第43話 姫乃視点と麗華

 文化祭も、あとちょっとで終わり。

 自分のお役目も果たせたし。


 メイド姿、最初はちょっと恥ずかしかったけど、やってみると結構楽しかったな。

 舞台衣装みたいで綺麗だし、お客さんは喜んでくれていた。

 何だか、嬉しくて楽しかった。


「姫乃、どこに行くんだ?」


 葵が問い掛けてくる。


「ちょっと散歩してきていい? ぶらっと歩きたい気分なんだ」

「ああ、分かったよ」


 本当は陣とも一緒に歩いてみたかったけど、姿が見えない。

 どこに行ったのよ、全く。

 顔を見たら、お説教してやろう。


 そんなことを思いながら、ぶらぶらと足を進めていると、


 ―― あれ?


 あの綺麗な髪の女の人…… 麗華さん?


 校庭の隅で、一人で座っている。

 そう言えば、陣の家に訪ねて来た時、この文化祭に来たいって言ってたな。


 陣が呼んだのかな。

 もしかして彼がいなかったのって、彼女と一緒にいたから?


 なんだろう、胸の奥がざわざわ騒いで、気持ち良くない。

 見なかったことにして立ち去ろうと思ったけれど――


 あれ、彼女泣いてる?

 遠くからだけど、目元から光る物が流れているように見えて。


 この人は陣の元彼女で、彼をふった人。

 でもまた、彼とやり直したいって言っていた。

 なんで今頃になって?


 そう言えば私は、昔の彼を知らない。

 麗華さんと一緒にいた頃の姿も。

 この人は、私の知らない彼を知っている。

 何だか面白くないし、胸の奥が痛い。


 ここは彼女と話ができるチャンスかもしれない。

 そう思って、私は彼女に近づいた。


「麗華さん」

「あ…… 姫乃さん?」

「どうしたの、こんなところで?」

「ごめんなさい、さっきまで陣に案内をしてもらってて、今帰るとこなんだ」


 やっぱりそうか、陣が彼女を呼んだのだ。

 全く、また私には何にも言わないで……

 

 彼女は黄色いハンカチで、目を拭っている。

 一体、何があったんだろう?


「あの、麗華さん?」

「はい?」

「ちょっと、お話できませんか?」


 気が付くと、口からそんな言葉が漏れていた。

 彼女から、色々と聞きたくて。


「いいけど…… ここでいいの?」

「うん」


 やっぱり、凄く綺麗な人。

 陣がほっとけないのも分かる。


「あの…… 陣が、事故に遭った頃のことを、教えてもらえませんか?」


 麗華さんは、表情を変えないで、じっとこちらに澄んだ眼差しを向けている。


「ねえ、姫乃さん」

「はい」

「あなたは、陣のことが好きなの?」


 急に問われて、言葉に窮してしまう。

 けれど――


「普通の友達よりは、ずっと気になってる」

「そう。私は、彼のことが大好きよ。ずっと昔から」

「なら、なんで、彼と別れたの?」


 以前から不思議に思っていたことを口にした。

 麗華さんは目を伏せてから、また私の方に向き合った。


「私からあなたにお話しする理由なんて、無いのかもだけど?」

「……」


 その通りかもしれない。

 彼女にとっては、私に話す理由もメリットもない。

 虫のいい話。

 でも――


「それは分ってる。でも、お願い、教えて欲しい。なんで彼は、大好きだったサッカーを諦めなければならなかったの? 一体どんな事故で何があったの? 彼は詳しくは教えてくれないから……」


 麗華さんは少しの間、口に手をやって考えこんでから、静かに唇を動かした。


「少し長くなるし、悲しいお話になるかもしれないわよ?」

「……うん、大丈夫」


 麗華さんは小さく頷くと、話を始めてくれた。


「私はね、彼と同じ中学に通ってたの。彼は、普段は全然目立たなくって、友達もあんまりいない感じだったかな。でも中学二年のある日、彼のことが噂になったの。サッカーチームに所属していて、それが全国大会に勝ち進んでるんだって。最初は興味本位で友達から話を聞いてただけだったけど、一緒に見に行かないかって誘われて。それで初めて彼の試合を見に行ったのが、決勝戦だったの」


 遠い目を中空に向けながら、麗華さんは静かに話を続ける。


「凄かったわ。ボールをもって相手の選手を、凄い速さでかわして、ゴールを決めて。そこで、私は彼のファンになったんだ。それから、チームの練習場とかにも見学に行って。でも彼は全然気にしてくれなかったら、こっちから声を掛けたんだ」


 麗華さんはそこで、はあっと溜息をつく。


「でも、私のことなんか、やっぱり気にしてくれなくってね。彼ね、その頃、女の子に凄い人気だったのよ。そりゃあそうよね、プロのサッカーチーム傘下のエースストライカーなんだから。それから一生懸命彼にアプローチして、どうにか告白にこぎつけたの。彼はとても驚いていたみたいだけど、OKしてくれたわ。その時私は言ったの、『あなたがプロになるまで、ずっと傍で応援してるから』って。でもね、それが良くなかったかもしれないの」


 話の途中で、麗華さんは言葉を切って、自分を落ち着けようとしているように見える。


「良くなかったって、なんで……」

「それはね、彼が事故に遭ってしまったから。そんな彼に、私の言葉は重すぎたかもしれないの」


 麗華さんは目を閉じて、そこからすうっと光る物がこぼれた。


「大きな事故だったわ。付き合いだして少し経った頃、雨がたくさん降っていた日に、トラックに脚を轢かれたの。すぐ病院に運ばれて手術があったけど、ぐちゃぐちゃになった脚は元には戻らなくって。今でも彼の脚には、何本もボルトが入っているはずよ」


 話を聞いていて、胸の中が軋むように感じて。

 私が思っていたよりも、彼の脚の状態は、遥かに悪かったのだ。


「だから陣は、今は走れなくなったのね……?」

「そうね……。あれだけ足が速かった人なのに、辛かったと思うわよ。でも彼は、そんな不平不満を何も言わないで、私に謝るの。『すぐに元に戻るから。またサッカーに戻るから』ってね。病院の先生の言うことも聞かないで、勝手にトレーニングをして、血を流したりして。いつも看護婦さんに怒られていたわ」


 そこで麗華さんは、ハンカチで口を覆って、嗚咽を始めた。


「そんな彼を見てるのが辛くて…… 私のために無理をしてるんじゃないかって思って。私は彼にゆっくりして欲しかったけれど、でも何を言っても聞いてくれなくて。『俺はお前のためにもプロになるんだ』って…… 私が彼に言った言葉で、彼を苦しめているような気がして。だから、私が傍にいない方がいいんじゃないかって思って、さよならを言ったのよ」

「……麗華さん……」

「ひどい女の子に映ったでしょうね、彼には。怪我をして苦しんでる時に、離れていってしまったのだから…… でも、彼は笑って、俺が悪かった、ごめんねって……」

「……」

「私が傍にいても何にもできないし、かえって彼を苦しめているだけな気がして……」


 何となくだけど、理解できた気がする。

 麗華さんは、陣とお別れがしたかったわけじゃあなかったんだ。

 彼を苦しませないため、自分が重荷になっているのなら、身を引かないといけない。   

 そんな気持ちだったんだろう。

 

 だから、元気になった彼の姿を目にして、昔の想いが抑えられなくなったんじゃないだろうか。


 私は気付かないうちに、麗華さんの脇に立って、彼女の肩に手を置いていた。


「もう一つ…… 腹が立ったのはね、事故は全然彼のせいじゃないの。だけど彼は笑って、俺が悪いんだから、仕方ないよって…… なんで、そんなにお人好しなのかなって……」

「それって、トラックの方が悪いってこと?」

「そうだけど、彼、他の人を庇って、事故に遭ったのよ。そんなことしなかったらって、どうしても考えちゃって……」


 え――?


 自分の頭の中で、何かがぱんっと爆ぜた。


「麗華さん、その事故って、いつ、どこで……?」

「正確には覚えていないわ。でも、去年の六月くらいで、確かS町の交差点よ。女の子を庇って、トラックの前に飛び出したって、目撃者の人が……」


 ……それ、私が遭った事故と、時間と場所が、同じじゃないの……?

 

 それって――


 その時、私は男の人に助けてもらった。

 暴走するトラックの前で立ちすくんで動けなかった私を、抱きかかえて飛んでくれた。

 

 恐くって、目を閉じた。


 体に強い衝撃があって、暫く動けなかった。

 少し落ちついてきた時に、微かに、「大丈夫か……」と声が聞こえた。


 うっすらと目を開けると、男の人の胸の中で、しっかりと抱かれているのが分かった。

 それと同時に、目の前に、雨水にまじって真っ赤なものが広がっていることも。

 男の人の片足が、信じられない形に折れ曲がっていて、そこから赤い液体が溢れ出ていた。


 それを間近で目にして、私は意識が遠くなって、気付いたら病院のベッドの上にいた。

 だから、助けてくれた人の、顔は分からなかった。


 それって、もしかして、陣が…………?


 もしそうなら、麗華さんと陣が別れた原因って、私……?

 陣がサッカーを止めなければならなくなった理由も、私……?


 思い出して、色んなものが頭の中に渦巻いて、胸の中に押し寄せてきて、私もその場で、溢れる涙を堪えることができなかった。



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