第35話 一条邸

 今日は一日中、洋食屋Tanyでバイトだった。

 夜も更けて、店にいた最後のお客さんが帰った後、


「ご苦労様、陣君。今日はもう、上がってもらってもいいわよ」

「あ、はい。じゃあこれで、失礼しますね」

「お疲れ様、陣君」


 おかみさんとマスターに挨拶をしてから店を出て、電車の中でスマホを見ると、グループチャットに着信があった。


『(真壁)おーい、勉強会やろお! 宿題がピンチだよお(涙)』

『(戸野倉)そう言えば、そんな話があったな』

『(一条)いつがいいの?』

『(真壁)明日は?』

『(一条)一応、空いてるけど』

『(戸野倉)同じく』


 夏祭りの時に純菜が、宿題がピンチだと、みんなに泣きついてきたことを受けてのものだ。


 姫乃の家に集まってやるはずなので、自分は関係無いだろうと放置していたけれど、そうはいかなかった。


『(真壁)ねえ、陣はどう?』


 え、俺もかよと思いながら、


『(畑中)それ、俺も入ってたっけ?』

『(真壁)陣がいないと、誰が英語教えてくれんの?』

『(戸野倉)うん』

『(一条)だそうよ。どうする?』

『(畑中)行きます』


 そんなやりとりがあって、その日の翌日は午前中から、姫乃の家に集合することになった。

 四人で会うのも楽しいので、それはそれでよいけど、場所が姫乃の家というのは、ちょっと気後れしてしまう。

 生まれてこの方、女子の家になど、行ったことはないのだ。


 当日、教えられた住所へ赴くと、閑静な住宅地の一角に、生垣に囲まれた二階建ての一軒家があった。

 表札を見ると、『一条』と書かれている。


 玄関の扉横のインターホンを押すと、聞き慣れた声が応じてくれた。

 がらがらっと扉が開かれて、


「ようこそ、陣」

「うん、おはよう」


 家には姫乃以外は誰もおらず、約束の時間よりも早く着いたためか、純菜と葵はまだ到着していないようだ。

 広々としたリビングに通されて、姫乃と並んでソファに腰を下す。

 目の前には大画面のテレビがあって、壁際の棚の上には、高価そうな調度品が並ぶ。


「二人が着いたら、お茶入れるね」

「そんな、気を使わなくてもいいよ。大きな家だね」

「そうね。だから一人でいると、静かすぎて落ちつかなくて。あ、そうだ、一つ相談があるんだけど」

「なに?」

「あの…… 夢菜がね、この前のお礼がしたいって言ってるんだけど」

「お礼って…… 別にいいよ、そんなの。野本さんとちょっと喋っただけだし」


 ついこの前、KIRATIAメンバーの一人である片野坂夢菜の家に恋人の野本さんが尋ねてきて、もめていたところに割って入って彼と話をした。

 どうやらその後、その二人は落ち着いたようだ。


「でも、彼女の気持ちが収まらないみたいよ。これで安心してKIRATIAの活動ができるって。だからさ」

「でも彼女達、忙しいんでしょ?」

「うん。それでね、来週水曜の夜が空いてるから、会えないかって言ってるんだけど?」

「水曜日か、俺バイトがあるしなあ」

「そっか……」


 姫乃が困り顔で、小首を傾ける。


「じゃあさ、バイト先に呼んでもいい?」

「それはいいけど、じゃあ、お客様として来てもらってよ。お店の味、ご馳走するよ」

「それじゃあどっちがお礼するのか分かんない感じもするけど。ま、一応伝えとくね?」


 二人でそんな雑談をしていると、純菜と葵の二人が顔を見せた。


「おはよお、姫乃、陣!」

「よう、二人とも」

「おはよ。その辺に、適当に座って。コーヒー入れるね」

「陣、会いたかったよお!」

「おはよ。純菜は、いつも元気だね」


 姫乃が入れてくれたコーヒーを啜ってから、早速勉強の時間に。


「じゃ、せっかく陣がいてくれるんだから、英語からだね」

「うう~、全然できてないよお……」


 その言葉通り、純菜のテキストは、ほぼ真っ新だった。


「うあ、姫乃、もうほとんど終わってんじゃん、見せてよお!?」

「あんた真面目にやんないと、今度また赤点を取るわよ?」

「ふええ~ん……」


 俺は姫乃と一緒に勉強ができていたお陰で、夏休みを三分の一ほど残して、八割がた宿題は終っている。

 多分姫乃の方は、もっと進んでいることだろう。


「陣、ちょっとここを教えてくれないか?」

「ああ、これはね……」


 葵の方は、英語に関しては、大体半分ほどの出来だ。


「そう言えばさ、今度また、面白そうな映画やるよね?」

「あんた真面目にやんないんなら、帰ってもらうわよ?」

「ふええん、ちょっとくらいいいじゃん、意地悪う!」


 まるで漫才の掛け合いのようで微笑ましく見ていると、いつしかお昼の時間が過ぎていた。


「どうしようか、何か宅配でもとるか?」

「家にあるありあわせで良かったら、私作っちゃうけど?」

「ほんとに? やったー!」

「姫乃、良かったら手伝おうか?」

「えと、そうね……じゃあ、お願い」


 リビングの隣には立派なキッチンがあって、高価そうな木製のテーブルと椅子が置かれている。


 姫乃と二人で冷蔵庫の中を物色して、


「私、パスタ作っちゃおうかなあ」

「俺は何をすればいい?」

「ん-と、じゃあ、野菜とコンソメがあるから、スープでも作ってくれる?」

「おし、おまかせあれ」

 

 人の家の初めてのキッチンなので勝手が分からないが、戸棚からまな板や包丁を取り出して、なんとか調理を進めていく。

 隣では姫乃が、麺を茹でる用意をしている。

 パスタソースは、市販のものを使うらしい。


「なんかさー、そうやって並んで料理していると、新婚さんみたいね」

「……つまんないことを言ってると、あんただけお昼なしにするわよ」

「冗談じゃん。でもこうして見ると、二人お似合いだよ?」

「はい、あんたお昼抜き決定~」

「わああ、ごめんなさいい――!」

「姫乃、僭越だが今回は、私も純菜と同じように思うぞ?」

「ちょ……何言ってんのよ、葵まで!?」

「そうよね~、葵ちゃん。意見が合ったご褒美に、おっぱい揉んであげるう~」

「調子に乗るな、馬鹿者が!」

「……なあ、だいたい出来たぞ、スープ」


 お似合いだと言ってくれるのは嬉しいけれど、姫乃の方はどう思っているのかは分からない。

 下手に舞い上がるのは、やめておこう。


 姫乃との共同作業で、クリームパスタとコンソメスープが、今日のランチになった。


 純菜がフォークに麺を巻きながら、


「姫乃って、ずっとここに一人でいるの?」

「ずっとって訳じゃないけど、まあそんな時は多いわよ。家族はみんな、平日はいないし」

「じゃあさあ、夏休み中、ちょいちょいお邪魔したらだめ? 私一人だと、どうしてもだれちゃってさあ」

「え……来てもらうのはいいけど、毎日いる訳じゃないからね?」

「ふーん、じゃあどこ行ってんのよ、一体?」

「どこって……まあ、色々と……」


 俺のバイトがある日は避けて、週二回ほどはうちの家で勉強とアニメ観賞会をやっているので、その日はこの家にはいないのだ。


「そういえば、陣は休み中、なにをやっているんだ?」

「俺は半分くらいバイトがあって、それ以外はほとんど家にいるよ」

「じゃあさ、陣のお家にもお邪魔しちゃったらだめ!?」

「は?」

「ちょっと純菜、何を……」

「だって、ずっと姫乃の家ばっかだと申し訳ないし、姫乃も陣の家って行ってみたくない?」

「えーっと、それはまあ……」

 

 姫乃が作り笑いと分かるような笑みを浮かべて、言葉を濁す。

 本当のことを言ってもいいけれど、そうすると思いっきり突っ込まれて、面倒くさいのだろな。


「純菜、あまり二人を困らせるんじゃない。そもそも宿題は、自分一人でやるものだぞ?」

「まあ、そうだけどさあ……」


 葵の冷静な言葉に、純菜はしゅんとして黙り込む。


 ランチタイムが終ってから、午前中と同じように、半分勉強、半分雑談の状態が続いていく。

 俺と姫乃との二人の時は、勉強の時はしっかりそれに集中するので、あまり無駄な雑談はない。

 その分、終わってから、思いっきり羽を伸ばすのだ。


 一通り勉強会が終ってから、純菜が目を細めて訊いてきた。


「ところで陣君?」

「……なに?」

「元カノさんと、会ったりしてるの?」

「え……何だよ、いきなり?」

「だって、気になるよね、姫乃?」

「……まあ、ならなくはないけど」


 姫乃は姫乃で、純菜と同じように、俺の方をねめつけてくる。


「……会ってないよ」

「そっか、ならいいけど。ね、姫乃?」

「……いいのかどうか、ちょっとよく分からないけど」


 ―― 姫乃が少しが拗ねたような表情をした気がするけど、気のせいだろうか。


 今のところはね、と言いたかったけれど、それはここでは言わない方がいいだろう。

 麗華とも会う約束は実際あるので、心苦しくはあるけれど。








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