第36話 港町

 今日は麗華と待ち合わせだ。

 この前二人で会った時には夜はバイトだったので、バイトが無い日にしてねと言われている。

 どこに行くかは任せるよと言うと、どうせなら普段行かない場所がいいなということで、今日の目的地は横浜である。


 電車でしばらく揺られて、お昼前には桜木町の駅に到着して、そこから海側へ向かった。

 ノースリーブの白いワンピース姿で、麦わら帽子をかぶった麗華が、俺に肩を寄せるようにして、ゆっくり歩いていく。


「ここって確か、大きな中華街があったっけ?」

「うん。お昼は中華にしようか?」

「いいね。俺麻婆豆腐が好きなんだよ」

「お店たくさんあるから、歩きながら探そうか?」

「おお、なんか冒険みたいで、楽しそうだなあ」


 その中華街の方へ向かい、赤や黄色の色彩豊かな飲食店が立ち並ぶ通りを、ぶらりと流し歩く。


「あ、あっちいってみない?」

「お、おい、麗華……」


 麗華が俺の手のひらを握って引っ張って、笑顔を向けてくる。

 照れくさくはあるけれど、かと言って振り解くのも何だか気が引けて。


 目に付いた老舗っぽい一軒に入って、麻婆豆腐の他にもいくつか注文をした。


「なあ、お前、横浜が好きだったのか?」

「ええ。なんとなく、雰囲気がいいでしょ? でも、なかかな来る機会がなくて」

「俺は、中華街と、おっきな橋があることくらいしか、よく知らないんだ」

「そっか。じゃあ今日は、私が案内してあげる。て言っても、私も初めてなんだけどさ。デートで来るのは」


 そうか、これってデートになるんだよな?

 そう思うとつい意識して、緊張してしまう。


「わ、美味しい、これ」

「結構香辛料すごいな。麗華は平気?」

「うん。私、辛い物大好きなのよ」

「そうか。それで、昔は辛口のコメントが多かったのか?」

「え……関係ないでしょ、そんなの…… でも、そんなに辛口だった?」

「たまにね。試合に負けた時の敗因分析なんか、結構辛辣だったし。凹んだなあ……」

「え、そうだったかな……」


 こうして話していると、少しずつ一年前の甘酸っぱかった記憶が蘇ってくる。

 短かかったとはいえ、確かに、そんな時間はあったのだ。


「じゃあ次は、公園に行こっか?」


 食後の腹ごなしもかねて、少し歩くことに。

 とはいえ、真夏の日差しは暑い。

 途中でペットボトルを買って、汗をかきながらそぞろ歩く。

 坂道を昇った先にある小高い丘の上の公園からは、海に面した街並みが見渡せた。


「お、観覧車があるな」

「うん。後で乗ってみようか? 夜景とか、綺麗かもよ?」

「夜景かあ。なんで女子って、夜景が好きな子が多いんだ?」

「何でって…… 見てて、綺麗じゃない?」

「それはそうだけど、だったら、うちの家の窓から見える夜景も、結構綺麗だと思うぞ」

「……じゃあ、一回見に行かせてよ」

「そうか。お前、夜は来たことがなかったな」

「うん……」


 そう小声で応えながら、麗華はこくんと首を縦に振る。

 確か二度ほど、昼間に来てもらったことがあっただけかな。


 それから、麗華に手を引かれて丘を降りて、海辺の公園の方へ。

 脇の方には海に突き出した大きな桟橋があって、船が泊っている。

 その一角に、女の子が体育座りをして、じっと海を見つめている銅像があった。


「これ、赤い靴をはいてた女の子の像だよ」

「……それ、学校で習った、あの歌のやつ?」

「そう。知らない人に連れられて、外国に行っちゃったんだよね。なんだか悲しくない?」


 初めてその曲を聞いて、悲しい曲だなとは思った。

 だけど、


「どうなんだろうな。外国に行って、家族とかと一緒に暮らしたんだったら、幸せだったのかもしれないぞ?」

「それはそうかもだけど…… 相変わらず、ムードが無いなあ、もう!」


 思ったことを喋っただけなのだけど、麗華は怒ったような顔で呟いた。


「すまん、そのあたり、あんま詳しくないんだ」

「まあ、あなたらしくはあるけどさ」


 暫く公園の中を歩いてから、避暑を兼ねて近くの複合施設へ。

 たくさんある店を物色してから、休憩がてら、コーヒーショップに入って腰を下した。


 麗華が、口を付けたコーヒーカップを皿の上に置いてから、口を開いた。


「ねえ陣、最近どう?」

「何だよ、いきなり?」

「倉本さんから聞いたり、こうして話してはいるけれど、学校とかでどうかなって思って」

「……ま、普通だよ」

「……脚の方とかは大丈夫?」


 ぴくりと眉を上げて一瞬固まってしまったが、できるだけ表情を変えずにブラックコ-ヒーを口に流しながら、


「……まあ、普通だよ。ちょっと走りにくいくらいだ」

「何か、困ったりしてない?」

「してないよ。今もこうして、普通にしてるだろ?」

「だけど……」


 麗華は畏まった様子で言葉を選びながら、


「もうサッカーは、しないのよね?」

「ああ。そのつもりはないよ」

「いいの、それで?」

「…………ああ。今は今で、それなりに気に入っているよ。以前よりは、時間の流れ方がゆっくりな気がするし」


 彼女は目線をテーブルの上に落としながら、言葉を続ける。


「陣、ごめんなさい。あの時、私が余計なことを言っちゃって。しかも、勝手にあなたの元から離れていったりして」

「いや、いいよ。元々気にしていないし、もう済んだことだ」

「……気にしてないの、私達のこと?」

「あ、それはそう言う意味じゃなくてさ。俺に気を遣うなってことだよ」

「……優しいね、陣は」

「いや、俺の方こそすまない。お前に余計な気を使わせたみたいだ。そう言えば、お前の方はどうなんだ?」

「こっちも普通よ。今は、毎日宿題がいっぱいで大変だけど」

「恋人とかはいないのか?」

「……いたら、今日ここにはいないわよ。意地悪ね」


 麗華が上目使いで、拗ねた表情を向けてくる。


 コーヒーショップで佇んでいると、しだいに太陽が西へと傾きかけた。

 窓の外から、夕闇の足音が聞こえてくる。


「そろそろ、観覧車の方に行って見る?」

「ああ、いいよ」


 そこから場所を移して、観覧車の混み具合を確認してから、先に夕食を取ることにした。

 昼にかなりがっつり食べたので軽めでいいよねと話して軽食をとってから、既に夜の帳が下りた街の中へ。


 イルミネーションで彩られた観覧車へ向かう人の列に並んでチケットを買ってから、ゴンドラに乗り込んだ。

 向き合って腰を下すと、だんだんと高度が上がっていって、幾千もの光の明滅が目に入った。


「ねえ陣、そっちに座っていい?」

「そうしたければ、いいんじゃないか?」


 麗華は俺の隣に腰を下して、体をぴったりと寄せてきた。


「ねえ、陣?」

「なんだ?」

「今日、帰らなくてもいいんだよ……」


 一瞬、何を言っているのか、分からなかった。


「帰らない……て、麗華?」

「今日、家に誰もいないんだ。だから、帰らなくても平気」


 途端に心臓がどくんと鳴って、鼓動が速くなる。


「お前、それ……」

「陣さえ良かったら、泊まっていってもいいよ」


 それって、そういうことだよな?

 泊まるってことはつまり……


「それはさすがに、まずいだろう……」

「どうして?」

「そういうのは、だって、恋人同士がするものだと思うし」

「……じゃあ、そうなればいいじゃん。私はいいよ、陣となら。むしろ、そうなりたい」


 胸がどくどくいって、耳の奥でも鳴り響いて痛い。

 俺も好奇心旺盛な男子ではあるし、そういうことに興味が無いわけではない。

 けれど――


「すまん。今日は帰ろう」

「なんで? 他に好きな人がいるの……? もしかして、姫乃さん?」

「いいや、そういうことじゃない。けど、いきなりそんなこと……」

「そんなことからでもいい。私は、陣と一緒にいたいの。お願い……」


 両手で俺の腕を掴んで、揺れる瞳で見つめてくる。

 けれど、中空にいる約10分間の間に、俺は返事ができなかった。

 

 やはりどうしても、姫乃の顔がちらついてしまうのだ。


「意気地なし…… でも、私はあきらめないからね」


 長い帰り道、

 別れ際に麗華はそんなことを口にして、電車から降りてホームの向こう側へと消えていった。



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