第六話 洋館の悪魔 2

「……ラットウッズ・デーモン?」

 情報収集を終えたメンバーが戻ってきたのは正午を少し回った頃だった。

「はい。このあたりに伝わる魔物のようですね」

 待ちくたびれて寝ているニーナのブランケットを掛け直しながら、イレーネが答える。


 一帯の樹海に出没するとされる未確認の生物。聞き込みから得られた情報によるとその生物は三メートルを優に超える体躯を有し、二本足で直立しながら浮遊して移動するという。

 オレンジ色をした大きな丸い目が暗闇で妖しく光るとの伝承から、廃屋で目撃される謎の明かりはこのラットウッズ・デーモンの目が光っているのだと村中で噂されているようだ。


「この世界で『未確認』とかあるんだな」

「確認されてない種族もまだまだいるからね。メロウだって人魚だけど、つい最近まで人魚の存在なんておとぎ話レベルだったんだから」

「……すみません、すみません!」


 意外だった。そういったものが全て当たり前に存在しているのがこの世界だと思っていた詠太えいたには、改めて聞く『未確認』という言葉が新鮮に響く。

 その『ラットウッズ・デーモン』が本当にいるとして、意思の疎通が図れる友好的な種族なのか、あるいはそうでないのか――


 未知への好奇心と共に、言いようのない不安も感じる。

 しかし。

 いずれにせよ、自分たちはそれを確かめるために来たのだ。

 日暮れまであまり時間もない。詠太えいたたちは早々に準備を整えると、最終目的地である洋館へのアプローチを開始するのであった。



「――私が先に行って様子を伺っておきます」

 村を出て湖畔まではほんの数分。ここからは本来、湖をぐるりと迂回して歩くことになるのだが――ここで人魚であるメロウが湖を突っ切りショートカットする形での偵察を申し出た。


「あそこ――対岸の大きな岩。あのふもとで落ち合いましょう」

 対岸へ視線を移すと、洋館の手前に崖のようにそびえ立つ大きな岩が見える。そこならば確かに館からは死角となるだろう。


「でも――」

「大丈夫です。私、今までもこういうこと、やってきてますから」

 詠太えいたの言葉を遮り、メロウが笑顔を見せる。


 確かにメロウにはこれまで討伐隊『ズヴェズダ』の一員として一年近くも任務をこなしてきた実績がある。詠太えいたよりも経験豊富であることは間違いないだろう。しかし――


 不安が拭えず言葉に詰まる詠太えいたに代わって、リリアナが口を開く。

「――わかったわ。でも、湖を越えたらそこはセレニア領。十分に気を付けて。それと、一人で突っ走るのは禁止。ちょっとでも怪しいと思ったらあたしたちが追いつくまで待機してて」

「はい。お任せください」

「よろしくね。あと、詠太えいたはサーチでメロウの動向を把握しといて」

「お……おう」


 リリアナがてきぱきと指示を出す。


 ――こういうとこは、リーダーなんだよなあ。


 メロウが水面に消えた後、先頭を切って再び歩き出すリリアナの背中が、詠太えいたにはいつもよりも頼もしく見えるのだった。



 森を分け入り、歩くことしばし。一応まだリドヘイム領内ではあるが、間もなく国境を越えるはずである。


「……のぅ、えーた。このあたりで少し休憩しないかの?」

「休憩、何度目だよ。もう少しだから頑張れ」

「えぇー。じゃあおんぶして欲しいのだ」


 ラットウッズを――いや、銀星館を出発してからここまで、ニーナはずっとこの調子だ。

 良家のお嬢様としてわがまま放題育ってきたのだからある程度は仕方がないのかもしれないが、今はニーナも任務を帯びた討伐隊の一員なのだ。ここは親御さんからニーナを預かる身として、しっかりと諭してやらなければ――


「お前なぁ――」

 詠太えいたが口を開きかけたその時、背後からどす黒い気配が湧き上がるのを感じた。

 振り返って確認するまでもない。イレーネだ。

 禍々しいオーラを放つイレーネの視線を受けてニーナの姿が、というよりも存在感そのものが、すうっと薄れていくのを感じる。イレーネからの圧に耐え切れなくなったのだろう。ステルスが発動したようだ。


「――!? お嬢様ッ……!!」

 こうなってしまうとイレーネといえどもニーナを見失ってしまうようだ。


 ――あれ? でも……。


 ステルスが発動中ではあるが、ニーナが詠太えいたを盾にするように後ろに回り込んだのがわかる。これもサマナーとして数日一緒に過ごした影響なのだろうか。詠太えいたは向き直り、ニーナに手を差し伸べた。


「あっ……!」

 驚きの表情を浮かべた(ように感じる)ニーナの頭を詠太えいたは優しく撫でた。

「辛かったらまたおぶってやるから」

「だ、大丈夫なのだっ!」

 そう言って、ふてくされた顔をしている(ように感じる)ニーナの手を取り、詠太えいたは再び歩き出した。



 やがて一行は湖の対岸側へと到着した。

 目と鼻の先にメロウとの合流地点である大岩が見えている。が、周囲に人影はないようだ。先頭を進んでいたリリアナが振り返る。

詠太えいた、メロウは?」

「……ん?」


 ――しまった! 道中ニーナに気を取られたせいですっかり忘れていた。

 慌てて居場所をサーチすると、とても弱い反応を感じる。しかもこの方向は――


「……館?」

「どういうこと?」

「館の方角からメロウの気配を感じるんだ」

 詠太えいたたちの到着を待たずして単身乗り込んだというのか。それとも――。

「――行こう」

 のんびりしている場合ではない、気がする。

 詠太えいたは洋館を正面に見据え、足を踏み出した。



 近付くにつれ、徐々に館の全貌が見えてくる。鬱蒼とした森の中に立つ、外界から孤立した屋敷。何故ここにこのような建物が建っているのか、いつからあるのか……

 無人化してから相当の年月が経つのであろうその屋敷は、あちらこちらに激しい経年劣化が見られ、やはり廃墟と言うに相応しい。


 メロウはここにいる――


 屋敷の門をくぐり、敷地内に入る。

 かつて庭園としてきれいに整備されていたであろう前庭部は、今では雑草が伸び放題で見る影もない。門から屋敷に向かって敷かれた石畳も波打つように歪んでしまっている。

 詠太えいたたちは周囲を警戒しつつ慎重に歩を進め、玄関部分までたどり着いた。


 入口のドアは開け放たれたまま朽ちており、そこから中の様子が伺えた。薄暗くて細部までは確認できないのだが、少なくとも恒常的にこの建物を利用している者はなさそうだ。


「誰もいないぞー?」

 突然、ニーナがドアに駆け寄り、無防備に中を覗き込んだ。

「馬鹿!」

 詠太えいたが慌ててニーナを制止する。

「いきなり飛び出すなよ! まず中の状態を把握してからでないと……」

「であれば――」

 口を開いたのはイレーネであった。


「私は固有の能力により地中での活動が可能です。まずは私が単独で建物内へ潜行しましょう」

「――待ってくれ。メロウの行方も分からないのに、イレーネさんまで……」

「いえ、だからこそです」

「……え?」


 事情の飲み込めない詠太えいたに、リリアナが補足する。

「――この少人数編成で隊を分けることは確かに危険だわ。でもそうすることで最大のパフォーマンスを発揮することも可能になる。彼女が中、アタシたちが外。要は建物内外を一気に片付けましょうってことね?」

「はい……お嬢様をお守りする立場でありながら、度々お側を離れてしまうことは非常に心苦しいのですが――」

「メロウが中にいるんでしょ? ぐずぐずしてる暇はないって話よ。イレーネ、問題ないようなら中から合図してちょうだい」

「承知いたしました」


「イレーネ……」

 心配そうに見つめるニーナに、イレーネが微笑みかける。

秋月あきづき様がいれば大丈夫ですよ、お嬢様」

 ニーナの表情がわずかに緩むのを確認し、イレーネは地面に潜りはじめた。『潜る』と言っても掘るのではない。まるで地面に染み込むかのようにずぶずぶと沈んでいく。


 ――これが『能力』なのか……


 これまで見たことのない光景に目を奪われる詠太えいたの肩に、リリアナがぽんと手を置く。

「ほら、私たちは建物周辺のクリアリングよ」

 詠太えいたたちは草を掻き分けながら、建物の裏手へ向けて移動を始めるのだった。



「このあたりでしょうか……」

 土中を進行し、位置的には館の真下のはず。

 地上へ向かって慎重に進むと、やがて四角く成形された石にあたる。

「床石……ですね」

 この上が屋敷内のはずだが、出る前に上の様子をうかがう必要がある。聞き耳を立てると、わずかな物音と振動が感じられた。やはり何者かがいるようだ。


「硬質の靴底……体格は――かなり大柄のようですね。こちらに……近づいてくる」

 イレーネは動きを止め、息をひそめた。

 ゆっくりと近づいてきた足音が、イレーネの真上あたりに差し掛かる。


 コッ、コッ、コ――


「止まっ――!?」

 シャリン、と鳴る僅かな金属音。その次の瞬間。


 ――ザキンッ!!


 一分の狂いもなく正確に、床石の隙間に剣が差し込まれる。その刃先はイレーネの顔を至近距離でかすめ、土中へ深々と突き刺さった。


 気付かれている! 下へ――!!


 イレーネが土中深くへ退避しようと体勢を変えたその時、激しい音と共に光が差し込んだ。床石が剥がされたのだ。


「くっ……!!」

 イレーネは咄嗟に飛び出し、相手との距離をとった。短剣を構え、狭い廊下で敵と対峙する。

 先程の足音、そして剣による攻撃から推測した通り相手は甲冑を身にまとった騎士であった。のであるがしかし――その騎士には首から上が無かった。


「……成程。デュラハンですか」

 『首なし騎士』とも呼ばれるデュラハン。その異名の通り、敵の首から上はすっぱりと切り取られたように何もない。


「しかし……おかしいですね」

 頭部がどこにも見当たらないのである。

 デュラハンと言えばそもそも頭部のない状態が正しい姿なのではあるが……しかしそれは胴体とくっついていないというだけで、頭部そのものが存在しないということではない。

 伝承では自分の首を手に持っている姿が一般的とされるのであるが……


 首無しデュラハン――この回りくどい呼び名が正しいのかどうかは分からないが、ともかくそれは剣を構えて真っ直ぐにこちらを向いている。見合ったままじりじりと立ち位置を変えると、それに合わせて敵の体も方向を修正する。

「見えてはいる、のか……」


 先程の土中への一撃にしても床石の隙間を正確に突くことができなければ不可能であることから、敵は何かしらの方法で視界を確保している。下手にこちらから動くのは下策かもしれない。イレーネは間合いを保ったまま相手の観察を続けることにした。


 時間にして一秒、二秒……首無し騎士が動く。予備動作、踏み込み――そんなものを察知してからでは対応が間に合わないほどの速さで、一気にイレーネに斬りかかる。


 早い――!


 間一髪かわしたところに、立て続けに追撃が繰り出される。

「くっ……!」

 止まる気配のない連撃。防戦一方のイレーネ。

 クローネンダールの侍女としてニーナの世話係をしているイレーネではあるが、エキドナは元来戦闘向きの種族である。一対一の戦闘においてここまで押されるというのはなかなか考えられることではないのだが――しかし今回は相手が悪かった。

 圧倒的なスピードに加えて重さも乗った攻撃に、イレーネは次第に後退を余儀なくされていく。攻撃への対処が追い付かず、体勢も崩れてきていた。


 間に合わない――!


 横薙ぎの一撃を避けきることができず、かろうじて短剣で防ぐ。


「――!!」


 斬撃というより打撃。刃を防いだくらいではその攻撃力がいくらも減少することはない。イレーネはそのまま為す術もなく弾き飛ばされ、廊下の窓を突き破って屋外へ放り出された。


「くッ――――」

 全身を強く打ち、体の自由がきかない。

 霞む視界の中に見えるのは窓枠からのそりと出てくる黒い影、そして――。


「……えーた! こっち!!」

「イレーネさんっ!!」


 物音を聞きつけたのかニーナに居場所を探知されたのか、こちらへ駆け寄ってくる詠太えいたたちだ。


 ――『あれ』を……お嬢様に会わせてはいけない!!


 まだ手はある。敵にしがみついて、土中に引きずり込めば……。

 刺されようと、切られようと、構うものか。

 往生際が悪くても、見苦しくとも、知ったことではない。

 何としても……必……ず……


 イレーネの意識は、そのまま闇の中へと深く沈んでいった。

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