第38話 邂逅

……そういえば、俺は裏路地で酔い潰れていたらしい。


眠れぬベッドの中でそこに思い至った。

邪竜討伐の宴の時のことだ。

あのとき、俺は酔い潰れてミルファちゃんに宿に運ばれて……夢を見た。

いまから思えば、それは俺の失われた記憶の断片の夢だったに違いない。


そしいて一睡もできぬまま翌朝。

俺はその路地裏までやってきた。

汚い路地裏だ。ゴロン。

俺はその地面に寝転んだ。


「……」


目を瞑る。

しかし、何も思い出せることはない。

さすがに脳構造はそこまで簡単な仕組みじゃないらしい。


さて、次はどうするか……


「──あなた、何か困ってるのかしら」


頭上から声が掛かる。

聞き慣れた声だ。

目を開ける。


「シャロン?」


「あら、ジョウじゃない。何をしてるのよ、紛らわしい」


シャロンはやる気がなくなったようにため息を吐いた。


「困った人のフリはやめてほしいのだわ。私のビジネスの邪魔になるから」


「ああ、正義のヒーロー活動か……ご苦労さん」


「何よ、なんだか覇気がないのだわ? もしかしてミルファのことをまだ引きずっているの?」


「分かり切ったことを訊くなよ……」


「どうしてミルファにこだわるの。女なら他にたくさんいるじゃない」


俺は思わず、感情のままにシャロンをにらみつけてしまった。


「なっ、なんなのだわ……!? ほ、本当のことを言っただけじゃない……」


シャロンは突然向けられた怒りにあたふたとしていた。

何も心当たりが無いように。


「……」


悪いことをした。

シャロンの発言には悪気なんてこれっぽっちもないんだ。

だってシャロンは人のことも、愛についてもほとんど知らないハズだから。

きっと俺とミルファちゃんのこともただのつがいとしか認識がなくて、片方が居なくなったら別の異性で簡単に補完できると本気で考えているのだ。


……とはいえ、こっちから謝罪する気になんてなれやしない。


「バカバーカ」


「な……なんなのだわ……?」


当惑するシャロン。

知ったことではない。

とはいえ、良いところに来てくれた。

俺はポケットから取り出した銀貨を数枚握らせる。


「えっナニコレ? お小遣い?」


「ちげぇよ。困っている人を探してるんだろ? それなら今お前の目の前にいる」


「え、ジョウが? 何を困ってるの? それより、この銀貨ぜんぶくれるの?」


「俺の困りごとを解決してくれたらな。加えて、ちゃんと仕事を果たしてくれたらその倍をやろう」


パァ~っと。シャロンの表情が明るくなった。


「何なのだわっ? 大船に乗ったつもりで任せるといいのだわ!」


「やることは簡単だ。ミルファちゃんを見つけてこう伝えてほしい。ジョウが謝りたいこと……いや、話し合いたい大切なことがある。だから1度宿まで帰ってきてほしいって」


「……それだけ?」


「それだけだ」


「なによっ、楽勝じゃないっ! さっそく行ってくるわ!」


シャロンは鼻息荒く、路地裏から飛び出していった。


……アイツもたまには役に立つな。


シャロンは言っていた。

『どうしてミルファにこだわるの。女なら他にたくさんいるじゃない』と。

俺はそれに怒りを覚えたが……

でも、それは真理に通じていた。


なぜ俺がミルファちゃんにこだわるのか?

他の女に乗り換えることなんかこれっぽっちも考えずに。

なぜそこまでする必要があるのか?


そんなの決まってる。

俺にはミルファちゃんしかいない。

そうすでにこの心がそう決まっているからだ。


……なら、俺がどんなに悩もうが関係ない。


俺にとっての結末はミルファちゃんと再び幸せな生活に戻ることだけ。

俺が記憶を失くしているのはすでにミルファちゃんにも明らかになっている。

そんな状況でいつまで経っても思いつきもしない分からないことを悩んでいるのは時間の無駄だし、ミルファちゃんをいっそう傷つけてしまうだけかもしれない。


……ちゃんと話を聞こう。その上で俺が思っていることも全て話そう。


きっとそれが最善だ。

俺はひと足先に宿……緑薫舎へと向かった。




* * *




「──ミーさんっ、ミーさんっ?」


「へっ?」


ボーっとしていたミルファは我に返った。

横を見ればニーナが話しかけてきていた。

ミルファたちはいま、商会に続く大通りを歩いていた。


「どうしたっスか?」


「ああ、ううん。ごめん。なんでもない」


そうだ、今朝はニーナの仕事の手伝いをすることになったのだ。

宿の中に居てはモヤモヤが晴れないから。

少しは体を動かそうと思って。


……それに、忙しなく動いていればまだジョウ君と顔を合わせなくて済むから。


まだ、怖かった。

ジョウに会って、ミルファの正体を知った彼がどんな反応をするのか。


「……はぁ」


「ミーさん、ちょっとこっちに来てくださいっス」


「えっ?」


唐突に、手首を掴まれて通りの端へと連れて行かれる。


「ちょっとここで待っててくださいっス」


そう言ってニーナは近くの屋台まで走って行き、両手に何かを持って帰ってきた。湯気が立っている。温かい食べ物らしい。


「はい、コレ。朝食まだでしたもんね」


「これは……?」


「最近アドニスで流行りの、生クリームを使ったスイーツっス!」


ニーナは大きな口でその1つにかぶりつく。

幸せそうに落ちそうな頬を抑えていた。


「さあ、ミーさんも」


「あ、うん。いただきます」


ミルファもまたニーナが買ってきてくれたそれを口に運ぶ。

クレープというらしい。

温かな生地が最初に舌にあたり、層になったフレッシュで酸味と甘みが絶妙な果物、そしてふわふわで甘い生クリームが口の中を満たした。


「……美味しい」


「でっスよねぇ~!? 私、この甘味は絶対に他の町でも流行ると思うんス! 要チェック中なんスよ!」


ミルファとニーナは次々にそのスイーツを口に運んでいく。

ミルファの頭にじんわりと、血が巡るのを感じる。

考えてみれば、昨日の昼頃、依頼の最中から何も食べていなかった。


「ずっと悩んでいるだけでも、お腹は空いて、頭は回らなくなるっス」


ニーナは頬っぺたに生クリームを付けながらニッと微笑んだ。


「私にはミーさんが何に悩んでるのか、私ごときでその助けになれるのかは分からないっス。でも、こうしていっしょにスイーツを食べることくらいならいつでもお付き合いするっスよ」


「……ニーナ」


心が温かになる。

ミルファというひとりの人間を、ニーナはこんなにも慕ってくれている。


……もしかしたら、それはやっぱり私の正体を知らないからかもしれないけど。


それでも、今この瞬間においては、その優しさはミルファに向いている。

だからやっぱり、それはとても嬉しいことだ。


「ありがとう、ニーナ」


「いえいえ。これから流行に乗りそうなスイーツを見つけたらまたお誘いするっス」


……さて、悩んでいるだけなら誰にでもできる。私は今日私のやるべきこともしっかり果たさなくては。


ミルファは自身に気合いを入れ直す。

そうして大通りへと戻った、その時だった。


「──ずいぶんと楽しくやっているみたいだね、魔王様の器の君」


男の声が響く。

ミルファは自分たちが3人……

いや、【3体】の男女に通りの向こう側から視線をむけられていることに気が付いた。

ゾクリ。背筋が粟立った。


その正体はおそらく、きっと、いや絶対確実に──


「さあ、その体を魔王様に返してもらうよ」


3体の魔人。

その内の1体が手を掲げると、大きな紫電がミルファに向かって奔った。

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