第40話 波乱

 9月は秋という印象だけれど、まだまだ残暑は厳しい。

 そんな中、10月に開催される文化祭の準備は、粛々と進んでいる。


 出し物は決まったけれど、当日のメニューやら食材の手配、飾り付けや接客の担当など、決めないといけないことが多い。

 俺と姫乃は、当日に誰がどんな格好で接客をやるか、タイムスケジュールと担当を決める役目を仰せつかっている。


 金曜日の放課後、姫乃とその話をしていると、


「ねえ、陣。明後日の日曜日に、お家にいっちゃだめ? 良かったら、文化祭の打ち合わせをしようよ?」

「いいけど、その日は母さんがいないから、俺一人だけど?」


 今までにも姫乃と二人きりの状況はいくつもあったので今更だけど、一応予防線を張る。

 一つ屋根の下で男女二人、普通は緊張するものだ。

 最低限の気遣いとして。

 

 よほどうちの家の居心地がいいのか、用事があってもなくても、相変わらず姫乃が尋ねて来てくれる。

 こちらは母さんも俺も無問題なので良いのだけれど、いつも来てもらって家事まで手伝ってもらって、恐縮してしまう。


「いいよ、別に。陣のお母さんさえ良かったら」

「あ、それは問題ないよ。姫乃が来てくれるようになって、台所とかが綺麗になったって、喜んでるし」

「じゃあ、ご飯の材料買ってからいくね?」

「うん、ありがとう」


 今日の夜と土曜日はバイトが入っているので、姫乃とゆっくり過ごせるのは日曜日になる。

 二人でそんな約束をしていると、純菜がやって来て、


「ようお二人さん、今日も仲がいいねえ」

「じ……純菜、何言ってるの?」

「ふふん。ところでさ、陣。倉本さんって、もうお店には来ないの?」

「え……と、そうだなあ。今は優勝争いの真っ最中だから、難しいかもね」

「そっかあ……」


 純菜はしゅんとなって、肩をすくませる。

 東京アークナイツはリーグ戦で優勝圏内にいて、これから大事な試合が続いていく。


「じゃあさあ、土曜日に洋食屋さんに行ってもいい? 陣もいるだろうし、せめて試合であの人を見れたらなあって」

「そりゃ、お客さんが来るのは大歓迎だけどさ。倉本さんが試合に出るかどうかは、その時まで分からないよ?」

「でもいいよ、どうせ暇してるしさあ」

「純菜、あんまり陣の仕事の邪魔しちゃだめよ?」

「しないよお、そんなの。それよか、どうせなら姫乃も来ない?」

「……いいの、陣。それって?」

「ああ、お客さんはいつでも大歓迎さ。けどそれだったら、早めに来といた方がいいよ。試合のある日は、激混みになるからさ」

「分かった。じゃあ、早めにお店に行くよ!」


 倉本さんのことがよほど気に入っているのか、そんな約束に、純菜はツインテールを跳ねさせて喜んでいた。


 ふと、そんな純菜に想いを寄せている木原のことが心配になった。

 二人を比べると、正直、兎と亀のようなものだ。

 お伽噺の中では、さぼった兎を亀が追い抜くのだろうけど、果たして現実にそんなことが起こるのだろうか。


 翌日の土曜日の夕方は、予想通り早くからちらほらと常連さんが顔を出し始めて、アルコールを喉に流しながら、歓談を始めていた。


「こんばんは」

「あら、いらっしゃい、姫乃ちゃん」


 姫乃が純菜を連れて姿を現すと、おかみさんがいつものように、柔らかく出迎えた。

 二人はカウンターの前の席に並んで座った。


「おかみさん、すみません。今日はこの子達が、サッカーの試合を観たいそうで」

「あらあら、それは、主人も喜ぶと思うわ。ゆっくりしていってね」

「はい、ありがとうございますう!」


 純菜の元気な返事に、おかみさんは頬を緩めた。


 試合開始までの間、純菜が唐揚げをつまみながら、


「どころでさ、陣の家って、いつ遊びに行っていいの?」

「え、家?」

「夏休みに、そんな話したでしょお? 姫乃も、行ってみたいよね?」

「え……そ、そうね……」


 明日は昼から姫乃が家に来るのだけれど、そんなことはまだ秘密にしてある。

 姫乃は頬を引きつらせながら、ははは、と笑った。


「えと、もうちょっと先がいいかな。今、母さんが忙しそうでさ」

「そっかあ、残念」


 咄嗟に母さんを悪者にして、話題をかわした。

 家に遊びに来てもらうのは全然かまわないし嫌じゃないのだけれど、姫乃と二人で過ごせる貴重な時間でもあるし、母さんが余計なことを言わないように事前に根回しをしておくのも面倒くさい。


 やがて、テレビ画面が試合のスタメンの名前を告げる。


『フォワードは右が大前に、左が倉本』


「きゃ~、倉本さん~!!」


 純菜は大声を上げたが、常連さん方も負けじと歓声を上げているので、あまり目立たない。

 試合が始まると、いつものようにマスターも厨房から出て来て、お客さん達に交じってテレビ画面を凝視する。


 プレイの一つ一つに、歓声が上がり、溜息が漏れ、ブーイングが乱れ飛ぶ。


 90分間の試合時間が終って、ホイッスルが吹かれると、店内は歓喜と興奮の坩堝と化した。

 東京アークナイツは相手を圧倒して、5-1で勝利を収めたのだ。

 しかも倉本さんは、今日は2ゴール。


「やっぱかっこいい~、倉本さあん!!」


 ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、周りの常連さん達とハイタッチを交わす純菜。

 そんな彼女に、姫乃は冷静な声で、


「はい、もう遅いし、そろそろ帰るわよ。他の人に、席も譲ってあげなきゃだし」

「えええ、つまんない~!」

「ほら、お店の邪魔をしないの」

「……分かったわよ、もう…… 陣、倉本さんが来るとき、また呼んでね?」

「はいはい、いつになるか分からないけどね……」

「じゃあね、陣、また」

「ああ、またね」


 姫乃に引きずられるようにして純菜が店を出てからも、夜遅くまで狂乱の宴は続いた。


 明けて翌日の日曜日、朝のうちに家の中をざっと片付けてから、姫乃を待っていると、インターホンの音が高らかに鳴った。

 画像を確認すると、片手を上げている姫乃の綺麗な顔が映っていた。


「うわ、凄い量だね、それ?」

「ふっふっふ。姫乃様特製のビーフシチューを作ろうかと思ってね」


 そう言いながら、ぱんぱんに詰まったビニール袋を、キッチンテーブルの上にどさりと置いた。


 リビングのソファに並んで腰を下すと、姫乃がすっと間を詰めてきて、腕が触れ合うくらいの距離になった。

 夏休みの終わりあたりから、このくらいの距離感になった気がする。

 動くと肩や腕が触れ合って、その度に胸の中が小さく跳ねて、気恥しくはあるけれど、何だか心地いい。


「あのね、陣。私の行きたいとこに、付き合ってくれるって言ったよね?」

「うん。どこでもいいよ」

「その……場所はどこでもいいんだけどさ、ちょっと先だけどクリスマスの日、予定を空けておいて欲しいの」

「クリスマス、か…… イブとその次の日、どっちがいい?」

「できたら、両方」

「そっか…… 分かった。そうするよ」

「うん。お願いね」


 そう言って姫乃は、はにかんだ笑みを見せた。


 クリスマス、言うまでもなく、恋人や家族、大事な人達と過ごす日だ。

 今までは母さんや、まだ父さんとも一緒だったころは、家族で過ごしていた。

 女の子と過ごしたことはないが、姫乃の方からそんなお誘いをもらって、心臓が早鐘を打っている。


「じゃあさ…… 文化祭の打ち合わせ、やろっか?」

「う、うん。そうしようか……」


 少しぎこちなく会話してから、今日の主題である文化祭の相談をすることに。


「太田と杉本は王子様希望だったから、午前と午後に分けるかな」

「メイドさんは純菜と、白石さんがやってもいいって」

「え、白石さん!?」

「うん。ああいう可愛い恰好、興味があったんだって」


 学級委員の白石さんは、普段は真面目で、ちょっと固い雰囲気だ。

 そんな彼女のメイド服姿を想像して、意外とうけるかもなと思った。

 普段とのギャップが大きく意外性があるし、それに彼女も普通以上の清楚系美少女なのだ。


「どしたの、陣?」

「あ、いや、何でも」


 想像の世界にふけって目が泳いていた俺を、姫乃は怪訝に思ったようだ。


『ピンポーン』


 来客を告げるインターホンの音が鳴った。

 誰だろう、母さんが帰ってくるには早いし。


 そう思って部屋の中から画像を確認すると――


 麗華!?


 画面には、麗華の整った美顔が映っていた。

 背中から、嫌な感じの汗が滲み始める。


「どうしたの、お客さん?」


 俺の異変を察知したのか、姫乃が首を傾けてこちらを凝視する。


「いや、その……」


 逡巡の狭間に陥っていると、もう一度インターホンが鳴った。

 居留守というのも不自然なので、スピーカーホンのボタンを押した。


「はい」

「すみません、真行寺麗華です。陣君いますか?」


 その声に、姫乃の動きが固まり、表情を曇らせた。



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