第4話 姉の親友は、人気声優らしい。


 久しぶりに再会した「姉の親友」は、休業中の人気声優でした。


 突然告げられたその事実を、俺はうまく呑み込むことができなかった。

 というか混乱していた。

 

「霧山シオンって、『逆ブレ』のミーア役の?」

「あ、『逆ブレ』知ってたんだ。そうそう、ミーア役。まぁ、降板しちゃったから正確には“元ミーア役”になるんだけどね」


 なんでもないことのように詩織さんは話す。

 降板に対して思うところがあるはずだが、声色からも、表情からも、本心を伺うことはできなかった。

 正直、衝撃のほうが上回りすぎて、詩織さんの胸中を慮る余裕なんてなかったのだけど。


 詩織さんが霧山シオン? 本当に?

 俺はスマートフォンを取り出し、霧山シオンの顔画像を検索した。目の前の詩織さんと見比べてみる。

 目元も髪型も、それに雰囲気も全然違って見える。

 霧山シオンはきりっと吊り上がった目元をしているが、詩織さんの目はどちらかというと垂れている。シオンの髪型はショートだし、色も派手めのピンクだ。


「あの、あんまり比べられると、恥ずかしいんだけど……」

「そうなんですけど……。えっ、全然違くないですか?」

「メイクだよ。霧山シオンとして表に立つときは、専用のメイクをしているの。男の子が想像する以上に女の子は化粧で化けるからね」

「髪は?」

「休業してから伸ばしたの。もともとウィッグだったし」


 それはもう化粧というより、完全に変装なのでは?


 とはいえ、もう一度よく見返してみれば、霧山シオンの面影と重なるところもある……ように見えなくもない。

 

「そんなに納得できないなら、確かめてみる?」

「えっ?」


 急に詩織さんはその場で咳ばらいを始めた。

 喉に手を当てて、声帯の調子を確かめるように声を発してから、唇を震わせる。

 リップロールというやつだろうか。

 一連の動作を流れるように行ってから、詩織さんは目を閉じる。

 なにかに意識を研ぎ澄ましてから口を開いた。


『お帰りなさい、後輩くん。今日はなにをしようか』


 鳥肌が立った。

 詩織さんの口から出てきたのは、まぎれもないミーア・リゼットのホーム画面ボイスだった。ゲームの起動時に何度も聞いた声。

 すっかり耳に馴染んでいるミーアの声だ。


「なんか、ハルくんの前でやると恥ずかしいね、これ」


 照れているのか、詩織さんは「はずいはずい」と言いながら、真っ赤になった顔を手で仰ぎ始める。すっかりいつもの詩織さんの声に戻っていた。

 俺はただただ衝撃を受けていた。


「あ、そうだ。ハルくん、いいモノをあげるよ」

「いいモノ?」

「うん。これ」


 そう言って詩織さんは段ボールから、ビニール袋で包装されたペンを取り出す。

 銀色のメタリックなデザインが特徴的な三色ペン。

 ペン軸には「Shion 1stLive」のロゴが印字されている。


「最初のライブで出したグッズでね。何点かグッズをプロデュースしていい、って言われたから、作ってもらったの。サンプル、余ってるからよかったら使ってよ~」

「サンプル。グッズ」

「うん。ホントはあんまり人に渡すのもよくないんだけどね。まぁ、私よりもハルくんのほうが使う機会多いと思うから」

「はぁ」


 もうさっきから全然理解が追いついていない。

 しかし、どうやら納得せざるを得ないようだ。。

 

 詩織さんが休業中の人気声優・霧山シオンであるという事実を。


 と同時に、ある言葉が脳裏をよぎった。


 ――霧山シオンさんが病気療養のため休業されることになりました。


 以前瑛輔が見せてくれた『逆ブレ』のお知らせの一文。

 本当に詩織さんが、霧山シオンだとしたら――


「おーい、帰ったぞー!」


 玄関の開く音とともに、雷鳴のような一声が響いた。

 反射的に背中がピンと伸びる。

 緊張する俺とは対照的に、詩織さんはパッと表情を明るくさせた。


「あっ、アサちゃんだ!」


 まるで推しのライブの開演に駆け付けるかのように、詩織さんはテンションを上げて1階に降りて行く。

 俺は鎖に繋がれた鉄球を引きずるような足取りでのろのろと後を追いかけた。


 玄関には、いかついバンドマンのようなギャルが立っていた。

 小麦色に灼けた肌、馴れ合いを嫌う狼のような目に、金色に染めた左右非対称のアシメショート。長い足に履いているデニムは膝元が破けており、片方だけ覗いている左耳にはピアスが2つつけられている。


 千川朝子。俺の実姉である。

 ちなみにバンドマンではなく医大生である。

 

「アサちゃん、お帰り。飛行機、大変だったね」

「参ったよ。急なトラブルなんだもの。悪いな、運び入れ手伝えなくて」

「全然。ハルくんが手伝ってくれたから」


 詩織さんと話してから、姉は俺のほうに目を向ける。

 

「お帰り、姉さん」

「おう」


 姉はぶっきらぼうに答えると、いきなり俺の胸に紙袋を押し付けた。紙袋には「おきなわお土産」というロゴが印刷されていた。

 しかし、これは殊勝な姉が弟のために持ってきた土産などでは断じてない。


「海ぶどうと泡盛とオリオンビール。冷蔵庫に入れといて」

「あい……って、重っ!」


 姉が持ってきたのはお土産ではない。今夜の酒のつまみである。

 実家で晩酌するために泡盛とオリオンビール、海ぶどう(ときどき島らっきょ)を持ち込んでくるのが姉の実家帰りスタイルだった。

にしても今日は格段に重い。

 紙袋を見ると、オリオンビールが1ダース、泡盛の一升瓶が2本入っている。たしか姉は今夜、一晩だけ泊まって、明日の昼にはまた沖縄に戻ると言っていたけど。

 これ、今晩中に全部空けるつもりなのだろうか。


「さすがにお酒多くない? こんなに一人で飲めるの?」

「は? なんで一人で飲むんだよ」

「えっ?」

「詩織、今日はどーすんだ? 水割り? ロック?」

「うーんと、ロックかな」


 詩織さんはこともなげに答える。

 俺は尋ねた。


「詩織さん、お酒好きなんですか?」


 俺の質問に詩織さんは満面の笑顔で答えた。


「大好きっ♡」

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