【第1章】 林間キャンプ編 斉藤ナツ 6

「そもそも私じゃなく、ほかの人に頼みなさいよ。」


 そう。他のキャンパー客だってたまには来るだろうし、少なくとも管理人なら接触可能なはずだ。


「誰にも見えないのよ。私を見ることが出来たのは、あなたが初めて」


「妙ね。私も幽霊なんて初めて見るのに」


「そうなの? てっきり頻繁に見るタイプで、だから反応が薄いのかと思ってた」


 それは単に興味がなかっただけだが、顧みるとちょっとそっけなくしすぎたかもしれない。いつもだったら平謝りするところだが、彼女とは今後関わり合いはまずないだろうから、問題ないか。旅先はこれが楽だ。


 話は終わったはずだが、彼女は焚火から離れようとしない。寒いと言っていたのは事実なのか。もしくは、人と話すのが久しぶりだろうから、もっと話していたいのかもしれない。いずれにしても私にはいい迷惑だった。しかし、追い返すのも気力がいりそうなので、食事がすむまでは話し相手になってあげることにした。一通りおしゃべりすれば満足して去ってくれるかもしれない。


「なんであなたにだけ見えるんだろう。趣味が共通だから、とか?」


「ちがうんじゃない? 私、カメラは持ってるけど、星空とか、景色とか、草花とかは興味ないし」


「じゃあ、何を撮るのよ」


「野生動物。ちゃんと撮れたことはほとんどないけど」


 私は、初めてのキャンプ場での鹿との出会いを大まかに説明した。彼女は「ふーん」といった感じでうなずきながら聞いていた。他人の話を聞くのは苦痛でしかないが、焚火越しに自分語りをするのは案外悪くなかった。


「じゃあ、聞いていい? 自分以外に興味のない現代人さん」


 鹿との感動の出会いを聞き終えた彼女は言った。


「もし、目の前でその鹿たちが猟師に打ち殺されたとしたら、どうする? それでも平気でいられる? 同情しない?」


「え? そうだなあ。とりあえず、お肉を分けてもらえないか交渉するかな。ジビエ料理にも興味あるんだよね」


「ああ、そういう感じなんだ……」


「なに?」


「だって、ずっとカメラを持ち歩いてまで、焦がれているんでしょ。その鹿が殺されてもいいんだ」


「だって、それが狩猟でしょ。むしろ、それがあるから、野生動物でしょ。人間の庇護下にいない自由で危険な存在。そこに魅力があるんじゃない」


 想像してみた。数年前のあの朝、牡鹿に出会った時にもしも私が狩人で、手にはスマホではなく銃が握られていたとしたら、私はあの美しい生き物を撃てるだろうか。あの瞳から命の光が失われていくのを見届けることに耐えられるだろうか。


 うん。撃てるな。迷いなく。


「私は狩猟には肯定的なの」


「どうして? 狩りは命を能動的に奪う行為でしょ」


「私は別に、動物愛護家ではないしね。かといって、鹿が害獣認定されているからだとかそういう社会問題的な意見でもないわ。純粋に、狩猟はフェアだと思うの」


「ふぇあ?」彼女は理解できないといった声色で言った。


「必死に自然界で生きている動物を一方的に追い詰めて、銃をつかって撃ち殺すのよ。それのどこがフェアなのよ」


「フェアよ。狩人は鹿を殺そうとし、鹿は生きようとする。実に単純な構図で、だからこそ正しい関係だと思う」


「だからー」彼女が若干怒気をはらんだ声で言い返そうとするのを、片手を上げて制して続ける。


「確かに、人間側が武器を用いている以上、公平とはいえないかもしれない。でも、公正ではあると思う。だってその武器は人間の英知によって鹿を殺すために生み出されたものだもの。人間が地球を支配している以上、多数であり、有利であり、強力であり、強大であることは必然。不利で理不尽な状況下で戦わなければいけないのは弱者の定め。強者の立ち位置で力を振るえるのは地球を支配した人間の勝ち得た権利よ。」


 彼女は返答に困ったようで、口をつぐんだ。構わず続ける。


「そこに疑念や遠慮を差し込む必要はないと思う。強者の人間が『食べたい』と思ったなら、武器も道具も知識もすべてつぎ込んで獲物を狙えばいい。鹿は『生きたい』と思うなら、角を使おうが、蹄を使おうが、その場で可能なあらゆる手段を尽くして、文字通り死力を尽くして抗えばいい。そこに力関係の傾きはあっても、嘘はないはずよ」


「……それが狩られる側にとって、どんなに絶望的状況でも?」 


「ええ。嘘のない、フェアな関係だと思う。狩る側も、自分の意思で命を奪い、食べて血肉にする。この行為に嘘なんてあるわけない。」


 所謂極論だ。それはわかっている。こういう意見は確実に非難されるだろう。普段ならどんなに言いたくても、絶対口には出さない。


「私からすれば、スーパーで生前の姿も想像できない肉片状態のステーキ肉を、半額セールでうれしそうにカゴに入れる人の姿の方がよっぽど非人道的だと思う」


「あなたもさっきステーキ焼いてたべてたくせに」


「見てたんだ。ちなみにあれは近所のお肉屋さんで30パーセントOFFのお買い得だったの。つい買っちゃった」


 そこで彼女は肩を落としてふっと笑った。焚火を見ながら「狂ってるなあー」とつぶやく。


 しゃべりながらもちょくちょくつまんでいたので、アヒージョはすっかりなくなっていた。思いのほか、楽しんで話すことができたな。だが、そろそろ一人を満喫する時間を再開したい。


「悪いんだけど、そろそろ」


「うん。そうね」


 彼女はすっと立ち上がった。


「人と久しぶりにしゃべったわ。ありがとう」


「どういたしまして」


「頼み事は、また、見える人を見つけて頼むことにする。きっと、私たちは同じ境遇だから、あなたは私を見えたんだと思う。次のそういう人を待つわ」


 さよならを言うべきか迷ったが、口を開く前に彼女は消えていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る