第20話 請負仕事
コーラスクレイスに戻り、セクションオレンジ内のユリア宅までやってきたところで、クリアは首を傾げた。
部屋の明かりがついている。
出たときと同じく、玄関からではなく、ユリアの部屋の窓から宅内に入ると、ものすごいしかめっ面をしたユリアがクリアを出迎えた。
「ねえ、クリアちゃん」
「はい、なんでしょうか」
「今、何時ですか」
「ごめん、時計持ち歩いてないからわからなくて……」
「午前二時です」
「はい」
「こんな時間にどこ行ってたの」
「野暮用がありまして」
「こんな時間にどんな野暮用なの!」
眉を逆立てて怒る様子のユリアに、さしものクリアも何も言葉を挟めなかった。
「昨日わたし言わなかった? 寂しいから一緒にいてって」
「言いましたね、はい」
「なのに、どうして夜中に抜け出すの! どこ行ってたの! 何してたの! ちゃんと説明しなさい!」
「すみません」
素直に頭を下げたクリアはどうにか話をごまかそうと試みる。
「結構、寝つきがいいと思ってたけど、起きたんだね」
「起きるよ! ぬくぬくしてたクリアちゃんの体温なくなったもん!」
「そんなにボクあったかいかな」
「結構ね! じゃなくて! 夜中に突然いなくなったから、クリアちゃんまで何か事件に巻き込まれたんじゃって、すごく心配したんだからね!」
「……ごめん」
「あー! もーいいよ! 無事だったんならそれでいい! 理由とか知らない! 説明とかどうでもいい! さっさと寝るよ、ほら!」
強引にベッドの中に引っ張り込まれて、抱き枕代わりにされる。
柔らかな彼女の体温を感じながら、無用な心配をかけたことを心から反省した。
※
※
※
次の日の朝、ユリア家でいつもより二時間ほど早く起こされたクリアは、眠い目をこすって彼女の作ってくれた朝ごはんを食べ、大学の授業があるというユリアと一緒に家を出て、カレンのマンションへと帰還した。
「おかえりなさい」
迎えたカレンはいつも出勤時に着ているようなスーツではなく、スウェット姿の部屋着だった。
「ただいま。あれ、仕事は?」
「月一メンテの日なので、午後から出ます」
「そっか」
サイボーグゆえのメンテということだろうが、特に興味もないので深くは聞かない。
「お泊まり会は楽しかったですか」
「まあね。夜中に抜け出してお説教受けたけど」
「……何してるんですか」
カレンが心底、呆れた顔をする。
「いやいや、別に何の理由もなくそんなことしたんじゃなくてね。不可解なことがいろいろあったんだよ」
ヨークの話を持ち出すと、子犬のカレンの件もあるだけに、さすがにカレンも黙り込んだ。
その横をすり抜けて自室に戻り、部屋着に着替えてリビングに戻ると、カレンがしつかめらしい顔をしてコーヒーの入ったカップを傾けていた。
「……」
「ボクが思うにさ、今回ヨークさんに関する記憶を消したのも、前に子犬のカレンの記憶を消したのも、覚えていると何らかの不都合が生じかねないとヨークさん自身が判断したからだと思うんだ」
「でしょうね」
「でも、ボクたちはそれを覚えている。当事者だから消せないのか。それとも、わざと記憶を残したのか」
「囚人の方々にできて、姫様とわたしにできないというのもおかしな感じがしますから、恐らく後者なんでしょうね」
「どちらにしろ、ヨークさん本人の居場所がわからない以上、考えてもキリがない」
「はい。そうなんですが、わたしが考えていたのは別なことで、子犬のわたしがあなたの心臓を代替したときのことなんです」
「……ああ、そういうこと」
あのとき、カレンは子犬である自分の力だけでは自分の体を再び心臓に変換し直すなどという荒唐無稽な荒業は実行できなかったと、そんなことを言っていたのだった。
「わたし自身だけでは成しえなかった。しかし、他の者の手助けがあったとしたら辻褄は合うんです」
「なーる。そして、それはヨークさん以外には今のところ考えられないってことね」
「そのとおりです」
その推測はクリアにもしっくりくるものがある。そして、だとすれば、ますますヨークという人物のことが謎めいて見えてくる。
あれがヨーク本人でないとするならば、なぜあそこにいたのか。
本当は誰なのか。
語っていたどこまでが真実だったのか。
「何にせよ、姫様に生きていてほしい理由が彼にあったとするならば、またいずれ出会うこともあるのではないでしょうか」
「かな。だといいけど」
でなければ、こんなもやもやした気分をいつまでも抱えることになってしまうから。
命の恩人でもあるというのなら、ますます彼のことをどう考えていいのかわからなくなってくる。
「ところで話は変わりますが」
「ん?」
「できたみたいですよ、アレ」
「アレってアレ?」
抽象的言い回しに対して、抽象的言い回しで以て問い返すクリア。
その真意はなんてことはなく、単に思わせぶりなことを口にしてみたい年頃なだけだ。
「はい、そのアレです。わたしも午前中暇ですし、取りに行きましょうか」
「そうだね」
アレというのはもしものときに備えて、カレンの伝手を辿って、特注していた戦闘用のあれこれのことだ。
ここ一カ月ほど、クリアが図書館通いをして得た着想を遺憾なく取り入れた品々となっている。
「しかし、姫様ってああいう趣味がおありでしたか?」
「趣味? うんや、別にそういうつもりでもないんだけど、ボクみたいなのはああいうのを着るもんなのかなって思って」
「みたいなのというと?」
「え、だから、魔法少女?」
「……ああ」
きっかけは休日に何とはなしに見たアニメで、年端もいかない少女が不思議な力を与えられて、何やかんやと悪の組織なんかと戦っていたのを見て、ならばその伝統に即した装いでも目指してみるかと愚考したのが始まりだ。
ここ一カ月で築き上げた自分なりの魔法理論と、おぼろげながら理解してきた魔法とも異質なもう一つの力について、盛り込めるだけふんだんに盛り込み、戦闘衣装としての完成を目指した。
そこまでいろいろ準備を整えることにしたのは、やはりカレンに一度、敗北してしまったのが大きい。
カレンは自身に基礎戦闘力を高める施術を施したと言ったが、七怪人とやらはさらにそれに加えて、一般企業には再現不可能な特殊技術まで用いるらしい。
今のところ、彼らにちょっかいをかけようという気はないにしろ、アイアンガーデンであれだけ派手に動いた以上、何らかの接触は警戒しておかないといけない。
そのときに敵わないから逃げますなんて策が取れるとも限らない。だから、戦闘準備を入念に行っておくのは大事だと考えたのだ。
そして、なぜ負けたのかを考えた。
結論から言えば、それは蓄積の差だ。
カレンというサイボーグに敗れたのは何も彼女自身の強さだけが理由ではない。サイボーグという科学技術の鋭意を尽くした存在は、そこに至るまでの文明あってこそ、そこに至るまでの数多くの人間の人生と汗と血と涙があってこそのものだ。
それをこの一カ月でクリアは理解した。
だから、それに対抗するためにも、クリア自身も頭を捻って、知恵を絞りだして、戦闘前に積めるだけの蓄積を積み重ねておかねばならない。
そのための第一歩と考えたのが、戦闘衣装と武器の類の調達だ。
幸い、カレンはそれらを製造するメーカーに勤めている。伝手などはいくらもあったから。
カレンと共にそうした戦闘服を製造するメーカーや特注の武器を製造する町工場などに足を運び、完成したそれらを見てクリアは満足げな吐息を漏らした。
「実用性とか、耐久性を重視するのはわかるんですが、注文するときに見た目のかわいさについても口を酸っぱくしてあれこれ要望していたのはなぜなんですか」
いろんな物品をカレンの車に詰め込み、そのうちのもっとも重要な戦闘服を抱きしめながら、助手席に座っているクリアにカレンが問う。
にやりと嬉しそうに笑いながらクリアは答えた。
「かわいさだって重要だよ? だって、かわいくないとテンション上がらないじゃん」
「それは戦闘をする際のモチベーションという意味ですか」
「違うよ。生きるためのモチベーションだよ」
「はあ」
「案外、馬鹿にもならないものだと思うけどなあ。自分の心が望むことをするのって。それだけで嫌々生きている人の何倍も毎日を楽しく生きられるし」
「戦闘にもそれが必要だと?」
「まあね。人間性を失いかねない苛烈な環境にこそ、そういう人間らしい心を持ち込むことが重要だとボクは思うね」
「姫様らしいというかなんというか」
「少なくとも、同じ死ぬならボクは自分の心に殉じて死にたい。心が望むままに生きて死にたい。だから、かわいさを重視して死ぬならそれで本望だよ」
「……呆れた言い草ですね」
ため息をつくようにカレンが言って、でも、全く馬鹿にしたふうもなく、どこか嬉しそうに口元に笑みを浮かべた。
クリアもまた微笑みを浮かべて、ぎゅっと手元のかわいいを抱きしめた。
「それに、心を軽視して生きる人間はいつか心に殺されるものだよ」
「わからなくはない理屈ではありますが……、姫様はそうしたことをどこで学んだんでしょうね。あるいは経験したでもいいですが」
「覚えていない記憶のどこかでかな」
「かもしれませんね」
頭は覚えていなくとも、心はそれを覚えている。だから、何をすべきかは自分の心が知っている。少なくともクリアはそう思う。
「まあ、わたしとしてはそうした戦闘服などが必要になる場面が来なければいいなと願うばかりなのですが」
「ボクが傷つくのが嫌だから?」
「……わたしがその後始末に煩わされるのが嫌だからです」
「はははっ」
軽やかに笑うクリアはカレンの本心を理解している。けれど、それ以上、触れることはない。カレンとはそういう人間だと理解しているからだ。頭ではなく、心で。
「そういえば、姫様にもう一つ言っておくことがあったのを思い出しました」
話題を切り替えるように、カレンが素知らぬ顔でそう切り出す。
「ん?」
「サイボーグとしてのわたしに請負仕事が入りました。なので、ニ、三日、家を空けさせてもらってもよろしいでしょうか」
「……戦場にでも行くの?」
「いえ、そうではありません。単なる護衛任務ですが、遠いところなので日帰りは難しいのですよ」
「へえ、どこ?」
「北のスリスという都市ですね」
「……へえ」
「先ほどのお話にもありましたが、黒腐被害で家族を失った方がその痕跡を辿りたいというので、その護衛です」
「やっぱり被害者は普通にいるんだね」
ユリアの話にもあったように死者はいないというのはまったくの作り話ということだろう。
「国側の正式見解としては、黒腐によって行方不明になっているだけで、死者とは認定していないようですが」
「詭弁じゃん」
認めることさえしなければ、事実さえなかったことにできるというのか。この国のトップの脳みそは幼児レベルだろうか。
「まあ、そうなんですが、そのせいで大っぴらに死者を探そうとすると、下手な妨害に出会うこともありまして、護衛は必要なんですよ。黒腐の残党がいないとも限りませんしね」
「ふーん」
「それでかまいませんか?」
「なんでボクに聞くの? それはカレンの仕事だよね」
「わたしはあなたの従者です。あなたの望まぬ仕事など請け負うつもりはありません」
「……」
ハンドルを握り、前を見据えるカレンに目を向けた。
正直、その姿勢はクリア的には賛同しかねるものがないでもないのだが、カレンがそうしたいというのならば、よっぽどのことがない限りは好きにさせておこうと思っている。
「いいよ。行ってきなよ」
「ありがとうございます」
クリアは投げやりにそう言った。そして、そう言った後で、一つの思い付きを得た。
「そうだ。許可は出すけど、条件は付けていい?」
「なんですか?」
「ボクも行っていい?」
「……」
ひどいしかめっ面をしたカレンがゆっくりとこちらを向き、クリアは腹を抱えて笑った。
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