5章 道⑥


「寒いね」


 ロッカーで着替えて外へ出ると、翔太が待っていた。


 和佐はバイク通勤で、エリクは病院の裏手に家がある。だが、翔太とは駅まで一緒なので、同じ時間に上がるときは、そこまで一緒に帰るのが日課だった。


「ほんとだね、息が白い」


 自分は今、ちゃんと笑えているだろうか。不安を見破られるのが怖くて、一叶は先に歩き出した。


 街はクリスマスが近いせいか、イルミネーションがされていたり、ショーウインドーにプレゼントのオブジェが飾られていたり、赤や緑や白に彩られている。


「クリスマスって、気づいたら終わってない?」


 翔太が店舗前のツリーを見ながら言った。


「ああ……わかる気がする。研修医になってから、いつ夏が来て冬が来たのかわからないうちに年が明けてるよね」


「そうそう。仕事に忙殺されてる。そんでいつの間にかおじいちゃんになってるんだ……」


 げんなりしている翔太に、一叶は吹き出した。


「ふふ、浦島太郎じゃないんだから……私も、そんな急におばあちゃんになったら困るなあ」


 一叶が笑うと、翔太は少しほっとしたように頬を緩める。 

 そんな他愛ない話をしていたら、駅が近づいてきた。


(ひとりになりたくないな……)


 あの家に帰りたくない。母とまだ向き合える自信がない。そんな恐れが、一叶の帰る足取りをゆっくりにする。


「……魚住、着いたよ」


「え?」


 顔を上げると、翔太が駅を背に立ち、心配そうにこちらを振り返っていた。


「ひとりになりたくないなら……さ、うちくる?」


(……ん? うちくる?)


 頭の中で、そのワードが何度も繰り返し聞こえる。一叶は混乱しつつ、なんとか声を発する。


「……っ、え?」


「いや! やましいことはしないし、家があれならカラオケでもいいし、とにかく、そばにいるって言いたくて!」


 自分は痴漢じゃありません! と訴えるかのように、翔太は手を挙げて早口で喋った。


「あ……」


 なんだか力が抜けそうだった。彼の気遣いが心に沁みて、一叶は泣きそうになりながら、ふっと笑う。


「うん、そうして欲しい」


 翔太の裾を掴むと、彼は目を見張り、頬を僅かに赤く染めたように見えた。




 翔太の部屋に上がった一叶は、ソファーを背もたれにして彼と横並びに座っていた。絨毯についたお互いの手は近く、鼻先がぶつかりそうな距離で彼は言う。


「俺、いつもやるときはHARDなんだ」


「あ、そうなんだ」


「でさ、いい?」


 真剣な眼差しに、一叶は固唾を呑む。


「魚住、実はこのゲームやりこんでんの?」


 テレビ画面には黄金色ででかでかと【win】と表示されている。

 翔太の家に来た一叶は、テレビでオンラインゲームをやっていた。


 仕事仲間とはいえ、男性とふたりになれば緊張するかと思っていたのだが、翔太があえてそういう空気を作らないようにしてくれたのか、ゲームに誘ってくれたのだ。


「EASYモードで出てこない敵だったし、俺も自分がいつもやってる難易度のままだってことに、ゲーム中に気づいたんだけど、初心者なのに支援魔法が半端なかった」


「えと、初めてやったよ。というより、ゲーム自体が初めて」


「え……そんな原始人いるんだ」


 ゲームやってないと、翔太の中では原始人になってしまうらしい。一叶は苦笑しながら、コントローラーをテーブルに置いた。


「役に立ててたなら、よかった。でもクエストって、一回やり出すと極めたくなっちゃうね。央くんが徹夜するのもわかる気がする」


「でしょ、無心でできるのが醍醐味」


 翔太もコントローラーをテーブルに置くと、後ろのソファーに背中を預けて、天井を仰ぐ。


「うん、すごく……スカッとした」


 ゲームをしている間は、嫌なこともやらなくてはいけないことも忘れられた。


「あのさ」


 翔太は体勢を変えずに、こちらを振り向く。


「俺たち、いつでもパーティー組んで、一緒に魚住のクエスト受ける気だから」


「え?」


「だから、そのときに備えて、今のうちに勝ちまくって、自信つけとこ。いざって思えるときまで、いくらでも付き合う」


(私、ひとりじゃない)


 傷ついたら一緒に休んでくれる人がいる。迷っても一緒に考えてくれる人がいる。臆病になったら背中を押してくれる人がいる。甘えたくなったとき、厳しく成長させてくれる人もいる。


「……っ、うん。勝ちまくる」


 ちょっと、泣きそうだった。


「あ、でも、その前に腹減った」


 起き上がった翔太がスマートフォンに手を伸ばす。


「そういえば、夜ご飯まだだったね」


「出前頼む? 俺、ピザ食べたい」


「いいね、私も食べたい。なんか、パーティーみたいで楽しそう」


「かなり前倒しのクリスマス会ってことで」


 一叶たちはくすくすと笑い、メニューを選ぶのだった。

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