第9話 崩壊する意思
夕暮れ時、襲撃予定の夜を待ち、洞窟の中で囚人たちの身の上話に耳を傾けていたクリアは、ひどく歪なエネルギーの波長を感知し、顔を上げた。
「なにこれ」
感じるのは人のエネルギーそのものには違いないのだが、その感触が普通の人間にしてはあまりにも歪んでいるのだ。
その感触――色とでも表現するべきものは、個々人によって少しずつ違う。
青いものもいれば赤いものもいれば、真っ黒なものだっている。個々人特有の色と表現すべきそれは、人によっては違うものの、基本的には単一なのだ。他の色が混じっていることなどない。
なのに、クリアがたった今感じた人間のエネルギーには、何かひどく歪なものが混じっている。生物のエネルギーには近いものの、本質的には全く別物の、きれいとは言い難い何かだ。それがクリアに言いようのない異物感を覚えさせる。生焼けの肉を食べて少しした後に下腹の辺りに感じる得も言われぬ不快感にそれは近い。
「どうかしたのかい?」
クリアの顔色の変化に最初に気づいたのは、そばであれこれ彼女の持つ特殊な力について尋ねてきていたヨークだった。
彼女自身理解できていないことが多いゆえに、ほとんどその質問には答えることができなかったのだが、手のひらの上に火球や水球を作り出して見せるだけでヨークは面白いほどに頬を紅潮させた。
それに気分を良くして、クリアもできる限り彼の好奇心を満たす手伝いをしていたのだが、クリアがその不快なエネルギーを感知したのはまさにそんな時だった。
「うん。ちょっと……、気分がね……。何か変なのがこっちに向かってきてる……。なにか……、生き物として、とても歪んだなにかが……」
「生き物として歪んだ……?」
頭を振って気持ちの悪さを切り替えると、クリアは洞窟の外に向かう。
ヨークが声をかけると、十六名の囚人たちも後に続いた。
なだらかな斜面を下り、森林との狭間に存在する開けた場所に出る。さきほどクリアが火球の実験に用いた場所で、敵を迎え撃つならこういう場所がいいと思ったのだ。
「嬢ちゃん、一体何が――」
「来るよ」
立ち止まって森の方を見据えたクリアにバルクセスが口を開いたところ、最後まで言い終える前に彼女はやってきた。
草木生い茂る深い森を颯爽と駆け抜け、信じられないほどの速度でクリアたちの前に現れる。
「サイボーグ……」と、ヨークがそうつぶやくのをクリアは聞いた。
焦げ茶色の髪に切れ長の瞳をした美人は、上下一体型の水色の作業着に身を包み、警戒した様子でこちらを――クリアを見つめていた。
「初めまして。私は桐華レンと言います。ここの森に放たれているアイアンドール、あれを作っている会社、グレーラビットテクノロジーで社長秘書をやっています。あなたの名前は?」
「クリアクレイドだよ。クリアでいい」
「クリアさんね。あなたで間違いないよね? アイアンドールを破壊したの」
クリアはどう答えるべきか少し迷った。
今からでも言い逃れできるなら、違うと否定した方がいいのではないかと。
しかし、よくよく考えてみれば、今朝方にアイアンフライまでも一台どころじゃなく破壊してしまっているし、相手にしても何の根拠もなくクリアを疑っているわけではないはずなので、今更取り繕ったところで無駄だろうと諦めた。
「そうだよ。ボクがやった」
「やっぱり。ちなみにだけど、どうやって壊したのか教えてくれる?」
「銃弾だよ」
「……機体を調べたからそれはなんとなく察してるんだけど、銃弾をどう使ったのかってこと」
「言うと思う?」
「さあ、どうかな。私に少しでも有益な情報をもたらしてくれるのなら、あなたをこの庭の外へ出すことも不可能じゃないかもしれない」
クリアを試すような視線でレンは言う。
正直に話すべきか、ここでもクリアは迷うことになった。
「本当に外に出してくれるなら、そのときには正直に話すよ」
「そう……。じゃあ、もう一つ、質問。あなたは昨日の夜、ここの施設の警備員を一人、殺した。それはどうして?」
やっぱり寝ている間にやっちゃってたか、とクリアとしては苦い気持ちにもなるが、顔には出さない。
「事故だよ。殺すつもりで殺したわけじゃない。理解できないかもしれないけど、寝ている間に攻撃しちゃってたみたい。自分でも本当にそんなつもりはなかった」
「……その攻撃って、あの火の球みたいな奴? 今朝もそれでアイアンフライを攻撃してたけど」
「見てたんだ。たぶんそう。寝てたから覚えてないけどね」
「あなたのその力は何なの? あなたも……サイボーグなの?」
レンはクリアの正体を見通そうとするかのように目を細める。
クリアは首を振った。
「ボクはそのサイボーグって奴がいまいちよくわかってないんだけど、たぶん、違うと思う。だけど、自分が何なのかはわからない。覚えてないんだ。ここに来るまでの記憶が全くない。何をしてたのかも、どこから来たのかも、全部ね。だから、正直、外に出してもらえるなら、すぐにでもそうしてもらいたいところなんだ。できる協力はするよ」
「……その言葉が本当だとして、なら、どうして囚人たちを後ろに従えているの?」
「この人たちは――」
クリアが彼らのことをレンに説明しようとしたところで、その言葉は遮られた。
レンが大きくその場から飛び退き、彼女が寸前までいた位置に、特大の雷の球が投げ込まれたからだ。
「やっぱりそういうつもりなの!?」
レンが険しい顔でクリアを睨み、それと同時にクリアは雷球が飛んできた森の中に見知った子犬の姿を発見して驚愕する。
「カレン――? なんで――っ」
「グルルルルッ」
森の木陰に潜みながら雷球を放ったカレンは、猛々しいうなり声をあげてレンを威嚇していた。
「お涙頂戴の身の上話で油断させて、背後を襲ったってわけ? えげつないことするね!」
「そんなつもりじゃなかったんだけど……。たぶんこれ、言ってもわからないよね」
レンの剣幕に、クリアは説得の無為性を悟った。
それに、カレンがあれだけ戦う気満々になっているのだから、どの道説得したところで無駄だろう。
警戒するレンに、嫌そうに肩を落とすクリア、今にも次弾を放とうとするカレン。
三様の態度で臨む三者。
囚人たちも固唾を呑んで見守り、最初に供与された銃が残っている者はレンに銃を向け、残りの者は各々の武器を持って身構えた。
カレンのうなり声だけが響き渡り、誰が攻撃しても動けるようにか、レンが注意深く腰を落とす。
※
※
※
――最初に動いたのはクリアだった。
カレンという名らしい、どう見ても臨戦態勢の子犬に注意を持っていかれていたレンは、完全に意表を突かれた形となる。
クリアは戦闘意欲などなさそうにやれやれと首を振りながら、だらんと下に落とした手を瞬時に振り上げて発砲したのだ。すでにその手には銃が握られていた。レンが最初にここに来た段階では何も持っていないことは確認していたのに、いつの間にか拳銃を手にしている。
「……油断も隙も無い」
だが、射出された弾丸は、クリアが無茶な体勢で発砲したために的を外れた。
レンの足下の地面を深くえぐり、大穴が開く。
それがただの銃弾によるものではないことは明らかだった。
「やっぱり銃弾に何かしてるのね。でも、それがわかれば、当たらないようにすればいいだけ!」
レンは地面を強く蹴り、的を絞らせないようクリアの周囲を大きく回るように迂回して、彼女に迫った。
動いたレンに囚人たちが放った銃撃が降り注ぐが、高速で動くレンには当たらない。あるいは当たったとしても蚊に刺されたようなものだ。
カレンからも雷の球が何発か飛んだが、そちらの方の速度はまるでレンに追いついていない。
「悪いけど、こちとらサイボーグなんでね!」
レンが自身に施した改造は、七大企業のように他にない秘匿技術が用いられているわけではなく、単なる既存技術の応用でしかなかったが、それで十分だとレンは自負していた。
化け物じみた特殊技術なんてなくとも、身体能力を段違いに上昇させるだけで通常戦闘で用いるにはお釣りがくる。
いくらかカラクリは仕込んであるが、人としての身体能力の延長線上でのサイボーグ化であり、言ってしまえば、脚が速くなる、力が強くなる、皮膚が強固になる、それだけの効果を得る施術だった。
だがそれだけに、その基礎的な能力の向上に関しては七怪人にも劣らないほどの出来になったと自負している。
「普通の人間に私の動きが捕らえられるわけがないんだよね!」
クリアの眼前に迫ったレンは軽く拳を振り下ろす。その手のひらにはスタンガンのように電撃を発する機構が仕込んであり、容易に意識を刈り取れる。聞きたいことが山ほどあり、まずは無力するのが第一だと考えたからだ。
だが、その動きはクリアに触れる前に見えない壁に阻まれる。
「――なんなのこれっ!?」
映像で見ていたものではあったが、実際に経験してみると頭が混乱する。
とかく目に見えることを前提としてきた現代科学では、到底理解できない謎の障壁。
透明なガラスであっても反射率の関係から存在自体は視覚に映る。
なのに、この障壁には一切の視覚情報が存在しない。まったく無色透明で、それなのに明確な硬度を有している。脳みそがバグりそうだった。
「それなら全力で!」
全体重をかけた右拳を障壁にぶつける。
しかし、障壁はびくともしなかった。レンの腕にも異常はないが、どっちが持つかの根競べなどしたいとは思えない。
「えい」
眼前に突き付けられた銃口に、レンは思わず体をのけぞらせる。
鼻先数センチを見えない何かが通過していくのがわかった。
それで気づいたが、銃弾にもこの障壁と同じ仕組みを使っているらしい。圧倒的な硬さが圧倒的な攻撃力につながっているわけだ。
この技術だか能力だかが何なのかは知らないが、悪辣な組み合わせと言うほかない。
「何が『えい』なの! かわいこぶっちゃってっ!」
「……別にそんなつもりはないんだけど。掛け声くらいかけるくない?」
「うるさい!」
腹いせに三発ぐらい障壁を殴ったが、相変わらずびくともしない。
冷や汗一つかいていないきれいな顔が無性に腹立たしかった。風に揺れる白髪が神秘的な雰囲気さえ醸し出しているのが加えて癪に障る。
「いい加減壊れろ!」
それから数発殴ったところで背後から飛んできた雷球を横に跳んで避ける。
囚人からも鉛玉が飛んできたが、それらはサイボーグの体に効力を感じないので無視した。
「あの子犬もなんなの! なんであなたと同じようなことができるわけ!」
「さあね。それはボクが知りたい限り」
言うなり、今度はクリアから火球が飛んでくる。合計四発。
だが、銃弾に比べればその動きは遅い。
「そんなの当たるわけ……っ!?」
避けたそばから背中に熱を感じて慌てて地面を転がった。
「うーん。拡散した後収束なんてでたらめな真似はできないっぽい。さすがに相反する性質を同時に付与して、時間差で発動するなんて荒唐無稽すぎるかぁ」
クリアがぶつぶつ言っているが、その意味はいまいちわからない。
だが、アイアンフライにやったのと同じことをされたのだと遅ればせながら気づいた。
ただ避けたからといって油断していると、こういう反撃を喰らうらしい。
もっとも、喰らった炎自体小さく、放っておいてもすぐに消えただろうとは思うが。
「油断も隙もない! どんだけレパートリーに富んだ攻撃してくるのよ! こっちは直接攻撃しかないっていうのに!」
基礎身体能力の向上だけに留まらず、もっといろいろと攻撃手段を用意しておくべきだったかと後悔した。
もっとも、現状集められるだけの協力は集めたつもりだったので、これ以上、他の会社から協力を引っ張ってくるというのは難しかっただろうが、それにしてもと思わずにはいられない。
一応、奥の手を一つだけ用意してはいる。
しかし、それは最後の手段であり、通用しなかったときが恐ろしい。
タイミングを見誤れば、大きくこちらが不利になるだろう。
だが、ほとんどが無力な囚人とはいえ、こちらは一人で、あちらは複数。
何が敗因につながるかはわからない。
玉砕覚悟の特攻で数を頼りに動きを止められたところに、さっきの銃弾を喰らってしまえば、サイボーグの体とはいえ、無事では済まないだろう。
向こうが攻め方を変える前に、手早く勝負をつけたいところではあった。
「やるか!」
レンは心を決めると、強く拳を握りしめた。
右腕をまっすぐ前に突き出し、それとは対角線上に左足を大きく伸ばす。地面がクレーター上に陥没すると、足裏に仕込んだ噴射孔が開く。
体内を奔る高熱、そして、急速な冷却と共に、噴射孔から高圧のガスが噴射された。
仕込んだ小型のロケットエンジンから推進力を得、レンの体は高速で射出される。
もはや腕を動かす暇さえもないため、拳は振り上げるのではなく、突き出した状態のまま、前に突っ込む。
後先考えないただ愚直に突っ込むだけの特攻。
ただし速度は桁違い。体の硬度は段違い。
普通の人間にこの突撃に反応できるだけの反応速度は存在しない。
すべての障壁を力技でぶち破る。
「悪いけど、先に仕掛けてきたのはそっちだからね!」
音速の砲弾と化したレンが、クリアに向かって一直線に吹っ飛んでいく。
※
※
※
やばいことやろうとしてるなぁ、とクリアは他人事のように思った。
未だサイボーグというものの存在について正確な認識を持てていないクリアだったが、自分の周りを高速で走り回っては打撃を加えてくるレンの有様を見て、少なくとも自分の身一つでは到底太刀打ちできない化け物の類なのだなぁ、ということだけは理解した。
硬いだけののろまなアイアンドールとは違う。ちょこまかとすばしっこく動き回るアイアンフライとも違う。
目前に存在する桐華レンという名のサイボーグは、速くて硬いし、頭がある。
生中な攻撃など通用せず、適当に壁弾をぶっ放すだけではかすりもしないだろう。
使ったのは二発だけだが、それだけで危険性を理解されてしまったらしい。
もう銃口を向けるだけでその直線上には入ってくれないだろう。
挙句の果てにあからさまな突撃の構えだ。
ヨークの話では、自分の体を機械の技術で改造し、本来人の身ではありえないような能力を手にした者をサイボーグというらしい。
ならきっと、クリアにはわからないような未知の技術によって、その速度を圧倒的に上げてくるに違いない。
そしてそのまま、こちらに突っ込んでくる。
障壁を何度殴ってもびくともしないあの硬さに、圧倒的な速度が加わる。
お手上げだ。壁弾どころじゃない。障壁もきっと破られる。
認識できないままに、クリアの体はばらばらに吹き飛ばされるだろう。
「だとしても」
クリアの心の中には諦念など存在しない。
負けてたまるもんかという、諦めの悪い泥臭い気持ちだけが存在している。
そう。クリアはただ単純に負けず嫌いなのだ。
誰かに負ける以上に、己に負けたくない。
諦めたくない。最後まで。
肉裂かれて、骨砕かれ、肉体組織の一片に至るまで無残に四散しようとも、意識を手放すその瞬間まで、意地汚く抗い続ける。
大丈夫。
「ボクならできる」
レンの足下から何らかのエネルギーが放射されるとともに、クリアは自分の制御しうるすべてのエネルギーを障壁に送り込んだ。
この世に存在するあらゆるものから己を守る、無限の障壁。
記憶をすべて失ったクリアが、それでも、何ら意識せずとも使うことのできた超常の力。
それはきっと、クリアの諦めの悪さの象徴でもある。
何があっても絶対に生き残ってみせる。
すべてを失ってもなおクリアに残ったそれは、彼女の意思そのものだった。
「――っ!」
それでも、壁は砕かれる。
無情にも、無残にも。
意思の強さとは裏腹に、現実とは動いていくものだから。
突き出された拳が彼女の胸に吸い込まれていくのをクリアは他人事のように眺めていた。
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