【第1章】 林間キャンプ編 斉藤ナツ 7

 ふうっと自分でもよくわからない感情のため息をつく。


ようやく一人に戻れた。そこまで長い時間ではなかったはずだが、焚火を挟む相手がいないことに少し違和感を覚えるのが不思議だった。


 気を取り直して焚火に薪を足し、食後のコーヒーの用意に移る。お湯がわくまでの間はまた読書を再開する。


 読み始めて数分で違和感を覚えた。いまいち内容が頭に入らない。なにかモヤモヤする。同じ行を3回読み返したところで、本を閉じた。できあがったコーヒーをコップに注ぎながら、考えてみる。


 結局、なぜ、私だけが彼女を見ることができたのだろう。「私たちは同じ境遇だから」と彼女は言った。改めて考えると、カメラを除いても、私と彼女は共通点が多い。同じ境遇とは、何を指した言葉なのだろうか。女性だから? 一人でキャンプをしているから? 友達や恋人がいないから? 家族と不仲だから? それはつまり・・・・・・ 


 いざというとき、誰も探してくれないから?


 考えが不穏な方向に流れ始めた。ちょっと待て。そもそもの話、なぜ、彼女は死んだんだ? 


勝手に岩場での転落死と決めつけていたが、この山にそんな危険な岩場があるのか? それ以前に彼女は「星空がきれいなキャンプ場をいくつか巡って」と言っていたではないか。写真家であって星空が好きであっても、登山家ではない。普通にキャンプ場をソロで回っていたに過ぎないはずなのだ。そして、おそらく、このキャンプ場が彼女の最後の訪問地となったのだ。


 では、ますますおかしい。寂れた登山道で雪に埋もれたのならともかく、キャンプ場で死んだのなら、間違いなくすぐに発見される。そして遺体の身元調査が行われるはずだ。そうすれば、自動的に遺族に財産も送られるはず。私を頼る必要など無い。もしかして、崖にでも落ちて、まだ発見されていないのか? ここはチェックアウトの必要がないから、管理人も帰ったものと思って。いや、それならテントや荷物が残っているはずだし、そもそも彼女が乗ってきた車はどこに行った。私が気づかないのはあり得ても、管理人は必ず気づくはずだ。そして管理人が不審に思って通報を・・・・・・


 その管理人が、彼女の死を知っていて、通報しなかったとしたら?


 私は、口もつけていないコーヒーをゆっくりと地面に置いた。彼女の大きくえぐれた頭部を思い出す。今思うと確かに、あれは潰れたと言うより、吹き飛ばされた、という感じだ。例えば、猟銃の散弾とかで。


 そうか。彼女はここで殺されたのか。


 管理人が殺したのであれば、こんな山奥、誰も通報する人などいまい。荷物や車だって、管理人はゆっくり処理できる。そして、これは管理人には大きな幸運だったろうが、彼女には探してくれる身内も友人もいなかった。捜索願いすら出ていないのであれば、彼女の死はなかったも同然だ。管理人はなんの苦労もせず、完全犯罪を成し遂げたことになる。


 まさに殺人犯にとって、これほどの幸運はないだろう。だってそうだろう。今時そういない。誰にも行き先を告げずに一人で旅をして、いなくなっても誰も探さない、そんな他人と隔絶したような女性なんて。そう。それこそ、彼女と私ぐらい。


 同じ境遇。彼女の言葉がもう一度思い出される。その境遇って、どこまでが同じなんだ? ここまでの生い立ちまで? それとも、死に方も含めて?


 よくよく考えてみれば、今日一日で違和感はあった。なかなか水が出ない水道。長期間だれも来なかったと言うことだ。おそらく、客が少ないと言うより、申し込む客を皆断ってきたのだろう。なのに、ぽんと電話予約しただけの私は二つ返事で宿泊許可が出た。そしてもう一つ。一見問題はなさそうなのに、閉鎖された3つのサイト。まるで、泊まるサイトの場所を強制されているようだ。


 それはきっと、獲物の場所がはっきりしている方が、狩りがしやすいからだ。


 ちょっと待て。落ち着け。私は必死で冷静に思考を保とうとしたが、どんどんと最悪の方向に考えが及んでいく。それに必死に抗う自分がいた。


 確かに私は彼女と同じ境遇、つまり、殺人鬼にとって、「同じ条件」な訳だが、犯人はすでに彼女を殺したわけであって、そしてそれは成功したはずであって、もうこれ以上のターゲットを求めはしないのではないか? 


 そうだ。そもそもリスクが高すぎる。彼女の時は偶然うまくいっただけだ。殺人鬼にとって理想的な状況が奇跡的に舞い込んだだけで、そんな幸運が普通は何度も訪れるわけがない。一回の幸運で味を占めて2度目の幸運を待ち続けるなんて、それこそ、「株を守りて兎を待つ」ではないか。


 今日のロッジでの管理人との会話が、次々と頭に浮かんだ。


「女の子一人で、こんな山中のキャンプ場に?」


「キャンプ場内は電波もとどかないよ。」


「家族には? ちゃんと今日ここに来てること伝えてる?」


「あ、仲悪いの? だめだよ、家族は大切にしないとー」


「ぼく、猟師だから」


 あり得ない。だが、もしもだ。もしもの話。もし運命の手違いで、株の前で愚直に待ち続ける男の前にまたしても兎が現れたとしたら。


 その哀れな兎はどうなるんだ。


 ばちん。と前方でかすかな音がした。


 はじかれたように顔を上げ、木々の間から前をのぞき見る。暗くて何も見えない。目をこらして見ても、キャンプ場は真っ暗だ。いや、真っ暗過ぎる。


 トイレの電灯が消えている。


 固まる私の耳に、遠くから、山道を近づいてくる車の音が聞こえた。


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