第3話 姉の親友は、昔とあまり変わらない?

 荷物の運び入れは30分もしないうちに終わった。


 本棚やタンス、ローテーブルなどの家具や数個の段ボールが手際よく2階の部屋へと運び込まれる。

 引っ越し業者さんが去ったあと、俺と詩織さんは手分けして段ボールを開封していった。


「ごめんね。帰って来て早々、手伝わせちゃって」

「これくらい大丈夫です。思ったより、荷物少ないですね」

「まぁ、一人暮らしの荷物なんてこんなもんだよ」


 詩織さんは床に腰を下ろしながら、元・姉の部屋を見回した。


 広さは6畳分。以前、この部屋には本棚やシェルフラック、姉が愛用していた机が置かれていた。


 しかし姉の大学進学に伴い、荷物の大半は沖縄で借りている部屋か、物置部屋にしまわれている。

 いまではベッドとカーテンくらいしか残されていない。


「アサちゃん、全然実家に荷物残してないんだね」

「あんまり物には執着しない人なんで。この部屋も、たまに帰ってきたときの寝室くらいにしか思ってなさそうだし」

「たしかに。アサちゃん、そういうとこあるよね。ここ、と決めたら突っ走っていくというか。勇往邁進って感じ?」

「というより猪突猛進ですよ、あれは」

「アサちゃんは猪というより狼な気もするけど」


 なんだかずっと姉のことばかり話している気がする。

 俺と詩織さんの共通の話題なんて姉だけだし、仕方ないのだけど。

 もっと詩織さんに訊きたいことがあるのに、タイミングが掴めない。

 

「ねぇ、ハルくん。覚えてる?」

「なにがです?」

「よくこの部屋で、アサちゃんと話してたらさ、ハルくんが混ぜて混ぜてーって割り込んできたの」


 急に矛先がこちらに向けられてきた!


 しかも、ちょっと心当たりがある。

 姉と詩織さんがこの部屋でおしゃべりしていたとき、何をしているのか気になって、輪に混ざろうとしたのは朧げに覚えている。


 あれだ。完全に黒歴史というやつだ。


「恐竜の図鑑を持ってきて、名前当てクイズしようとしたり、『かいとうシロちゃん』の絵本を読んでってせがんできたり……。可愛かったなぁ」

「……その節は、本当にご迷惑を――」

「今でも好きなの? テリジノサウルスとクリンダドロメウス」

「そんなマニアックな名前、よく覚えてますね!」


 ちなみにテリジノサウルスはモンゴルで発見された前脚に巨大な爪を持つ白亜紀後期の獣脚類で、クリンダドロメウスは後ろ足や尾には柔らかい羽毛を生やした原始的な鳥盤類である。

 幼少時に仕入れた知識って、意外といまでも覚えてるものだな。


「そんなハルくんがいまや高校生で、一人暮らしだもんねぇ」

「大したことないですよ。家事してるだけだし」

「でも、通っているのは青開でしょ? あそこ偏差値高いし、テストも大変でしょ。家事をしながら、勉強も頑張ってるなんて偉い偉い」

「当たり前のことをしてるだけですよ」


 ひとりで暮らすようになって気づいたが、案外俺は家事が嫌いではない。

 自分のペースで生活のリズムを作るのは意外と楽しい。習慣化すれば、面倒くさいという気持ちすら抱かなくなる。


「当たり前のことをやれるのが偉いんだよー。私なんて一人暮らし始めた頃は、てんてこ舞いで、家事なんて全然できなかったもの」


 しみじみとした口調で詩織さんは語る。

 そうか。詩織さん、実家暮らしじゃなかったんだな。


「あ、でもいまはちゃんと炊事も洗濯も掃除もできるから! 困ったことがあったら言って! 私、なんでもやるよ!」

「いいですよ、そんな。お手伝いさんじゃないんだから」

「でも、ハルくんに悪いし」

「悪いって?」


 俺が向き直ると、詩織さんは正座をしながらまっすぐこちらを見つめていた。

 真剣な態度に、俺も居住まいを正す。


「あのね、ハルくん。正直に言ってほしいんだけど」

「はい」

「私と一緒に暮らすの、迷惑じゃない?」


 詩織さんの顔はひどく緊張していた。

 それを見て、俺は詩織さんもおなじだったのだと気づいた。


 6年ぶりに会う「親友の弟」にどう接したらいいのか。

 この共同生活をどう受け止めればいいのか、迷っていたのだ。


「……ひとつだけ確認してもいいですか?」

「なに?」

「この話、提案したのはうちの姉ですよね」


 詩織さんは何と答えようとか口ごもるそぶりを見せるが、やがて悪戯がバレた子供のように「たはは」と笑った。


「先月ね、アサちゃんがうちに来たの」

「姉がですか?」

「うん。いろいろあって、続けてた仕事を休むことになってね。なーんにもやる気がしなくて、ひどい状態だったの」


 ひどい状態、というとき、詩織さんは自嘲気味に言った。

 

「もう自分で生活できるような状態じゃなくなっててね。そしたら、アサちゃんが私の家に乗り込んで、一緒に暮らせ、って言ってきたの」

「その姿は、想像つきますね」


 こうと決めたら、どこまでも突っ走るのが姉である。

 詩織さんの危機にも当然駆けつけるだろうし、自分のことなど二の次でそういう提案もするだろう。


「だけど東京は離れたくなかったし、アサちゃんにも迷惑かけたくないからって断っちゃって」

「まぁ、姉も強引な提案をする人ですからね」

「そしたら、じゃあ丁度いいのがいるって、その場でハルくんに電話をかけまして……」

「強引ってレベルじゃなかった!」


 じゃあ、あの電話の時、姉は詩織さんのところにいたのか。

 つまり話の勢いで、今回の共同生活を勝手に決めて電話を掛けたってこと?

 

 姉のメンタルはどうも即断即決と独断専行が悪魔合体している節がある。


「あ、あのね。だからハルくんがイヤだったら、言ってほしいの。ハルくんに迷惑がかからないよう、すぐに出ていくし」

「でも、引っ越しの荷物も入れちゃいましたけど……」

「そんなの、なんとでもなるよ! マンスリーマンションでも見つけて送り返せばいいんだし! ええと、だから、だからね……」


 詩織さんは珍しく言葉に迷っていた。

 こんなに焦った詩織さんの顔を見るのは初めてな気がする。


「詩織さん」

「はい」

「正直に言っていいんですか?」


 俺の言葉に、詩織さんは意を決した顔でコクコクと頷いた。

 嘘はつかない。お世辞を言うつもりもない。

 いまの自分の気持ちを振り返りながら、慎重に言葉を選んで答える。

 

「正直、戸惑ってはいます。詩織さんとも会うの久しぶりなのに、この状況もなんで? とは思ってます」

「ははは、そうだよね……」

「けど、迷惑って感じではないです」


 言葉にしてみると、意外なほど自分の気持ちにしっくりきた。


 たしかにそうだ。

 俺はこの状況を迷惑だと思っていない。


「こうやって詩織さんと久しぶりに話せて、嬉しかったですし。詩織さんとの共同生活、全然イヤって感じではないです」

「……大丈夫? 気を遣ってない?」

「気は遣ってますけど、ウソはついてないです」


 自分でも意外なくらいはっきりと言い切ることができた。


 もしかすると、俺も案外、姉とおなじ心境なのかもしれない。


 昔、世話になった詩織さんを助けたい。

 力になれることがしたい。

 

「だから、変にかしこまらず、自分の家だと思って寛いでください。協力し合えるところは協力し合えば、いいと思うし……」


 いきなり頭に手を置かれた。

 詩織さんは柔らかい手で、俺の頭をさわさわと撫でる。

 懐かしい感覚に、息が止まりそうになった。


「ハルくんは本当に大きくなったんだねぇ」


 詩織さんはそう呟いてから、感慨深そうに、どこか愛おしそうに目を細める。

 そういえば詩織さんは、なにかあるとすぐこうやって俺の頭を撫でてくれたな。

 そして頭を撫でたあとは必ず――


「ありがとね、ハルくん」


 吐息の混ざった声が、俺の体を内側から優しく撫であげていく。


 俺は詩織さんの声が好きだった。

 どこまでも響き渡るような澄んだ声が好きだった。すべてを包み込むような優しい声が好きだった。


 だから久しぶりに会話したとき、詩織さんの声を聞いて安心したのだ。

 どんなに綺麗で手の届かない人になっても、あの頃好きだった声はなにも変わっていなかったから。


 いや、心なしか。昔よりも透明さが洗練されているように思える。


「……もう小さい子供じゃないので。頭を撫でるのはやめましょ」

「あ、ゴメンゴメン。そうだね。いまだと、こっちがいいか」


 そう言って詩織さんは頭から手を引っ込め、ゆっくりと俺のほうに差し出した。


「改めてこれからよろしくね、ハルくん」

「はい。こちらこそよろしくお願いします、詩織さん」


 差し出された手に、俺は握手で返す。

 詩織さんの手は細く、陶器のようになめらかな感触がした。

 ハンドクリームの効力だろうか。簡単に手を触れてはならない貴いものに触れてしまったような気がして、一瞬慄く。


 が、なぜか詩織さんのほうから俺の手を強く握り返していた。

 相手の手の親指が、俺の手の甲をそっと撫でた。皮膚の上を滑る感覚がこそばゆくもあり、それ以上に妙な気持ちにさせられる。


「あの、詩織さん?」

「……あ、ごめんっ」


 慌てて、詩織さんは僕の手を離した。なぜか耳たぶが紅潮しているように見える。


 そのまま詩織さんは後ろを振り返り、手元の段ボールを引き寄せた。


「……とりあえず、続き、やっちゃおうか」

「あ、はい。こっちの箱、開けちゃいますね」

「うん。お願い」

 

 なんだか妙な空気になってしまった。


 俺はこの同居生活にドキドキも、トキめきも求めていない。凪のような日々が送ることこそ至上としている。


 作業に集中して、早くこの空気を霧散させなければ。


 俺は想いを新たにし、近くにあった段ボールを手にした。


 ……この段ボール、やけに重いな。本でも詰め込んでいるのだろうか。


 カッターで段ボールの封を破り、ふたを開ける。

 予想どおり、中身は本だった。しかし小説や単行本の類ではない。


 カラフルな表紙の薄い冊子、あるいはクリップで留められた紙の束である。なにかのパンフレットだろうか。


 表紙にはさまざまなタイトル、キャラのイラストが描かれている。

 そしてどの冊子にも、表紙には【録音台本】という文字が印字されていた。

 紙の束にも似たような記載がある。


【『逆光ブレイズ』 ミーア・リゼット ボイス収録台本 担当:霧山シオン】


「……詩織さんって、なんのお仕事してるんですか?」

「ん? 私のお仕事? 声優だよ」


 こともなげに詩織さんは言った。


「霧山シオンって名前でやってるんだけど、知ってる?」

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