第六話 洋館の悪魔 1

 平和な朝だ。

 カーテン越しに柔らかな日差しが室内をほのかに照らしている。暑くもなく、寒くもなく、日本で言う春そのものだ。

 春眠暁を覚えず。このところ暁ノ銀翼にも任務による出動はなく、詠太えいたは今日も遅い朝を迎えていた。十分に睡眠をとった後というのは、目覚まし時計などなくても清々しい気分で目覚めることができるものだ。


 詠太えいたの隣ではニーナがすやすやと寝息を立てている。召喚契約を交わして以来ニーナは常に詠太えいたにべったりで、就寝時もそばを離れようとしない。

 詠太えいたはニーナを起こさないようにゆっくりと身を起こし、その安らかな寝顔に視線を落とす。


 ニーナの実年齢は六万歳。詠太えいたと比べると途方もなく歳上ではあるのだが、こうして寝顔を見ているとまだあどけなく、本当に幼い子供にしか見えない。

「はむ、うぅん……えーた……」

 コイツは何の夢を見ているんだ。柔らかな頬を指でつつく。

「……むぇ」


 ――父親ってこんな気分なのかな。


 詠太えいたには似合わない穏やかな笑みを浮かべながらふと視線を移した先に――見てはいけないものが見えた。


 部屋の反対側。詠太えいたたちの寝ているベッドの対角の位置に小さなテーブルとソファが設置されているのだが、そのソファの上で何故かイレーネが眠りこけている。


 傍らにあるテーブルの上には無数の酒瓶が転がっており、これだけでも詠太えいたがこれまで見てきた彼女のイメージからするとなかなかに理解し難い状況ではあるのだが――加えて彼女の身なりが詠太えいたの混乱を加速させた。

 いつものメイド服は床に脱ぎ捨てられ、かろうじてブラウス一枚だけを身にまとったあられもない姿。そのブラウスも胸元深くまでボタンが外されており、剥き出しの生足と合わせて視線のやり場に困る。

さらにまずいことにその顔――薄暗くてここからはよく見えないのだが、おそらく化粧を落とした後……いわゆるすっぴんというやつ、なのではないだろうか。


 ――こんなの見たってバレたら殺される!!


 詠太えいたの顔が一瞬にして凍りつく。

 見なかった。何も見なかった。気配を消して、再び横になろう。そのままもうひと眠りして、知らんぷりを決め込もう。物音を立てないようにそーっと、そーっと――


「新生! 暁ノ銀翼っ!! 最初の任務よー!!」

 突然部屋のドアが勢い良く開け放たれ、リリアナが飛び込んできた。

「ひいぃぃっ!!!!」

 何てタイミングで何て事をしてくれるのか。

「ぷっ。詠太えいた、驚きすぎじゃない?」

 事情を知らないリリアナは呑気に詠太えいたの反応を面白がっているが、こっちはそれどころではない。


 恐る恐る、ソファへ視線を向ける――と。

「……あれ?」

 イレーネがいない。テーブルの酒瓶もない。先程見た光景の痕跡は全く残っていない。

 寝ぼけてたのか?

 いや、それはない。イレーネのサマナーである詠太えいたには、先程まで彼女がそこにいた気配がしっかりと感じられる。


 何が起こっているのか寝起きの頭では全く理解が出来ないが――しかしこの状況、とりあえず生命の危機は去った、と考えて良いのではないだろうか。

「よかった、死なずに済んだ……よかったぁぁぁ」

「はぁ? 何、夢の話? ……ともかくさっさと支度して食堂に集合! いいわね?」

 訝し気な視線を送りながら去っていくリリアナの後ろ姿を見送り、詠太えいたはようやく起き出したニーナとともに支度を始めるのだった。



 その後。詠太えいたたちが食堂へ行くと、他のメンバーは既に集まっていた。その中には勿論、イレーネの姿もある。

「お嬢様、秋月あきづき様、おはようございます」

 目が合うとイレーネは立ち上がり、普段と変わらない様子で挨拶をする。先程の件は気付かれてはいない、のだろう。詠太えいたは心の中でほっと胸をなで下ろした。


「よし、これで全員揃ったわね! ……って、あれ? メリッサは?」

「あの、あのあの――先程お部屋に起こしに行ったのですけど、もうどこかに出かけられたようで……すみませんすみませんっ!」

 メリッサの所在が分からないというのは特段珍しいことではない。散歩やパトロールと称して突然ふらりといなくなることは日常茶飯事だ。


 リリアナが詠太えいたに視線を送る。

 もちろんマスターである詠太えいたはメリッサの位置や感情などをある程度感じ取ることができる。しかしメリッサの感情はまるでジェットコースターのようにめまぐるしく変化し、読み取る側の詠太えいたの方が参ってしまう。

 これは何度試みても結果は同じで、詠太えいたはメリッサの居場所の探知についてはもうだいぶ前に諦めていた。

 リリアナもそのあたりの事情を詠太えいたからこれまでに散々聞かされていることもあり、無言で首を振る詠太えいたの姿を見てすぐに察したようだ。


「はぁ、仕方ないわね……じゃ、このまま説明始めるわよ――」


 リリアナが任務内容の説明を開始する。要約すると――今回の任務は偵察であった。


 首都ルメルシュから西の方向、国境手前の樹海に広がる火山湖のほとりに、ラットウッズという村がある。湖を境に村の対岸側はセレニア領で、そこに大きな洋館が建っているのが村から見える。現在廃墟であるはずのその洋館に、近ごろ夜になると明かりが灯っているという情報が軍に寄せられたとのことで、その調査が今回の任務となる。


「ウチのメンバーは全部で七人、任務にあたるのは最大で五人まで。てことで今回からは二人ずつお休みを取れるんだけど……まぁ一人はメリッサね。あとはニーナもお留守番、かな」

「……あれ? なぁリリアナ、そうするとニーナがここに一人になっちゃわないか?」

「あ――そうか」

「――!! いやなのだあ! 一人はいやなのだあっ!!」

問題発生。改めてメンバー構成を組み直す。


「そうすると――ニーナとイレーネさんがここに残って、あとの四人で行くしかない……か」

「――!! いやなのだ! えーたと離れるのはいやなのだあっ!!」

「ええー……」


「じゃあ、詠太えいたにニーナをお願いして四人で……」

「すみません、私も立場上お嬢様のお側を離れるわけには……」

「あーもー、難しいわね……それだとイレーネさんも留守番で残りは三人に――」

「わ゛れ゛も゛いぐうぅぅぅ~~~!!!!」


 途中から大泣きを始めたニーナへの対応を挟みつつ難航に難航を重ねたメンバー選考の結果、リリアナ、詠太えいた、メロウ、ニーナ、イレーネの五人が任務へと赴くということでどうにか話は落ち着いた。

 今回はマリアが不参加となり戦力としては不安が残るが、これは任務内容が偵察であること、また銀星館の留守を任せられる人員として適当であるという理由での選出である。



 その後――任務参加となる五人は慌ただしく準備を整えて銀星館を出発、馬車による移動を行い翌日朝にはラットウッズ到着を果たした。


 ラットウッズは豊かな自然に囲まれた由緒ある温泉地で、万病に効くとされるその湯を求めて多くの湯治客が訪れるという。

 まずは村での情報収集を行わなければならないのだが――。


「つーかーれーた-ぞー!!」

 到着早々大騒ぎをしているのはニーナである。

 そう過酷な行程でもなかったはずなのだが、良家のご令嬢であるニーナには相当に堪えたらしい。


「お嬢様。あちらの宿の『日帰り入浴 お食事付デイユースプラン』を申し込んでおきました。夕方まではお部屋も使い放題です」

 イレーネがすかさずニーナに耳打ちする。


 この人は厳しいんだか甘いんだか……朝のアレもあるし、意外と親しみやすいキャラだったりするのかな――


「――秋月あきづき様」

「ひゃい!」

 急に話しかけられて詠太えいたの背筋がピンと伸びる。

「……申し訳ございませんが私はお嬢様の警護のため宿に残らせていただきます。情報収集の方は皆様にお任せしても――」

「……いやだ」

 イレーネの言葉をニーナが遮った。


「お嬢様!? 今何と――」

「いーやーだっ! えーたと一緒がいい! えーたがいないといやなのだぁー!」

 ここでまたしても駄々をこねるニーナ。イレーネからの視線が痛い。


「……わかりました。お嬢様の警護は秋月あきづき様にお任せいたします」

「は? となると……俺残らなきゃダメ?」

「お嬢様をおひとりにするわけには参りません。秋月あきづき様、ここは何卒」

「えーたと温泉に入るのだー!!」

 詠太えいたとしてはここでいい働きぶりを見せることによって株を上げたいところだったのだが……最終的に二人の圧力に負け、旅館に残ることとなった。

 他のメンバーを見送った後、ニーナの手を引いて宿へと向かう。


「……ほらそこ、段差気を付けろよ」

「うむ、わかったのだ」

「あそこが源泉みたいだな。湯気凄いぞ」

「おお! ほんとだなー!」


 ……俺、何しに来たんだっけなあ。

 ため息をつきながら見上げた空は、一点の曇りもなくどこまでも澄んでいた……

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