第14話 懇願
グレイスが所長との連絡を済ませて応接室に戻ってくると、カレンの姿はそこにはなかった。意識を失って拘束されていたはずの少女の姿も。
代わりにそこにいたのはグレイスが念のためにとカレンに付けたはずの護衛の二人だけだった。
二人とも意識を失った状態でソファーに寝かされている。
「お前ら、何があった?」
慌てて二人に詰め寄って事情を聞こうとしたところで、テーブルの上のメモ紙に気づいた。
『すみません。隙を突かれてあの子に逃げられました。追ってきます』
「はあ!?」
開いた口が塞がらない。
拘束されたあの少女を見たときは、まるで年相応の非力な子どものように見えてはいたが、やはり本質は化け物の類だったかとグレイスはいっそのこと安心する気持ちにさえなった。
寝たまま人間を焼き殺せるような化け物が大人しく捕まったままでいてくれるはずがないのだ。
たとえサイボーグであろうと、正体不明の力を使う化け物を相手にしては、一瞬たりとも気を緩めてはいけない。あのサイボーグ女はその点を甘く見ていたに違いない。
「言わんこっちゃねえ」
実際、十分に彼がレンに少女の危険性を伝えられていたかについては疑問が残るが、少なくとも散々忠告したのにも関わらずこのざまかと彼はそう思って、賢し気につぶやいた。
「本部に一報入れるか?」
本来は考える暇すらなく連絡すべきだということはわかっていたが、果たして連絡したところで意味があるのかとグレイスは考えた。
アイアンガーデンの収容区ごとに割り振られる警備員には、勤続年数による給与面の違いはない。
セクションリーダーというものは存在しているが、役職手当など存在しないし、平常時はその他のメンバーと同じ仕事を行い、いざというときには包括的な指示を行う。
引き受けるだけ損な役回りであり、実を言うと、グレイスはその地位にある人間だった。
さりとて、これまで囚人をただ殺人兵器の実験台にするだけのこの場所において、リーダーシップを発揮する必要のある事件など起こってはこなかった。
看守とも警備員とも言える職種ではあっても、ほとんどやっていることは施設の掃除や点検ばかりで、たまにある自動機械の故障を協賛企業に報告するだけである程度の臨時収入が得られる、ぼろい仕事のはずだった。
それが昨夜のことがあって、突如としてセクションリーダーのグレイスに責任がのしかかってくることになった。
やれ対応はどうするだの、やれ責任は誰が取るだの。
そんなことは知ったことかとグレイスは思う。
本来なら夜勤明けで寮で休みを取っているところが、事情確認だの、関連する企業からの調査員の応対だので退勤時間を引き延ばされ、気が付けばほとんど丸一日、職場にいるという現状だ。
挙句の果てにはその非常事態の元凶である化け物女を施設内にのさばらせるなどという不運に見舞われる。
もはや事態はグレイスの対処可能な段階を超えているのだ。
最初は人の話を信じないで狂人扱いしたかと思えば、それが事実と分かれば責任はどうするだとか問い詰めて、指示を求めれば検討中の一点張り。こんな本部に本当に逐一、報告なんてしてやる義理があるのかと考えずにはいられない。
そうグレイスがやけっぱちになり始めた辺りで、施設の照明が一斉に落ちた。
「……そうかよ」
もはやグレイスにはわかり切っていった。どうせこの停電もあの少女のしでかした行いに違いないと。あの少女を捕まえに行ったはずのサイボーグ女は未だそのタスクを果たせず、彼女を野放しにしたままなのだと。
「なんだ?」
さらに続けて、窓から差し込んでいたはずの夕暮れ時の太陽光がまるで大きな庇でもかけたかのように一切差し込んでこなくなったことを受け、グレイスは怪訝な声を上げた。
窓を開けて外の様子を窺う。
そこにあったのは目を疑うような光景。
「なんだこりゃ。黒い壁……?」
管理施設外壁から数メートル離れた地点に、真っ黒な壁としかいいようのないものが存在している。それは半球形をしているようで、見上げると、この施設全体を包み込むようなドーム状に存在していることがわかる。
「これもあの女の仕業なのか……?」
そうとしか考えられないというか、それ以外に心当たりがない。
ここに至って、待遇への不満など四の五の言っていられないとようやく思い始めたグレイスは無線で本部との連絡を図る。
「……?」
しかし、本部からの応答はない。
何度、無線連絡を繰り返しても変化はなかった。
「この壁のせい……か」
やはりそれ以外に心当たりはない。しかし、一体全体、あんな黒い壁が一瞬にしてどこから現れたのか。
試しにと収容区内の同僚に連絡してみると、やはりというか、無線はつながった。
どうやら外との連絡を完全に遮断させられたということらしい。指示を求めてくる同僚に対して、とにかく下手に動くなとだけ伝えて、通信を切った。
「ちくしょう……ッ」
グレイスは走り出す。
ことここに至って、やけっぱち気味だった彼は完全にやけっぱちになった。
何か尋常ならざることが起こっていることは確かだが、自分には何が起こっているのかてんで理解できない。
原因が誰なのかはっきりしていても、それがどのような手段によるものなのか、何の目的があるのか、さっぱりわからない。
指示を出す立場にあろうと、手段も目的も相手の正体も何もかも不明な状況にあっては、出すべき指示など存在しない。
ましてやグレイスのリーダーとしての責任感など存在しないに等しいものであるというのに。
だから、グレイスは考えるのをやめた。
ただ愚直に、現状、事態に近い場所と言えるであろう、電気制御室に全力で足を向けた。
「これが終わったら、こんな職場やめてやるっ!」
悪態を吐きながら、恐怖に胸を焦がされながら、それでも、事態の中心部に向かう。
なぜそんな危険な行動を取ろうと思うのか、彼自身にも理解できない。
ただ一つわかることは、そんな悪態を吐いてみたところで、面倒くさがりな自分は退職など絶対にしないだろうということだけだ。
「くそがっ」
何がなんだかわからなくて、それでも、グレイス・メインはひた走った。
※
※
※
当初、考えていた作戦では、カレンが一人になった隙に応接室を抜け出して、施設の重要箇所にいくつかの破壊工作を図り、その破壊工作によって及ぼした混乱の中で囚人たちの逃走を手引きしよう。
そういう手はずだったが、クリアの短絡的な行動によってその案はご破算となった。
だが、それもかえってよかったのかもしれないと思う。
破壊工作と言っても、庭から下げておいたアイアンドールを暴走させるというもので、はっきり言って結構、綱渡りになる可能性を孕んでいた。
元々が囚人たちをここから逃がすという無茶な目標なために、それを達成するための手段もまた無茶なものにならざるを得ないのは仕方なかったが、この案では、カレンやクリアどころかグレーラビットテクノロジーそのものが危険に晒される可能性があった。
試作機の暴走など、管理企業に責任を負わされても文句を言えない。
だが、クリアが逃げ出したという体を取るこの現状、カレンは無人機などに頼ることなく、また、あまり会社への迷惑など考える必要もなく、クリアを捕らえるという大義名分のもと、おおっぴらに施設を破壊して回ることができる。
そして、何と言っても極めつけはこれだ。
「施設全体を覆うほどの物理障壁ですか。しかも、可視光すらも通さないことを前提としたあらゆる物質、現象の進入を阻む障壁」
「そう。無線連絡とかいうものの存在がボクにはうまく理解できなかったけどさ、要は音を伝える見えない波が宙を飛び交っているんでしょう。なら、それすらも通さない絶対の障壁を展開してしまえばいい。さっき目覚めてから随分、魔法ってやつの調子もよくて、この程度ならわけなくできると思ってたんだよね」
「……」
クリアの周囲に展開された、施設を覆っているものとは別の障壁を適当に殴って、戦っている風を装いながら、カレンは自身の体の中に注意を向けた。
「やっぱりほとんど残ってない、か……」
それは魔力の感覚だ。
サイボーグになって生体部分が極端に減ったせいで、魔力の流れが歪なものに変化しているというのは文字通り体で感じている。その状態では魔力を制御するどころか単に練り上げることすら難しいことも。
かつてあったはずのカレンの卓越した魔法技術はもはや失われたに等しい状態だった。
さらに言うと、魔力量自体も以前と比べれば百分の一以下の状態にまで落ち込んでいる。それはサイボーグになったこと自体が大きな理由を占めているだろうが、それ以上に。
(――姫様の魔力量が増大している。軽く以前の十倍は近いだろうか)
間違いなく、子犬に分裂したカレンがしでかしたことが影響している。
やはり予想通り、子犬となったカレンの肉体的なすべてはクリアに統合されたということなのだろう。その結果として、彼女の魔力量が跳ね上がる結果をもたらしている。
常識外れなほど大規模なこの障壁の展開もそれに起因していると考えるべきだった。
「姫様、そろそろ彼らに合図を送ってもいいかと思います。警備員の注意はほとんどこちらに向いているでしょうし。コントロールルームに向かう途中で、何人も無力化しましたから」
「あー、そうだね。それじゃあ、ちゃちゃっと、どでかい花火を打ち上げますかー」
クリアが魔力を練り上げる感覚を肌で感じ取ると、全身の毛が逆立っていくような気持ちがした。
前世の記憶のほとんど残っていないカレンの身の上においても、これほどの魔力量を簡単に練り上げることがどれだけ桁外れなものなのかということはわかる。
あるいはもしかしたら、カレンはとんでもない人間にとんでもない力を授ける手助けをしてしまったのかもしれなかった。
「けれど、それでいい。私のすべては姫様のためにあるものですから」
カレンが独白し、クリアがそんなものは気にも留めていないように、特大の火球を窓の外に練り上げて、収容区内の方へ向けて放った。
地上二十メートルほどに達した直径五メートルの火の球はある地点で盛大に弾け、森に火の粉を振り巡らせる。
しばらくして、収容区内の森林各所で大きな火の手が上がるのがわかった。
「……あ、あれ? やりすぎちゃったかな」
「……はあ」
焦った顔でどうしようかとこちらを振り向くクリアにカレンがため息を吐く。
「まあ、問題ないと思いますよ。囚人方は出入口に近いところで待機していたでしょうから被害に遭わないでしょうし、これだけ派手に火の手が上がればどこで誰が死んだかなんてわかりはしません。より彼らの死亡を偽装しやすくなったと考えるべきです」
「あはー、そうだよね。そうそう想定通り」
「……」
「……嘘です。ごめんなさい」
「馬鹿言ってないで行きますよ」
軽口を叩く間にも戦闘もどきは続いている。
周囲に人影がないから会話は交わしているが、警備員を見かけた際には戦闘の余波に見せかけた無力化を最優先としている。
そうこうしているうちに、コントロールルームにたどり着いた。
「目的の端末は……と」
部屋の壁に沿ってモニターや端末がいくつも並んでいる中、囚人の死亡判定の操作のできる端末を探す。この施設に精通しているわけではないため、すぐには難しいだろうが、時間をかければ見つかるはずだ。
電気制御室に寄った際にいくつかの重要施設に通じる電力や施設内の照明などは落としてきているが、このコントロールルームに通じる電力ラインはそのままにしておいた。
破壊すれば手っ取り早かったのだが、それでは囚人の死亡偽装はできない。面倒だが、電気制御室の出入口にクリアに障壁を張ってもらうことで、内部への干渉を不可能にしていた。
それゆえ目的の端末を見つける時間自体はまだあるはずだ。
「姫様、誰か来たら適当に気絶させといてもらえますか。あくまで気絶ですよ。絶対に殺しはしないでください。必ず面倒が残ります」
「何度も言われなくてもわかってるって」
実際、警備員は一人、既に亡き者にしてしまっているのだが、それでもこれ以上はだめだ。せっかくクリアとカレンの戦闘に巻き込まれた形を取っているのだから、目撃者は多いほうがいい。
「あ、魔力感知に感ありだよ。一人、こっちに全力で向かってくるっぽいね」
「ですか。じゃあ、また一芝居打って巻き込ますか」
「そーしましょー」
ばっと効果音でも付きそうなくらいに勢いをつけて、お互いに距離を取ると、クリアが正面に障壁を張り、雷球をいくつも周囲に浮かせる。カレンはいつでも殴りかかれるよう腰を落とした。
「えいっ」
廊下から聞こえる足音が近づいてきて、それが部屋の出入口に差し掛かったあたりでクリアが雷球を放つ。
哀れな犠牲者がまた一人、声を上げて倒れることを幻視したカレンだったが、今回はそうならなかった。
雷球に襲われたはずの警備員はとっさに身を投げ、地面に伏せたらしい。
まるでクリアの攻撃が来るのがわかっていたかのような回避速度だった。
「むっ」
避けられたのが腹に据えかねるらしいクリアはわざとらしく声を漏らして、今度は三つの雷球を前面に展開させた。
それが放たれる寸前、
「ま、待ってくれ! 打たないでくれ! 俺はお前に協力するっ!!」
調子を外した男の声が聞こえて、クリアはそれでも雷球を放った。
「お、おいっ!!!」
しかし、雷球は廊下の壁に尻餅をついた男の周囲に着弾し、その男を囲むように雷の檻を形作った。
網状に張り巡らされた檻それ自体には脱出を妨げる物理的な壁としての機能はないだろう。だが、そのびりびりと放電したような雷の有様を見て、触れればただでは済まないとわからない者はどんな馬鹿でもいないだろう。
「なに? おじさん。協力するってどういうこと?」
「グレイスさん、どういうつもりですか?」
男をグレイスと認めたカレンは、一応はまだクリアと敵対している演技を続けるべきだと思い、構えた姿勢のまますぐにでも動けるといった様子で疑問の声を上げる。
グレイスは自身を取り囲む檻をおっかなびっくり見つめながら、震えた声を上げる。
「こ、言葉通りの意味だ。そっちの桐華さんには悪いが、俺はまだ死にたくない。お前に協力して命を拾った方がましだ」
「……言ってることとやってることが支離滅裂じゃない? 命を大事にしたいなら、ここに来なければよかったのに。おじさんは自分の足でわざわざここまでやってきた。破壊の跡でも辿ってきたんでしょ。そうまでしてここまでやってきておいて、どうして今更そんな命乞いをするの?」
「い、いや、俺は……。確かに……、どうして俺はこんなところに……」
などと自問自答し始めたグレイスに焦れたように、クリアは吐き捨てる。
「もう面倒くさいんだけど。じゃあ、殺しはしないから気絶してて。それならいいでしょ」
雷の檻が範囲を狭めようとしたところで、グレイスが素っ頓狂な悲鳴を上げた。
「ま、待ってくれ! 話を聞いてくれ!」
「なに! 面倒くさいなあ、もう。言いたいことがあるならはっきり言ってよ」
「俺にこれを教えてくれ!」
「はあ? これってなに?」
自分で言っていて、自分で驚いたようにグレイスが目を見開き、そして、次の瞬間には「そうか……、だから俺は……」と納得したように頷く。
「このなんだかわからない能力のことだ。何もない空中から火の球を出したり、こんな電気の網を作ったり。
「おじさんに魔法を?」
「魔法……、そうか、魔法か! そうだ! 俺に教えてくれ!」
「……」
クリアは思案する様子だった。
カレンとしてもグレイスがまさか魔法の教えを乞うだなんて思ってもみなかった。
クリアのことを化け物か何かのような言い方をしていたと思ったが、どういう心境の変化なのか。
だが、実のところ、カレンたちにとって、この提案は決して悪い話とも言えない。
「ボクたち、これから囚人の人たちを逃がそうとしてるんだけど、それにも協力してくれるの?」
「……かまわねえ。お前と同じようなことができるようになるのなら、何だってやってやる!」
「じゃあ、裏切られても面倒だから、変な行動取ったら即雷ビリビリしていい?」
「そ、それは勘弁してくれ」
無表情に言うクリアに怯えるグレイス。
クリアも言っていたように、彼がわざわざ自分から危険に飛び込んできて、こんな懇願をするメリットなど存在しない。
グレイスは本当に魔法を学びたいがためだけに危険を冒したのだろう。
カレンとしては信じがたい思いだが、それ以外に考えようがない。
「奇特な人もいるものですね」
何はともあれ、警備員を抱き込めたのなら、計画はうまくいくだろう。
障害になるようなら、即座に自分が処理すればいい。
カレンは冷徹にそう思考した。
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