【第1章】 林間キャンプ編 斉藤ナツ 5

「で、何?」


 彼女はまた、「ええー・・・・・・」と漏らして、肩を下ろした。何かしらショックを受けているらしい。


「話が無いなら、どこか行ってくれる? 私、一人が好きなの」


「いや、私、幽霊だよ。怖がらないのはもういいとして、色々興味わかないの?」


「興味?」


「なにか聞きたいこととか」


 確かに、死者との対話は貴重な機会ではあるな。


「じゃあ、質問。あなた、目はみえてるの?」


「え・・・・・・と、見えないけど、見えているというか、感じるというか、わかるというか」


 やはり、通常の視覚ではないようだ。だが、この暗がりの中で私のカメラの種類を判断したぐらいだから、視力を超越した「目」を持っているのかもしれないな。興味が湧き始めたが、よく考えれば彼女の存在は単なる私の妄想や幻覚の可能性もある。むしろその方が理にかなっている。


 私は一眼レフを拾い上げると、彼女に向かってシャッターを切った。所謂心霊写真は撮れるのだろうか。


 フォルダを確認したが、たき火の先は真っ暗なだけの写真になってしまった。


 いきなり写真を撮られて「え?」とまたもや面食らっている彼女を、今度はフラッシュを最大出力に設定して撮影する。パシャリ。確認すると、フラッシュで白く照らされた先は林の木々が写っているだけだった。


 目ではここまではっきりと見えているのに、フィルター越しに写らないと言うことは、やはり実態は存在しないのか。これは私の脳の異常説が濃厚になってきた。そう考えると、ますます相手をするのは馬鹿馬鹿しい。


「で、話はあるの? ないの?」


 彼女はしばらく黙った後、観念したような表情、と言っても顔の下半分で判断するしかないが、そんな雰囲気で「お願いがあるの・・・・・・」と切り出した。


「私、ここのすぐ近くで死んだんだけど、ずっと山をさまよってるの。」


 地縛霊というやつか。知らんけど。


「ふーん。思い残しでもあるんじゃない?」


「・・・・・・うん。多分そう。会いたい人がいるんだけど、どうしても山から抜け出せなくて」


 なるほど。外部に思い残しがあるが、霊的なルールか何かでこの土地に縛られているから、その思い残しも果たしようがないという訳か。気の毒な話だ。


「多分、どうあがいても、私がここを離れるのは無理。だからあなたに代わりに動いてほしいの」


「悪いけど、それは無理」


「判断が早いよ」


「だって私に何のメリットもないし」


 そういってアヒージョの様子を見ようとすると、彼女はばっと私に向かって手の平を広げる。


「最後まで聞いて。お願い」


 私はため息をついて椅子に深く沈んだ。めんどうだが、こういう場合、かたくなに耳を閉ざすよりも、素直に一定時間傾聴した方が結果的に早くすむ事が多い。


「私、妹がいるの」


 何の話がはじまったのか。まあ無理に言うならば、生前の話と言うことになるのだろう。


「私と10歳も離れてるの。すごくかわいいのよ。性格もやさしくて。ほんとに私の妹かってぐらい。そもそも父親も違うからあんまり顔が似てないのは当たり前なんだけど。」


 顔の話をされても、彼女の顔は口元しかないからなんとも反応しづらい。


「でも、両親がね、その、人間のくずで」彼女は膝を抱えてうつむきがちに言った。


「詳しくは言わないけど、虐待も頻繁にあったの。学校とかにはばれないような、陰湿なやつ。大抵は私がターゲットにされたんだけど、妹に飛び火することもあったわ」


 彼女はうつむいたまま続ける。


「私、耐えられなくて逃げちゃったの。妹をおいて」


 たき火がパチリとはぜる。


「私がいなくなったあと、あの子がどうなったのか、想像もしなかった。そんな余裕無かったの。私も十代だったし、頼れる大人も、信頼できる友達すらいなかったの。社会で生きるの精一杯だった」


 そこで、彼女は少し黙った。たき火をしばらく見つめて、というかそちらに顔を向けて、また話し始めた。


「妹の事を気にし始めたのは、彼女が中学生になってから。本当にその時まで思い出しもしていなかったの。私がいなくなったあの家で、妹がどうなるかなんてわかりきったことなのに」


「でも、妹は数年ぶりにのこのこと顔を出した私を責めたりなんてしなかった。むしろ私が元気なことを知って安心してた。そういう子なの」


 そこで、彼女は顔を上げた。


「あなたは、兄弟姉妹いる? ご両親とは仲いい?」


「一人っ子。両親にはずっと会ってない。」


「そっか。家族仲は似たようなものなんだね」と納得するように小さく頷く彼女に、目の動きで話の続きを促す。彼女はまたたき火の方にうつむいて、話し始めた。


「妹には両親に隠れて近所のカフェで会ったんだけど、いろいろ話をしてる中で、あの子が美容師になりたいってことがわかったの。そのためには高校を出て美容学校に行って、国家資格を取らないといけないでしょ。でも、あの親が専門学校のお金なんて出してくれるはずがない。聞いた感じでは、そもそも、高校すら通わせる気は無いみたいだった。だから」


 彼女はそこで息をふうっとはいた。


「だから、約束したの。高校は私が通わせてあげる。大学のお金も心配しなくていい。中学を卒業したらすぐに、お姉ちゃんと一緒に暮らそうって」


 私は眉をひそめた。ずいぶん見栄を張ったな。さっきまでの話だと、自分の生活も苦しかったはずだが。


「相当の額必要でしょ。工面できたの」


「がんばったわ」


 彼女は初めて笑った。少し自虐的な笑みではあったが。


「妹の卒業まで2年しかなかったから。死に物狂いで稼いだ。したくない仕事もいっぱいしたわ。でもその甲斐あって、さしあたっての妹の学費と、二人で部屋を借りて暮らせる程度のお金ができた」


ということで、めでたし、めでたし、とは、いかなかったということか。


「そこで気が緩んじゃったのかなあ。お金のめどが立って、少し余裕もあるぐらいだったから、二人での生活の前にささやかな一人旅でもしようかななんて思いついちゃって、ほこりをかぶってたカメラ引っ張り出して、星空がきれいなキャンプ場をいくつかめぐって・・・・・・」


「そして、気づいたら死んでたわ」


 パチリと、また大きくたき火がはぜた。冷え切った空気に火の粉が美しく舞う。


「で、私に何をしてほしいの?」


 彼女は再び顔をあげた。私の方にまっすぐ顔を向ける。


「私の代わりに、妹にお金を届けてほしいの。お金の場所もわかってはいるの。妹の通っている中学校も教えるからすぐにー」


「断る。悪いけど、他をあたって」


 そう答えると、私はアヒージョをのぞき込んだ。いい感じに火が通っているようだ。火から上げて地面に置くと、スプーンとバケットを取り出す。


「どうして!」


 彼女が「信じられない」といった声色で叫んだ。


「私はともかく、あの子には何の罪もないでしょ! 妹のためにー」


「あなたの妹よ」と彼女の叫びを遮って私は言った。


「あなたの妹に罪がないのと同じように、この件について私に責任は一切無い。責任があるのは一人だけ」


 私は料理から顔を上げて彼女の目を、実際はえぐれた顔越しに暗闇を見つめて言った。


「あなたよ。そして責任を果たすことなくあなたは死んだ」


 私はアヒージョに目線を戻した。


「だからこの不幸な話はおしまい。再開することはもうない」


 彼女はしばらく口をパクパクさせて二の句が継げないようだったが、絞り出すように一言、「あなたは、同情心とかないの」と聞いてきた。


「うん? あるよ。かわいそうな話にはかわいそうだなあって思うし、そういうドラマを見てうるっとすることもある。今の話だって不憫だなあって思った」


「じゃあ」


「でもそれだけよ。同情しただけ」


 私はスライスしたバケットをアヒージョに浸した。


「たとえば、捨てられたペットの悲惨な現状を描く作品を鑑賞したとして、感銘を受けて映画館を出た後に、実際に動物愛護団体を検索して寄付しようとする人が何人いる? そりゃあゼロではないでしょうけど、結局何も行動しない人がほとんどでしょう? そういうこと。私は珍しくもないただ何もしない人間ってだけ。そしてそれを自覚しているだけ。そんな私に期待されても」


 私はひたひたになったバケットを口に放り込んだ。


「正直困るわ。」


 彼女はじっと私に顔を向けている。


「・・・・・・あなた、自分のこと以外、どうでもいいって感じね」


「そうね。自分に関わる事以外は何の興味もわかないなあ。でも、誰しもそうじゃない?」


「・・・・・・」


「あなたにもし、私を祟るとか、呪うとか、そんな力があったなら、話は変わったと思う。でも、ここまでの感じからすると、そういうことはできないんでしょ? あなたはただそこにいて、ただ見えるだけ。つまり私に危害を加えることはできないし、もちろんメリットを与えてくれることもないわけだ」


 彼女は黙っている。


「確かにあなたの身の上話と、妹の境遇はかわいそうだったわ。同情もした。でも、お涙ちょうだいの話とか、ハラハラドキドキの展開とか、感動のラストとか、映画なら別にいいけど現実では関わりたくないわ。正直余所でやってほしい。」


 すらすらと言葉が出る。人間関係を気にせず本音を吐き出すのは、心地のいいものだな。


「現実の私は脅威か利益が無い限り動かないの。動かないことに決めているの。あなたの証明したように人生は思いがけなく短いものでしょう?」


 キャンプギアの選別と一緒だ。より軽く、より実用的にするためには、ザックに入れるものは取捨選択しなければならない。


「効率よく生きないと。今後関わることのない他人の、あなたの人生に協力することは非効率だわ。私の人生にとって」


 私が言い終えると彼女は長い間黙り込んでいたが、一言、「狂ってるね」とだけつぶやいた。


「やばい人間は何人も見てきたけど、あなたみたいな人が一番、人として狂ってる」


 心外な評価だったが、職場の人間でもなんでもないので、特に気にはならなかった。


「しかも、あなたみたいなのが、世の中たくさんいるのよね」


 それは確かに否定できない。


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