第10話 うちの生徒会長は、仕事ができる。

 放課後、俺は生徒会室へと向かった。


 この頃、会議が続いていたためか、承認を進めないといけない書類が絶賛溜まってしまっている。


 予算申請に施設利用の許可、その他諸々。

 この頃はイレギュラーな申請も多く、ハンコを押す前に書類の審議を行う必要があった。


 今日は久しぶりに会議がない。書類仕事を片付ける絶好の機会だ。


 頭の中で仕事の段取りをあれこれ考えながら、俺は生徒会室の扉を開けた。


 生徒会室の広さは教室の半分くらい。

 壁はキャビネットや本棚に囲まれ、メンバー用の机が互いに向かい合わせになるように配置されている。

 あとは応接用のソファのほか、部屋の奥側に陣取る形で置かれた机がある。


 生徒会長用の机。

 その机に、もうすでに誰かが座っている。


「お疲れ、千川」


 市原乃亜いちはらのあ。俺とおなじ2年生。


 ショートヘアの黒髪に、鋭いまなざし。

誰にもなびかないクールな風貌は、知的な雰囲気を醸し出している。


 オタク気質の瑛輔は


「あの人は絶対、氷属性ですよ」


 などと評していたが、その気持ちもわからんでもない。


 そんな市原は去年の11月より、高等部生徒会の生徒会長を務めている。


 つまり、彼女こそが我が生徒会のボスである。


「溜っていた予算申請書と施設利用許可書、私の判断で決済が取れるものはハンコを押しておいた。ラックに入れてあるから、ダブルチェックお願い」


 いつもどおり市原は必要なことだけを簡潔に伝えてくる。


 余計な感情を廃した言い方なので冷たく聞こえるかもしれない。


 しかし言外の意味をくみ取らずに済むので、仕事をするうえではこれくらいの接し方のほうがありがたかったりする。


 机の上には2つのラックが置かれており、それぞれ『承認済み』、『差し戻し』という札が着いていた。


 ハンコが押されてた書類は『承認済み』側に、差し戻しになった書類は差し戻し理由を備考欄に記載したうえで『差し戻し』側に、分類されている。

 

「これ、書類全部見たのか?」

「うん。千川から見て、違和感あれば教えて。定例の議題に回すから」


 市原はこともなげに告げる。


「……なぁ、市原」

「なに?」

「こういう仕事は俺や他の人間に回してくれ。会長が雑務をやると自分の仕事ができなくなるだろ?」

「でも私がやったほうが早いし」


 私がやったほうが早いし私がやったほうが早いし私がやったほうが早いし私がやったほうが早いし――


 市原の無慈悲な言葉が頭の中でエコーのように響く。


 こいつ。ちょっと仕事ができるからって……。

 

「どうかした?」

「なんでもない。すぐ確認する」

「うん。お願い」


 市原はノートパソコンに向かいながら、作業を続ける。


 リズムカルなキーボードの打鍵音を聞きながら、俺も書類の精査に専念した。


 俺は市原乃亜を尊敬している。


 彼女は勤勉で、愚直で、どんな物事にも一本筋を通そうとする。

 

 だけど、そんな人間が常にそばにいるということはこちらも一切、気が抜けないことを意味する。


 だからこそ書類の精査も手を抜けない。


 俺は書類を1枚1枚手に取って確認し、ようやく確認を終えた頃には30分経っていた。


 予想通り、市原の確認した内容に不備はひとつも見当たらなかった。

 これなら定例の議題にあげるまでもなく、そのまま決済を取ってしまっていいだろう。


 気がつくと、キーボードの音がいつの間にか止まっている。


 生徒会長の席に座る市原は静かに目を閉じていた。耳にはブルートゥースのワイヤレスイヤフォンがつけられている。


 また瞑想をしているようだ。


「市原、終わったぞ」


 俺が声をかけると、市原はぱちりと目を開け、イヤフォンを外した。


「書類のほうは問題ない。このまま進めていいと思う」

「……了解。じゃあ、各書類の代表者に連絡を。差し戻しの人たちにも理由を伝えておかない」

「ああ」


 俺は早速、準備を進めながら話した。


「最近、瞑想の時間が増えたな。疲れてるのか?」

「瞑想?」

「ヒマになると、目を閉じていつもなにか聴いてるだろ?」


 市原はきょとんとした顔をしている。

 俺は彼女が手にしているイヤフォンを指さした。


 市原は1人でいると、たまにイヤフォンを装着し、目を閉じていることがある。


 外界の騒音を遮断し、1人の世界に没頭している姿は座禅を組む僧侶を連想させたため、俺はひそかに「瞑想」と呼んでいたのだ。


「瞑想なんて大袈裟。頭の切り替えのためにASMR音源を聴いてるだけ」

「ああ。市原もそういうのを聴くんだ」

「うん。いい感じに脳がリセットされるから。お勧め」


 ASMR。日本語に直訳すると自律感覚絶頂反応というらしい。


 ひとまずは「心地いい反応を引き起こす聴覚の刺激」と理解している。


 風のせせらぎ。

 海岸に響く波音。

 包丁で軽快に物を切る時の音。

 炭酸の泡が吹き上がる音。


 それら、耳に心地よいとされるある種の音は脳にも安らぎを与え、絶大なヒーリング効果をもたらすと言われている。


 俺も眠れないときは、たまにネットにあがっているASMRの動画を流していた。


「疲れている、ってわけじゃないけど。考え込むことが増えた、かな」

「なにか悩みがあるとか?」

「ううん。悩み、とは違うよ。考えてもどうにかなる問題じゃないし」


 市原は力なく首を振った。


「私にできるのは、ただ失ってしまったものの大きさを噛みしめることだけ。ただ、それだけだから」

「そうなのか……」


 表情はあまり変わらない。

 しかし市原が落ち込んでいるのはわかる。

 正直、こんなに落ち込んでいる市原を見るのは初めてだった。


 振り返ると、瞑想が増えたのはこの2ヵ月ほどのあいだだっただろうか。


 もしかして、と俺は考える。


 市原は最近、親しい人を亡くしたのか。

 ぽっかり空いた喪失感をいまも抱え続けているのではないだろうか。

 

 だとすれば、俺ができることなんてほとんどない。市原とは友達と呼べるほど親しいわけでもないし。


 ……と少し前の俺なら放っておいたところだが。


「なにかあれば、話くらいは聞くぞ」

「え?」

「大したことはできないが、同じ生徒会の仲間だ。1人で抱え込むのがしんどくなったら、いつでも言ってくれ」


 市原はわずかに目を大きく開いている。

 どうやらかなり驚かれているらしい。

 彼女の反応に、こちらまで恥ずかしくなってきた。


「意外。千川がそんなことを言うなんて」

「俺だって仲間意識くらいは持ってるよ」

「皮肉とかじゃないよ。うん、ありがとう。ほんとに嬉しい」


 丁寧に市原は頭を下げると、小さく微笑みかけた。


「心配ない。ちゃんと生徒会の業務は全うできる。手を抜くなんて、できないし」

「市原はすごいな。どんなときも全力で」

「そんなことない。己の理想に恥じない自分でいたい。それだけ」


 なんの衒いもなく、市原はそんなことを言ったが不思議な説得力がある。


 自分を持っている奴はすごい。

 俺とは全然違う。


「なにかあれば相談させて。千川のこと、頼りにしてるから」

「ああ」


 俺はこそばゆい気持ちを抱きながら、作業を続けた。

 

顔が熱い。

熱でも出たみたいだ。風邪じゃないのは自分でもわかってる。

 

なんで、あんなことを言ったのかと恥ずかしさが込み上げてくるが、どうしても放っておくことができなかった。


 市原の曇った表情に、詩織さんの面影が重なったせいだろう。


 詩織さんも表には出さないけど、どうしようもない喪失感を抱えているから。

 それに何もできないことが、歯がゆくて仕方ないのだ。

 

 俺は詩織さんに何ができるんだろう。

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