第八話 砂の都、隠匿された街 1

 詠太えいたたちによる王城でのレイチェル救出から遡ること数日。

 ラットウッズで捕虜となったレイチェルとそのエンティティであるメイファンは、暁ノ銀翼メンバーによってリドヘイム王城へと護送された。

 城に着くとすぐに二人は引き離され、メイファンの身柄は単独で再度移送されることとなる。


 目隠しを付けられ、半日がかりで馬車と徒歩による移動を行ったのだが――メイファンはこの移送についてある種の違和感を覚えていた。


 ――これは……偽装か。


 目隠しをされてもメイファンの方向感覚は失われてはいない。

 メイファンの見立てでは今回の移送はそのほとんどが同じところをぐるぐると回っているだけで、実際にはそんなに長い距離を移動している訳ではない。おそらくまだリドヘイム王城の近くであるはずだ。


 先ほど城内で耳にしたところによると、どうやらレイチェルはこのまま王城内に収監されるらしい。となるとその救出を考えた場合、両者の物理的な距離が近いことはかえって都合がよい。


 ――あとはどこで行動を起こすか、だ。


 メイファンがレイチェルと共に捕虜となることを選択したのには、レイチェルの救出という明確な目的があった。

 もし仮にレイチェルだけがリドヘイムに捕らわれて居所が分からなくなってしまったとしたら、後から大軍を率いて乗り込んだところでその救出は非常に困難だ。であれば自らも捕虜という形でリドヘイム国内に潜入し、内部から動いた方が話が早い、とメイファンは考えたのである。



「止まれ」

 どうやら『目的地』に着いたようだ。兵士によって目隠しが外される。

 目の前には武装した三名の兵士、周囲には見知らぬ街並みが広がっている。

 石造りの粗末な小屋が立ち並ぶ、寂れた風景。街全体を包む、何とも言いようのない陰鬱とした雰囲気。ここが本当に王城の間近であるのか不安になる。


「――本日収監予定の捕虜一名。……ああ、いつもの所だ」

 兵士の一人が念話でどこかへ連絡を始めた。おそらくここで身柄の引き渡しを行い、彼らの任務は終了となるのだろう。


 連絡が済み、その場で移送先担当者の到着を待つ。雑談に興じる兵士たちを横目にメイファンは改めて周囲の状況を確認し、そしてあることに気が付いた。


 この街には『空』が無いのだ。


 代わりに広がるのは一面の岩肌。街の外周も同様に岩壁に囲まれていることから見て、ここがどこかの地下をドーム状にくり抜いた場所であることが推察できる。

 太陽光は入らないながら各所に配置された煌石があたりを照らしており、内部は地上と変わらない明るさが確保されているようだ。


 ――これは……一筋縄ではいかないか……


 言うなればこの街は巨大な鳥かご。中でいくら暴れたところで、出口を塞がれればそれまでだ。


 ――外と繋がるのは一箇所か、それとも複数か……またその位置と警備体制は……


 即座に思考を切り替えて脱出に必要な情報を再構築する。

 状況は決して好ましいとは言えないが、メイファンの気持ちは微塵も揺らぐことはない。

 彼女はただ冷静に、そして静かに、内なる闘志を燃やし続けていた。



「……お、来た来た。んじゃあ、あとはよろしく」

 さきほど念話で連絡を取っていた相手と思われる人物。その姿を確認するや否や、兵士たちは引き渡しも早々にぞろぞろと引き揚げていく。


 すれ違いざま、兵士の一人がメイファンの足を蹴りつけた。不意打ちを食らってふらつく様子を見て、他の二人と大きな笑い声を上げる。


 野蛮なリドヘイム人め、とメイファンは心の中で毒づいた。

 多少蹴られたぐらいメイファンからすれば何ともないが、レイチェルが手荒な扱いを受けていないかという点が気にかかる。


「――大丈夫?」

 メイファンに駆け寄り声を掛けた女性。この女性こそが、兵士から引き継ぎを受けた『担当者』である。


「ああ。この程度、何ということはない」

「そう? だったらいいんだけど――」

 女性は蹴られた箇所を気に掛けてメイファンの足元に屈み込む。

「――うん。怪我はしていないみたい。……ちょっと汚れてたから、拭いといた!」


 メイファンに向けられる、屈託のない笑顔。その笑顔にメイファンは何とも言えない戸惑いを感じる。


 ――この緊張感の無さは何だ。ここは、捕虜の収容所ではないのか。この女性は、看守にあたる人物ではないのか。


 担当者として現れたのが、一切の兵装を身に着けていない普段着の若い女性。それだけでも既にメイファンの理解の範疇外であったのだが――この後の女性の行動がメイファンにさらなる衝撃を与えることとなる。


「んーと……じゃ、これも外しちゃうね。鍵、預かってたから」

 なんと女性は後ろ手に拘束されていたメイファンの手枷を外してしまったのだ。


 これにはメイファンも動揺を隠すことができなかった。

 いかにこの街が堅牢な構造であるとはいえ、さすがにこれはまずいのではないか。

 いや、捕虜であるメイファンからすればむしろ望ましい状況なのであるが、それでもこの国の警備体制は、軍規は一体どうなっているのかと、いらぬ心配をしてしまう。


「――じゃあえっと、住民登録をするからついてきてね」

 ざわつくメイファンの心中などどこ吹く風といった様子で、くるりと背を向け歩き出す女性。メイファンは大きく息を吐き、十分に気持ちを整えてからその後を追うのだった。



「私の名前はセルキー。種族は人魚」

 移動中、女性はメイファンに自己紹介をする。

 人魚と言えばリドヘイムの限られた地域にごく少数生き残っている種族のはずだ。


 やはりこの娘もリドヘイム人か――


「人魚、珍しいでしょう」

 そう言って笑顔を投げかけるセルキーであったが、それに続く話はその表情に相応しくないものだった。


「私ね、人買いに騙されてここに連れてこられたの」


 思わずぎょっとしてセルキーの顔を見る。

 セルキーは寂しげに微笑むと、ひと呼吸おいてゆっくりと語り始めた。



 一年ほど前。

 人里を離れて生活していたセルキーの家に、数人の男たちが訪れた。

 一緒に暮らしている妹が怪我で搬送されたとして家から連れ出されたセルキーは、そのまま縛られ馬車に押し込まれてしまう。


「……今思うと嘘だったのよね。人魚って、仲間の感情とかお互い感じ合えるから」

 セルキーは目を伏せて独り言のように呟いた。

「どうして信じちゃったのかなー、ちゃんと確かめればわかるのに。気が動転しちゃってたのね、多分」


 セルキーはそのまま数日の間、人買いたちと行動を共にすることとなる。人買いの男たちからは『商品』だとして直接乱暴を受けることはなかったが、妹とはそれきり連絡も取れなくなってしまった。


「心配してるだろうなぁ……。お互い生きていることだけは分かるんだけど、私もここを出られないし」

 そう言うとセルキーは困ったように笑ってみせた。事情を知った今、その笑顔から先程までとは違った印象を受ける。


 その後、セルキーは人買いたちの手を離れ、この街に収容されたということらしいのだが――どうにも解せないのはここがリドヘイム軍が管理する収容施設であるという点だ。


 ――なぜ自国民を収容する必要がある……? それ以前に、リドヘイム軍は人買いのような者たちとも繋がりがあるのか――?


「あなたは――」

「……ん?」

「あなたはセレニアの兵士さんね」


 束の間訪れた気まずい沈黙を断ち切るように、セルキーが口を開いた。

「そうだ。……怖くはないのか」

「ええ、だってあなたは拘束を解いても暴れなかったでしょう? それに――」


 セルキーが何かを言いかけた時だった。通りに怒声が響き、二人の会話を遮る。何を喋っているのかは聞き取れないが、どうやら住民同士の諍いであるらしい。

 突然の出来事に思わず身構えるメイファンとは対照的に、セルキーは落ち着き払った様子で当事者の二人を眺めている。


「おい……!」

「大丈夫。大したことにはならないから」

 メイファンは路上で揉み合う二人に視線を移す。怒号を上げながら激しく殴り合ってはいるが両者とも拳に全く重みが感じられず、まるで子供の喧嘩を見ているかのようだ。


「ここはね、街全体に強力な結界が張られているの。みんな生活に必要な最低限の筋力を残して弱体化されてる。……あなたもね」

「なっ……!」

 驚きのあまり思わず自分の手を見つめる。


「だから、喧嘩なんてしても大した怪我はしないのよ」

 事実、争っていた二人は体力が尽きたのか、路上に座り込んでしまっている。


「あとね、固有の能力とか、魔法なんかも使えなくなってるから注意してね。……兵士さんたちは護符を持っていて結界の力が効いてないから、反抗するのはやめておいた方がいいよ」


 ――なるほど……


 街自体の堅牢な構造と結界による強制的な弱体化。二重の対策の上にこの街は収容所としての機能を果たしているのだ。

 先程セルキーがあっさりと拘束を解いてくれたことにも合点がいく。


 ――しかし……街ひとつを覆い尽くすほどの結界に、それを無効化する護符だと? 戦闘国家のリドヘイムにそんな技量を持つものがいるのか……?


 この規模の術式を展開できるのは魔法国家であるセレニアにおいても恐らく片手で数えられるほどしか存在しないはずだ。そしてもし敵にそのレベルの術者がいるのなら、その情報がセレニア側に全く漏れ伝わってこないという事は考えにくい。


 この街に自国民まで収容している点と合わせて、何か裏がありそうだ、とメイファンは考えた。そのあたりの情報も得た上で、ここから脱出できればいいのだが――


 メイファンに課せられた使命は決して容易なものではない。

 しかし今のメイファンにはこれを完璧に、そして速やかに実行する必要があった。

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