第37話 2つの記憶の齟齬

異世界に来て、ミルファと共に過ごさない初めての夜。


「……」


ベッドに横になっても、俺は一向に眠りに就くことができなかった。

考えることといえば先ほどのことばかり。


『魔法を使える人なんていない』


ミルファはそう言っていた。

……どういうことだ? それじゃまるで、まるでミルファちゃんが……


「人間じゃないみたいじゃないか」


俺は目を瞑る。

ミルファのことを考える。

彼女が俺に向けてくれた笑顔を、照れた顔を、慈愛に満ちた顔を。

そして、


『──っ! ────!』


……。


……あれ。


一瞬、脳裏にミルファの怒った顔が浮かんだ。

目の端に涙を浮かべ、何かを叫ぶ姿が。


……いや、おかしい。俺はそんなミルファちゃんをこれまで見たことなんてなかったはずだ。


じゃあ、これはいったい何の記憶だ……?

俺の記憶に無いはずの記憶……いや、失くした記憶?

俺が記憶を失くすってことは、それはつまり……


「もしかして、俺がこの世界に最初に来た……泥酔してた時の記憶か?」


そうだ。

きっとそうなんだろう。

俺はきっと、何かとてつもなく大事なことを忘れている。


「思い出せ……思い出せよ、俺……」


目を瞑ってできた暗闇の中で思い返す。

転移時のおぼろげな記憶を掘り返す。

何時間も、何時間も。


……思い出すまで、寝てやるもんか!




* * *




ニーナは何かを悟ってくれたのか、必要以上のことを訊かずにミルファを宿に招き入れてくれた。


『ひとりで宿を取るようになって寂しかったんスよ』


そんな風にさえ言ってくれた。

ミルファはニーナと少しお喋りをして、そうしてニーナと同じベッドで寝かせてもらった。

目を瞑る。


「……」


寝れない。

目は真昼のごとく冴えていた。

頭を巡るのはジョウのことばかり。


『ミルファちゃん、俺……』


なにかとてつもない、取り返しのつかないミスをした時のように落ち込んだジョウの姿が思い返されてしまう。


……ごめんね、ジョウ君。


……ジョウ君は何も悪くないんだ。


「悪いのは……私。弱い、私」


自分言い聞かせるように、責めるようにミルファは小さく口の中で呟いた。


……私に勇気があれば、ジョウ君に辛い思いをさせずに済んだのに。


ミルファは額を触る。

黒いヘビの紋章が刻まれたその額を。


……私が、魔王なの。魔王になる【生き物】なの。


……だから、だから魔法が使えるの。


……人なんかじゃないから。バケモノだから。


……人から命を狙われてしまう、そんな存在だから。


ジョウに対して改めてそう告白する、それだけのことだった。

ジョウ君ならきっと受け止めてくれるだろう。

優しくて、ミルファのことを大切にしてくれる彼なら。

あの時、一番最初の夜にそうしてくれたのと同じに。


でも、


……もし、そうじゃなかったら?


……ただ酔っていて、私が明かした真実の重大さに気付いていなかっただけで。


……素面しらふで改めて全てを聞いた時、やっぱりジョウくんも他の人たちと同じように私を見る目が変わってしまったら。


「……ッ!!!」


それがたまらなく怖かった。

いったいどれだけの人が、ミルファのことに気が付いて【その顔】をしただろう?


『アンタは生きていちゃいけないっ!』


『魔王が復活してしまう!』


『頼むから町を出ていってくれ……巻き込まれたくないんだよ』


どこにも定住なんてできやしなかった。

どれだけ親切にしてくれた人も、ミルファの額を見るや否や顔をしかめた。

醜いとさえ蔑まれた。


そんな日々の中で、


『あ、それね! それも含めてめちゃくちゃ可愛いと思った! すごくキュート!』


ミルファの額、そのおぞましい紋章を見て、ジョウだけはそんなことを言ってのけた。魔王の依り代となっているその証を、ジョウだけは気にかけなかった。それどころか褒めてくれた。


どれくらいぶりだったことか。

倒れているところに手を差し伸べてもらったのは。

そして誰かに必要とされるのは。


そして生まれて初めて思ってしまった。

この愛を失うことがとても怖いと。


……もしジョウ君が、私が魔王の依り代と気づいていなかったから、だから私のことを受け容れてくれていただけだったとしたら。


そんなことないと思う。

でもそうだったら、とも思う。


「……でも、このままじゃいられない……」


だから気持ちを整理するんだ。

今晩。

心を強くする。


……そのために、ごめんねジョウ君。今日だけは。


目を瞑ってできた暗闇の中で自分を奮い立たせる。

自分は大丈夫。

結果がどうなってもきっとそれを受け容れられる。

何時間も何時間も、そう自分に信じ込ませるように思い続けた。

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