第12話 姉の親友に、はじめての耳かきをされる。
夕食が終わり、皿を片付けたあと、俺はリビングのフロアに正座で待機していた。
「ハルくん、お待たせしましたっ」
詩織さんは絞ったタオルと綿棒のケースを手にリビングへと戻ってくる。
タオルは先ほどまでお湯につけていたのか、湯気を立てていた。
一旦、詩織さんはタオルと綿棒をリビングのローテーブルに置くと、おなじように正座で座り込み、俺のほうに向き直る。
「じゃあ、ハルくん。よろしくね」
「ちょっと待ってください、詩織さん」
「ん? どうしたの?」
詩織さんは小首を傾げる。
なんだそのリアクション。
可愛いなぁ。
じゃなくて。
「あの、なんで耳かきなんです?」
「それは、ハルくんが耳かき好きって言うから」
「言いましたけどぉ……。俺は“してほしいこと”を聞いたのに。これじゃあ結局、詩織さんにやってもらってるじゃないですかぁ……」
「ハルくん、私の耳を掃除したいの?」
「そういう意味じゃないです!」
詩織さん相手に耳かきやマッサージなんてできるわけがない!
公序良俗に反する!
エッチすぎる!
「せめて目的を教えてください。俺に気を遣ってるとかなら、やめて――」
「ち、ちがうの!」
なぜか詩織さんは強めに否定する。
そしてしどろもどろに言い訳するように言った。
「あのね。私、こういうのが、趣味なの……」
「こういうの?」
「だからっ! 誰かのマッサージをしたり、耳かきしたりするのが…… 」
顔を真っ赤にしながら、詩織さんはやけくそ気味に答えた。
どんな趣味だよ。
と思ったけど、冗談を言っている雰囲気ではない。
どうやら本当らしい。
「マッサージや耳かきをするのが好き? されるほうではなく?」
「うん。するのが好き。大好き」
詩織さんの口調には熱がこもっている。
それはもう見たことないくらいにこもっていた。
「あのね、私がこうやって手を動かすでしょ? そしたらね、お相手の方もいろんな反応を見せてくれるの。声を漏らしたり、痛がったり、息を漏らしたり。でね、ツボを押し当てたり、かゆいところにうまーく手が届いたときにね、お相手の解放された顔をね、眺めるのが、もうたまらないというか……!」
「詩織さん?」
熱病に浮かされたような表情になっていた詩織さんはハッと我に返った。
コホンと咳ばらいをする。
「失礼。少々興奮しました」
「少々?」
「でも、ハルくんは耳かき派かぁ。アサちゃんはマッサージ派だったけど。姉弟でもそこは違うんだねぇ」
「姉にもやってたんですか!?」
「うん。中学の頃にね」
言われて思い出した。
俺が小学校低学年の頃。
当時、バスケ三昧だった姉はよく詩織さんに腰や足のマッサージをさせていた。
ガキだった俺はなにもわからず、新しい遊びに混ぜてもらおうとして、姉からこっぴどく叱られたものだけど。
アレはてっきり、横暴な姉が無理やり詩織さんにやらせていたのだと思っていたが……。
「もしかして、あのときのマッサージって……」
「うん。私からお願いしてやらせてもらったの」
昔を懐かしむように目を細めた詩織さんはうっとりとした口調で語りだす。
「懐かしいなぁ。あの頃のアサちゃん、バスケ部の練習漬けでね、もう身体じゅうがバッキバキになってたの。これは揉み甲斐あるなぁと思って、揉ませてもらったんだけど、いやぁ、私が見込んだとおりだったね」
「詩織さん?」
「アサちゃん、昔はポイントガードだったでしょ? コートをずっと走り回ってるせいか、太ももとか腰がいつも固くなっててね。ホントに鍛え抜かれた、いい身体をしててさぁ……」
「詩織さんっ」
「しかも中学生になってから、アサちゃん、急に背が伸びてね? 特に腰から足にかけてのラインが本当に綺麗だったの。特に私がアサちゃんの身体でサイコーだなと思っている部分は、きゅっと締まってるけど柔らかさを残したお尻――」
「詩織さん!」
詩織さんは我に返ると、コホンと咳払いする。
「失礼。ちょっと熱くなっちゃった」
「ちょっと?」
アウトでは? と思ったが、そこは口に出さなかった。
詩織さん、時々見せる姉への感情がなんか怖いんだよなぁ。
しかし、ハッキリしたことがある。
「つまり耳かきは詩織さんの趣味で、これをすれば、詩織さんの気が晴れる、と。そういうことですね」
「うん。そういうこと!」
力強く頷かれた。
なぜここまで情熱を燃やすのか、俺には理解できないけど。
ただ、詩織さんがいまやりたいことなのは間違いなさそうだ。
ならば俺も腹をくくるべきだろう。
俺は詩織さんに元気になってほしいだけなのだ。
それが俺にできることなら、躊躇う理由などない。
「わかりました。俺の耳でよければ、いくらでも使ってください」
「ありがとう、ハルくん」
詩織さんは満面の笑顔になる。
これを見れただけで、引き受けてよかったなぁと思う。
と、綿棒とタオルを手に取った詩織さんはソファに座り直す。
そしてなぜか、催促するように自分の太ももをぽんぽんと叩いた。
「ハルくん。ほら、ここに頭を置いて」
「ここ?」
「? 耳かきするなら、膝枕が基本でしょ?」
ちなみに詩織さんはいま膝下まで伸びたジャンパースカートを着ている。
このため、詩織さんのおみ足がさらされているわけではない。
ないけど、え、マジで?
いや、考えてみれば当たり前の話だ。
だって耳かきなんだから。
膝枕をされる格好にはなる。
本当にそうか? 別の方法があるんじゃないのか?
ひとしきり考えてみる。
だが耳かきという行為の性質上、膝枕をさせてもらう以外の体勢が思いつかない。
「どうしたの、ハルくん」
詩織さんが純粋な眼差しでこちらを見ている。
からかっているわけではない。
純粋に詩織さんは俺の耳かきをしたいだけなのだ。
邪な気持ちを抱くほうがおかしいのだ。
となると問題は俺の羞恥心だけということになる。
仕方がない。
「……失礼します」
深々と一礼。
静かに詩織さんの膝にもたれかかり、頭の右側を膝元につけた。
スカート越しに張りのある感触が伝わってくる。
ありったけの精神力を振り絞り、俺は沸き上がる煩悩を押し殺す。
煩悩退散、煩悩退散、煩悩退散っ。
煩悩退散、煩悩退散、煩悩退散っ!
「それじゃあ、まずは耳を温めようねぇ」
「温める?」
すると左耳のあたりが急にじんわりと温かくなる。
詩織さんが用意した湯せん熱を帯びた布で枝温かいモノに覆われた。
詩織さんが用意したタオルだ。
それだけでなく、耳にかけられたタオル越しに心地よい圧力が加わった。
「どう? タオル熱くない?」
「あ、はい。ちょうどいいと、思います」
「わかった。まずは耳たぶを揉み揉みするねぇ」
いつもより詩織さんは優しい声で告げる。
タオルで挟むように耳たぶを揉んでいく。
強すぎず、弱すぎず。
耳の血管を労わるように、丁寧に、丁寧に。
時折、じんわりとした痛みが走る。
だが、その痛みを覚えるたび、濁りが消えていくような感覚も抱いた。
詩織さんは縁をなぞるように耳の外側を丹念にタオルでふいていく。
ひととおり拭き終えると、くいくいと耳を上向きに引っ張った。
じんじんと耳が熱くなる。
血の巡りがよくなった気がする。
「もしかしてハルくん、肩が凝ってたりする?」
「どうだろう。自覚はないけど。どうしてですか?」
「耳が凝ってるみたいだから。生徒会の仕事で疲れがたまってるんじゃない?」
「……詩織さんの仕事ほどではないですよ」
声優の仕事がどんなものかわからないが、間違いなく学校の生徒会より過酷だろう。
さすがに詩織さんの前で、大変なんて言葉は口にしたくない。
「人と比べる必要はない。ハルくんを見てればわかるよ。ハルくんがとーっても頑張っていることくらい」
最後に詩織さんは耳元からタオルをはがした。
密閉空間から解放されたことで、耳元で感じる空気が冷たく感じられる。
不思議な解放感に、ほーっと息を吐いた。
そのときだ。
「ハルくん。本番は、これからだよ」
ゼロ距離から囁かれる吐息交じりの声。
それはまるで弾丸のように鼓膜を貫き、俺の頭に反響した。
ゾクゾクとした快感が電流のように背筋をかけめぐる。
これは言うなれば――天然のASMRボイス。
それは単に気持ちいい音という意味だけではない。
これは耳から感じる快楽だ。
聴覚に端を発する悦びなのだ。
どんなテクニシャンの指使いよりも、詩織さんの声は蠱惑的で魅力的で、聴く者の耳を喜ばせる。
俺はあの二択で耳かきを選んでしまった自分の迂闊さを呪った。
この体勢で、詩織さんの声を浴びながら、耳かきをされる?
無理。
そんなの。
理性が溶けちゃう!
しかしもういまさら止めることはできない。
「ほら。じっとして」
詩織さんは優しくそう告げると、左耳にそっと綿棒の先を押し当てた――。
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