(7)

「三井先生。頼まれていた指導案、目を通しておきましたよ。」

 放課後の職員室、望月教諭が三井にファイルを手渡してきた。望月に内容の精査を頼んでいた、三井のクラスの学習指導案だ。

「これなら手直しは要らんと思いますよ。教頭先生にも私から声をかけておきましたから、このままで話は通るでしょう。」

「ありがとうございます。こんなことまで……」

「いやいや、担任というのもやってみると大変でしょう。使える人手はどんどん使ってくださいね。」

 そう言うと望月は太い腹を叩きながらガハハと笑う。

 望月は三井が担任している一年次の学年主任だ。特に、まだ若い三井を補佐する形であれこれと世話を焼いてくれ、時には小間使いのようなことまで買って出てくれた。望月はこれを苦としている様子がない。年長の不遜さもなく面倒見の良い男だ。

 望月は生徒からはあまり人気がない。特に女子からは禿げあがった頭部と出張った腹などを理由に明確に毛嫌いされている。だがそれは結局のところ見た目に起因する話でしかない。真に敬われるべきなのは彼のような人物だと三井は思う。

 少なくとも、毎夜妄想の中で己の教え子に2度も3度も射精しているような自分と比べるべくもない。

「私はもう上がりますが、三井先生もあまり遅くならないようにしてくださいね。最近少々お疲れのように見えますよ。」

「い、いえ……そんなことは。」

 軽く否定するが、図星を突かれていた。友坂香澄への妄執は日に日に重く三井の中で膨らみ続けている。

「望月先生こそ。学校を出たって、すぐお帰りになるわけじゃないんでしょう?」

「なに、最近はすっかりご両親とも仲良くなってきましてね。お茶友達の家に遊びに行くようなもんですよ。」

「小林くん……私はまだ顔も見せてもらってません。」

 望月はとある家庭へまめに訪問していた。

 小林悠真こばやしゆうま。三井のクラスの不登校児の名だ。引きこもりの上に酷い家庭内暴力を振るっているという話で、両親と面談した際は二人とも、とりわけ母親の方が顔中を痣だらけにしており、三井はゾッとした。

 家庭の問題であり、どこまで踏みこむべきか三井には計りかねたが、望月は積極的に両親へ働きかけ相談役として信頼を得てきている。小林自身にも何度か会うことができているらしい。

「根は悪いヤツではない……なんて甘っちょろいことは言いませんよ。子どもは天使だなんて大人が押しつける勝手な幻想だ。彼らだって人間なんだから、大人も子どももありゃしない、良いヤツも悪いヤツもいるし、今の小林は残念だが後者ですよ。」

 望月は首を振る。

「ですがね、決定的な違いは、子どもはまだ引き返せるってことです。小林が何か、取り返しのつかないような何かに手を染めてしまう前に引き返せるよう、教師はできることをせにゃならんのですよ。」

 望月は禿げあがった頭をペチペチと叩きながら職員室を後にした。楽しい時は腹を、悲しい時は頭を叩く。望月の分かりやすい癖だった。


 人間は矛盾した感情を同時に抱えこめる生き物だ。

 三井は、望月のもとで美しい教師を目指す心と、友坂香澄をレイプする妄想でペニスを充血させる肉体を同時に持ち合わせていた。昼は望月とともに教職に従事し教育論を交わしながら、夜は友坂香澄の膣内に射精した。

 その二面性は、自慰が終わった後の激しい自己嫌悪につながっていたが、

「(だから気持ちいいのだろうな……)」

昼の顔が潔癖であるからこそ、その潔癖な自分が香澄を絶望させる夜に昏い悦びを得るのだ。彼女はその時、いったいどんな顔をするのだろう、と。

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