3章 呪いと共に③

 七海に車椅子に乗ってもらい、中央処置室へと移動してきた。


「大変だったわね、すぐによくなるからね」


 診察ベッドに横になった七海に、薬と水の入った紙コップの乗ったトレイを手にやってきた看護師が気さくに話しかける。


「つらかったら、すぐにこのボタンで教えてね」


 今度は違う看護師が反対側からナースコールを七海の顔のそばに近づけた。すると七海は触れられるのを恐れてか、表情を強張らせて身を固くした。それに和佐は気づいたのだろう。


「悪いが、あとはこっちでやる」


 和佐は看護師からトレイを取り上げた。


「え、でも、これくらい私たちで……」


「わからねえか、こいつ怖がってんだろ」


「あ、はあ……それじゃあ、失礼します」


 看護師が不満げな顔で引き下がり、和佐はさっとカーテンを締めた。するとカーテン越しに「なにあれ、感じ悪い」と看護師が愚痴をこぼしているのが聞こえる。


「見た目がよくても、あの性格じゃあね」


「なんでも外科を追い出された落ちこぼれらしいわよ」


 ひそひそと話してはいるが、こちらに聞かせているのは明らかだ。


「お兄ちゃん……」


 悲しそうに眉を下げた七海を、和佐はまったく動じる様子もなく見つめ返す。


「情けねえ顔すんな。気にしてねえ」


 和佐のこの堂々とした態度に、七海は少しほっとした顔をしていた。


「お兄ちゃん、優しいね?」


 七海に笑いかけると、物言いたげな和佐の視線を感じた。それに気づかないふりをして、ベッドの足元へ移動した一叶は「頭、上げるね」とギャッチアップする。


 上半身を起こした七海は、「うん」と頬を緩め、和佐の持っているトレイの薬を飲んだ。


「……ありがとう、九鬼先生。私が嫌がってるの……気づいて……くれたんだよね」


「別に」


 愛想なく答える和佐に、一叶と七海が目を合わせてくすっと笑ったとき、小走りでエリクがやってきた。


「やほーっ、遅くなってごめんね! ちょっと、向こうの患者さんで手間取って……」


「あ、私もこのあと行くね」


 隣に並んだエリクを見上げれば、「なかなか強烈だったよ!」と小声で返事をした。ちょっと、会いに行くのが怖くなった。


「そんじゃ、七海ちゃん。つらいかもだけど、ちょおおっとだけ協力してね」


 エリクは「息を吸ってー、止めて、ハイチーズ!」と大きく瞬きをする。すると彼の目から青いフラッシュが焚かれ、七海はびくりとした。レントゲンフィルムから青い炎が上がり、表面をバチバチと焼きながら映像を映し出していく。


「えっと……これ、は……」


 エリクはフィルムを見て顔をしかめる。一叶と和佐も彼が念写したものを確認すると、言葉を失った。


 胃に映る溢れんばかりのなにか。ごちゃごちゃと映るそれに目を凝らせば、ヘビやミミズのような長細い身体や割れた舌、ムカデやゲジのようなたくさんの足、カエルの手のようなシルエットがある。


 ――カサカサカサカサッ。


 また虫が這う音がして、ぞわぞわっと身の毛がよだつ。それだけではない、フィルムの中で、それらが生きているみたいにもぞもぞと動いている。


「……っ」


 慌てて目を背けると、エリクが顔を覗き込んできた。


「うおちゃん?」


「こ……このシルエット……個々に、動いている気がして……っ」


 一叶たちは揃って、不安そうにしている七海を見つめる。


「おいおい、一体どうなってんだ……?」


 和佐の声が部屋に不穏に響いた。




 フィギュアが自分の嫁だと話していたサラリーマンの霊視を済ませたあと、一叶たちはひとまず七海を看護師に任せ、霊病科室に戻ってきた。


「あ、お帰り。あれ? 松芭部長は?」


 翔太はカルテを打ち込みながら、一叶たちを振り返る。


「母親の子守だ」


 和佐は露骨に鬱陶しそうに答えた。


「え? 母親の?」


 目を瞬かせている翔太に、一叶は苦笑しながら説明する。


「実はね、お母さん、七海ちゃんの胃カメラまでの間、霊病科を見学したいって言い出して」


「マジか。だから松芭部長が相手をしてるってわけ」


 思い出したら疲れがどっと襲ってきて、一叶は「うん」と覇気なく頷く。


「あの母親、あいつが普通の病気だと不満らしい。呪いやら祟りに侵されてるって思いてえみてえだ。検査結果は明らかアニサキス症だってのに、胃カメラも渋ってやがった」


 横目で和佐がこちらを見下ろす。


「根暗が呪いを確かめるためだってホラ吹かなきゃ同意しなかっただろうな。お前、松芭部長に似てきたんじゃねえか?」


「うっ」


 これは褒められているのか、いないのか、判断に困る。


「出だしから難航してるみたいだね」


 翔太はコーヒーメーカーの前まで歩いていくと、一叶たちが戻ってきたときのために作っておいてくれたのか、人数分のコーヒーを淹れてくれる。


「そうそう、また撮れちゃったしね」


 エリクは後ろから光をあてて読影するためのシャウカステンにレントゲンフィルムをかける。翔太から受け取ったコーヒーを手に、皆がそこへ集まった。


「うわ、なにこれ……胃になにか……入ってる?」


 翔太はフィルムをかけ終わったエリクにコーヒーを手渡し、レントゲンフィルムに顔を近づけると、気味悪そうに顔を顰める。


「この虫とか爬虫類がごちゃごちゃと映ってるレントゲン写真を見たとき、生きてるみたいに動いてるように見えたの。そのときも……ううん、その前にも虫が這うような音がした」


 そのときのことを思い出して、一叶は身震いする。


「エコープローブを当てたときか」


 気づかれていたとは知らず、驚いて隣を振り向くと、和佐は『んだよ』と言わんばかりに片目を上げた。


「あんとき、なんかフリーズしてただろ。腹の表面がぼこぼこ動いてやがったし、心霊写真もこうしてあるわけだ。霊病科案件のなにかもあるんだろうが、これを見ろ」


 和佐がタブレットのエコー写真を見せる。タブレットを受け取った翔太の手元を、エリクも覗き込んだ。


「エコー写真を見る限り、アニサキス症だ」


 エリクの診断に、和佐は「だろ」と目を閉じる。


「このアニサキス症と、霊症は別物と考えてアニサキス症の治療をすべきか、もう少し霊病との関係性を探ってみてから結論を出すべきか、判断に迷うね」


 翔太の言う通りで、皆が難しい表情でレントゲン写真と向き合っていた。


「どちらにせよ、腹になにかいんのは間違いねえ。内視鏡で直接確認する価値はある」


 和佐の意見にエリクも頷いた。


「そだね。問題はアニサキス症じゃなかったときだよ。僕たち振り出しに戻っちゃうわけだし、何度も内視鏡検査するのも子供には負担だしね。できればこの一度で済ませてあげられるように、問題は絞っておきたいよね」


 そう言ってエリクがこちらを振り向く。


「うおちゃんの霊視で、なにかわからない?」


 一叶は首を横に振った。


「それが……まだなにも見えなくて……その、今までの感じからすると、私は対象に触れるほうが確率的に視やすいのかもしれない。けど、七海ちゃんは触られるのを怖がってるから……」


「どうして?」


 不思議そうに尋ねてくる翔太に、一叶は和佐と顔を見合わせる。


「怖がり方が異常だった。母親に虐待されてる可能性がある」


 和佐が答えると、エリクは「えっ」と表情を強張らせた。


「あと、お母さんが気になることを言ってたの。七海ちゃんの同級生の男の子……雄くんっていうらしいんだけど、七海ちゃんが呪われてるから、七海ちゃんに触ったその子が死んじゃったんだって」


 翔太は目を見張る。


「同級生が死んだ?」


「うん。実際、触わってないからそれが真実かどうかはわからないけど、七海ちゃん自身は自分が触れたら誰かを呪ってしまうかもって信じてるのかも」


 もちろん、本人に聞いたわけではないので憶測でしかないが。


「人が自分に近づいてこようとするのも怖がってやがったしな。看護師が話しかけてきたときも、目を合わせねえようにして固まってやがった」


 診察室でのことを話す和佐に、翔太は深刻な面持ちで下を向く。


「……呪い云々を抜きにしても、九歳の女の子にはかなりショックな出来事だったはずだし、七海ちゃんの精神状態が心配」


 翔太は「ほら」と一叶たちを見回す。


「サバイバーズ・ギルト、震災とか事件とか事故とか、つらい出来事に遭遇すると、生存した人間が罪悪感に苦しめられることがあるよね。その自責の念から自分が呪ったと思ってるのか、真実なのかはわからないけど、もっと話を聞いてみて手がかりを探る?」


 翔太の考えに賛同するように、皆が首を縦に振る。


「そうだね、央くんも来てくれる? 央くんなら、七海ちゃんの声にならない想いを汲み取れると思うから」


「ん、わかった」


 こうして翔太を連れて、再び中央処置室へ向かうことになった。

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