第九話 軍人としての道、或いは 4

 翌日。レイチェルはハインツとともに王城へと向かった。

 正門前へとたどり着いた二人の前に厳めしくそびえ立つ城門。まずは無事に入城するのが最初にして最大の関門である。

 門番に声を掛け、隣接した詰所で入城手続きを行う。

「ハインツ・ベルクールさんにサフィール・プラシェさん。……少々お待ちください」

 そう言って詰所内へと引っ込む兵士を見送り、二人は外で手続きが完了するのを待った。


「それにしてもこの格好はちょっと……暑いですわね」

「サフィールは年中その服だぞ」

「はあ? ちゃんとお給料あげていますの?」

「なっ――!! 毎月キッチリ、十分な額を渡してるっつーの!」

「はぁ、暑い……少しだけ、帽子をずらしても――」


 帽子に手をかけたようとしたその時。突然の強風がレイチェルの帽子を吹き飛ばした。すぐに拾って被り直したものの、わずかな時間ながらレイチェルの顔は完全に露出してしまうこととなった。


 ――――――!!!!


 気付かれただろうか。詰所内へ目をやるが特別な動きはないようだ。慌てた素振りを見せてはかえって怪しまれる。内心は身が縮むような思いをしながらも、レイチェルは最大限平静を装った。


 しかし――。

 門番は特に気に留める様子もなくすんなりと二人を城内へ通した。見られずに済んだのか、門番たちもサフィールの顔を知らなかったのか――。


 安堵と困惑で複雑な表情のレイチェルに、ハインツが顔を寄せて囁く。

「……俺の過去の仲間たちだ」

 王城内には過去ハインツと共に兵役に服し、そのまま軍に入隊した者が何人か存在している。ハインツは事前に仲間に連絡をとり、警備の担当を調整してもらうよう動いていたのだ。


 レイチェルが無言でハインツの脛を蹴りつける。

「痛って!!」

「――事前に言っておいてくださいまし!」

 ふくれっ面で城内へと歩き始めるレイチェル。苦笑いの門番たちに視線を送り、ハインツはその後を追いかけるのであった。


 城門から建物入口までは立派な石畳が続いているが、二人の目指す先は王城そのものではない。周囲の状況に気を配りながら、機を見計らって脇へと逸れる。

 そのまま少し歩き、城の裏手に差し掛かると石壁にぽっかりと空いた穴が見えてきた。詠太えいたたちが空けた穴だ。壁際には瓦礫が雑に寄せてあり、規制のためのロープが張られている。

「まだ簡易的な補修が行われただけで、今後の対応方針が決定するまでは立ち入り禁止になってるんだ」

「それを決めるのが今日の会議ということですわね」


 二人はロープをくぐって穴の中へと進んだ。

 ほんの少し前まで自らが収監されていた場所。レイチェルの脳裏に、収監中の記憶がフラッシュバックする。

「大丈夫か」

「ええ、少し……思い出しただけですわ」


 複雑に入り組んだ通路を奥へと進み、その最深部を設置場所に決定する。

 レイチェルは着けていた指輪を外し、地下牢の床と壁に対になるように大きな魔法陣を描き始めた。


「おい、大丈夫なのか? こんなに目立っちゃ……」

「この魔法陣は完成後目に見えなくなります。一度完成してしまえばゲートの存在を認識することもできませんわ」


 レイチェルは手慣れた様子で作業を進め、開始から一時間ほどが経過した。ここまでは順調に進んでいるようで、事前に聞いていた話によればそろそろ設置が完了する頃合であるのだが――ここで不意に聞こえてきた足音に、レイチェルの手が止まる。

「あれも……お知り合いですの?」

「いやっ、知らない顔じゃないが……予定にはない」

 視線の先にはこちらへ向かって歩いて来る兵士が二人。

 ハインツは若干の動揺を見せつつも、兵士をレイチェルに近付けないよう自ら進み出て対応にあたった。


「……んんっ? ベルクール殿ではないですか。このようなところで何を?」

「あっ、いやっ、地下牢の本格補修に向けての調査を……」

「おお、それはどちらからのご依頼で?」

「あー、えっと、その……」


 ――ヘッタクソですわね。

 レイチェルが心の中で毒づく。


「今日会議があるんでそこでの報告……、するための――」

「……おお! そうでありましたか。なるほどなるほど」


 ハインツによる説明は実に粗末なものであったが、兵士の方も下手に事を構える気はなかったのだろう。なるべく穏便に収めようとする様子が見える。

 これはハインツからしてみれば好都合。後から問いただされることはあるかもしれないが、ゲートの設置完了まではあと少し。まずはこの場をやり過ごせればそれでいい。


「……では、こちらはベルクール殿にお任せしまして――我々はこれにて」

 そう言ってその場を去ろうとする兵士。ハインツは内心胸を撫で下ろす。が、しかし――終始無言であったもう一人の兵士が、それを制止した。


「……ベルクール殿。我々は今日になって見回りの命を受けましてな。なんでも大臣直々の命であるとか」

 大臣が直接――こちらの動向が漏れているということはないと思うが、あの大臣であればこれぐらい周到な策を打ってもおかしくはない。

「――おそらくこれは通常の見回り任務ではない。顔見知りであってもここは厳格に対処しなければならない。私はそう思うのです。申し訳ないがお連れの方共々、我々にご同行願えますかな」

「ぐ……ぐぅぅ」


 切り抜けた、と思ってからの急降下。ただでさえいっぱいいっぱいだったハインツに、このイレギュラーに対処できるだけの余力はない。事態はハインツの脳の処理能力を超え、頭が真っ白になっていく。無言で固まるハインツに兵士がさらに言葉をかけるが、もはやハインツの耳には届かない。

「あ、あ……」


 結果、気付けば――ハインツは兵士たちをぶちのめしてしまっていた。


「あああ、やっちまった……」

「気絶してますわね」

 作業を中断したレイチェルがハインツの背中越しに覗き込む。

 レイチェルは床に伸びている兵士たちに近付き、屈みこんでそれぞれの頭を順に指で軽くつつくと、立ち上がってハインツに告げた。

「――このまま表に放り出してくださいまし」

「え? いや、だって……」

「記憶を消す魔法をかけました。ここへ来たこと、ここで見たことはきれいさっぱり忘れているはずですわ」

「まじか!! すげえな!」

「……魔力が制御できませんでしたのでご自分のお名前さえ忘れていらっしゃるかもしれませんが」

「まじか……」


 レイチェルの指示に従い、ハインツは兵士たちを両肩に担いで地上へと向かう。

 普通ならば一度に二人もの成人男性を運搬するとなれば相当な困難を伴うものであるが、ハインツにとってそこは問題ではない。ハインツの顔に浮かぶ苦悩の表情の原因は、また別のところにあった。

「なんでこんなことに……すまねぇ、成仏してくれ」

 死んではいないし、なんならこの状況はハインツ自身が原因となった側面が強い。

 それでもハインツは目一杯の罪悪感にさいなまれながら兵士二人を裏庭の茂みの中に降ろし、レイチェルの元へと戻るのだった。



「丁度今終わったところですわ。ほら」

 ゲート設置箇所まで戻ったハインツを、レイチェルは完了報告で出迎えた。

 レイチェルの指し示す先で床と壁に描かれた魔法陣がひときわ眩く光り、そして消える。

「これで完了ですわ。実際に使用可能になるまではまだ数日必要ですけど」

「ホンットに見えなくなっちまった。確かにここに、ゲートがあるんだよな」

「勿論ですわ。ここまで仕込めればもう離れても大丈夫です。あとは時が満ちるのを待つだけ……」


 何も見えないが、そこには確かに希望がある。

 二人は無言で頷きあい、地下牢を後にするのだった。



 その後――。

 予定されていた対策会議の方は終始グダグダと迷走し、何の結論も導き出せないまま閉会を迎えるに至った。そのあまりの段取りの悪さ、まとまりのない会議内容に苛立ちを募らせるレイチェルだったのだが――そこはぐっと堪えて無言を貫き、見事最後までサフィールを演じきったのだった。


 対応方針が定まらなかったことにより当面の間地下牢の立ち入り禁止が継続されるという副産物を得ることができたのだから、王城からの帰り道でハインツが意味もなく脛を蹴られたことぐらいは不問とするべき――なのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る