第六話 洋館の悪魔 3

「あれは――!?」

 異変を察知して駆けつけた詠太えいたたちが見たものは、散乱したガラスの破片と地面に倒れ伏すイレーネ、そして正体不明の黒い影だった。

「……ラットウッズ・デーモン!?」

 伝承とは少々異なるが、この異様な姿はまさしく悪魔 《デーモン》としか言いようがない。


「ニーナ! ステルスしとけ!!」

「わかった!」


 リリアナ、詠太えいたの二人は素早く駆け寄り、敵の直前で二手に分かれた。詠太えいたが敵にタックルを仕掛け、リリアナが腕にしがみついてその剣を封じる――これで抑えたかに思えた。しかし敵はリリアナを軽く振り飛ばし、攻撃のターゲットを詠太えいたに切り替えた。

 剣による初撃はなんとか避けたものの、それに続く蹴りが詠太えいたの腹部を的確に捉える。


「――――!!」


 吹き飛んで咳き込む詠太えいた

 リリアナがすかさず間に入って追撃を抑止してくれたおかげで、詠太えいたはかろうじて体勢を立て直すだけの時間を得ることができた。


 詠太えいたが立ち上がったことを確認するとリリアナは素早く横へ飛び退き、陣形を広げる。

 と同時に一瞬、詠太えいたに目配せをするとリリアナは正面から敵に斬りかかった。


 リリアナが狙うのはただ一箇所。

 フルプレートの甲冑で守りを固めているこの敵の、たった一点のほころび。

 首無しであるが故、本来頭部が収まるはずの場所はぽっかりと穴が開いたような状態になっている。そこからなら『中身』に攻撃が通るはずだ。


「おりゃあああぁぁぁぁ――!!!!」

 気合一閃。リリアナは敵に駆け寄ると、振りかぶった短剣を一気に振り下ろす。

 しかし――


 敵もさすがに自らの弱点は把握している。素早く頭上で両腕を交差させ、その切っ先が届く頃には既に防御の体制を整えていた。

 金属同士が衝突する激しい音が響く。

 攻撃は完璧に防がれ、リリアナの剣は装甲内に届くことはなかった、のだが――


「ふふん♪」


 この状況下において、リリアナが見せた表情は余裕の笑みだった。

 いささかオーバーなモーションで攻撃を仕掛けたリリアナはいわば囮。後方から素早く近づいた詠太えいたの攻撃が本命である。

 いかにプルプレートアーマーとはいえ、可動性の確保のため関節部には幾分かの隙間がある。頭部の穴ほど的は広くないが、詠太えいたにはその隙間を突く攻撃が可能であるとリリアナは確信していた。

 正面のリリアナに注意を向けさせ、背後から詠太えいたが膝関節部を突き、そのまま膝靭帯を切断して敵の動きを止める。ここまでの流れを、詠太えいたはリリアナとの一瞬のアイコンタクトで理解し、完璧に実行した。

 それはさながら歴戦の盟友のごとく、二人の息はぴったりと合っていた。


 ――――ギィン!!


「……え?」

 靭帯を切ったにしてはあまりに不相応なその音に、リリアナの表情が凍り付く。

 敵は交差させた腕で頭部を守り、かつその手に握った大剣の刃先を詠太えいたの攻撃ポイントに的確に合わせ、攻撃を防いでいた。


「読まれてっ――!?」

 敵は片手でリリアナの頭を乱暴に掴むと、そのまま詠太えいた目掛けて投げ落とした。

「――――っ!!」

 勢いよく衝突したリリアナと詠太えいたが、苦悶に顔をゆがめる。


 ――なんなんだ……コイツなんなんだ――!


 まるで何事もなかったかのごとく再び悠々と構えをとる敵に、詠太えいたは底知れぬ恐ろしさを感じていた。


 その体さばき、パワー、どれをとっても規格外。倒すことよりもまずこの窮地を脱することを考えなければ――

 リリアナもイレーネもまだ立ち上がれない。この状況で自分が取るべき行動は何か。

 詠太えいたは考える。考える。考える――

 敵が動けばもうそれまで。詠太えいた一人ではおそらく対処不可能だ。離脱しようにもあの二人を連れて逃げるのは難しい。ニーナだけでも逃げ延びてくれれば……いやニーナがこの道のりを一人で帰れるとは思えない。となるとやはり敵を倒すしかないが、しかしどうやって――


 考えは堂々巡りのごとくまとまらず、焦りから頭に血が上り、ついには何について考えていたのかさえもわからなくなってくる。


 ――何か、何か手は……!!


 最早これまでかと思われたその時。詠太えいたの葛藤を嘲笑うかのように、敵が構えを解いた。


「リドヘイムの民兵風情が……その程度の腕で何をしに来た」

 声の出どころは首無し騎士ではない。もっと上の方――


「――!?」


 見上げた先にあったものは、空中に浮かぶ女性の頭部。

 不遜な表情を浮かべた生首が上空から詠太えいたたちを見下ろし、そして文字通り見下している。


「……なるほど、先程も――そうやって見ていたのですね」

 意識を取り戻したイレーネが、まだ焦点の定まらない目で生首を睨みつける。

「イレーネさん!? 大丈夫か?」

「あれは――飛頭蛮……」

 首が胴体から離れて飛行する中国の妖怪。他にも日本のろくろ首、東南アジアのペナンガランなど、亜種は世界中で伝承される。

「西洋風の甲冑を身にまとっていたため、デュラハンと誤認しました」


 浮いていた首がするすると降下し、騎士の胴体に収まる。

「そのバッジ……あの人魚の仲間だな」

「――――!! メロウは……無事なのか!?」

「……今のところはな。だが、貴様らの態度次第ではどうなるかわからんぞ。貴様らの目は未だ生気を失ってはいない。現に今も、機を伺っているところだろう?」


 確かにその通りだ。

 圧倒的な実力差を見せつけられてなお、詠太えいたは必死に突破の糸口を探していた。


「……ではその望みを絶ってやろう。周りを見てみるがいい」

 周囲を確認して詠太えいたは思わず我が目を疑った。あたり一帯にいつの間にか大量の兵士が配置されていたのだ。兵装からするとセレニア軍、その数ざっと百以上。茂みや木の陰、屋敷内……至るところに兵士の姿が確認できる。

「いったいどこから――!」

 屋敷の内部はがらんどうで、周囲にもこれだけの人数が隠れている形跡はなかった、はずだ。


「貴様らは交渉の材料になる。おとなしく投降するならよし、抵抗すればこの場で殺す」

 数秒の沈黙の後、最初に口を開いたのはリリアナだった。

「――さすがにちょっと……戦える数じゃないわね」

 そう言って、手にしたナイフを地面に放り投げる。


「くっ……!!」

 続いて詠太えいたとイレーネも武器を投げ捨て、敵兵士による拘束を受け入れた。


 ニーナ……何とか逃げてくれ……

 サマナーである詠太えいたの想い。ステルス能力に阻まれて繋がりが希薄となっている状況ではあるが、詠太えいたはありったけの気持ちを込めてニーナに語りかけるのだった。



「えーた……えーたぁ……」

 詠太えいたたちのいる場所からから少し離れた樹木の影。

 ステルス能力のおかげで敵に発見されることを免れたニーナが屋敷内に連行される詠太えいたたちを見つめていた。


「あ、あ……いやぁ……」

 ニーナは放心したように屋敷へと歩み寄る。しかしその足取りは弱々しく、数歩進んだところで立ち止まってしまった。

 為す術もなく、その場に立ち尽くす。

 伸ばした手が、虚空を掴む。涙が溢れ、視界が曇る。


「あ……ぁ…………」


 ニーナは膝から崩れ落ち、力なく地面に頭を垂れた。

 彼女がこれまで生きてきた中で、感じたことのない感情が湧き上がる。

 あのお化けのような騎士が憎い。周りを取り囲む兵士が憎い。樹上で我関せずとさえずる鳥さえも憎い。

 掴んだ草を毟り、やみくもに土を引っ掻く。


「あぁ……! あぁぁ!!」

 ニーナの心が黒く塗りつぶされていくにつれ、その目が妖しい輝きを放ち始めた。湧き上がるオーラがその身体を包み、異形のシルエットを形成する。


「ゃ……嫌…………いやだああああーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」


 ニーナの体躯からは想像もつかない、咆哮にも近い叫び。それははっきりと詠太えいたの耳にも届いた。と同時に、あたりの空気が一変する。まるで全ての色が消え失せたような、時間が止まったような、そんな錯覚に陥る。


「あ、れ……? なん……だ、これ」

 その場にいる全ての者が昏倒し、凍りついたかのように動かない。

「リリアナ!! イレーネさん!! ――何だ、何が起こってるんだ!?」

 敵も味方も、皆意識はあるようなのだが一人として動く者はいない。声を発する者もいない。唯一、詠太えいただけが影響を受けていないようではあるが――


 ――そうだ、さっき聞こえたニーナの声……ニーナはどこだ。無事なのか。


 詠太えいたは意識を集中し、アンテナを張り巡らす。


 ――いた!


 そう遠くないところにニーナの存在を感じる。詠太えいたは急いで駆け寄った。


「ニーナ!」

 泣いている……のか?

 気が動転しているのだろう。ステルスを解くのすら忘れているようだが、こうして見つけることが出来たのだから問題はない。

 あとはリリアナとイレーネを連れてここから離れられれば……


「これは一体……何事ですか!?」

 不意に背後から聞こえた声にぎょっとする。振り返ると、そこには知った顔があった。

「あら……またお会いしましたわね、アキヅキ」

「お前は――」

 レイチェル・フロイデンベルク。以前ワイバーン城攻略の際に砦の指揮を執っていた人物だ。レイチェルは何かに気付いたように眉をしかめ、あたりを見渡して呟いた。


「この感じ……『いる』んですのね――アークデビル……」

「わかるのか」

「ええ、姿は見えませんが。……魔族を統括するアークデビルは、魔族に分類される種族であれば個体の意識に干渉して自在にコントロールできる……いえ、逆にこれだけえげつない芸当が出来るのはアークデビルぐらいのものですわ」


 アークデビルの……ニーナの、能力? この状況はニーナが作り出したものだというのか。

「お前は……何ともないのか?」

「私はエルフ。あなたと同じく魔族に数えられる種族ではありません。ただ……この邪悪な波動に晒されていい気分ではありませんわよ。今にも吐きそう」

 レイチェルはそう言うと、オーバーに身震いをしてみせる。


「兵を全て魔族で構成していたのはこちらの不手際と言えば不手際ですが――アークデビルの襲撃まで想定しろというのは少々乱暴な話ですわね。というか――」

 レイチェルはここで一旦言葉を切り、改めて詠太えいたの全身を舐めるように見た上でこう付け足した。

「単なる人間でありながら上位種 《ハイクラス》ワイバーンだけでなくアークデビルまで付き従えているなんて……あなた本当に何者ですの?」

 何と答えたらいいか分からない。詠太えいたは無言でレイチェルを見つめ返す。


「でも……この状況はあまり良くありませんわね」

「えっ?」

「敵味方巻き込んで、圧倒的な魔力をただただ暴力的に叩きつけている……要は力の制御ができていない。このままでは全てを――『握り潰し』ますわよ」

「――――!! ニーナ! ストップだ!」

 詠太えいたが声を掛けるもニーナの耳には届いていない。


「やめろニーナ! もういいんだ! おい! どうしたらいいんだ!?」

「どうしたらって、アークデビルの制御など私にできるわけがないですわ……って、まさかあなた――! 使役しておきながら――」

「ニーナ! おいニーナ!!」


 詠太えいたがニーナの両肩を掴んで揺さぶる。揺さぶっている実感はないが、おそらく出来ているはずだ。

 しかし――止まらない。それどころか、こうしている間にも魔力がどんどん増幅していくのを感じる。倒れている者たちが苦しそうに呻き声を上げ始めた。どうやら身体的にも相当な負荷が掛かっているのだろう。


 このままじゃリリアナもイレーネさんも危ない――!

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