第7話
「ここがデパートですか……!」
「牡丹、嬉しそうじゃの」
「ああ、貧乏人がなにやら楽しそうだな」
電車に揺られ、街中を歩き、やっとたどり着いたデパートの一階。きょろきょろしすぎて挙動不審になっている牡丹を葉太はどこかしらけた顔で見た。彼の右手は理人の小さな手を握っている。
「今は嫁いだので貧乏人じゃないです。ね、旦那様」
「やめろよ。気色悪い」
「葉太、嫁をいじめてはいけないのじゃー」
「大声で言うな」
甘い牡丹の声をかわし、葉太は空いている方の手で理人の脳天に軽く打撃を与えた。理人は相変わらずの笑顔だ。黒目がちの細まった瞳は楽しげだ。
「ところでさ、なんか……視線を感じるのは俺だけ?」
「奇遇ですね、私もです。運命でしょうか」
「すまんな、俺は確率信者だ」
理人は気にしていないようだが、二人は視線を感じていた。それは電車に乗る前からである。二人が不思議そうに顔を見合わせていると、理人が見上げて顔をうかがった。その白い髪はし照明を反射して輝いている。
「俺、わかっちゃったかもしれない。視線の先」
「あ……、見慣れちゃってて気がつきませんでした」
牡丹が理人の頭に手を伸ばす。撫でてもらえるのかと理人は期待したが、それは間違いだった。頬を膨らませるのは彼の不満の表れ。その姿はどことなく牡丹に似ている。
「理人、お前、髪の毛黒くしろ」
「無理じゃ」
家族にとっての問題は、理人の白い髪にあった。この日本で白髪の人間(といっても、理人は少なくとも人間ではない)はあまり見かけないものだ。仮にも親である葉太は焦茶、牡丹は黒髪なので「ヨーロッパから来たんです」なんて言い訳もできない。そもそも二人はお手本のようなアジア顔だ。こんなふうに、葉太は悩んだ。
「あ、理人。上にキッズファッション?のコーナーがありますよ」
そう言う牡丹の顔には諦めが漂っている。葉太も諦めることにした。万が一本家の人間に怒られても牡丹のせいにすればいいと考えた。そもそも買い物だって牡丹が言い出したのだし、連れ出してはいけない理人、あるいは主様を連れ出したのも牡丹だ。「俺は悪くない」と葉太はつぶやいた。自分に言い聞かせるようだった。幸いにも平日の昼間。休日に比べれば人は少ない。
「愉快じゃのー。文明の力じゃのー」
「これがそんなに楽しいか?俺にはわからんな」
エスカレーターに乗る理人は愉快、愉快と言って楽しんでいる。
「いつも同じ景色ばかりだったからの」
「……そっか」
思い返せば、「主様」である理人は夏目家の所有する土地以外に立ち入ることを禁じられていた。その気になれば彼、あるいは彼女の力ならどこへでも行くことができるのに。葉太は不自然さを感じたが、同時にどうでもいいとも思った。理人を理解しようとすることは、宇宙を理解しようとするくらい無駄なことだと彼は考えている。そうこうしているうちに、四階へとエスカレーターは三人を運んだ。ここがキッズファッションのコーナーがある階である。
「ねえ葉太様」
「なに?変なこと言ったら置いてくぞ」
「帽子がありますよ」
子供用の小さな帽子。かわいらしいそれらがたくさん並んでいる。
「理人に被らせればそんなに目立たないのではないでしょうか?髪はヘアゴムでくくれば帽子におさまるでしょう」
そう言って牡丹は灰色のクロッシェを手に取った。釣鐘のようなフォルム。黒いリボンが付いている。牡丹が理人にそれを被らせた。少しオーバーサイズ気味だが、髪はすっぽりと隠れる。
「おお!素晴らしいのお、気に入ったぞ」
「お気に召したようでなによりです」
理人は上機嫌だ。そっと柔らかな風が吹く。気に入らなかったら大惨事になっていたかもしれない。静かに葉太は胸を撫で下ろした。そんな葉太の心中も知らずに牡丹と理人は笑い合っている。側から見たらただの微笑ましい家族だ。そう思って口角を上げたあと、葉太は自分に驚いた。信じられない。早く別れたいのに。この家族を終わらせたいのに。
「葉太様!」
「葉太―っ」
二人に呼ばれて、葉太は深い思考の中から現実へと引き戻された。
「はいはい。買えばいいんだろ?ほら、それ貸せ」
「えー」
「金払わねーと貰えねえんだよ、経済ってのはそうやって回ってんだ。いいから貸せ」
偉そうに小さな説教をした葉太は理人から(なかば強引に)クロッシェを渡してもらった。二人を待たせてレジに向かうと、店員の女性が「お子さんにですか?」なんて確信がないそぶりで聞いてくるものだから小っ恥ずかしくて顔が赤くなった。失礼なやつだな、とか思ってみた。
「ひどい目にあった」
「えぇっ、帽子買っただけで!デパートってそんな修羅の国みたいなところなんですか?」
「いや、冗談だから」
まあ怖い、と、とても怖がっているようには思えない顔で口元に手を当てる牡丹にむんずとクロッシェを渡す。
「理人、髪を結いましょうね」
「わかったのじゃー」
おだんご頭なら帽子におさまりますね、とか言いながら鼻歌混じりで牡丹は理人の髪をどこかから出したヘアゴムで結ぶ。毛束がはみだしているし、形も悪いので見ている葉太はムズムズしてきた。
「八点。貸せ、汚い」
「えぇっ、そこまでひどいですか?」
「お前にこういう作業は向いてない」
しびれを切らした葉太がしゃがみこみ、結び目をほどく。理人は暇そうに大きなあくびをした。
「慣れないことをするんじゃねえよ、見苦しい」
てきぱきと葉太はすばやく理人の肩につくくらいの髪を結んでいく。
「葉太様って〇点はつけませんよね。十点以下がほとんどですけど」
「そりゃ〇点なんて、つけてるほうも気分悪いし」
「確かに」
牡丹が納得して口を閉じたとき、葉太が口を開いた。
「それに、一応お前も頑張ってんじゃん」
特に考えもせず発せられた言葉だった。その言葉に、牡丹が赤くなる。それに気がついた葉太も同じように赤くなった。
「帽子はまだかー」
なんとなくこそばゆい雰囲気を感じて戸惑う二人の空気を、理人が切り裂く。慌てて葉太が髪を結び、牡丹がクロッシェを被せた。
「いい感じですね。まつ毛は……しょうがないか」
「まあいいんじゃないの」
牡丹が思わずスマートフォンを取り出して写真を撮る。しかし画面に映し出されたのはデパートの風景だけだった。
「かわいいですね。写真に映らないのはもったいないですけど。吸血鬼みたい」
「どこがだよ」
「知らないんですか?吸血鬼って、鏡に映らないんですよ」
「いやそこじゃなくて、こいつかわいいか?」
「かわいいに決まっておろう」
目線を理人に合わせたまま葉太は頬をつつく。理人の頬は柔らかかったので、気に入ったのか葉太はつぷつぷとつつき続けた。
「とーっても、かわいいですよ」
牡丹が笑顔を見せる。安堵したような、幸せを噛み締めているような、そんな笑み。母親の笑み。産んだわけでもないのに、と葉太は不思議に思った。頭を掻く。答えは出なかった。葉太に女心はわからない。牡丹のこととなると、もっとわからない。
「ねえねえ葉太様、あっち行きましょうよ!」
「我はこっちに行きたいのじゃー」
心躍っている牡丹が右へ、クロッシェを気に入って上機嫌そうな理人が左へとそれぞれ指を差す。大きなため息をついた葉太は二人を集めてこう言った。
「嫁と子供は黙って旦那について来い馬鹿」
嫌に横柄な言い方だ。
「はーい」
「わかったのじゃー」
それでも二人は笑顔だ。まるでRPGの勇者一行みたいに連なって歩く。葉太にとっては屈辱感があった。
「寄りたいところあるんだけど、いい?」
「もちろん!」
「許してやろう」
「なんでお前は上から目線なんだよ」
葉太がやれやれ、といった顔をして首に手を当てる。そしてスタスタ振り返りもせず歩き始めた。それに続く二人はご機嫌である。
「あれ?ここって……」
「なんか若い女の子ってこういう服着るんだろ?」
たどり着いたのは女性向けのブランド店。とても葉太が用があるとは思えなくて、牡丹は困惑した。
「葉太様、女装のご趣味が……?」
「ちげえよ。アホなの?馬鹿なの?」
「葉太様の趣味がなんであっても愛しておりますよ」
「ちげえってば、話聞け」
葉太の手が牡丹の頬をつぶした。むにゅっという音がしそうだ、と葉太は感じた。柔らかい。理人よりも柔らかい。牡丹が羞恥に目を回しているのに葉太は気がつかなかった。
「お前の服買ってやろうと思って」
「私の、ですか……?」
信じられない、という目で見つめてくる牡丹に葉太はデコピンを喰らわせてやった。
「俺の嫁なんだからさ」
何の気なしに発せられた言葉だったが、牡丹の頬を染めるには十分だった。理人が微妙な目で牡丹を見ている。
「貧乏人みたいな服着られても困るわけ。俺にふさわしい格好しろ」
ニヤリと笑う彼は言ってやったぜ、みたいな顔をしている。
「は、はい!」
「え、なんで笑ってんの?怖……」
店に入るのをためらう牡丹の手を葉太が引く。空気を読んだ理人はそっと後ろに下がった。
「なあお前、好きな色は?」
牡丹が考える。考えに考えて、答えを出した。
「紫色」
「そうじゃねえよ」
葉太がまた頭を掻く。
「本当に好きな色は?」
牡丹が人差し指を唇に当て、少し考える。
「葉太様」
「はいはい。なに?」
「……私、青色が好きです。水色はもっと好き」
「最初からそれを言えばいいんだよ」
面倒くさそうに葉太は服を物色する。牡丹の顔は赤い。
「あの、葉太様……」
「あ?なに?」
「あの、手、握ったままですけどいいんですか……?」
葉太が慌てて手を離す。理人はニヤついている。女性店員も微笑んでいる。
「馬鹿、早く言え馬鹿」
「語彙が少ない……」
「うるせえ」
ご機嫌ななめな顔は、恥ずかしい気持ちを隠すためだ。数着の服を牡丹に突きつける。
「すみません、試着を」
店員に葉太が声をかける。そして牡丹を押し出した。牡丹はオドオドしながら試着室へうながされるまま入っていった。
「葉太様、着てみたんですけど。やっぱり私には似合わない気が……」
牡丹のよろよろとした声が試着室から聞こえる。
「なに?俺のセンスに文句つける気?」
腕を組んでいる葉太が舌打ちしながら答えた。
「多分大丈夫じゃ」
いつもは怪しげなことしか言わない理人も、今はただの子供だなぁと葉太は斜め下の理人を見た。女性店員が断りを入れて試着室を開ける。
「おー!愛いのー!」
「ま、それなりじゃない?」
サクッスブルーのブラウスに、黒いパンツ。ベルトはブラウスとリンクした色をしている。その上に羽織るのはキルティングジャケット。大人な雰囲気になった自分に、牡丹は照れたように笑う。
「あとこっちのコートも」
「葉太楽しそうじゃのー」
「ちげーし。夏目家にふさわしい格好をだな」
ニマニマ笑う理人と淡々としている葉太。そんな二人に、女性店員が話しかける。
「ふふ、今日はご家族でデートですか?」
「デートですか!?」
若々しい女性店員の問いかけに素っ頓狂な声で反応したのは牡丹だ。葉太は頭をポリポリ掻いて答える。
「ま、そんなとこです」
「えっ」
顔色ひとつ変えずに葉太が答えるものだから、牡丹はめまいがしてきた。
「デートなのじゃー」
「よかったですねー。お子さん、おいくつですか?」
うげ、と葉太が顔色を変える。すると、理人が四本指をたてた。
「四歳かー。すごいね、いっぱい言葉知ってるねー。ほら見て。ママ、より一層綺麗になったねー」
理人に笑いかける女性店員に、こいつ百は超えてますよ、とかいうのは葉太はやめておいた。牡丹も口から滑り出そうになった言葉を飲み込んだ。
「牡丹、どう?」
「あ、えっと、いい感じです」
「きつくないな?」
「ええ」
改めて葉太に自分を見られると、なんだかほてった感じになる。牡丹はそんな自分に困惑した。頬をぺちぺちと叩いてみたが、夢ではないようだった。どこか牡丹は安心した。
「すみません、お会計お願いします。こいつ多分このまま着ていくので包装はいいです」
「え、なんでわかったんです?」
牡丹の質問に、葉太はニヤリと笑った。
「わかるわ、ばーか」
子供みたいな笑みに、牡丹は射抜かれた。幸せな色をした思考が頭の中をうめる。葉太は牡丹の様子に首をひねる。
「ではお召しになっていたお洋服、お包みしておきます」
女性店員は微笑ましい目で見ている。その視線に葉太は意味もわからないまま小っ恥ずかしさだけを感じた。店を出るまで女性店員がついてきたので、牡丹は慌てていたが葉太は平然とした顔で歩みを進めた。
「これでわかったか」
「なにがです?」
店を出たあと、したり顔で牡丹に話しかける葉太に牡丹は目をぱちくりさせた。
「俺の嫁になったからには俺好みの女になんなきゃだめってわけ。どう?嫌になった?」
「えっ」
葉太が牡丹に指を差す。牡丹はそっぽを向いた。しめしめ、と葉太は手ごたえを感じていた。理人はというと、いまだにクロッシェを気にしている。
「こ、好みとか簡単に言わないでください!」
葉太を見据える牡丹の頬は一日の中で一番赤く染まっている。
「照れちゃうから……」
牡丹の目線が泳ぐ。
「はあ!?別にお前自身に対して言ったわけじゃねえし!」
いびりを完全に失敗した葉太は牡丹の肩を揺さぶる。
「じゃあ今の私、何点です?」
トレースしたようなニヤリ顔。葉太にそっくりだ。あどけなさの残る顔に、妖艶さが宿った。
「……あー、及第点、及第点!はい、これでいいだろ」
葉太が逆恨みに燃えながら牡丹のおでこに小さな攻撃を加える。
「痴話喧嘩してないで、もっと我と遊ぶのじゃー」
「えへへ、ごめんなさい」
「痴話喧嘩じゃねえし」
くすくす笑う牡丹の背中を思いっきり葉太は叩いてやった。そして理人を連れて歩き出した。
(葉太様は単純なんですから)
その背中を牡丹は見つめる。自分より高い背中。恋焦がれるその背中。
(もっと頑張れば、葉太様に認めてもらえますかね)
彼女の笑みには、どこか寂しさがあった。牡丹だって、本当は気がついている。葉太の優しさに甘えていることに。
(葉太様は、本当は別に私のこと……)
牡丹が抱えている感情は何色なのだろう。彼女自身にもわからない。
(でも、今は私のものなんだから、いいですよね)
ちょっとくらいは。牡丹はそうつぶやいた。
「お前遅えんだよ牛歩女―!」
「早ようせえ、置いてゆくぞー」
気がつけば二人の背中は遠くなっていた。
「はあい、今行きまーす」
幸福と恍惚の混ざった笑みで牡丹は返事をした。彼女は幸せである。
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