第七話 偽りの正義、虚像国家 2

「irtitum. 万象の因果に相克の理を」


 突如聞こえた声。女性の声ではあるがリリアナともレイチェルとも異なる。


 ――今の声は……? いやそれよりも身体……何とも、ない?


 恐る恐る目を開けた詠太えいたの見たものは、真っ白い衣をまとった女性の後ろ姿。

 全身を白い光に包まれた女性が、詠太えいたたちを庇うようにして大臣と対峙している。


「……なるほど油断しました。無効化ですね。よいスペルをお持ちだ」


 余裕綽綽といった態度で女性に語りかける大臣と、それを真正面から見据える謎の女性。

 助けられた――という事でいいのだろうか。大臣の言葉から推測するに、この女性が大臣の放った魔法を搔き消してくれた、のだろう。


「でも、確か――ひとたび放つとしばらくのクールダウンを必要としますよね、それ」

 薄ら笑いを浮かべて再び構えをとろうとする大臣。しかしその機先を制して、女性の詠唱がふたたび響いた。

「flammel. 神明の光炎によりて一切を滅さん」

 湧き上がる豪炎が大臣の全身を包み込み、一本の巨大な柱となる。轟音と高温が周囲を埋め尽くし、息をすると肺が焼けそうだ。


「……行きましょう」

 燃え盛る炎に背を向け、女性は通路の壁に手を伸ばした。

「interitem.  神気は鉄槌となりて万物の正鵠を穿つ――」

 詠唱が終わるのと同時に、激しい音を立てて壁が吹き飛ぶ。その先に見えるのは牢獄内の別の通路だ。


「さあ、こちらです」

 行く手を遮る壁を豪快に破壊しながら進んで行く女性と、その後を追う詠太えいたたち。来た時とは違う意味でどこをどう通ったのかわからないまま、詠太えいたたちはいつの間にか屋外へとたどり着いていた。


「――追手は!?」

「まだ大丈夫なようです。さあ、私に掴まって下さい」

 女性の背中から真っ白な羽が生える。両腕にリリアナ、レイチェルの二人を抱えてふわりと舞い上がる女性の足に、詠太えいたは慌ててしがみついた。


 眼下に見える城があっという間に小さくなっていく。

 ほんのさっきまで輝かしい希望の象徴のように見えていた王城。ほんのさっきまではしゃいでいたリリアナの姿。レイチェルの受けていた仕打ちと兵士の言動、大臣が語った話の内容――。

 心に去来する様々な思いを何一つ消化することができないまま、詠太えいたは地上で右往左往する兵士たちを他人事のように見つめ続けた。



 その後。しばらく飛行を続けた詠太えいたたちは城から離れた郊外の森に降り立った。いずれ追跡の手が伸びることを考えるといつまでもここにいることはできないが、しばらくの間は大丈夫だろう。


「なんだか……よくわからない組み合わせだけど――」


 詠太えいたが当惑したように呟く。

 リドヘイムが組織するセレニア討伐隊の隊員が二名に、その敵国となるセレニア軍の将校――であったはずの人物、そして詠太えいたたちを救出した謎の女性。

 どこから整理をつけるべきか思いあぐねる詠太えいたを押しのけ、リリアナが前に出る。


「まずはお互い自己紹介をしましょ。私はセレニア討伐隊『暁ノ銀翼』リーダー、リリアナ・エルクハート。で、こっちが隊員の秋月詠太あきづきえいた。――あなたはレイチェル、だったわね。セレニアの……将校さん、でいいのかしら」


 さすがのリーダー気質である。こういう時にぐいぐい行けるのがリリアナの強みだ。


「ええ。レイチェル・フロイデンベルクと申します。しかし……先程のお話、お聞きになったでしょう? 私の本当の名はディアナ=クラウディア・セレニアル。セレニア王国の第一王女であり、正統継承者です」


 やはり、聞き間違いではなかった。あの時の大臣の発言は真実だったのだ。

 しかし、その王女がなぜ――。


「なぜ王女が、という顔をしていますわね。――確かに私は魔法国家であるセレニアに生まれ、王家の血筋を引く者として国全体の魔力を媒介する触媒としての役目を担っています。しかし、国を揺るがすこの有事に、自分だけ安全なところで悠々と座していることなどできましょうか」


 全員の表情が瞬時に引き締まる。

 レイチェルはひと呼吸置いて再び口を開いた。


「――私は自らの意思で前線に立つことを決めました。私の愛するセレニアと、そこに暮らす国民のために」


 そう明言するレイチェルの顔はかつてワイバーン城で、そして森の洋館で見せた指揮官としての顔であった。

 あまりに真摯なその決意。戦争自体の是も非も考えず参加している詠太えいたからすれば、自らの思慮の浅さを見透かされたようで何とも居心地が悪い。


「あとは……」

 全員の視線が白衣の女性に向く。

「私、ですね」

 女性は居住まいを正し、ゆっくりと話し始めた。


「……私は熾天使、ステラ・イルハープ。現リドヘイム国王様に古くからお仕えする者です」

「熾天使……」


 詠太えいたはステラと名乗った女性を改めて観察した。

 身に着けた衣服にも増して白く透けるような肌、しなやかに揺れる金色の髪。計算し尽くされたかのように絶妙なカーブで構成された柔らかなボディライン。

 全身から知性と母性とその他諸々が際限なくあふれ出し、ただ側にいるだけで無上の安らぎを感じることができるような、正に『天使』のイメージそのものといった女性だ。

 詠太えいたがこの世界にやってきたのは天使を召喚しようとしたことがきっかけであったが、その際に詠太えいたがイメージした姿ともほぼ一致している。


「――皆さんをお助けしたのには理由があります。現在この国は、いえこの世界は、一人の男によって壊滅の危機に瀕しています」


 その麗しい見た目とは裏腹に、ステラの話は実に物騒な言葉で幕を開けた。あまりに突拍子がなく、詠太えいたもどう反応してよいかわからない。他の二人も同様なのだろう。無言でそれに続く言葉を待っている。


「あなたたちが謁見してきたリドヘイム王は偽物。このリドヘイム王国は大臣によって乗っ取られています。本物の王を幽閉し、リドヘイムとセレニアの両国を交戦状態にした張本人、それこそが大臣であるヤズ・ヨギストフトなのです」


 衝撃的な内容――ではあるのだが、たった今自分たちも当の大臣やリドヘイム紋章を付けた兵士たちの言動を見てきている。それ故に詠太えいたたちの反応は微妙で、互いに顔を見合わせる程度に留まった。


「ヨギストフトは物理的な攻撃方法が主体のリドヘイム軍においては珍しい魔法官として頭角を現しました。得意の魔法を活かして軍を率い、武勲をあげ、あっという間に大臣の位まで上り詰め、そして――王を捕らえ、幽閉し、自らが王になり変わったのです」

「幽閉ってことは――無事なのか? 王様」

「はい。リドヘイム現王は存命で、私を含む王のエンティティは念話により王からの指示を受けて行動しています」


 ――念話……イレーネさんがやってたアレか。


「王の力をもってすれば自ら拘束を解き、ヨギストフトを打ち負かすことも可能なのですが――それはヨギストフト自身も理解していること。計画は非常に周到な準備をもって進められていました」

 ステラは俯き、悔しそうに唇を噛み締める。

「ヨギストフトは……国民を人質にとったのです」


 大臣となった後、裏で私設の軍隊を組織したヨギストフトは着々と国民の拉致を進め、その命を盾に国王に退陣を迫った。そしてそれを了承した国王を幽閉し、ヨギストフトは大臣という立場を保ったまま国を実効支配するに至る。

 実権を握ったヨギストフトはほどなくセレニアへの侵攻を開始、それから十年以上にもわたり戦争を隠れ蓑にセレニアとリドヘイム両国からサマナーとそのエンティティを集め続けているのだという。


「話は……わかった」

 詠太えいたが口を開く。

「でもそれと俺たちを助けることとどんな関係が――?」


「ヨギストフトの反逆から十年。私たちもいろいろと手を尽くしましたが未だ国政の奪還はかないません。しかしそのような中、王はこことは別の世界に希望の芽を見つけました。それが……秋月詠太あきづきえいたさん、あなただったのです」

「――――俺!?」

「はい。そのために王はあなたをこちらの世界に導きました」


 『導いた』――ステラは確かにそう言った。

 詠太えいたがこの世界に来たのは単なる召喚の手順ミスではなかったのか。


「それってどういう……まさか俺が大臣を倒すとか? でも、大臣はさっき――」

「いえ、大臣は魔法のスペシャリスト。魔法防御についても鉄壁です。おそらく大したダメージは負っていないでしょう。追ってくるつもりなら追ってこられたはずですが――」


 嫌な予感がする。『追ってこられたのに追ってこなかった』、その理由――

「――銀星館!!」

 詠太えいたは慌てた様子でワイバーンを使役すると、その背に跨り猛スピードで飛び去った。


「まあ、上位種のワイバーンを……」

「ウチの隊員は優秀だからね」

 唖然とした表情で詠太えいたの背中を見送るステラに得意顔で並び立つリリアナ。その背中越しにレイチェルが声を掛ける。

「あなたを置いて行ってしまいましたけれど、私は敵国の軍人。信用してよろしいのですか?」

「……あー。まぁそういうヤツなのよ。アイツは」

 リリアナは呆れ顔で言い放ち、さらに言葉を続ける。


「でもさ――それ、アンタはどうなのよ」

「何がです?」

「アタシたちと行動を共にすることに異論はないわけ?」

「……はい?」

 レイチェルが怪訝な顔で聞き返す。

「だってさ、アンタをこのままここに置いてく訳にもいかないじゃない。いろいろ落ち着いたらセレニア国境まで送るから」

「いえ、私はメイを――私のエンティティを救出しなくてはなりません」

「……にしてもさ。――今は動くにもいろいろ都合が悪いと思うのよ」


 ややお節介だろうか。そう思いながらもリリアナはレイチェルの説得を試みる。


 最後まで面倒を見てやりたい。

 これまで損得勘定や合理性を判断基準に行動してきたリリアナにはやや似つかわしくない感情であるが、しかしこれが今のリリアナの正直な気持ちだった。そしておそらく、詠太えいたがこの場にいたとしても同じことを言うだろう。


「…………」

 しばしの無言の後、レイチェルが口を開く。


「……よろしいのですか? 私を匿うという行為は、自国を敵に回すことにあたるのですよ?」

「アタシたちももう追われる身だからね。今更でしょ」


 ――アイツのお人好しが移ったかも。


 さっき詠太えいたと一緒になってオーク兵に殴りかかった時点でうっすらと気付いてはいた。詠太えいたと一緒に過ごすうち、リリアナの思考や行動は確実にその影響を受けている。

 しかし――悪い気はしない。自分の行いに後悔もない。


「……んじゃ! 決まりってコトで!!」

 未だ釈然としない様子のレイチェルを押し切るように、リリアナの明るい声が響く。

「まずはウチのメンバーに合流するわね。ごめんステラさん! お願い」

「……はい!」

 ステラは最上級の笑顔で一言そう答えると、二人を抱え再び飛び上がるのだった。

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