第21話 眼光


「寒っ……!」


 長距離移動用のリニアから下り、スリスの地に立ったクリアは分厚いコートの上から自身の体を抱きしめた。

 季節は春先だが、イーリス北端の地であるスリスの気温は低い。

 零下には至らないが、一桁程度の気温が続いていると聞いている。

 それだけでここに来たことを後悔するほどに。


「帰りたいのならいつでもお好きに帰っていただいて構いませんよ」


 半目で見ていたカレンがそんなことを言ってきて、クリアは寒さで上気した赤い頬を膨らませた。


「帰りませんよーだ」

「やれやれ」


 わざとらしく肩をすくめたカレンはやはりクリアが付いてきたことに不満を持っているようだった。


「仕事先では決して余計な手出しはしないでくださいよ。例の力を使って、傍観に徹してください」

「わかってるって」


 付いてきてもいいとは言われたが、仕事にまで首を突っ込んでいいとは言われていない。無事に仕事が終わり、カレンの体が空くまでホテルに引きこもっていろと彼女に言われた。

 だから、クリアは考えたのだ。そうならずに済む方法を。

 適度に首を突っ込み、適度に距離を取って、カレンを変に心配させない方法を。幸い、その目的を達成するための手段はこの一か月である程度自分のものにしていた。

 

 駅前で車を借り、滞在先のホテルにやって来たクリアとカレンは部屋に荷物を置いた。

 正確には大荷物を持ってきていたのはカレンだけで、クリア自身は手ぶらだ。

 カレンがまとめてクリアの分の荷物も運搬したのかと言えばそうでもなく、クリアの必要な荷物は全て家に置いてきているのだった。

 依頼主に会うということで、かしこばった格好に着替えているカレンを尻目に、クリアはとある魔法を行使する。

 一カ月という期間の中で、さまざまな魔法技術の向上に努めてきたが、その中でもっとも時間を使い、もっとも首を傾げながら訓練してきた魔法を。


「『因果魔法:過程破棄』」


 瞬間、クリアが家に置いてきた荷物は瞬時に彼女の目の前に現れ、クリアが寸前まで着ていたあったかいセーターは黒と白のコントラストが特徴的なゴスロリ服へと変わっていた。

 その変化はまさに一瞬であり、瞬きよりも速い。

 それを見ていた未だ着替え中のカレンは呆れた顔でスーツに袖を通す。


「何度か見せてもらいましたし、何度も説明してもらいましたけど、未だに何が何だかわからない力ですね」

「まあね。ボク自身、原理はよくわかってないしね。できるってことだけが何となくわかってるだけで」


 本来あるべき因果を捻じ曲げることができる。

 言ってしまえば、因果魔法とはそうした力の総称で、便宜的にクリアが名付けたものだ。

 本当は魔法と分類するのもおかしな力だとは思っているのだが、その力を使うたびに体内の魔力を消費するのは間違いないようなので、一応は魔法と呼んでいる。

 また、因果を捻じ曲げるといっても、何もかもができるというわけではない。

 他人の因果に関わることは基本的にはほとんど不可能で、自分自身に関してもかなり制約がかかる。

 反面、物や人間以外の生物を相手にすると、割と容易に因果を捻じ曲げることが可能になる。

 今まさにやったように。

 『因果魔法:過程破棄』とは本当にそのままの意味で、物事を成す際に生じる過程をそっくりそのまま破棄する力だ。

 例えば、家に置いてある鞄をこの場に持ってくるためには、一度駅に戻り、再度リニアに乗り直し、長い道程を経て、マンションに戻り、鞄を抱えて、またリニアに乗って戻るという『過程』が必要になる。

 『過程破棄』は、そんな物事を成すために必要な過程を省略し、即座に結果を導き出すことのできる力だ。

 もっとも、人の因果を捻じ曲げるのは不可能なので、例えば、別の誰かをいきなりここに呼び寄せたりすることはできない。

 また、相手をぶん殴るという『過程』を破棄して、打撲だけを相手の体に与えるといった使い方もできない。

 また、自分が何かをするにしても、明確に可能だと断言できるようなことしか『過程』を破棄することはできない。

 例えば、今したように物を家から持ってくるといった簡単なこと。それと自分自身がどこかに行くといった単純なことだけだ。

 それにしたって、行ったことのない場所には行けないし、明確に位置を理解していない場所にも行くことはできない。

 あらゆる過程を破棄できるといっても、制約の多い力ではあるのだった。


「……にしても、やっぱりその格好は悪目立ちしそうですね。ただでさえ目立つのに、この気温でそれですから」

「いや、普通に上にコート着るよ? 別にボクも取り立ててこの格好にこだわるつもりはないから」


 黒と白を基調としたゴスロリ服をクリアが大層気に入っているというのは事実ではあるが、寒々とした北の大地で、足元が冷えに冷えるそんな服装にこだわるつもりはない。

 ただ万が一の危険性のことを考えると、防弾性能に優れた素材で作っているこの服は必要だと考えだけの話だ。


「そうなんですか? 寒さよりもかわいいを優先するみたいなことを言い出すのかと思いましたが」

「……かわいくても風邪ひいたら意味ないから」

「……それはそうですが」


 釈然としないという顔をするカレンを置き、クリアは鞄からステッキを取り出した。


「それが例の武器ですか?」

「そう。例の武器」


 クリアの持つ力について説明したときに、カレンがもっとも理解しがたいという顔をしていたのが、このステッキによる攻撃方法について。


「何かあったときに困るかもしれないので、もう一度聞いておきますけど、どういう仕組みなんでしたっけ? それ」


 クリアが手にしているステッキは片方の先端がパラボラアンテナのような三角錐形をしており、もう片方の先端が八の字型の砂時計を横に倒したような形となっている。

 わかりやすく表現すると、リボンが結ばれた鉛筆みたいな形だ。


「このアンテナの方はこの世のあらゆる引力の中心を表現してて、八の字の方はその引力から無限遠の位置を表現してる。

 この世の引力の中心であるこのアンテナからこの世の物質なりなんなりを取り込んで、それを無限遠点まで遠ざけることによって、その物質をこの世の因果から切り離す。

 そして、その物質に任意の因果を付与し、もう一度、このアンテナから放出する。そうすることによって、その物質にこの世の因果とは一味違った性質を付与することができる。言ってみればそういう仕組みかな」

「……やっぱり何度聞いても言っていることがわからないんですが」

「えー、ちゃんと考えてよー」

「いや、考えてますけど。何ですか、この世の引力の中心って。無限遠点って。そんな大層なものをステッキ一つで表現できるわけがないでしょう」


 その指摘も何度目かになるかもわからないもので、それにクリアは同じような返答を返すしかない。


「まあ、それはそうなんだけど、それを疑似的に再現してるのがこのステッキなんだよ。

 ボクにはどういうわけか、物事の因果に干渉する力が備わった。それには記憶を失う前の何かが関係してるんだろうけど、覚えてないことはどうしようもないからそれについては保留するしかなくて。

 で、その因果に干渉する力っていうのが魔力を媒介にして発動してるっぽくて……。だから、一度、ありったけの魔力を武器に込めてしまえば、その武器そのものを因果に干渉する触媒みたいなものにできるんじゃないかと考えた。その結果がこのステッキなわけ」

「……」


 しばらくの間、頭を捻って、首を捻って、考えていた様子のカレンはやがて疲れたようにため息を吐いた。


「わかるようなわからないような……。要するに、そのステッキは吸い込んだものに別の性質を付与できるってことでいいんですよね?」

「うん。空気を吸い込んで、石の因果を付与すれば、その空気の塊は地面に落ちて、その場からぴくりとも動かなくなるだろうし、水を吸い込んで、ガソリンの因果を付与すれば、その水は途端に摩擦熱で燃え上がる。このステッキはそういう代物だよ」

「と言っても、何でも好きなようにいじくりまわせるってわけじゃないんでしたよね」

「そう。付与できるのはこのステッキで一度因果を吸い込んだものの性質だけ。例えば、今、付与できるものでいうと、その辺に転がってた石とか水とかその他もろもろ。あとちょっと危ないのだと、ガソリンなんかも吸い込んではいる。そして、その因果を吸い込める対象は自然物に限られて、人の手が入ったものなんかは無理」

「……細かいことを言えば、ガソリンは原油を人の手で蒸留しているはずですけどね」

「蒸留って沸点の違いでより分ける奴でしょ。もとからガソリン自体は存在してるんだから一緒だよ」

「ですか」 


 そんなふうに、もともと魔法というのが性質を付与するという工程を踏んでいたのと似たようなもので、このステッキは任意の因果を対象に付与することができる。

 あくまでステッキの中の空洞を通れるような流体や小さな物質に限られるけれど、通れるもので、そして、それが自然物なら、ほとんど何でも付与することができる。

 それこそ自分の魔法でさえも取り込んで、何らかの因果をさらに付与することさえできる。

 もっともそれについては考察や検証が足りていないので、不用意に使う気はないのだが。


「で、それを使ってわたしの後を付いてくると?」

「うん。見てて」


 クリアは部屋の窓を開けると、ステッキの先端を外に向けた。

 そして、魔法を発動させる。


「『因果魔法:運命解放』」


 ステッキに外の空気が吸い込まれていく。クリアの魔力が潤沢に込められ、ある種の小さな儀式の場と化したステッキの中で、空気はこの世の運命全てから解放され、自由になる。

 その空気はもう空気であって、空気ではない。その空気を吸い込んだところで酸素は得られないし、その空気を吐き出したところで二酸化炭素は排出されない。

 あらゆる因果から解き放たれた空気に対して、クリアは全く新しい異なる因果を背負わせる。


「『因果魔法:白雲濁視』」


 付与するのは雲の因果。白く濁って向こう側が見通せないという性質を使う。

 因果とはすなわち、原因と結果。『雲を見る』という原因に対し、『白く濁って向こうが見通せない』という結果が返る。空気に付いてもその因果が適用される。

 そして、その空気に魔力を込めることによって、その形状を操作し、クリアの姿を包む膜のような形に変容させる。

 魔力を込めることによって、形状を変化させることができるのは火球などと同じだ。もっとも、あれらは魔力そのものを火や水に変換しているので、厳密には異なるが、魔力を込めることによって込めた物体の操作がある程度効くようになるというのは魔力の基本的な性質の一つだ。

 今の場合、雲の因果を付与した空気に魔力を導通させることによって、それらを意のままに動かすことができる。

 そうすることによって、クリアの姿が雲に包まれてほとんど見えなくなった。


「どう? どう見ても雲でしょ」

「……いや、雲ですけど! こんな低い位置に雲があること自体がおかしいじゃないですか。それで付いてくるつもりなんですか?」

「ううん。さらに、この状態で上空から追いかけるつもり。だから、よっぽど注意して観察しないと、ボクの存在には誰も気づかないよ」

「……なるほど。それなら、まあ、許容できなくはない、ですかね……」


 上空からの移動にはこれまた特注した物品であるところの靴を使う。

 見た目は白くてかわいい小さな靴だが、それにもまたふんだんにクリアの魔力が込められている。

 効力は単純で、クリアが靴に魔力を込めると、自動的に靴の数センチ下に足場となる障壁を張ってくれる。クリア自身がいちいち位置を指定すると時間がかかるので、あらかじめ決められた位置にだけ障壁を張る魔法の靴だ。

 これによって空中での移動さえも思いのままとなった。トーマスとの戦いにおける反省点として、空中での機動力も考慮した結果、こういう形となった。


「カレンの邪魔にもならないし、ボク自身の安全も確保できる。これなら文句はないでしょ?」

「まあ……、思うところはありますが、よしとしましょう」

「やったー」


 カレンのOKが出たことでクリアはわざとらしく喜びを表現し、彼女はそれに苦笑を浮かべた。


 ※


 ※


 ※


 数十分後、クリアの姿は上空二百メートルほどの高さにあった。

 眼下では、依頼主との待ち合わせ場所である高級そうなホテルに入っていくカレンの姿が見える。

 クリアたちが宿泊予定のホテルとは何ランクも上の、それだけで依頼主が富裕層であることがわかるホテルだ。

 クリアの姿は周囲からは発見されにくいが、中に入っていくとさすがに従業員や客に気づかれるので、上空で待機する。

 どうせすぐに現場に向かうためにまた外に出てくるはずだ。


「ふー、やっぱ上空は寒い。火球足そう」


 雲の空気の膜の中に魔法で作った火球を浮かべて暖を取っているのだが、風を遮るものがない上空は地上よりも余計に寒い。二つ浮かべていた火球をさらに二つ追加して四つにすると、それでようやく体が温まってきた。

 カレンが出てくるのを待つ間、情報収集でもするかと、空中に障壁を出して腰を下ろし、懐から携帯端末を取り出す。


「あれ」


 ユリアからメッセージが来ていたことに気付く。


『昨日はありがとう。夜中は不安になったけど、クリアちゃんのおかげで元気出たよ! また遊びに来てね!』


「……うん」


 クリアは『りょーかい』とだけ簡潔に返信を送り、情報収集を開始した。

 ネットでスリスの黒腐被害のことについて調べてみるが、めぼしい情報は見当たらない。半年前に起こったということと、死者はいなかったということだけが漠然と情報として残っている。

 カレンは被害者の家族を護衛しに来ているというのに、被害がなかったというとんでもない誤情報。

 発生当初は実態に沿った情報も少しは残っていたのかもしれないが、半年間の間に全て消されてしまったということだろう。ネットというものに一か月前に出会ったばかりのクリアであっても、何となくそれくらいは分かる。

 それでも、痕跡ぐらいは何かないかと、暇な時間をその情報収集に充てる。


「……何かないかな」


 クリアが探したのは一年前から半年前付近までの、スリスで撮られた写真や動画の類。

 黒腐襲撃が起こるまでに前兆や予兆のようなものがあるかはわからないが、それに類するものが何か見つけられないかと考えてのことだ。

 黒腐の被害にあったという文字情報が直接踊っていたりすれば、それは検閲の対象かもしれないが、関係ないところに載っている画像の類まで調べるほど、検閲する側も暇ではないだろう。

 ぱらぱらとそれらの画像を漁っているうちに、ふと気づくことがあった。

 それらの写真に直接黒腐が映っているわけではない。

 ただそれに関連する、と思われるものは映っている。

 それは何か。

 サイボーグの兵士だ。


「……やけに数が多い、か……?」


 イーリスにおけるサイボーグ兵士というものは、大抵、特殊な腕章を付けている。七大企業それぞれの色の付いた腕章で、イエローコートだったら、黄色地に歯車、パープルマスクだったら紫地に仮面というように、それぞれの特徴を表したデザインの腕章だ。

 サイボーグではない兵士もいて、彼らは単に単色のみの腕章を付けている。

 もちろん全員が全員、そんな目立つ腕章を付けているわけではなく、時には一般人の振りをしているサイボーグもいるのかもしれない。

 だが、大抵は七大企業の力を誇示するように、腕章を付けたサイボーグが街中を闊歩していたりする。首都で暮らす中、クリアもそれは何度か見かけた。

 そして、そんなサイボーグ兵士の数が、写真に写っている限り、ここスリスで事件の起こる二週間前辺りから急激に増えているような気がするのだ。


「気のせいじゃないよね……?」


 クリアが探したのは一般人が撮った自撮りの写真だったり、街中での動画だったり、そんなものだ。

 日時や季節によるばらつきなどもあるかもしれないし、一概には言えない。

 しかし、どうにも黒腐が現れる時期に近づくにつれて、そういった写真や動画にサイボーグ兵士がちらつく割合が増えてきている、ような気がする。


「だとすれば、襲撃が起こるのをあらかじめ知ってたってことなのかな?」


 断定はできないし、あやふやな根拠だが、何となくその可能性もあるのではないかとクリアは考えた。

 そうこうしているうちに、地上のホテルからカレンと二人の男女が出てくるのが見えて、慌ててクリアは携帯端末をしまった。


 ※


 ※


 ※


 ホテルから出ると空を見上げ、しかし、クリアがどこにいるかいまいちわからなかったカレンは眉をひそめた。

 目立たないのはいいことだが、こちらからも居場所がわからないのはどうにもストレスを感じる。


「どうされました?」

「いえ……、この寒さですからね、雪でも振り出さないかと思いまして」

「予報では曇りでしたが……」


 依頼主の男性が生真面目な様子で手元の端末で天気を確認し始めたのを見て、カレンは慌てて手を振った。


「あ、すみません。本当、大したことじゃありませんので、そこまでなさらずとも……」

「そうですか……?」

「はい。すみません、変なこと言ってしまって。すぐに現場に向かいましょう」


 依頼主の夫婦を促すと、ここまで乗ってきていたレンタカーに彼らを乗せる。

 果たして自動車の速度に生身で付いてこられるのだろうかと、上空の様子が気になったが、クリアならばどうせ何とかするのだろうとすぐに割り切って、彼女のことは思考から締め出した。


「まずはここから南西に、娘さんの足跡をたどっていくということでしたね」

「はい、お願いします」


 依頼主のプラント夫妻は、半年前の黒腐被害で娘のルミアを失ったということだった。

 失ったといっても、行方不明扱いで、死体などは上がってきていないが、カレンとしてはほとんど希望は残っていないと考えている。しかし、護衛依頼として受けた以上、余計な口を挟むつもりはないし、できる限りの協力を惜しまないつもりだ。


「では、出発します」


 運転席に座っていたカレンが正面のパネルに目的地を入力すると、自動運転の車が目的地に向かって走り出す。

 行方不明のルミアという娘が最後にいた地点を目指すというのが今回の依頼の当面の目標であることには違いないが、実際にはそこまで行くことはできない。

 半年前の黒腐発生以来、周辺地域は封鎖されているからだ。封鎖区域は長径二十キロ、短径十キロに及ぶ楕円形で、半年前から一度も解除されたことはない。

 いくらカレンがサイボーグとしてある程度戦える力を手にしたといっても、七大企業が封鎖している区域に真正面から突っ込めば、返り討ちに遭うのは必至だ。

 ゆえに、護衛の依頼といっても、あくまでその封鎖区域の手前までという契約になっている。

 それにしたって、企業側に目を付けられれば捕まりかねない危険性を孕んでいるのは確かだが、そのくらいの危険性には目を瞑る。

 その程度のリスクを冒せないのであれば、初めからサイボーグになどなりはしない。


「桐華さん。今回、七大企業側からの妨害はあると思いますか?」


 助手席に座った夫の方、ヒュリアス・プラント氏が不安げな様子でカレンに顔を向ける。その後ろに座って外の景色に目を向けていた妻の方、ミレス・プラント氏もその言葉に顔をこちらに向けた。


「ないとは言い切れませんが……、封鎖区域にこっそり侵入しようとするのならともかく、その手前まで行くことは禁止されていないのですから、妨害される方がおかしいとは思います」

「そうですか……」


 ヒュリアスは納得していない様子だった。

 カレンとしても、口にしていて楽観的に過ぎる見立てかなとは思っていた。封鎖区域に入らないのだから、ルールには反していないが、行方不明者を探しにその区域の手前まで行くという時点で企業側の方針には反している。明確な反逆者とは言えないが、グレーゾーンではあるだろう。

 だが、それを正直に話したところで、依頼主を余計に不安にさせるだけで、それが護衛に差し支える可能性もある。楽観的でも彼らの気持ちを損なわない方が大事だとカレンは判断した。

 話を変えるべく、カレンは彼らが捜しているところの娘の話題を振ることにした。


「娘さんは旅行でスリスを訪れたというお話でしたけど、お友達と一緒とかですか?」

「いえ、一人旅でした。どこにでも一人で旅行に行くのが好きな子で……、黒腐だけには気を付けるようよく言い聞かせていたんですけど、まさかこんなことに……」

「……」


 ミレス氏が言葉を詰まらせ、車内は沈痛な空気に包まれる。

 話題選びを間違ったかもしれないとカレンは思った。


「……かなり道空いてますね。やはり封鎖区域が影響してるんでしょうか」


 気まずさに耐えかねたヒュリアスがそう口にして、カレンもそれに乗っかる。


「周辺住民の強制退去まで為されているわけではありませんが、どうしても活気はなくなるでしょうからね」


 けれど、話題は続かず、車の駆動音だけが静かに流れていく中、ヒュリアスがまた口を開いた。


「……少し個人的なことを聞いてもいいでしょうか」

「何でしょう」

「どうしてサイボーグになられたんですか? これが初仕事というお話でしたが……」

「……」


 サイボーグの製造、それ自体は禁止されていない。明確に七大企業に対抗する戦力となりうるサイボーグについて、企業側が公に禁じようとしない理由は、いろいろと噂されているが、基本的には一つだと言われている。

 不穏分子を炙り出すため。

 サイボーグというのはイーリスにとってもっとも重要な戦力であると同時に、国の繁栄の象徴でもある。

 その製造を行うということは七大企業に反旗を翻すことと同じだと、そう言う者さえいる。

 サイボーグに対抗するにはこちらもサイボーグを製造するのがもっとも手っ取り早い。

 だから、企業側はサイボーグを製造するか否かを反逆の意思の有無を確かめる試金石としているのではないかと。


「わたしがサイボーグになったのは単に社長に命じられたため、というのがもっとも正しいのですが、あえてそれに後付けでも意味を付与するとするならば、己の力不足を嘆いたからですかね」

「力不足を……?」

「ええ。社会に対して個人の力というのは本当にたかが知れていて、大きな世界の流れというものに対して、人間一人の存在というのはひどく小さいものでしかありませんが、それでも、そうした大きな流れに対抗する力を少しでも得たいと思ったのかもしれません」

「……なるほど」


 カレンのその答えに思うところがあったのか、それをきっかけにヒュリアスも口を閉ざし、現場に到着するまでの間、沈黙が続いた。

 車で一時間半ほど移動し、封鎖区域まで約一キロほどの地点にやってくる。

 ここが今回の依頼の目的地。

 封鎖区域の設定と共に閉鎖されてしまったが、娘のルミアがリニアから下車し、スリスの地に降り立った駅だ。

 もともとそれほど大きい駅ではなく、ブルーポータルが何らかの事情で無理やり沿線を伸ばしたのではないかと言われている駅だ。周辺の人口も多いわけではなく、リニアの空席も目立っていたはずだ。


「あまり見るものもなさそうですが、こんなところに娘さんは何をしに来ていたんですかね」

「確かビシャス海を近くで見たかったからと。それでいて、宿泊料金の安い宿がこの近くにあったとかで」

「なるほど。ビシャス海」


 スリスはイーリス北端の都市であり、ここより北には海が広がっている。

 海の向こうは別の国、ロックテン共和国という小さな島国が存在している。

 貿易自体はあるはずだが、イーリスと特に交流が深いというわけではない。


「それでどうしますか? 一応、目的地には着きましたが、この周辺で娘さんの痕跡を探ってみましょうか」

「はい、お願いします」


 ヒュリアスが頷くと、カレンは先んじて歩き出す。

 痕跡を探るといっても、こんなパブリックスペースに一個人の痕跡が残っているとは思えない。

 それでも、依頼者の意思を尊重し、カレンは丹念に周囲を調べる。

 封鎖区域は一キロ先とはいえ、この周辺には人気がない。

 民家はあるが、人の気配はほとんどしない。

 黒腐の襲撃の巻き添えを喰らったか、運よく生き残っても封鎖区域のあおりを受けて強制退去か、そんなところだろう。


「気を付けてください。何日かに一回、見回りの兵士が来るという情報もあります。少しでも違和感を覚えたらどこかに身を隠してください」


 サイボーグ兵士を相手に一般人の彼らでは焼け石に水だろうが、何もしないよりはましだろうとカレンは振り向かずに警告する。

 しかし、依頼主夫妻からの返事が一切返ってこないことに不信を抱いて振り返ると、


「――遅すぎた警告だったな」


 長身痩躯のサイボーグ兵士が意識を失った依頼主夫妻を地面に横たえたところだった。


「俺はパープルマスク群像娯楽、スリス支部長、アランドラン・パスクレス。見かけないサイボーグのお前はどこの企業の回しもんだ?」


 冷たい眼光に見据えられて、カレンの背筋を冷たい汗が流れた。

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