。

 懸命に、腹の底から、声を震わせて、何度も何度も呼んだ。


 ふいに劇場奥にある出入口の扉を開ける音と共に、遠ざかる足音が聞こえた。

 私は舞台を降りて、扉へと走った。


 遠ざかる背中が見える。

 キャリーケースを手に、劇場から立ち去ろうとしている。


 間違いない。“あの人”の背中だ。


 一生懸命、走っているのに。

 もう息も絶え絶えなのに。

 離れていく“あの人”に追いつくことができない。

 喉を枯らして、叫んだ。


 待って。お願い! 私を置いてかないで!


 遠ざかろうとしていた“あの人”の足がぴたりと止まる。

 私の声に気づいてくれた!


 ただそれだけが嬉しくて、私は“あの人”のもとへ追いついた。

“あの人”がこちらを振り返る。


 そこに、笑顔はなかった。

 あるのは、私への怒りと、憎しみだけ。


 私は理解した。

 

 もう“あの人”は、私を褒めてくれない。

 もう“あの人”は、私を抱きしめてくれない。

 もう“あの人”は、私を愛してくれない。


 “あの人”は怨嗟を込めて、言った。


 ――お前なんか、産むんじゃなかった。


「霧山さん?」


 声を掛けられて、はっと私は目を覚ました。


 ここはスタジオのアフレコブース。


 並べられた椅子に座っている。膝の上には今日の収録の台本が乗っている。

 もう私は6歳の子役ではない。


 23歳の声優、霧山シオンだ。


「どうしたんですか? 寝ちゃうなんて珍しいですね」

「ゴメンなさい。疲れが出ただけだと思う。この頃、思うように眠れてなくて」

「ええ! それ、よくないですよ。しっかり睡眠はとらないと!」


 後輩の声優 であるRICHIKOちゃんが私に声をかけてくる。

 心配をかけてしまったようだ。


「睡眠だったら、薬用酒がいいですよ。わたし、おススメのがあるんで、今度贈りましょうか?」

「ありがとう。でも、大丈夫。私、お酒を飲むとすぐに酔っぱらうし……」

「確かになぁ。霧山は酒飲むと、すぐグデングデンだものなぁ」

「えっ。そうなんですか? 霧山さん、全然飲み会に来るイメージないですけど」

「なんだっけ。ほら、サツリューの一期が終わったあとの打ち上げでさぁ」

「ちょっと。その話はやめてくださいよ」


 仲のいい先輩の横槍に、私もおどけて返す。

 おかげで心配の空気が和らいでいった。

 ありがたい。


「でも霧山さんもなにかあったら言ってくださいね。私、全力でサポートしますから」

「うん。ありがとう」


 いい子だな、と思う。

 

 RICHIKOちゃんは、私とそれほど年も変わらない。

 たしか21歳だったはず。九州から上京して、養成所を出たあと、めきめきと頭角を現してきた早熟タイプだ。

 

 現場でも会う機会が増えているが、見るたびに上手くなっている。

 きっと彼女は今後もこの業界で生き残っていくのだろう。 


 今日の収録も、私と彼女がメインを務めることになっていた。


 現代日本を舞台にした漫画原作の日常コメディアニメで、私とRICHIKOちゃんが演じるのは、メインとなる姉妹である。


 おっとりした姉のミズホを私が、しっかり者な妹のユキをRICHIKOちゃんが担当している。


 原作は仲睦まじい姉妹のとぼけた掛け合いが持ち味となっており、アニメの台本ホンや演出はその魅力にさらに磨きがかかっている。


 もうすでに収録話数は6話を数えており、私もRICHIKOちゃんの掛け合いもぴたりと息が合うようになっていた。


 現場はとてもいい雰囲気で進んでいる。


「みなさーん。おつかれさまですー。本日もよろしくお願いしますー」


 とぼけた声で入ってくるのは顔なじみの音響監督。

 続いて作品のプロデューサー、監督もブースに入ってくる。


 収録前の打ち合わせ。

 今日の収録について、どのような流れで行うか、演出意図などが口頭で説明される。


 台本に説明された事項を直接メモしながら、今日の流れを頭に入れていく。


 流れは複雑だが、音響監督が時折混ぜる冗談のおかげで、演者たちも過度に委縮せず、リラックスした気持ちで状況を受け止められていた。


 自分を始め、この現場は若い声優が多い。


 だからだろうか、演出陣はこちらが演じやすいよう雰囲気づくりにとても気を遣ってくれていた。ありがたい。


 不安要素なんてどこにもない。

 あるわけがないのだ。


 やがて本番前のリハが開始となる。


 アニメはAパート、CMを挟んでBパートに分かれる。

 話数の演出によってはOP前のアバンや、ED後のCパートが入ることもあるが、基本はこの構成だ。


 リハのテストが行われるのはAパートのみ。

 そこで演者の演技を確認したのち、音響監督からのディレクションが入り、本番へと入る。


 Aパートの開始は姉妹の子供の頃の回想から始まる。

 幼い頃、両親と共にデパートへ買い物にきたユキとミズホ。しかしユキが遊んだせいで、ミズホとユキは両親からはぐれてしまう。


◎ユキ

「うぅ……! ヒック……うぅ……! ごめんなさい……、おねえちゃん」


 自分のせいだと泣き続けるユキ。

 しかしミズホはちっとも動じることなく、ユキの手を握り続ける。

 

◎ミズホ

「ほらほら、泣かないで。ユキちゃん」

 

◎ミズホ

「もう、お母さんたちってば、しょうがないなー。大人なのに、迷子になっちゃうなんて」

 

◎ユキ

「えっ? 迷子になってるのは、ユキたちのほうじゃ……」

 

 迷子になっているのはミズホたちなのに、ミズホだけは両親が迷子になってるととらえている。

 思わずツッコミを入れるユキに対し、ミズホは「大丈夫だよ!」と胸を叩く。


◎ミズホ

「お母さんたちもすぐ見つかる。それに2人でいれば、コワいことなんてないよ」


◎ミズホ

「わたし、ユキちゃんのお姉さんだもの。いつだってユキちゃんのそばにいるから、ね?」


 ミズホらしいとぼけた優しさが印象的な場面。

 原作でも姉妹の絆を象徴するシーンのひとつとして、人気が高い。


 アフレコブースに揃えられた3本のマイクスタンドの前に、私とRICHIKOちゃんが台本を手に並び立つ。


「アフレコ中に寝たらダメだよ、お姉ちゃん」

「そのときはユキちゃんが起こしてくれるから大丈夫」


 私も、RICHIKOちゃんも役名で呼び合いながら、冗談まじりのやりとりを交わす。

 喉の調子も問題ない。共演者も信頼できる。

 あとはいつもどおりにこなせばいい。


「それじゃあAパート、テストでーす。お願いしまーす」


 キューランプが点灯される。

 RICHIKOちゃんは台本を手にし、台詞を発した。


「うぅ……! ヒック……うぅ……! ごめんなさい……、おねえちゃん」


 いつもより幼いユキの声になって、RICHIKOちゃんは台詞を発する。

 それを受けて、私も幼いミズホとなり、応えた。


「ほらほら、泣かないで。ユキちゃん。もうお母さんたちってば、しょうがないなー。大人なのに、迷子になっちゃうなんて」


 ――サイコーよ! あなたは私の天使ね!

 

 頭の片隅に響く声。


 違う。

 気にするな。

 いまは演技に集中しろ。


「えっ? 迷子になってるのは、ユキたちのほうじゃ……」


 ――お前なんか、産むんじゃなかった。

  

 なんで。

 なんでこんな時に、思い出すの。


「お母さんたちもすぐ見つかる。それに2人でいれば、コワいことなんてないよ」


 ノイズがマイクに乗らないように、ページをめくる。

 ミズホの台詞が視界に飛び込むんだ。


◎ミズホ

「わたし、ユキちゃんのお姉さんだもの。いつだってユキちゃんのそばにいるから、ね?」


 台詞を発しようと、口を開く。


 ――ほら。この人よ。この人が、あなたの……。


 台詞が出てこない。

 頭の中が真っ白になる。


「霧山、どうした?」


 ミキシングブースにいる音響監督がスピーカー越しに声をかけた。

 私はなにか応えようとする。

 

 だが、できない。

 動悸が激しくなる。

 呼吸がどんどん乱れていく。


 隣にいるRICHIKOちゃんが真っ青な顔になり、私になにかを呼びかけている。

 まわりの共演者たちも私に駆け寄った。


 しかし、みんながなんと言っているのかわからない。

 みんなの声がなにも入ってこない。


 息が苦しい。

 声の出し方かもわからなくなる。

 

 これは現実?

 まだ私は夢の中にいるの?

 

 そうだ。

 これは夢だ。夢。

 目が覚めたら、きっと全部元通りに――


 醒めないよ。


 誰かが私に告げる。


 これから先、お前はこの悪夢から醒めることはない。


 だって、そうだろ?

 お前が見ているこの夢は――


 お前が生きる、現実そのものなのだから。


 ◇◆◇


 見慣れた天井が視界に飛び込む。

 自分の部屋ではない。

 親友であるアサちゃんの部屋の天井だ。


 大好きなアニメの台詞を思わずつぶやきそうになるが、恥ずかしいのでやめる。


 なんでアサちゃんの部屋にいるんだっけ、とぼーっとした頭で考えてから、この2週間ほど、アサちゃんの家で暮らしていることを思い出す。


 久しぶりに夢を見た。


 数カ月前、アフレコ中に起こしてしまったアクシデントの記憶。

 夢ならよかったのに、と何度願ったかわからない現実。


 私はベッドから身を起こし、時計を見た。

 深夜3時。まだ夜明けにすらなっていない。

 朝が早いハルくんもまだ眠りについているだろう。

 

 寝直そうかとも思うが、寝つけないのはわかっている。

 スマホゲームを触ろうかとも考えたが、やめておいた。そんなことをすれば、生活リズムを崩してしまう。


 ハルくんにカッコ悪いところを見せたくない。


 ――あたしとしては、もうちょい隙を見せてもいいと思うけどな。


 アサちゃんはああ言っていたけど、そんなの見せられるわけがない。

 私は物心ついて頃から、ずっと何かを演じながら生きてきた。

 いまさら仮面をどう外したらいいかなんてわからない。


 ましてや素顔の私なんて誰にも見せられない。

 ハルくんにも、アサちゃんにも。


 本当の私の姿を知ったら、2人はきっと私から離れてしまう。

 震えが出そうになる。


 いつからか周期的に吹き荒れるようになったネガティブの嵐。

 私は息を潜めて、必死に耐える。


 大丈夫。私はまだやれる。

 諦めずに立ち上がれる力が、私にはまだ残ってるじゃないか。


『プリンセス=メア』をプレイしていたとき、隣で見守ってくれたハルくんのまなざしを思い出す。

 

 まだ自分には頑張れる力がある。

 私を信じてくれている人たちもいる。

 

 仕事仲間のために。ファンのためにも。

 私を支えてくれるアサちゃんやハルくんのためにも。


 もう一度、踏み出さないと。

 

 大丈夫。私ならやれる。きっとやれる。


 枕に顔を埋めながら、何度も何度も私は心の中で繰り返した。

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