3章 呪いと共に⑤
七海を感染症患者などが入る隔離室に移動させ、京紫朗に連絡すると、母親と共に戻ってきた。
「七海……!」
目に涙を浮かべ、七海に駆け寄ろうとする光子の前に慌てて出る。
「お、お母さん、松芭先生からお聞きしていると思いますが、先ほど七海ちゃんは……」
「ええ、聞いてるわ。七海に触れた看護師が心肺停止状態になり、七海は自ら命を絶とうとしたと」
ううっと嗚咽を漏らしながら、光子はその場に崩れ落ちる。
「はい、呪いの感染を最小限にするため、原因がわかり、それが取り除けるまでは隔離室で診させていただければと……」
光子は俯いてしまい、その表情は見えない。母親の虐待を疑ったが、今の光子はどう見ても娘の自殺未遂に動揺している母親だ。だとしたら、呪いによる虐待などというのは、こちらの考えすぎだったのかもしれない。
「隔離しないとならないほどの呪いだって、やっとわかった?」
光子は声を震わせる。やはり、ショックだったのだろう。これまで気丈に振舞っていたのは、そうしないと呪い相手に気を保っていられなかったからかもしれない。
そのときだった、翔太がうっと口元を押さえ、背を丸めた。
「なんで……喜んでるんですか?」
皆が驚愕する中、京紫朗だけは鋭く目を細めて光子を見ている。
「……え?」
顔を上げた光子は、きょとんとしていた。その目尻には涙の跡があり、喜んでいるようにはとても思えなかったのだが、翔太は揺るぎない眼差しで光子を捉えている。
「呪いであったほうが……よかったですか?」
「なっ……ちょっと、あなたなに言ってるのよ。よくないから病院に来たんでしょう!」
心外だわ、と憤慨する母親に、翔太がぼそりと呟く。
「……そういうことか」
光子が「あなたねえ!」となおも罵ろうとしたとき、京紫朗が「大変申し訳ございません」と頭を下げた。
「彼は度重なる怪奇現象のストレスで、少し気が立っているんです。霊能力者の鈴村さんならおわかりでしょうけれど、精神力をひどく削られるお仕事ですから……」
京紫朗は胸に手を当て、目を伏せながら深刻げに言った。その態度は明らかに同情を誘うためのもので、一叶たちは詐欺を目撃しているような微妙な気持ちで成り行きを見守る。
「まあ、それなら仕方ないわね……私にも、経験あることだもの」
「でしょうね、〝今がまさに〟そうでしょう」
京紫朗の斬り込んだ発言に、空気が一気に張り詰めた。
「……! え、ええ、そうよ。霊現象に娘が巻き込まれているのだもの、私も精神的に参っているから、よくわかるわ」
「ですよね、娘さんを助けるために、ご協力いただけますか?」
「え、ええ、どんなことでも、協力は惜しまないわ」
「さすが、お母さんの鏡です。では、隔離入院の手続きをしていただけますか?」
「もちろんよ、娘をどうかお願いします。呪いを食い止める護符もお渡ししますから、ドアに張ってください」
鞄を漁り、中から風呂敷に包まれた護符を京紫朗に渡す。
「そうさせていただきます。魚住さん、お願いできますか?」
「あ、はい!」
一叶は護符を受け取り、ひとまず言われた通りにドアに張る。それをエリクや翔太も手伝ってくれた。
「それから申し訳ありません、霊現象を記録するためにビデオカメラを設置させていただいてもよろしいですか? 私共がすぐに駆け付けるようにさせていただけたらと」
護符を貼りながら、京紫朗と光子の話に耳を傾ける。
「ビデオカメラ……ですか」
光子は迷うような顔をしたのち、「……わかりました」と頷いた。
「しっかりカメラに収めていただければ、呪いが原因だってことも証明されるでしょう。私は入院の支度をしに一度家に帰っても?」
「ええ、もちろんです」
京紫朗はすべてを見通したような目を細め、微笑を返した。
霊病科に戻るなり、翔太は素早く指をスクロールさせながらタブレットにかじりついていた。
「央っち、なにしてるの?」
エリクが尋ねると、翔太はタブレットから目を離さずに答える。
「七海ちゃんがの病歴を確認してる。ほら見て、多くの病院を頻繁に何度も受診したけど、原因がわからなくてうちに来たってある」
「あ、それについては私も気になって、同じ病院に通い続けなかったのはどうしてか、お母さんに聞いてみたの。そうしたら、どこに行っても風邪だろうって薬を出されただけで、原因がわからなかったからだって」
「たぶん、これまで七海ちゃんが行った医療機関から情報を得る必要があると思う」
一叶も和佐もエリクも、どうしてなのかピンとこず、困惑してしまう。だが、京紫朗は「その通り」と翔太を褒めるように拍手をした。
「ですが、どうやらそれは無理そうです。お母さんと面会室で話をしながら、治療のためだと言って、七海ちゃんが過去に治療を受けた別の医師に意見を聞く許可を求めたのですが、認めてはくれませんでした」
フェローの中でたったひとり、京紫朗の言葉の意味を理解している翔太が確信したように告げる。
「松芭部長も疑ってたんですね。あの母親がMSBP……代理ミュンヒハウゼン症候群かもしれないってことに」
叶も和佐もエリクも、息を呑む。
――代理ミュンヒハウゼン症候群。娘が病気であるという不幸な出来事を作りあげ、注目や関心を浴びることが目的である精神障害だ。
そういう視点で光子を見れば、おかしな点はいくつもあった。
「だからあんなに、治療のことに詳しかったんだ。お母さん、腹痛で着たら胃カメラをするだろうから、食事は抜いてきたって言ったの。飲んじゃいけないものも、すらすら喋ってた」
「過去にいくつもの医療機関を受診した過程で、医学的な知識を増やしてるんだよ」
翔太の話を聞いていたエリクは、憂いのこもった視線を地面に落とす。
「じゃあ、前にも同じことをしたことがあるってことだよね……」
「だと思う。過去に治療を受けた医療機関に話を聞くことに抵抗するのも、自分のしてきたことがバレてしまうのが怖いからだ。あと、重大な事が起こってるのに狼狽えていないのも全部、代理ミュンヒハウゼン症候群の特徴のひとつ」
和佐は「そう言われてみりゃあ……」と腕を組み、思い出したかのように続けた。
「内視鏡手術をするっつったときも、簡単にサインしてやがったな。それどころか、ガキ置いて知見を深めたいから霊病科を見学したいとか言ってやがった」
「入院が決まったときも、すぐに支度をするから家に帰ってもいいかって冷静に動けてましたよね。ビデオカメラの件が出たときも……」
言いながら、一叶の頭に蘇るのは隔離室での光子の言葉だ。
『しっかりカメラに収めていただければ、呪いが原因だってことも証明されるでしょう』
そう告げたときの光子は、ほくそ笑んでいた。
「呪いであることを証明することのほうが、重要みたいな言い方だった気がします。もしかしてお母さんの目的は、七海ちゃんを使って霊能力者としてまた注目を集めること……なんでしょうか?」
「そうかも、これ見て」
エリクが見せてきたスマホ画面には【霊能者鈴村光子の
翔太は呆れたような目をブログに向ける。
「闘病日記ならぬ闘呪日記……あ、見て、事件のことも書かれてる。普通、娘が同級生を呪い殺したなんて知られたくないものなのに」
エリクは「あとこれ」と言って、別のタブを開いた。
「一年前、公開霊視でほらを吹いて、テレビの仕事を干されたってネットに書かれてる」
芸能人になったことがないので、一叶には想像することしかできないけれど、
「お母さんみたいに一度いろんな人の注目を浴びるような仕事をしてた人は、そのときの気持ちよさが忘れられなくて、もう一度スポットライトの中に立ってみたいと思うのかもしれないね」
「そうかもしれませんね。そして残念ながら、彼女のオーラを視る限り、初めから霊能力の類とは無縁であったようです。ですが、自分には力があると、そう勘違いしてしまいたくなるような出来事があったのでしょうね」
京紫朗はそう言って、自分の持っていたタブレットを掲げる。
「お母さんとふたりで話をしている間、彼女からもこれまでの七海ちゃんの病歴を聴取しました。呪いであることを証明するための記録を取らせてほしいと言って、動画に残すことにも許可を頂いています」
和佐はこちらを横目に見て、「やっぱ似てんじゃねえか」と漏らす。これは一叶が胃カメラに同意してもらうために、光子を説得したときのことを言っているのだろう。
京紫朗はタブレットを操作して、動画を再生した。すると面会室で京紫朗と向き合うように座っている光子が深刻そうに話している。
『あの子が原因不明の熱や腹痛、皮膚炎に悩まされるようになったのは一年前のことよ。いろんな検査をしたし、痛み止めとか胃薬を処方されたけど、治療をしてもらっても症状は悪化するばかりだったわ』
それを聞いたエリクが反応する。
「一年前? テレビの仕事を干された時期と同じじゃん」
「ん、また霊能力者としての自分に注目してほしくて、七海ちゃんを病人に仕立て上げたのは間違いなさそう」
翔太は悔しそうに言った。すでに過ぎ去ってしまったことだが、一年前から七海が虐待されていたと思うと、見逃されてしまったことが歯がゆいのだ。
『呪いが相手では、通常の治療は効きませんからね。うちの病院に霊病科があることは、公になっていないのですが、どうやってお知りに?』
京紫朗の質問に光子は『ああ』と小さく笑みを浮かべる。
『この病院のことを知ったのは、あの事件があったからよ。あの子が同級生の子を呪い殺した事件』
『呪い殺した……と、お母さんはお思いなんですね』
『ええ、あの子には呪いがかけられてる。何度もそう医者にも話してきたのに、誰にもわかってもらえなかったから、あの悲劇が起こったの。それで警察にも言ったら、霊病科のあるこの病院を紹介されたのよ』
警察……特Sの刑事だろうか? だとしたら、梓から一報ありそうなものだが。
『だから先生、あの子を助けてください。あの子の中のどこかに、呪いの根源があるはずなんです!』
光子が必死の表情で机に乗り出したところで、映像は終わった。
「これがあのクソババアが意図的に起こした霊病だとしたら、母親は呪いの根源を知ってるってことだろ。胸糞悪りぃ」
和佐は憤りを隠せない様子で、眉間のしわを深めている。
「治っても、またなる……終わらない……七海ちゃんがそう言ってたのは、ここで仮に呪いが解けても、また母親が同じ状況……ううん、それ以上に悪い状況を作るってわかってたから……?」
誰かが止めなければ繰り返し、エスカレートしていくのが代理ミュンヒハウゼン症候群の怖いところだ。
翔太は眉間を押さえながら俯き、声を震わせながら言う。
「辛かっただろうね……愛してる人間に呪われるなんて……っ、私を殺して。そうすれば、みんな救われる……誰も傷つけない、お母さんも」
翔太が今口走ったのは、恐らくエンパスとして感じ取った、七海の言葉にできなかった想いだ。
そのとき、ふと首に圧迫感が襲う。
「……っ」
思わず首に手をやると、自分以外の冷たい肌に触れた気がした。
『お前は私の子供なんだから、母親の言う通りにしてればいいのよ』
母親の呪詛のような声が聞こえた気がして、胸が痛いほど締め付けられる。
(ああ、同じだ)
愛しているから、振り払えない。おかしなことだと、頭の端ではわかっているのに、従わずにはいられない。
「あれ、なんか寒くない?」
腕をさするエリクの声が遠くで響いている。
「平気?」
ぽんっと肩に手が乗り、一叶はびくりとしながら隣を振り向く。すると翔太が案じるような目で一叶の顔を覗き込んでいた。
「あ……う、うん、ごめんね、ぼーっとして」
翔太は一叶の心の動きを察知したのだろう。慌てて笑みを返したものの、きっとぎこちなかったに違いない。
いつの間にか首の締め付けもどこかへ消えており、ふうっと密かに息をついたとき、京紫朗がこちらを厳しい表情で見つめているのに気づいた。しかし、目が合った途端に京紫朗はにっこりと笑みを浮かべてくる。
「……?」
一叶が首を傾げていると、他の皆が話し合いが再開させる。
「七海ちゃんみたいな経験をした子供は、自分が悪いことをしたから病気になるんだって問題を内面化したり、病気でなくなったら親に見捨てられてしまうかもしれないって考えるようになる場合がある。それで出来上がるのが共依存の関係」
「共依存……」
背筋を冷や汗が伝う。
自分が出来損ないだから、お母さんは怒るんだ。お母さんの望む答えを言わなければ、見捨てられてしまうかもしれない。そう考えてきた自分も同じ……?
「魚住?」
また、翔太に気づかれそうになり、一叶は「なんでもない」とかぶりを振った。
今は自分のことよりも、七海のことだ。そう自分に言い聞かせていると、京紫朗がタブレットをテーブルに置いた。
「代理ミュンヒハウゼン症候群のはっきりとした原因はわかっていませんが、幼少期に虐待を経験していたり、周囲に重病の身内がいて自分に注目してもらえなかった経験がある……というのが挙げられますね。他にも発達障害や境界性パーソナリティ障害が関わっていることもあります」
境界性パーソナリティ障害。人に見捨てられることを強く恐れて、不安を抱いていたり、生きることに対して辛さや違和感を持ち、自分が何者であるかわからない感覚を抱いている人たちのことだ。
「注目してもらえない、関心を向けてもらえないことがあった……自分が特別な人間であるかのように見せることは、自尊心を高めたり、維持しようとしたりするための方法……なんですよね」
翔太はきっと、母親側にも共感しているのだろう。思い詰めた顔で下を向いている彼の肩に、今度は一叶が手を乗せる。
「あ……」
翔太ははっとしたように、一叶を見た。
「ごめん、潜りすぎてたかも」
一叶は「ううん」と首を横に振る。
「きっとお母さんは、ひとりじゃもう止まれないんだと思うから、一緒に止めてあげよう。七海ちゃんのためにも」
翔太は「ん」と頬を緩めた。
「本来であれば、お母さんにも精神科の受診を促すところですが……今回は事件にまで発展しています。七海ちゃんは不本意にも加害者になってしまった。ここは特Sの刑事にも介入してもらいましょう」
京紫朗の言うように、実際に人が死んでいるうえに看護師も死にかけたのだ。それをなかったことにはできない。
「けど、鈴村七海が母親のせいで意図せず別の人間を呪った場合、母親と子供、どっちの責任になんだ? 罪状は? 傷害致死罪か?」
和佐の顔を見れば、七海の今後を憂えているのがわかる。一叶たち全員、同じ気持ちだった。
「私たちが診断書を書いたところで、遺体に呪われた証拠がなければ法で裁くことはできません。ですが、特Sの保護観察下には置かれるでしょうね」
「鈴村七海のほうはそれでいいとしても、母親と離れられない以上、同じことが繰り返し起きてしまいますよね」
和佐の指摘に、京紫朗は「ええ」と頷く。
「ですので、呪い以外で虐待を決定づける証拠がいります」
京紫朗はそう言って、タブレットを操作すると、病室の様子が映し出された。それを見たエリクは、「あ!」と身を乗り出す。
「ビデオに撮らせてほしいって、証拠を見つけるために?」
「そうです。入院中はできるだけ母親と子供だけにしないようにすべきなのですが、母親が呪いをかけたと言ったところで行政は信じません。なので証拠が必要でした。それを見つけられれば、児童相談所および弁護士と協議して、一保護委託を検討すると共に、その後の法的な対処もとることができるでしょう」
一叶は外来の診察室での出来事を思い出しながら報告する。
「呪い以外……でも、検査のどさくさに紛れてボディチェックをしたんですが、特に痣とかはなかったんです」
「どうやって呪いの根源を植え付けたか、ここにヒントがあるかもしれねえ。考えても見ろ、まともな方法じゃねえことは想像するまでもねえだろ」
和佐は心底、不愉快そうだった。
「俺たちにできるのは結局、呪いの根源がなんなのかを見極めて取り除くことだ」
「それまでは、お母さんの自尊心を損なってしまわないように共感の姿勢を徹底しよう。疑われてると気づかれたら、代理ミュンヒハウゼン症候群の患者は別の病院に移っちゃうから」
翔太の言葉に、皆で顔を見合わせて頷く。
そのときだった、エリクが「ん?」と眉を寄せて、京紫朗の持っているタブレットに顔を近づけた。
皆もエリクの視線を辿って、画面を確認する。光子はベッドに座っていた七海の前に立ち、カメラの位置を確認したかと思うと、カバンに手を入れた。その瞬間、嫌な予感が胸を掠めたのは一叶だけではないだろう。
「皆さん、急いで病室に向かってください!」
京紫朗の声で、一叶たちは一斉に駆け出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます