19.物足りない日々

「ロティア、お前帰ってきてから退屈そうな顔ばっかりしてるな」

「仕事漬けの方が楽しかったか?」

「……えっ?」

 ロティアはのろのろと顔を上げ、兄のロゼとロシュを見た。

「こら、ふたりとも。ロティアは疲れているんだから、そう言ってやるな。暑いか、ロティア?」

 ロヤン父さんは、白い麦わら帽子をかぶったロティアの肩をそっとなでた。

「ううん、大丈夫だよ。……それよりも、退屈そうな顔してる?」

「退屈そうって言うよりは、さみしそうに見えるわ」とロジーア母さん。

 ロティアはそばで丸くなって座っているフフランと顔を見合わせた。


 リジンの家から帰ると、カインから「局長が十日間の休みを取るようにって」と伝えられ、ロティアは実家に帰った。

 一日目と二日目は部屋にこもり、自分のベッドでたっぷり寝て過ごした。

 三日目の今日は、家族全員で、庭で昼食を兼ねたピクニックをしていた。

 チッツェルダイマー家では、朝食以外の食事は館に住む一族全員でとることが多い。しかし今日はロヤンの提案により家族五人だけで、と言うことになった。

 夏の太陽はサンサンと降り注ぎ、少々汗ばむ。それでもナナカマドの木の下は、涼しい風が吹いていて快適だ。ロジーア母さんが作ったキッシュやパイも絶品。誰もがうらやむ最高の休日だ。

 しかしロティアは、何をしていてもリジンのことが頭をかすめ、心から楽しむことができなかった。


 リジンとは笑顔で別れた。

 また会いたいという気持ちも伝えた。

 リジンも同じ気持ちだと知っている。

 しかしそれが叶うかどうか、正直に言えば自信がなかった。


 ロティアは頭をブンブン振って、何度も浮かんでくる控えめな笑顔をしたリジンを消した。

「ごめんね。家族で久しぶりにそろって食事してるのに、こんな顔で」

 ロヤンは、「気にするな」と優しく言って、自分にはワインを、ロティアにはブドウジュースを注いだ。

「謝ることないぞ、ロティア。疲れもあるだろうから、無理をしなくて良い」

「そうそう、俺たちも意地悪で言ったんじゃないし。気分転換して、しっかり休めよ」

 ロシュは魔法で水を繰り出して、操って見せた。糸のように細いいくつもの水は、格子の模様を描いたり、波を打ったり、パシャッと弾けたりする。まるで小さな噴水ショーのようだ。

「……兄さんの魔法は、自由自在ね」

「まあな。これで仕事をしてるから、自由自在じゃないと」

「ひょっとして、魔法で失敗でもしたのか?」とロゼ。

 ロティアはフルフルと首を横に振る。

「……わたしは、みんなと、フフランとたくさん練習したから、失敗はほとんど無くなったよ」

「『わたしは』ってことは、誰かは失敗したの?」

 子どもを甘やかすような声で尋ねられたロティアは、ブドウジュースを一口飲み、うつむいたまま口を開いた。

「……仕事先のヴェリオーズで、自分の魔法に、戸惑ってる人に会ったの。難しい魔法なのに、同じ魔法を使える人がいないから、わからないことだらけらしくて。……自分の魔法が、あまり好きじゃないみたいで、悩んでたの。自分の魔法は、人を傷つけるって」

「なるほど。その人が心配だから、そんな顔してたのか」

 ロゼはチェリーパイを切り分けると、ロティアに差し出してきた。ロティアは「ありがとう」と答えて皿を受け取った。

「嫌な目にあったから、悲しくて言い出せないのかと思ったよ。誰かのために落ち込んでるだけなら、よかった。ほら、うまいもの食って元気出せよ」

「……心配かけてごめんね、兄さん」

 ロゼは歯を見せて笑い、「いいよ」と答えた。

「その人の問題が解決すれば、ロティアも元気になるってことか?」

「そういうことじゃないと思うよ、父さん。当人がいなきゃ、ここでは解決しようがないし」

 ロゼの言葉に、ロヤンは悔しそうな顔で「確かにそうか」とつぶやく。

「わたしたちがいくら頭を悩ませても、相手にすぐに伝える術もないものね」

「そうそう。母さんの言う通りだよ。それなら、今は忘れてパーッと楽しく過ごそう! 悩む時は悩む。止める時はスパッと止めるって決めないと、ずっとしんどいぞ」

 ロシュはロティアの顔に小さな水しぶきをかけた。ロシュの水は、夏でもひんやりとしていて気持ちが良い。ロティアはフフッと笑って、ハンカチで水をぬぐった。

「……そうだね。じゃあ今は楽しむ! みんなそろってて、うれしいのは本当だもん」

 ロティアがニコッとすると、家族はホッとしたような笑顔を浮かべた。






 翌日は仕事が休みのハルセルとケイリーと共に、魔法特殊技術局の近くのカフェに集まった。サクランボのケーキが絶品の店だ。

 再会のハグを交わし、サクランボのホールケーキを囲うと、しばらくはお互いの一か月について話をした。

 ハルセルはある日、「ライバル社員に企画書を破かれたから、一時間後の会議までに直せ」と言われ、死に物狂いで魔法をかけなければならなかったそうだ。

「これまでの依頼で一番疲れたよ。本当に死にそうだった」

 そう話すハルセルは、その時のことを思い出しただけで五キロも痩せたような顔になった。

 ケイリーの魔法は、「曲がった針を元通りにする」という魔法だ。需要はかなり低いため、魔法での仕事はほとんどしていない。そのため、この一ヶ月も事務局員として依頼書を作成したり、お客を案内したり、食堂の片づけを手伝ったりして過ごしたそうだ。

「一か月に一回くらいは依頼があるけど、今月は一回もなかったのよねえ。残念」

「でも物を大切にする魔法だから、絶対に依頼は受け続けた方が良いよ。ちょっと曲がったくらいで買い替えるなら、ケイリーに直してもらった方が安いもん」

「ありがとう。ロティアは本当にいい子ねえ。ロティアがいなくて、一か月さみしかったわ!」

 ケイリーは椅子から立ち上がってロティアをギュウッと抱きしめた。ロティアもケイリーの腕にギュッとしがみつく。

「あははっ。ごめんね、ケイリー」

「ロティアとフフランはどうだったんだよ? 一番大変だっただろ」

「確かにね。あんな辺境の地で依頼なんて驚いたわ。局のみんながロティアたちは大丈夫かって心配してたのよ」

「いやあ、けっこう充実してたぞ。自然がいっぱいのところで、のびのび過ごしたよ」

 フフランが答えると、ケイリーはロティアから離れて「本当に?」と言いながら椅子に座りなおした。

「ああ。知り合いも増えたしな」

 そう言ってフフランはロティアにだけ見えるように片目をつぶった。その顔には、「ふたりにも相談してみたらどうだ?」と書いてあると、ロティアにはわかった。ロティアは小さくうなずき、ハルセルとケイリーを順に見た。

「フフランが言う通り、知り合いが増えたの。小人さんとか、年下の女の子ともお友達になったりして」

「へえ。意外と人がいたんだな」

「うん。……それでね、その中の一人に、珍しい魔法を使う人がいたの。同じ魔法を使う人がほとんどいないような魔法」

「俺たちに似てるタイプってことか」

「うん。……その人、自分の魔法をあまり好きじゃないみたいで、悩んでたんだ。自分の魔法は人を傷つけるから悪いんだって、自分を責めてたの」

 ハルセルは「ふーん」と言って、ケーキの上に乗ったサクランボをフォークでつついた。

「その人って、わたしたちみたいに、魔法特殊技術局みたいなところに入ってないの? 然るべき場所なら、珍しい魔法の対処法とか一緒に考えてもらえるじゃない」

 「入ってないと思うな」と答えるフフランに、ロティアも「聞いたことなかったね」とつぶやく。

 ケイリーは「なるほどね」と言いながら、サクランボケーキの上のサクランボをパクッと食べた。甘酸っぱい味に、唇がすぼまる。

「その人のことが心配だから、ちょっとしょんぼりしてるのね」

 ロティアはフォークを取ろうとした手を止めた。

「……わたし、心配になる顔してた?」

「ちょっとだけね。でも、ロティアらしいわよね。人のために落ち込むなんて」

 ケイリーは「ねえ?」言いながら、ハルセルの二の腕を肘で小突いた。フォークを咥えて頬杖をついていたハルセルは、慌ててフォークを皿の上に戻した。

「ああー、そうだな。ロティアの良いところだよな、優しいところは」

「……ありがとう、ふたりとも」

 ロティアは力なく笑って、紅茶を一口飲んだ。このカフェのお茶はこだわりの茶葉が使われていて、いつ飲んでも変わらないおいしさがある。それでも今のロティアにはあまりおいしく感じられない。

 ため息をつくと、ハルセルが「よしっ!」と声を上げた。

「今日だけはロティアが悩みを忘れられるように過ごそう! この後は植物園に行って、花でも見ようぜ。その後は劇場! ロティア、役者のベン・フォード好きだろ? ベンが喜劇に出てるんだよ」

「そ、そうなの! 行きたいっ」

 ロティアはニコッと笑って、バンザイをすると、ハルセルとケイリーはホッとしたような笑顔になった。






 それから二日後、ロティアの実家にサニアが訪ねてきた。

 魔法特殊技術局に電話をして、ロティアが休暇を取っていると知り、実家へ来てくれたのだ。

 ロティアとフフランはかわいい来客に大喜び!

 ロティアの箒に乗せて、サニアを湖に連れて行った。

 ちなみに、箒での飛行は、田舎でしか認められていない。過去には都市部でも箒の移動が認められていたが、年々高い建物が増え、人口も増えたため、空の上での事故が多発したのだ。これに空を移動できない人間たちから不安の声が上がり、都市部では一切箒に乗れなくなってしまったのだ。

 そのため、箒での飛行が得意なロティアも、魔法特殊技術局で働くようになってからはほとんど箒に乗っていなかった。


「――せっかく会いに来たけど、ロティアもフフランもちょっと元気ないね」

 魔法瓶から紅茶を注いでいたロティアは、ギクリとしてサニアの方を見た。髪をいっそう短くしたサニアは、キリッとした目でロティアを見つめてくる。

「……本当に?」

「うん。心ここにあらずって感じ。せっかくわたしが会いに来たのに」

「ごめんよう、サニア! サニアが来たのはすっごくうれしいんだぜ!」

 フフランは大慌てでサニアの膝の上に降り立ち、羽根を広げてお腹に抱き着いた。サニアはクスクス笑いながら、フフランをなでる。

「それはわかってるよ。でもなんか気がかりがあるって顔してるね」

「……帰ってきてから、会う人会う人に言われるの。ダメだよね、みんなに心配かけちゃって」

「別に心配かけられるのは嫌じゃないよ。でも、話したらスッキリするかもしれないから、話してみてよ」

 ロティアは魔法瓶を置いて、両手をもじもじと絡ませた。

「……家族にも、友達にも、少し相談したの。相談した瞬間は、みんなが励ましてくれるから、元気になれるんだけど。すぐにまた気になっちゃって、悩んじゃうんだ。だから、今悩みを伝えても、まだうじうじしてたら、サニアは気分が悪いでしょう。せっかく来てくれたんだから、楽しく過ごした方が良いよ……」

 話していくうちに、どんどん顔が下を向いてしまう。

 今、目の前にいるのはサニアだ。それでもロティアの頭の中にはリジンがいる。申し訳なさそうに、自分を責めるように、力なく笑うリジン。そんな顔をしてほしくないのに。

 ロティアが唇をかみしめると、絡ませた手にサニアの手が重ねられた。サニアはフフランの羽根にもそっと手を添えている。

「……リジン先生のことでしょう」

 ロティアとフフランは豆鉄砲を食らったハトのような顔で、そろってサニアを見た。

 サニアは「当たりだね」といたずらっぽく笑う。

「えっ、あ、えっと……」

 ロティアが目を泳がせると、サニアは「わかってる」と言った。

「大人って仕事の話、あんまりベラベラ喋っちゃいけないんでしょう。知ってるよ。でも、リジン先生はわたしも知ってる人だし、なによりわたしはロティアとフフランが困ることはしない。だから、ふたりが誰かに知られちゃいけないことを話しても、絶対に誰にも言ったりしないよ。誓う。だからさ、ちゃんと話してみてよ」

 サニアはロティアの手とフフランの羽根を優しくなでた。

「家族にも友達にも、具体的には話せなかったでしょう。だからいつまで経ってもスッキリできないんだよ、きっと」

「で、でも……」

「わたしは、信用できない?」

「そ、そんなことないよ! サニアが、あの日、わたしとフフランのことを、好きだって言ってくれて、それが、どれだけうれしかったか」

 ロティアが声を上げると、サニアは照れくさそうにはにかんだ。

「もう一度言うよ。好きな人たちの困ることは絶対にしない。誓う。だから、話してみて」

「……いいんじゃないか、ロティア。サニアに話してみよう」

 ロティアとフフランの目が合う。フフランは心から安心したようなとろんとした目をしている。


 その顔を見て、フフランにも心配をかけていたんだ、とロティアは思った。

 リジンのことを話すことができなくて、苦しんでいる自分を一番傍で感じていたのは、他の誰でもないフフランだ。

 家族や友人から励ましてもらっても、心から笑うことができないことにも気が付いていたのかもしれない。

 サニアに打ち明けることで、フフランを安心させられるかもしれないのだ。

 それなら、話した方が良いに決まっている。


 ロティアは鼻の奥が熱くなるのを感じながら、フフランの小さな頭をそっとなでた。

「……そうだね。ありがとう、フフラン」

「良い友達がいてよかったな、ロティア」

 ロティアは「うん」と答え、サニアと目を合わせた。

「……それじゃあ、聞いてくれる、サニア?」

「もっちろん。わたしで良ければいくらでも!」

 サニアの弾ける笑顔を見た途端、ロティアの瞳から涙がこぼれてきた。

 誰かに聞いてほしかったのだ、リジンの苦しみを、そしてリジンへの思いを。

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