第12話

 雪が降っている。寒さで葉太は目が覚めた。まだ夜中だ。毛布を何枚も重ねたというのに体は冷え切っている。ふと隣を見ると、葉太はこんなにも寒くて苦しんでいるというのに自分の嫁はすやすやと安心しきって眠っている。

「なあ牡丹」

 寝息が聞こえる。一定のリズム。起きる気配はない。むしろどんどん眠りが深まっているように感じた。

「牡丹さん―?」

 暇なのでなにか言いつけてやろうと画策している葉太はめげずに声をかけ続けた。こいつも凍えるように寒い現実へと引きずりこんでやろう、とか思っている。だが、牡丹は眠りの底にいる。もはや入り浸っている。

「てか、なんで俺たち隣同士で仲良しこよししてんだろ」

 この夫婦ごっこは、元はといえば牡丹がきっかけなのだ。葉太に付き合ってやる義理はない。ただ理人、つまりは主様の命令に背けないのが夏目家の宿命というのか、とにかくそんな面倒な縛りを背負っているから夫婦ごっこが続いている。それだけだ。少なくとも葉太はそう思っている。

「……こいつ、警戒心薄いな。馬鹿じゃねーの」

 牡丹は事前に知っていたとはいえ、一緒に暮らし始めてあまり月日が経っていない男のことを、どうしてこんなに信用し愛せようぞ。葉太の頭には疑問しか浮かばない。

「俺じゃなきゃ速攻手出されてたよ、お前」

 まだ十九の純朴な娘だ。疑うことを彼女は知らない。その限りない白さが葉太には眩しい。そんな真っ白な彼女は、なにかを抱えて生きている。葉太は当初、牡丹は自分とは違う、次元の違うところに住む生き物だと思っていた。神聖な生き物扱いしていた。その白さが気に食わなかった。けれど、それは間違いだった。彼女も自分と同じで、ドブみたいな色をして汚れたところもあるのだ。裏側に汚れがついたから表から見ると気がつかないだけで。けれどその汚れは、現在進行形で染み出して白さを侵食している。

「お前も俺と一緒なのかな」

 自分も母親が嫌いだ。父親も嫌いだし、姉の桜も嫌いだし、兄も嫌いだ。なんなら理人も嫌いだった。牡丹も、彼女の母親のことを嫌っているのではないか。葉太はそう考えている。

「なあ、起きろよ。暇なんだけど」

 考えを巡らせるのも飽きてきた。自分の手が氷のように冷たいことを確認する。そしてすばやい動きで牡丹の首に手を押し当ててやった。小さな悲鳴が上がった。

「ひゃあ!」

 体が跳ねたとき、ボタンが留められていない鎖骨の部分がチラリと見えた。葉太は条件反射で目を逸らす。

「おはよーございます」

 視線の先を斜め下に置いたまま葉太は言う。牡丹は眠そうに目をこすっている。

「葉太様……?」

 眠気まなこの少女はよろよろと頼りない動きで周囲を見渡す。外が暗いのを確認すると、ほっとして息を吐いた。

「……夜這いですか」

「ちげえよ馬鹿。なんつー言葉知ってんだ」

 顔を赤くした牡丹のおでこに、冷たい手を当ててやった。牡丹が文句を垂れているのを葉太は無視する。

「暇なんだけど」

「お暇ですか?そう言われましても……」

 牡丹が眉を下げる。

「なんか話して」

 無理矢理腕を引っ張って牡丹を起き上がらせる。牡丹は自身の輪郭を指でなぞった。

「私、今幸せなんですよ」

「……続けて」

 嬉しそうにはにかむ少女は白く、清く見える。

「こうやって誰かが隣にいて、寒いですねって言ったら寒いねって返してくれるのが嬉しくて。前はそんなこと絶対なかったから」

 だからあったかくて好きなんです。牡丹はそう続けた。葉太はなんだかこそばゆい。

「俺も。……本家じゃいつも一人でさ。たまに姉さんがかばってくれてたけど。産む気なんてなかったのに、とか落ちこぼれ、とか言われてさ。夏目家の人間として認められなかった」

 自分の弱いところを葉太は他人に見せたくなかった。いつも自分を強く見せるのが癖になって抜け出せなかった。けれどこの夜は違った。なんとなく、自分のことを見せてもいいと思えた。

「葉太様」

 こいつはどうせ、「辛かったですね」とか「可哀想」とかのたまうに決まっている。葉太はそう思った。大きなため息をついたとき、温かい体温を感じた。牡丹が抱きついてきたのだ。

「なんだよ、離れろよ」

「たまにはこういうのも悪くないでしょう?ぎゅーってするとストレスが減るとかなんとか」

「ストレス増えたわ馬鹿」

 そんなことを言いつつも葉太は牡丹を払いのけない。

「はい、終わりです!寝ましょ?寒いですし眠いです」

「……旦那様の命令はなんでも聞くよな、お前って」

「はい、聞きますよ」

 葉太が布団の中に入る。そして、手招き。

「……寒いからこっち来い」

 にこりともせず葉太は言う。牡丹がどんどん赤くなっていく。気持ちを抑えるため右手をさする。けれども逆に心は手の届かないところまで走っていく。止められない。

「早く来いよ。お前無駄にあったかいから」

「は、はいっ」

 一緒の布団に入る。吐息を感じる。体が触れ合う距離。素肌の温かみを感じられる距離。

「うわー、お前熱でもあるんじゃねーの。あったけーな」

 葉太は変に大胆なところがある。そのせいで牡丹は真っ赤だ。

「やっぱ嫌です」

「えー、なに?旦那の命令は絶対だぞ」

「そうじゃなくてですね……」

 二人とも睡魔に襲われて思考が鈍っている。特に葉太は今にも眠りに落ちてしまいそうだ。しばらくすると、二人仲良く睡魔に飲み込まれた。

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