第3話 神谷那岐子と違和感

「お兄さん、こんにちは。」

「ええと…こ、こんにちは。」


 神谷の挨拶に何故か身構えてしまった。勘が働いた様な感じである。正直なところ、少し不気味に感じたのである。認知症だから当然のことだろうか。表面で勝手に判断するのはやめよう。


「あら、お友達は夢の世界に行ってしまったのね。私は神谷那岐子というのよ。よろしくね。」

「僕は、城田真太郎と申します。こっちは、山下さん。僕の会社の同僚です。」

「ええ、存じ上げてるわ。」


 神谷はニカッと笑った。どこか不気味な笑みに見えた。なぜ、たかが四十路のおっさん二体の名前を知っているのだろうか。認知症だから知った気になっているに違いない。高齢化社会と言うものはなんとも残酷だ。ふとマスターが話しかけてきた。


「神谷さん、お客様にちょっかいはダメですよ。」

「マスター、ごめんなさいね。ただ、長らく人と話してなかったから、つい…。」

「はいはい。話し相手は私がしますから。さぁ、席に戻って。」


 店主と神谷は如何にも常連さんとマスターと言った関係だ。親しさが言動にも溢れ出ている。マスターが神谷と話始めたので、向かい合ったソファーに目をやったが、いつの間にかテーブルの向かい側に座っていた山下がいない。神谷に気を取られていた隙にトイレでも行ったのだろうか。それともそっと帰ったのだろうか。帰ったのならばその後承知はしない。代金は後払いだと言うのに。


「マスター、お話中にすみません。僕の連れの山下はどこに行きました?」

「連れ?お客様はお一人でご来店されましたが…。」


 店主夫妻とウェイトレスの女性が困惑した表情を浮かべる。どう言うことなのだろうか。とうとう病んでしまって、山下の幻覚を見たのだろうか。いや、他部署で関わりも希薄なあの山下の幻覚を見るはずもない。或いは、非現実的ではあるが、山下の生き霊を連れてきたのだろうか。背筋に無数の細かい氷柱を刺されたような気分だ。神谷は不可解な満面の笑みを浮かべている。奇妙だ。


 午後十六時四十四分、喫茶店は静けさと生温かさに包まれるような空気を感じた。蓄音機からは、この静寂に不釣り合いな行進曲が流れている。胸騒ぎまでする。山下は無事なのだろうか。いや、無事でいるはずだ。無事でいてくれ。大きな音を立てる心臓を宥めようと先程頼んだコーヒーを流し込む。

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