第11話 姉の親友は、×××がしたい。

 生徒会の仕事が終わり、帰宅した頃には7時半を過ぎていた。


「お帰りー、ハルくん。遅かったね」


 わざわざ玄関先まで詩織さんが出迎えてくれる。


 ちなみに詩織さんは基本、外へ出ることはほとんどないが、服装だけはいつも外出できるような格好に着替えている。


 いまは膝下まで伸びたジャンパースカートに、黒のTシャツを合わせたカジュアルな服装。そのうえに、猫の刺繍が入ったグレイブルーのエプロンを身に付けていた。

 色合いと相まって、上品な雰囲気が詩織さんにとてもよく似合ってる。

 

「もしかして夕食作ってくれたんですか?」

「うん。ちょうどいまできたところだよ。ついでにお風呂も沸かし終えてるから」


 詩織さんはグッと親指を突き立ててから、うきうきした顔で俺に話しかける。


「ねぇねぇ、ハルくん」

「ん?」

「先にご飯食べる? お風呂に入る? それともぉ……」

「『ワ・タ・シ?』なんてベタなやつ、やめてくださいね?」


 俺がツッコミを入れると、詩織さんはむっと唇を尖らせた。


「ちょっとー、先に言うなんてひどいよー! 人生で一度は言いたい台詞17位だったのに!」

「それは高いんですか? 低いんですか?」

「ちなみに16位は強大な敵に一撃をかましたあとの一言、『やったか!?』」

「絶対に倒せてない奴じゃないですか」


 そんな会話を交わしたあと、俺は部屋着に着替え、リビングへ向かう。


 テーブルにはすでに夕食の準備が整っていた。

 大皿の上に盛られたレタスとミニトマトのサラダ。

 なめこの味噌汁が入ったお椀。

 蒸した鳥のもも肉とご飯がなぜかおなじ皿に盛りつけられている。鶏肉が盛られた皿のそばには、赤味のかかったソースが入った醤油皿が置かれていた。

 

「これ、カオマンガイ。1人暮らししたときもたまに作ってたの」


 詩織さんは得意げな顔で言った。


「辛いの平気だったら、ソースもかけてみて」

「料理系の動画で見たことあります。タイ料理でしたっけ?」

「そうそう。ほんとはパクチーを添えるんだけど、冷蔵庫に見当たらなかったからねぇ。パクチーとか辛いモノは平気?」

「辛いものはいけるけど、パクチーはどうかな。食べる機会がなかったので」

「わかった。辛いの苦手だったら、醤油でもいいよ。無理はしないでね」

「ありがとうございます。それじゃあ、いただきます」


 手を合わせてから、早速詩織さんお手製のソースを鶏肉にかけてみる。

 真っ白い鶏肉に赤いラインが走る。


 柔らかい鶏肉を箸で挟む。

 一度ご飯に乗せて、まとめて口の中へと運ぶ。

 ほろほろと崩れる鶏肉の感触と米の触感。

 さらに芳醇な甘辛い風味が口の中に広がる。

 

 タイ料理なので、なじみのない味かと思ったが、これは食べやすい。

 辛さもちょうどよく美味し………………。


「辛っ!」


 俺はコップの麦茶を飲み、舌に残った辛みの中和を試みる。

 だいぶ収まったが、まだ舌先がピリピリしていた。


「大丈夫!? そんなに辛かった!?」

「辛さが、あとからきて……、舌が、しびれて……」

「そうなんだぁ……。私、いつもこれくらいがフツーだったんだけど……」


 詩織さんはカオマンガイを食べながら、ふーむと腕を組む。


「ハルくんの舌に合わせて改良しないとか」

「でも、美味しいは美味しいですよ。辛さも慣れの問題だから、気にしなくても」

「ダメ!」


 詩織さんは強く否定した。


「せっかく一緒に食卓を囲むんだから、2人で美味しく食べられるモノにしないと!」


 やけに強く主張された。

 どうやらそこは詩織さんにとっても譲れないポイントらしい。

 それだけ俺のことを気遣ってくれるのが嬉しかったし、同時に申し訳なかった。

 

「ソースのレシピってどこかにあるんですか?」

「ん? 材料の分量なら教えられるけど、なんで?」

「俺も詩織さんの好み、覚えておきたいんで」


 せっかく一緒に暮らしているんだし。

 互いの好みを把握するのは大事だろう。


 しかし詩織さんは目をぱちくりと瞬かせた。


「えっ、いいよ。そんな。私の好みに無理に付き合わなくても」

「でも、カオマンガイ美味しかったですし」


 それに最初は「辛っ」と思ったカオマンガイも、だんだん辛みが舌に馴染んできた。詩織さんの好みに舌が順応してくる。


 その感覚自体が、とても新鮮で、楽しい。


「俺も普段参考にしてる料理動画を教えますから。どうですか?」

「……まぁ、ハルくんがいいなら」


 なぜか詩織さんは不服そうな顔で答える。


「なんで不満そうなんですか?」

「だって、こっちはハルくんを全力でお世話したかったのに、大人な対応してくるんだもの。私の立場がないよ」

「そんなに凹みます?」


 俺もさすがに高校生だし。

 年下として甘えるのも抵抗があるのだけど。


 いまだって夕食を作ってもらってるし。


「っていうか、詩織さんのほうこそ、俺になにかして欲しいことがあったら言ってくださいよ」

「して欲しいこと?」

「朝食も、夕食も作ってもらってばかりだし。さすがに申し訳ないです」

「私が好きでやってるだけだよ?」

「だとしても、俺のほうが落ち着かないです」


 詩織さんはうーんと真剣な顔つきで考え込む。


 詩織さんに家政婦のまねごとをしてもらいたいわけじゃない。

 

 なにか詩織さんが喜んでもらえることができれば。

 それくらいの軽い提案のつもりだったが、すぐには出てこないらしい。


 思いついたらいつでも言ってください、と答えようとした俺に、「あのね、ハルくん」と詩織さんは声をかけた。


「して欲しいことって、なんでもいい?」


 詩織さんが恐る恐る、こちらを伺うように訊ねてくる。

 

 急に妙な緊張感が走った。

 なんだ。

 この人はなにを言い出すつもりなんだ。

 

「なんでもいいですよ。公序良俗に反しない限りはですけど」

「……うん。大丈夫。健全で、全年齢向けのはず」

「詩織さん?」


 なんでいまの流れで、健全とか全年齢向けとかいう言葉が出てくるんです???


「ハルくん」

「はいっ」

「マッサージと耳かきならどっちのほうが好き?」

「はい?」


 なんの二択だ?

 俺は困惑するしかなかったが、詩織さんの表情は真剣だ。

 深く考えず、直感で答える。


「耳かき、ですかね?」

「わかった。耳かきだね」


 詩織さんは緊張した面持ちのまま、意を決したように言った。


「ハルくん。私に、君の耳かきをさせてもらえないかな……?」

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