3章 呪いと共に①

 霊病科に配属されてから、あっという間に三ヶ月が経った。


「だからお母さん、何度も言ってるけど、霊病科への配属は国民の義務みたいなものなの」


 玄関でパンプスを履き、つま先を床にぶつけながら踵を入れる。


「でも、辞めることはできるんでしょう?」


 一叶はぴたりと動きを止めた。


(それは、仕事を辞めろってこと?)


 これはなんだろう。ふつふつと、腹の底のほうでなにかが沸騰している。


「辞めたとしても……また新しい病院で任命されれば、同じことの繰り返しだよ」


「新しい病院で任命されるとは限らないじゃない」


「たぶん、高確率で選ばれると思う」


「なにそれ? 自分にそこまでの価値があるって思ってるわけ?」


 母は嘲笑うように言った。


「そういうんじゃないよ」


 オーラを視る部長のように、なにかしらの力で霊病医は発掘される。その目から逃れることはできない。それを母に理解してもらえるとは思っていない。


「ごめん、そろそろ行かないと」


 一叶がカギを開け、ドアノブに手を掛けたとき、ひやりとした空気が肌を撫でた。


 ――ガシッ。


 ドアノブを回そうとしていた一叶の手首を、母の手が掴む。


「辞めさせてやる」


 母に耳元で冷たく囁かれ、一叶は息を詰まらせた。

 扉の向こう側で蝉が鳴いている。それなのに、こんなにも寒気が止まらないのは、心が冷え切っているせいだろうか。


「……お母さん、やめて」


 ドアノブを回そうとしても、信じられないほど強い力で手首を握られ、家から出してもらえない。


 お互いに押したり引いたりを繰り返して、ガチャガチャ、ガタガタとドアが鳴る。


「……っ、やめてよ、お母さん!」


 そう叫んだとき、インターフォンが鳴った。ドアの向こうから、「すみませーん、宅急便ですけどー」と声がする。ドアノブをガチャガチャと鳴らしていたので、一叶が中にいることは知られているだろう。


「い、今開けます!」


 ドアノブを回すと、今度は邪魔されることなく、扉が開く。


 言い争う声が聞こえていたのか、配達員は怪訝そうな顔でダンボールを抱えていた。


「こちら、荷物です。中、お入れしましょうか?」

「あ、お願いします」

 玄関までダンボールを入れてもらう。母はリビングに戻ったのか、廊下から消えている。

(宅急便が来てくれてよかった)

 一叶はほっとしながら、小走りで仕事へ向かった。


「お、おはようございます」


 出勤時間ギリギリで霊病科に着くと、一叶は椅子に座って息を整える。ハンカチで首の汗を拭っていると、背もたれを抱えるようにして座っていたエリクが椅子ごとこちらを向いた。


「優等生のうおちゃんが珍しいね」


「あ、うん。母親に捕まって、ちょっと……ね」


 突っ込んで聞きづらいのか、部屋に沈黙が落ちる。その静けさに一叶のほうが耐え切れなくなった。


「霊病科への配属、納得してないみたいで……出先に言い争いみたいになって」


「納得してないって、もう大人だろ。親が進路に口出しするとか、子離れできねえ親かよ」


 鬱陶しそうに口を挟んだ和佐に、エリクは視線を床に落としながら「子離れできない親、ね……」と呟く。


「厳しいんだね、家」


 翔太がゲームをしながら、なんてことないように話しかけてくる。


「あ……うん、母親が医者志望だったこともあって、期待してくれるのは嬉しんだけど……ときどき、それが息苦しくて」


 後から「それわかる」と賛同の声があがった。振り返ると、エリクが椅子の背もたれを掴んで、大きく仰け反るように天井を仰いでいた。


「うちも医院長の息子だからって、いろいろ厳しくてさー。したくないことも、しないとならないし」


「なんでだよ。やりたくねえなら、やらなきゃいいだろ」


 和佐はパソコンで夜間の記録に目を通しながら言う。

 エリクは「んー」と悩ましげな顔で、背もたれの縁に頬杖をついた。


「それができたら苦労しないんだけどねー、なんでか親の意見って、神様の掲示ばりに抗えないんだよねー」


 自分が親離れできてないのか、母親が子離れできていないのか、あるいはそのどちらもなのか。エリクの言うように、親の言葉には耳を傾けずにはいられない。


「ならなんだ、てめえらは自分の意思で医者になったわけじゃねえってことか」


 一叶はどきりとする。


「そう、ですね……始まりは確かに……」


「それが決められた道だったから、だね。もちろん、今はそれなりにこの仕事を楽しんでるけどさ」


 エリクも同じだったことに、少しだけほっとする。


「きっかけが親でもさ、今の自分が納得してるならいいんじゃない? そうじゃないなら、今からジョブチェンジすればいいだけのことでしょ」


 確かに、一度選んでしまったからって、必ずしもその道を進まなくてはいけないわけではない。医者を続ける続けないにせよ、霊病科に残るにせよ、病理医に移動するにせよ、まだ未来は決まったわけではないのだ。


 そう思うと、心がいくらか軽くなった気がした。


「皆さん、おはようございます」


 颯爽と部屋に入ってきた京紫朗に全員が挨拶を返しながら、タブレットを持って会議テーブルに集まる。


「今回の新患はふたりです」


 皆、霊病科にコンサルタントされたカルテを開く。


「ひとり目は鈴村すずむら七海ななみちゃん、九歳の女の子です。今朝、急に腹痛を訴えて外来を受診。付き添い人は母親で、霊病科の受診をご所望だそうで、小児科からコンサルありました」


「え? 聞き間違い? 霊病科の受診をご所望って言いました?」


 エリクが目を瞬かせる。


「聞き間違いじゃありませんよ。彼女の母親、三年前に霊能力者として有名になった鈴村光子みつこさんなんですよ」


「あー……テレビで見たことあるような……ないような?」


 首を傾げるエリクと、皆同じ気持ちだった。


「本物かどうかは別として、霊能力者なんてたくさんいますしね」


「嘘でも霊能力者になりたいやつの気がしれねえ」


「そうですか? 意外と単純な理由だと思いますよ」


 京紫朗はそう言って、タブレットを操作する。


「次の患者ですが、フィギュアを自分の嫁だと言って連れてきたサラリーマンの男性ですね。周りの人間から『お前はおかしい、なにかの病気じゃないか』と笑われたそうで、医療的に自分が正常だってことを証明してほしいと精神科外来を受診されたそうです」


 和佐は「おい、病院は暇じゃねえんだぞ」とぼやく。


「それで精神的なものか、霊的なものか、こっちで判断してほしいってわけ」


 翔太は納得したように言った。


「それでは、担当決めをしましょうか」


 京紫朗にどうしますか?と問うような視線を向けられる。一叶たちも、この三ヶ月で適材適所というものを学んだ。


「霊視と念写はふたりともしたほうがいい……よね」


「僕もうおちゃんに賛成。もはやこのふたつは、霊病科の一般検査みたいなものだし」


 エリクが「ねー?」と小首を傾げながら同意を求めてくる。一叶もぎこちなく笑い返していると、和佐がタブレットを持った手を軽く上げ、入口に向かって歩き出す。


「俺は腹痛のガキで」


「え、大王が小児科? 子供たちが泣きながら逃げ出すよ! う、うおちゃんっ」


 エリクは『僕よりうおちゃんのほうが大王も手加減してくれるはず』と言いたげに、翔太は『任せた』と親指を立てて一叶を送り出す流れができている。


「……はい、行ってきます」


 和佐が小児科で本当に大王になってしまわないように、できることを……できることがあるのかはいささか自身はないが、やるしかない。


「いってらっしゃーい」


 一叶は皆に見送られ、涙目でびくびくしながら霊病科を飛び出した。

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