4章 笑顔の裏側⑦


『如月先生、うちの女房をなんで助けてくれなかったんだ!』


 その切羽詰まった声で、一叶は覚醒した。


 辺りを見れば、木造平屋の家々が立ち並んでいる。一叶が座り込んでいるのは、土が踏み固められただけの舗装されていない道。目の前には【如月養生所】と書かれた看板がついた小さな木造の建物がある。


(これって、如月病院になる前の建物……?)


 如月養生所の前に人だかりができており、皆が着物姿だった。


『先生はお医者様だろ? うちの子を助けておくれよ!』


 先生、先生、と養生所の前で騒ぐ村人たちに、如月先生と呼ばれた中年の男は疲れ切った顔で自分の頭を掻く。


『皆さん、今蔓延している疫病は……マミコのせいです』


 如月の口から飛び出した単語に、一叶は耳を疑う。


(……マミコ?)


 如月は視線を泳がせ、やがて村人たちを見渡した。


『マミコが痘瘡とうそう虎狼痢ころりをこの村に呼び寄せたのです。医学では、どうにも……』


『それでは、マミコ狩りをするしかないんじゃなかろうか』


 背の低い老人が前に出てきた。誰かが『村長』と呼ぶのが聞こえる。


『ですが、どうやって見極めるんですか?』


『身体にあるマミコの印を見つければいいんじゃ』


(印って……まさか……)


 脳裏に、うなじにあった【巫】の字を象った焼印が浮かぶ。


『おい!』


(え?)


 突然、声がして振り返る。すると村の男がこちらを見ていた。夢を見ていると思ったのに、ちゃんと男と目が合っている。



『こっちに来い!』

 ぐっと加減なしに腕を掴まれ、勢いよく引っ張られる。


「いっ」


 痛い。無理やり立たされ、力任せに地面に転がされる。


「きゃあっ」


 どんっと、身体に衝撃が走る。打ち付けた身体の痛みを堪えながら、起き上がる。すると場面が切り替わったかのように、一叶は薄暗い牢の中にいた。


「え……?」


 岩壁と木格子に囲まれた牢の外には、松明が一定間隔で壁に取り付けられている。ここは地下だろうか、風を感じないし、湿った空気が満ちている。


 牢の中には体育座りをしている女や生気の抜けた顔で横たわっている女たちがいて、皆、身体のあちこちに擦過傷や青あざがある。


『いやああああっ、やめてっ、私じゃない! 私はマミコなんかじゃないわ!』


 突如として、牢の外から泣き叫ぶ声がした。続けて、ジュウウッとなにかが焼けたような音まで聞こえてくる。


『もういやっ、次はきっと私たちよ!』


 牢の中の女が泣きながら耳を塞ぐ。


(一体なにが起こってるの……?)


 全身に嫌な汗が流れる。そのときだった、男が女を引きずるように連れてきた。男は牢を開けると、乱暴に女を投げ入れる。うつ伏せに転がった女のうなじには、あの焼印が押されていた。


「な……なんてことを……」


『次はお前だ』


 男はそう言って、信じられないことに一叶は腕を引っ張た。


「え……? い、いや……なんでっ、やめ……っ」


(これは夢じゃないの?)


 現実ではない、そのはずだ。なのに、こんなにも恐怖している。

 一叶は男に連れられ、開けた場所にやってきた。男に腕を掴まれたまま肩を押され、村長と如月の前で跪かされる。


『お前はマミコか? 正直に言えば許してやるぞ』


 顔を上げると、一叶の前にいた別の女に村長が問う。


『違うって言ってるじゃない!』


 女が苛立ったように叫ぶ。

 村長はため息をつきながら、薪をくべた炉で打刻棒を熱していた男に目配せした。男は打刻棒を手に女に近づき、その顔に近づけた。


『い、いやあっ』


『もう一度、聞こう。お前はマミコか? 正直に言えば許してやるぞ』


 村長に再び尋ねられた女は、髪を振り乱しながら何度も頷く。


『わかった、わかったから! 私がマミコよ! だから……っ』


『よし、やれ』


 村長の言葉が理解できなかったのだろう、女は放心しながら笑う。


『は? なんで……なんで?』


 感情的になる女とは対照的に、打刻棒を持った男は淡々とその背後に回る。


『い、いやいやいやっ、やめ――があっ』


 男は女の髪をむんずと掴んで持ち上げる。


(嘘……)


 このあとに起こることを理解した一叶は、首を横に振りながら「やめ……」とか細い声を漏らす。


 しかし、一叶の願いも虚しく――。


『恐ろしいマミコめ』


 男はそう呟き、女のうなじに打刻棒を押し当てた。


『あああああああああああああーっ!』


 ――ジュウウウウウッ!


 女は喉が裂けんばかりに悲鳴をあげた。肉の焼ける匂いが漂い、一叶は嘔吐えずく。


 痛みで意識を失った女が引きずられていくのを見て、呼吸が浅くなる。


『次の女を連れてこい』


 村長の目は、確実に一叶を捉えていた。


「い、いやあっ、私は違……っ」


 はなから彼らは、女たちの反論など聞くつもりはないのだろう。村長に命じられた男は、先ほどの女がいたところまで一叶を強引に引っ張っていく。


『も、もうやめましょう、村長! こんな、脅して自白を強要するなんて……っ』


 見るに堪えなかったのか、如月が声をあげた。


『今さらなにを言うか! 蔓延してからというもの、お前さんとわしを支持する村人たちが減っておる。疫病を収束できなければ、後がないんじゃ!』


『それは……』


 如月の目に迷いが生じ、村長はほくそ笑んだ。


『お前さんも、ここで終わりたくはないじゃろう。それとも、幕府の命を受けてここへ来たと言うのに、馬鹿正直に病を治せないと報告するのか』


『……っ、できるわけがない! そんなことをすれば、この養生所は別の医者のものになってしまう……っ』


 如月は頭を抱えて、その場に座り込んだ。そして怯えたようにこちらを見て、『……すまない』と呟く。


 その瞬間、一叶は腕を掴まれたまま肩を抑えつけられ、地面に額をぶつけた。


「ああっ」


 その痛みに喘ぐ間もなく、髪をひっ掴まれる。露わになったうなじに打刻棒を近づけられ、熱気が肌を撫でた。


「い、いやああっ、離してえええ!」


 死の文字が頭を掠め、一心不乱に暴れる。


『黙れ!』


 ガンッと頭を押され、また額を地面に打った。衝撃で目の前がぐらりと回る。


(なんで、私がこんな目に……)


 わけがわからなくて、涙が出た。


『全部、マミコのせいだと言えばいい。異国にもある必要悪じゃよ、魔女狩りというそうじゃ』


(魔女……?)


 村長の言葉に疑問がわいた瞬間、


 ――ジュウウウウウウッ!


 灼熱感と剃刀を走らせたような痛みが走り、一瞬意識が飛びそうになる。


「あああああーっ、ああああああーっ!」


 一叶は狂ったように叫んだ。押し当てられていた打刻棒が外されると、がくっと床に伏し、喉がきりきりと痛むのを感じる。


「う、ぁ……」


(許せ……ない)


 これは誰の感情だろうか。

 朦朧としながら、一叶は考える。


(マミコ……)


 ずっと発音が気になっていたのだが、名前ではなかったのだ。


(魔……巫女……魔巫女まみこ。そういう……意味だったんだ。これは……魔巫女狩り……)


 村長の『必要悪じゃよ』という声が、ぐるぐると頭の中で回っている。

 一叶の意識があったのは、そこまでだった。




『魔巫女を殺せ! この疫病神が!』


 けたたましい罵声で目を覚ますと、一叶は他の女と共に手足を縛られ、地面に転がされていた。否、山のように積まれていて、下敷きになっている女たちは窒息しそうになっている。


『魔巫女を殺し、疫病を静めるのじゃ!』


 村長の声で、村人たちは太い木の杭を手に持った。彼らは一叶たちを憎悪に満ちた目で見下ろしている。


『うちの旦那の仇!』


『よくも娘をっ、絶対に許さねえ!』


『お前ら全員、地獄に落ちろ!』


 そう言って村人たちは、一斉に一叶たちを杭で貫いた。


「ぐうっ」


 肉を突き破り、骨を砕かれる痛みは、例えようがないほど壮絶だった。


「かっ、はっ……」


 激痛で息ができない。

 あちこちで、『ぐふっ』『ぎゃあっ』『あがあっ』と女たちの悲鳴がこだましていた。


 それからどれほど貫かれたのか、遠ざかる意識の中で、女扱たちの声が小さくなっていくのがわかった。


(怖い……死にたくない)


 そんな恐怖を唯一宥めてくれたのは、身体の下に感じる生温かいもの。同じ様に理不尽に命をなぶられた女たちの血だまりが、衣服に沁み込んで赤く染めあげていく。恐ろしくてたまらないはずの血の匂いに、ひとりではないのだと慰められている気がして、涙が出た。生きていて、初めて知った感覚だった。


 ――いつか……惨い死を迎えさせてやる。

 ――本当の……魔巫女になってやろう。


 殺された女たちの呪詛が聞こえる。絶命する間際、一叶はなんとか瞼を持ち上げた。亡骸から立ち昇っている黒い靄は、きっと怨念だろう。それは宙でひとつに混ざり合い、長い髪とかっ開いた目、裂けた口と鋭い無数の歯を持つ魔巫女という妖怪の類になった。


(ああ……こうして魔巫女は……生まれたんだ)


 魔巫女の誕生を見届けた一叶は、目を閉じる。


(どうか、この恨みを……晴らして……)


 そう願いながら、静かに息を引き取った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る