4章 笑顔の裏側⑥


 深夜零時、日勤からそのまま夜勤に入った一叶たちは、被害者の数と被害の発生場所をホワイトボードに書き出していた。


「検査待ちの患者と、精神科病棟での被害が多いね」


 一叶はホワイトボードマーカーを置き、皆で改めてホワイトボードを見る。


「ここ見て、精神科病棟での被害が増えたのは、母さんが入院してからだ」


 エリクは母親の入院日からぐんっと上がっている数値を指さす。


「マミコさんは医院長に正気になられては困るんでしょうね。宿主が回復してしまえば、マミコさんは動けない。向こうも必死なのかもしれません」


 そのとき、京紫朗のPHSが鳴った。


「はい……はい……わかりました。危険ですので、こちらで動きます。皆さんは通常通りの勤務をお願いします。


 PHSを切った京紫朗は、エリクを見る。


「精神科病棟からです。医院長が……いなくなったと」


「え……?」


 エリクは蒼白な顔で、その身体をぐらつかせた。咄嗟に「おいっ」と和佐が支えるが、一叶たちもショックで眩暈がしそうだった。


「て、手分けして探そう」


 一叶が皆の顔を見回しながら言うと、


「……っ、待て」


 青く強ばった面持ちで和佐が一叶の腕を掴んだ。


「お前は……ひとりで動くな」


 一叶はじっと彼を見つめたあと、震える唇を開く。


「……もしかして」


「ああ。お前が外の非常階段で倒れてんのが視えた。探しに行くんなら、誰かと一緒に行け。それと、非常階段にも近づくな」


 翔太は固い声で問う。


「……っ、予知?」


「そうだ。んで、もう知ってんだろ。俺が視るのは、よくねえ未来だ」


 正直、恐怖で足がすくみそうだ。けれど、先にわかっているだけ、マシだと思わなければ。


「わかりました。そしたら、私は……」


「それなら、僕が一緒にいるよ。うおちゃんは、僕がつらいとき、何度もそばにいてくれたから。今度は僕の番」


 エリクが進んで名乗りを上げてくれる。危険な目に遭う未来が決まっている一叶といれば、彼も巻き込まれるかもしれないのにだ。


「ありがとう」


 彼の覚悟に胸がじんと温かくなる。


「それでは、黄色くんと水色さんは一階から、赤鬼くんと緑色くんは屋上から順に捜索を。必ず、二人一組で行動してください」


「はい!」


 一叶たちは充電していたPHSを胸ポケットにしまいながら、気を引き締めて返事をした。


「でも、松芭部長は……?」


 ひとりで行動する気だろうか。


 一叶の不安を見透かしてか、彼は大丈夫と安心させるように微笑する。


「私は警備室に行きます。玄関口とエレベーターホールには患者の離院防止のためのカメラが付いていますから、外へ出ていないかを確認してきます。大丈夫、今まではひとりで対処していましたから」


 そうだ、一叶たちが来るまでは、京紫朗がひとりで霊病と戦ってきたのだ。心配すらおこがましいほど、彼は困難をくぐり抜けてきている。


 信頼を込めて、一叶は「はい」と素直に彼に従った。



 

 皆と別れ、雨音と二人分の足音だけが響く外来を歩く。


 外来は四方を診察室や検察室に隣接した廊下に囲まれている。一叶たちはまず、中央窓口のある病院のエントランスから見て回ることにした。


 部屋はチラシの決まりを守って、すべて開かれている。患者に触られると危険なものもあるため、そういった危険物は鍵の閉まる引き出し等に仕舞われている。


「はい、はい、わかりました。なにか進捗があったら、連絡します」


 今しがた京紫朗からかかってきた電話を切り、エリクがこちらを振り向いた。


「母さん、外に出た形跡はないって」


「じゃあ、院内のどこかにいるってことだよね」


 話しながら前を見ると、廊下の先を赤いなにかが横切った気がした。それは曲がり角に消えていき、心臓がどくりと音を立てる。


「医院……長?」


 思わず足を止めると、エリクも「え?」と立ち止まる。


「今、人が横切った気がしたんだけど……」


「……! 行ってみよう」


 一叶たちは頷き合い、小走りで追いかける。一方通行の廊下を進んでいたら、B館のほうに来ていた。するとエレベーターが動く音がして、一叶たちは慌てて向かう。

 階数表示板で、エレベーターが二階に上がって止まったことを知らせていた。


「他の夜勤者の可能性もあるよね。ちょっと、松芭部長に連絡してみる」


 エリクはもう一度、電話をかけた。一叶も彼の持つPHSに耳を寄せる。


「あ、部長、今エレベーターが動いて、二階で止まったんですが、母さんの姿は映ってますか?」


『ああ、その件ですね。ちょうど今、確認したところです。二階で止まったエレベーターですが、ドアが開いたのに誰も降りてきていないんです』


「えっ」


 声をあげたエリクと、一叶は視線を交わす。


「うおちゃんがなにか見たらしくて、それを追ってエレベーター前まで来たんです。確認しに行ってもいいですか?」


『わかりました。エレベーターは逃げ場がありませんので、階段を使ってください。それと、例の予知のことを忘れずに』


 エリクは「はい!」と答え、通話を切る。一叶たちは指示通り、階段で二階へ上がった。階段前の鉄製の重いドアを押し開けてすぐ、廊下の先で曲がり角に消えていく赤い白衣の裾が見えた。


「エリクくん!」


「僕にも見えた!」


 同時に走り出し、勢いよく角を曲がったときだった。


「あ!」


 一叶の胸ポケットから、ペンライトが落ちてしまう。その拍子にスイッチが入ってしまったらしく、細い灯りが床を照らした。


「大丈夫?」


 エリクも慌てて立ち止まって、こちらを振り返る。


「う、うん」


 ペンライトを拾おうと腰を屈めた一叶は、手を伸ばすのを途中でやめた。ペンライトは異常なほどに回転していて、チカチカと辺りを照らす。


「な、なにこれ……」


 それはだんだんゆっくりになり、静かに一か所を照らす。エリクと共に、視線で光の先を辿ると――。


 ――キィィィィィィィィィ……ッ。


 ゆっくりと廊下の先にある扉が開いた。湿気を纏った空気が入り込み、一叶たちの髪をねっとりと撫でる。


 雨の中、電気がチカチカと点滅する真っ暗な非常階段を見ながら、エリクが言った。


「うおちゃんはここにいて」


「でも、ひとりじゃ危ないよ!」


 咄嗟にエリクの腕を掴むと、安心させるような笑みがこちらに向けられる。


「大丈夫、母さんがいないか確認したら、すぐに戻るから」


 エリクはひとりで非常階段に向かって、歩き出してしまった。そして階段の踊り場に足を踏み出したエリクが叫ぶ。


「母さん!」


 彼が急いで階段を駆け下りる音が聞こえ、一叶はじっとしていられず、追いかける。雨が吹き込む非常階段の踊り場に出ると、一段下の踊り場で腕から血を流して倒れている医院長の姿があった。その腹には大きな穴が開いており、どろどろと流れた血が白衣を真っ赤に染めあげている。


「か、母さん!? なんでこんな……っ」


 エリクは医院長を抱き起こし、涙を浮かべながら絶望に染まった声をあげる。医院長の顔には血で髪が張り付いており、表情が見えない。意識はあるのだろうか、いや、こんな怪我を負って生きているわけがない。


「ぁあ……」


 衝撃のあまり動けずにいると、医院長の顔を覆っていた髪がさらりと横に流れる。

「……ぁ、え……?」


 左右揃っていない一重と二重の目、分厚さの違う紫の唇、ところどころ色の違う肌、すべてが不均等な顔のパーツ。そう、まるで複数の人間の目や鼻や口を継ぎ接ぎのようにくっつけたような顔。


「う……あ……あああっ……あ……」


(あれは、医院長じゃない)


 そう確信した一叶は、階段を駆け降りていた。


「は、離れて!」


 声の限り叫ぶと、エリクが「え……?」と一叶を見上げる。


 エリクの視線が逸れると、医院長だった〝それ〟は目をかっ開いて、顎を裂きながら大きな口を開けた。


 涎をだらだらと垂らし、ハリネズミの棘のごとく無数に生えた歯がエリクの喉元を噛み切らんとしている。


「あああああああああああああっ」


 恐怖を振り払うように叫び、一叶はそのまま突進する勢いで医院長だった〝それ〟の肩を掴んで、階段の下へ突き落す。そのとき、ずるッと足が滑った。


 天井の隙間から雨漏りしていたのだろう。濡れていた非常階段で足を滑らせた一叶は、その化け物ともつれ合うように階段から落下し――。


「うおちゃん!」


 ――ガンッ!

 エリクの悲鳴を聞きながら、後頭部を強く地面に打ち付けた。


「うっ……」


 目の前が一瞬、真っ暗になった。だが、後頭部や全身に感じる痛みで、意識が少しずつはっきりとしてくる。


 打ち付けてくる雨が衣服に沁み込んで、重かった。身体は冷えているのに、後頭部が熱い。地面を擦るようにしてなんとか腕を上げると、どろりとした液体が手に触れた。


「ぁ……」


 土の匂いに混じって、鉄さびの匂いが鼻腔を掠める。視線を自分の手にやれば、真っ赤な血が自分の頭の下から流れているのがわかった。


「うおちゃ――うっ、なんだこれ!」


 全身打ち付けたせいで起き上がれず、一叶は視線だけをエリクに向ける。すると彼は手すりの下から伸びてきた長い髪の毛に足を取られており、それを引きちぎろうと藻掻いていた。


「うおちゃん! すぐに行くから……っ」


 彼は必死に、こちらに向かって叫んでいる。


「エリ……ク……く……」


 ――ガシッ。


 膝のあたりをなにかに掴まれた。恐怖で身体が硬直し、エリクから視線を逸らせずにいると……。


 ――ガシッ。


 再び、今度は太ももにその手が上がってくる。誰かが身体の上にのしかかり、這い上がってこようとしている。


 一叶は恐る恐る、自分の身体に目を向け、ぞっとした。


「ぁぁ、ぁ……」


 継ぎ接ぎの顔をした赤い白衣の女がいた。ごきごきと骨を鳴らしながら、右へ左へと頭を傾け、目をかっ開いたまま、一叶の身体をよじ登ってくる。


「ぃや……ぁぁっ……やっ……」


 逃げたいのに、身体が動かない。その手は一叶の肩を掴み、ずるりと上がってくる。


「っ……ううっ……」


 一叶は真っ暗な雨空を見上げながら、恐怖のあまり涙を流した。


 ゆっくりと、視界の下のほうから女の頭頂部が見えてくる。女の髪の毛が一叶の顔に垂れ、震えあがった。


「ぁぁぁ……あああああああっ」


 真正面に女の顔がたってきて、一叶は叫んだ。すると女の裂けた口がさらに開かれ、まるで共鳴するように叫ぶ。


『アアアアアアアアアアアアッ』


 ガッと、骨が軋むほど顔を強く掴まれた。その瞬間、頭の中に洪水のごとく感情や映像が流れ込んできて――。


 ぷつっと、一叶の意識は途切れた。


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