第15話 うちの生徒会長は、推しへの愛がスゴイ。

 俺と市原は揃って屋上の踊り場に腰を下ろした。


 高等部の生徒会長と副生徒会長がひと気のない場所で落ち合う。

 これが漫画やアニメであれば、不穏な密談が交わされていそうなシチュエーションだが……。


 実際はこのとおり。


「霧山シオンは、私にとって恩人みたいな人」 

「恩人?」

「そう。あの人が演じる東上とうじょうエレンと出会い、私の人生は変わった。彼女こそ、私の人生に輝く光。推しなんて言葉では言い表せない存在。それが霧山シオンなの。わかる、千川?」

「あ、うん。はい」


 霧山シオンの素晴らしさを説く敬虔なる使徒・市原の演説にただひたすら相づちを打ち続けていた。


 なにが怖いって、霧山シオンの話をしているときの市原、いつもとテンションが全然変わってないんだよな。


「人生に輝く光」とか、どんな感情で説いてるんだ。

 

 しかし、東上エレンという名前には聞き覚えがある。


 俺はスマートフォンで東上エレンを検索してみる。

 検索画面に表示された、凛々しい黒髪の女の子のイラスト。

 それを見て、すぐに思い出した。

 

 詩織さんがいつも使ってるマグカップに描かれてた子だ。


「これ、『アイドライブ』のキャラだっけ?」

「アイドラを知ってるの!?」


 ものすごい勢いで市原が食いつく。

 頼むから、目をギラギラさせないで。怖いから。


「俺はよく知らないよ。ボールペンをくれた知り合いが、その、好きだったから」

「お姉さんの知り合いさんか。アイドラ好きなんだ。いいね」


 市原は真顔で親指をぐっと立てた。


 ちなみにボールペンは「姉の知り合い」から貰ったということにしていた。

 ウソはついていない。


 そして市原があれほどボールペンに驚き、俺を詰問したのは転売品を手にしたからではないかと疑っていたためだ。


「あのボールペン、伝説のライブ限定のグッズだから、今ではプレミアムが付いてる。ネットで出品すると5桁で売れる」


 そんなモノ、気軽に渡さないでほしい。

 下手したら税法に引っかかるんじゃないだろうか。


 閑話休題。


「じゃあ、市原はこのエレンってキャラが一番好きなのか」

「好きなんてものじゃない。東上エレンは私の憧れ」


 市原は断言する。


「エレンは校則が厳しいお嬢様学校の生徒会長でもあり、理事長の娘でもある。自分にも他人にも厳しい女の子だけど、誰よりも学校のことを思ってる」

「うん」

「そんなとき、後輩の女の子たちが学校の人たちとアイドルグループを組むの。最初は反対するんだけど、だんだんエレンも彼女たちに感化されてきて」

「はいはい」

「でね、アイドル活動を認めない理事長の母親がアイドルグループを取り潰そうとするんだけど」

「ほうほう」

「そのとき! 理事長に向かってエレンが言うの!」


――自分の花を咲かせる淑女たれ。お母さまが教えてくれた理想を、私は大切にしたいの。

――だから、アイドルという彼女たちの花を摘ませはしない。

――己の理想に恥じない自分でいたいの!


「『アイドライド』、6話のクライマックス。思い出すだけで泣ける」

「はー、なるほどね」

「私はあれを見て、生まれ変わろうと決めたの。まさに人生の転機といっても過言ではない」

「うんうん。よーくわかった」


 俺は市原の熱い語りに深く耳を傾けてから、「市原」と声をかけた。


「こないだの言葉、パクってるな?」

「…………」


 市原はさっと顔を逸らした。

 こいつ、逃がさないぞ。


「“己の理想に恥じない自分でいたい”、ってお前、こないだ決め顔で言ってた言葉だよな。だよなぁ!?」

「……いいことを言った自負はあるし」

「俺の感動を返せ。ちょっと感銘受けたのに」

「ふふ、それだけエレンの言葉は偉大」


 どや顔するな。腹立つな!


 それにまだ市原には追求したいことがある。


「市原。なんでお前、生徒会長になった?」

「うっ」

「この際、全部白状しろ。さぁ、吐け」

「そ、それは……」


 市原はすっかり参ったのか、膝を抱えて丸くなる。

 やがてぽつりと話し始めた。


「私、すごい人見知りで昔から全然取り柄なんてなかった。人前に立つのも全然」

「そうなのか?」


 いまの市原からは想像ができない。

 

 いつも彼女は凛々しい姿で生徒会を率いている。市原に憧れている生徒も多い。

それこそ、先ほど画像で見た東上エレンのように。


「だけどね、たまたまテレビを点けたときに『アイドライド』の6話がやってて。エレンのこのセリフを聴いて思った。私の花、ってなんだろうって」

「ずっと見てたわけじゃないのか?」

「うん。それまでアニメなんて全然見てなかったし。それだけエレンの台詞が、霧山シオンの演技が私に刺さったのかも」


 市原は懐かしそうに話した。


「それから配信サイトで1話から見直すうちにハマって。ライブに応募したら、当選して。そこで東上エレンのステージを見て、演者である霧山シオンにドハマりして。霧山シオンのほかの出演作やラジオまで追いかけるようになって、気がついたら、引き返せないところまでズブズブ沼に沈んで――」

「ハマったのは霧山シオンでいいんだよな?」


 薬物とかじゃないよな。念のためだけど。


「失礼な。薬物なんかより、霧山シオンのほうがずっと効くし」

「言葉のチョイス」

「それはさておき」


 さておかれた。


「ラジオで、霧山シオンが言ってた。『エレンは私によく似てる』って」

「似てる?」

「うん。だからあの台詞は自分の人生も乗せた、って話してて。ああ、この人はエレンそのものなんだって思った。こんなふうに生きたいって、思ったの」

「その結果が、生徒会長か」

「うん。青開学園の編入試験にも合格したし。新しい自分にチャレンジしてみたかった。だから頑張った。まだエレンには全然届かないけど」

「そっか」


 市原の話を聞き終えた俺は、改めて感銘を受けた。


「すごいな、市原は……」


 本心から言葉が洩れる。


 自分の理想を求めて、挑戦を続けて、確実に理想に近づいている市原はメチャクチャすごい奴だと思う。


 いろいろ腑に落ちない部分はあったけど。

 やっぱり市原は市原だった。


 ――私にできるのは、ただ失ってしまったものの大きさを噛みしめることだけ。ただ、それだけだから。


 ああ、そうか。

 先日の言葉の意味がようやくわかった。


「失ったモノって、シオンの休業のことか」

「……うん」


 言葉少なに市原は頷いた。


「ホントは今週末、TOKYOドームでライブのはずだった。チケットも獲ってたけど、中止になったし。ラジオも聞けなくなっちゃった」

「寂しい?」

「もちろん。ぽっかり胸に大きな穴があいた感じ」

「そりゃ、そうだよな」

「でも、それ以上に自分の無力さが悔しい」


 俺は息が止まりそうなった。

 そんな俺の様子など気づきもせず、淡々と市原は続ける。


「霧山シオンになにがあったのか、私にはわからない。でも、シオンが苦しんでいるのに、私たちには祈ることしかできない。それがとても悔しい」


 洟をすする音が聞こえた。

 視界の端で、市原がまなじりを指先で拭っている。


「ゴメン。こんなこと言われても、引いちゃうだけなの、わかってるけど」

「引かないよ。気持ちはわかる」


 俺もおなじだ。

 詩織さんの苦しみに対し、そばにいる俺はなにもできていない。


 特別なことなんか必要ない、と姉は言っていたけど。

 本当にこれでいいのかと、疑問に思うことはある。


 自分が抱えている苦しみを、詩織さんは全然見せてはくれないから。

 

 それでも。

 だとしても、だ。


「たぶんだけど、祈りは届いてると思うよ」

「えっ?」

「待っててくれる人がいる。忘れられてない。それだけで支えられるものはあるんじゃないのか?」


 なにを偉そうに、と思う自分もいる。

 しかし言わずにいられない。


「だからさ。市原はいままでどおりでいいんだよ。メイト、だっけ? 霧山シオンの復帰を待ちながら、毎日を頑張ればいい」


 おそらくここに詩織さんがいたなら、そういうことを言ったんじゃないか。

 もちろん、だいぶ俺の願望も入っているけど。


 市原は俺をまじまじと見つめる。

 珍しいモノを見た、という表情に、俺は気まずさを覚える。


「……なに?」

「ううん。千川、意外といいこと言うなと思って」

「意外と、とは失礼な」

「ゴメン。もっと千川ってドライなイメージがあったから」


 そう言って、市原は吹っ切れたようにうんと腕を伸ばした。


「そうだね。霧山シオンのメイトとして、いまは待とうかな。ラジオ復帰したら、ふつおたをたくさん送らないとだし」

「その前に生徒会長の仕事も頑張らないとだしな」

「わかってる」


 市原は不意に俺に笑いかける。


「うん。なんだか気持ちが軽くなった。千川に話せてよかった」

「俺は何もしてない。話を聞いてただけだろ」

「まぁ、そうだけど。千川ってなんか話しやすくて、いい」


 俺は温かな、そしてむずがゆい気持ちになった。


 ものすごい賞賛をされてる気がするけど、でもそれが自分のどういうところを褒められているのかが全然わからない。


 ただ、市原の気持ちが軽くなったというのなら、それでいいかとも思う。


 もしかしたら詩織さんも同じなのだろうか。

 特別なにもしてない俺の存在によって、助けになっている面があるのだろうか。


 って、それは自惚れ過ぎか。

 俺がやったのはせいぜい耳かきの相手になったことくらい……。


――耳かきはASMR業界だと定番シチュなんだよ。私も仕事で何度か声撮りやらせてもらったことがあってね。せっかくだから、キャラを作り込もうかと。


――瞑想なんて大袈裟。頭の切り替えのためにASMR音源を聴いてるだけ。


「市原さ」

「ん?」

「もしかして、瞑想のときに聴いてるASMR音源ってさ」

「………………」


 全力で顔を逸らされた。

 さっきの比じゃないくらい汗をだらだら流してる。


「やっぱり霧山シオンか」

「ち、違う……! たまたま音楽配信アプリのおススメに流れてきただけで……。ちょっと気分転換に使ってるだけで。さすがにハマるは全然なくて!」


 市原は真っ赤な顔になりながら、必死に抗弁を続けた。


「で、でもすごいんだから! 霧山シオンの耳かき! あれは耳から聴くドラッグ! 千川も一度でいいから聴いたほうがいい! イヤフォン貸すから!」

「落ち着け、市原ぁ!」


 詩織さん、もとい霧山シオン、恐るべし。

 

 あの人の声は迷える中毒者を日夜生み出し続けているのだ。

 

 そして思った。


 先日、霧山シオン当人から耳かきされたなんて話、絶対誰かに知られるわけにはいかないな、と。


 俺の命がなくなるかもしれない。

 マジで。

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