第6話
午前九時半。リビング。不思議な家族三人は、身支度を始めていた。嫌がる理人に洋服を着せ、身支度を面倒くさがり起きようとしない葉太に発破をかける。牡丹の仕事は多い。
「なあ牡丹」
「はい、なんでございましょう?」
「その顔やめろウザい」
晴れやかな牡丹の笑顔を葉太は手で遮った。そして、牡丹を指差す。
「お前、服それしかないの?バリエーションに欠けてねえか?」
「そうですけど」
いつも着られて酷使されている和柄のワンピースの裾をたくし上げる。葉太が少し目線を逸らし、牡丹が首を傾げた。
「かわいらしいでしょう?」
「かわいいんじゃねーの」
「本当ですか!」
喜びに満ちた顔で牡丹が手を合わせる。彼女の手は表情豊かだ。
「服はな」
短い言葉を発し終わると、葉太はしっしと部屋の端へ牡丹を追いやった。牡丹が嬉しそうにニマニマと笑っていて癪に触った。
「葉太様だって、いつもどこかに紫色をまとっているじゃないですか」
「同じ服を着ているのとは意味が違う」
寝転がって遊んでいる理人を踏みかけてつんのめりながら葉太はカバンを取る。随分と上等なカバンだ。
「ところで、買い物とはどこにいくのじゃ」
葉太の股下にいる理人が天井に向かって声を出す。葉太はどこか涼やかな顔で答えた。
「デパート」
牡丹が振り返る。持っていた安っぽいアクセサリーを落としてしまった。
「デ、デパートですか!?」
「なんだよ、うるせえ」
牡丹の声は高く、天井まで届くほどだった。
「カバン持った人―!」
牡丹が笑顔で手を挙げる。
「はいなのじゃー」
元気よくその声に応えて理人が手を挙げ、浮かび上がる。面倒くさそうに葉太がボソッとつぶやく。
「……はい」
そう言って挙げられた手は低い。不満そうに理人は葉太を見つめる。
「理人、外では浮いたりすんの禁止な」
目線が合った葉太が理人の頭をぺちんとはたく。意外にも大人しく理人の足は床へとついた。
「ハンカチ持った人―!」
「はいなのじゃー」
背伸びをして理人はめいっぱい手を挙げる。ポケットを探った葉太が嫌そうな顔をした。
「……忘れた」
「葉太様、いけないんだー」
「いけないのじゃー」
牡丹と理人がからかってくる。ケラケラ笑う二人に葉太は不満を顔で訴えた。
「私の貸してあげましょうか」
「いや、いい」
あっさりと断られた牡丹がおろおろする。
「だってお前、どうせ『葉太様の使ったハンカチ』とか言って一生洗濯しないだろ。キショいわ」
「バレましたか」
「お前のことはお見通しだ」
下手な声真似。得意げな顔。葉太のすべてが愛おしくて、牡丹はただ微笑んだ。それを知らない葉太はカバンをあさる。
「あ、あった」
カバンの底から出したというのに、葉太の手の中にある綺麗なラベンダー色をしたハンカチはこれまた綺麗に折りたたまれていた。牡丹が拍子抜けする。
「葉太様、ハンカチたためたんですね……?」
「俺をなんだと思ってるんだよ」
「我もびっくりしたわい」
「理人まで言う?ひどくない?」
じとっとした目つきで葉太は二人を睨んでみたが、効果はなかった。
「まぁ持ち物検査はこれくらいにしてさ。買いもん行こうぜ」
それを聞いた牡丹が背筋を伸ばす。緊張の表れだった。葉太がスタスタと歩きだす。理人もそれに続く。慌てて牡丹はその背中を追いかけた。
「駅までは歩くぞ」
「えー」
理人の口から小さな不平不満が漏れ出る。牡丹は辺りをきょろきょろと見回していて、落ち着かない様子だ。
「はは、お嬢さんにはちょっときついかな」
ついていけないなら帰れよ、と嘲笑と共に葉太は言う。牡丹は首を横に大きく振った。整えられた人形みたいに美しい黒髪が合わせて揺れる。
「いえ、大丈夫です。歩くの大好きなので!葉太様のお隣を歩く許可が出るとは思っていなかったから嬉しいんです」
「そんなこと言うなら置いてくぞ、嫁は留守番しとけ」
「えぇっ、葉太様!?」
葉太は無慈悲にも、歩幅も合わせずに理人の手をひいて歩き出した。牡丹は急いでその影を追いかける。走ると、冬の冷たい空気が頬に触れて体温を奪っていくのを感じた。耳がかじかむ。
「人がおるぞ葉太よ」
「そりゃいるでしょうよ。街中だぞ」
外回り中なのか足早に歩くサラリーマンを小さな手で理人は指差した。肩を揉みながら葉太が答える。牡丹は人を指差すなと手をおおってたしなめた。
「それにしても寒いですね」
「寒いのか?どうにかしてやろうか」
「やめろ馬鹿!いや馬鹿じゃないすんません!」
手を叩こうとした理人を葉太は焦って唾を飛ばしながら止める。歩くたびに見える街並みが変わっていくのを牡丹は楽しんでいる。その手は赤くなっている。
「なあ牡丹」
「はい、なんでございましょう?」
牡丹が微笑む。少し笑顔が下手だ。葉太はそっぽを向いて言葉を発する。
「随分と寒くねえか?」
葉太の目線の先には自動販売機がある。理人はそれに興味津々で、葉太が静かに手を強く握って引き止める。
「あ、あの、葉太様!」
「ああ、わかってくれた?お前、鈍感だもんなぁ」
葉太は珍しく牡丹の目を見た。彼の微笑みは珍しいものだ。
「……あったかいですか?」
「……はい?」
牡丹は葉太の空いているほうの手をぎゅっと握った。葉太が言いたいのはそんなメルヘンで乙女チックなことではない。
「うわ、冷たっ!お前冷たい!離せよ!」
葉太が牡丹の手を振りほどく。間違いに気がついた牡丹がただでさえ寒さで赤くなった顔を真っ赤に染めた。
「馬鹿じゃねーの」
「申し訳ありません葉太様!」
「葉太はうぶじゃのー。ほれ、温め合えばいいのじゃ」
理人が二人を冷やかす。
「ち、違います」
「俺はこんな女じゃなくて金髪巨乳のお姉さんがよかった」
二人はペラペラとまくしたてる。理人は微妙な顔をして耳をふさいだ。
「でも、しゃーねえから手、繋いでてやるよ」
「え?」
牡丹が目を丸くして聞き返した。
「お前、きょろきょろしてて迷子になりそうなんだもん」
乱雑に牡丹の手を掴む。手が赤いのは、寒いからだろう。牡丹は心臓がどくんどくんと跳ねるのを感じた。
「あの、えっと。……はい」
二人に甘い空気が漂った時だった。
「我が真ん中がいい」
理人が口を開いた。
「えっ」
「えっ」
低い声と高い声が声が重なった。それに気がついた葉太は真似すんな、と理不尽に怒った。
「理人、なんでですか?」
「我は二人と手を繋ぎたいのじゃ。これでは葉太の手しか掴めん」
理人は葉太の手をぶんぶんと振る。
「俺じゃ不服だってのか」
葉太が面倒くさそうにため息をついた。
「いやです!私、葉太様と手を繋いでいたいです」
牡丹が頬を膨らませる。家族がいがみ合う姿を近所の主婦たちが微笑ましく思っているが、それを三人は知らない。ましてや「お父さんモテモテね」だとか「奥さん美人ね」だとか言われているのは知るよしもない。主婦たちの方も、この家族が普通ではないことを知らない。かくして、このいびつで不器用な家族が駅に着くまで、多大な時間を要したのであった。
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