第10話 犬

 サイボーグになったレンと言えど、知覚速度までは変化していない。反射速度も、反応速度も、普通の人間とは変わりがない。

 だから、気が付いたときには、レンの体は前方十メートルほどの距離に移動していて、前に突き出した腕は小柄な少女の胸を無残にも貫いていた。


「……そっか。私、初めて人を……」


 考えた瞬間、こらえようのない吐き気が胸にこみ上げた。

 すぐに腕を引き抜き、クリアの体を横たえると、地面に盛大に吐しゃする。


「……こんなっ……、こんな気持ち、なのね……」


 サイボーグになるまで、レンは人の死とは無縁だった。

 親戚の葬式に参列することはあっても、身近な誰かを失う経験などしたことはなく、ましてやこうして目の前で誰かの死を目撃することなんて一度もありはしなかった。

 そんな彼女にとって、自分がその殺人の当事者になるということは、とてつもない衝撃だった。

 サイボーグになると決意したときに、こうなる覚悟はしていたとはいえ、頭で想像するのと実際に経験するのとでは、天と地ほどの差があった。

 今まで目の前でしゃべり、動いていたはずの人間を、自らの意思で殺害するのだ。そしてその死は、レン自身の判断によるもの。

 身を守るためには仕方がないと判断したためだ。

 他の決断があれば、その死は避けられたかもしれない。そう思ってしまうともう駄目だった。手が震えて、脚が震えて、吐き気が止まらない。

 だから、当然なのだ。

 囚人たちの中から発射された一筋のレーザーになすすべなく肩を貫かれ、カレンという名の犬の投射した雷球に全身を痺れさせられるのは。

 避けようと思えば避けられただろう。

 けれど、今の彼女には、その攻撃を避けようとするだけの心の余裕も、また誰かを傷つける決断をするだけの判断力も何もなかった。


「……っ!」


 くずおれるように倒れるレン。

 正味、レーザーだけだったならば、負傷箇所が肩だったこともあり、まだ戦闘自体は可能だったろう。

 だが、雷球はまずかった。

 彼女は半分機械だ。何ボルトか何アンペアかに及ぶかもわからない電撃を全身に浴びれば、その機械が正常に機能しなくなる。その上、この雷自体も普通のものではないようで、設置した地面に流れていかないのだ。いつまでもレンの中に滞留して、彼女の体の働きを妨げようとする。

 それでも、無理やり立ち上がろうとすると、追撃の雷球が二発三発と放たれる。


「……うぁ」


 たまらずレンは再び地面に突っ伏し、そのまま意識は闇の中に溶けていった。


 ※


 ※


 ※


「起きてください、姫様。お目覚めの時間です」


 クリアが目を開けると、眼前に切れ長な瞳をした美人の顔が映った。


「○○〇?」

「ええ、そうですよ。あなたの専属メイドの〇〇〇ですよ。何寝ぼけているんですか。早くベッドから出てください。朝食の準備は済んでいます」

「……」


 何かとても長い夢を見ていたような気がするが、上手く思い出せない。頭の中がぼんやりして、意識がはっきりとしない。


「クリアクレイド・〇〇〇〇〇〇〇〇」

「何ですか、急に自分の名前をつぶやいたりして……。自己紹介なんて今更不要ですよ。長い付き合いじゃないですか」


 メイドの顔を見つめる。

 キョトンとした顔で〇〇〇はこちらを見返してきた。


「今日の予定は何だっけ?」

「……忘れたんですか? 前々からあれほど楽しみにしてたのに……。国が執拗に協力したスイーツ店の視察の日じゃないですか。家臣たちの反対を押し切って、私にもあれだけ尽力させたんだから、今更面倒になったとか言い出さないでくださいよ。そのたびに私が各所との調整をどれだけがんばってるかわかってます?」

「ごめん」


 クリアが素直に謝ると、〇〇〇は変な顔をした。


「何ですか、気持ち悪い。私はあなたのために喜んで身を粉にしてるんですから、謝らないでくれませんか? 迷惑です」

「……」


 ○○〇はいつもこうだった。

 クリアに対して口調と態度だけは冷たくて、それ以外は泥沼に甘い。

 押し黙るクリアに、〇〇〇が少しだけ心配そうな顔を見せる。


「本当に大丈夫ですか? 体調が悪いようなら、今日の予定はすべてキャンセルしますが」

「……ううん」


 歯切れの悪い返事をすると、〇〇〇はクリアの額に顔を寄せてきた。


「熱は……ありませんね。でも、緊急を要する用事はありませんし、今日くらい大事を取っても――」


 わずかな隙間を挟んで視界に広がるきめ細やかな○○〇の肌。長いまつ毛。きれいに通った鼻梁。つややかな唇。

 クリアが見慣れた○○〇の姿がそこにある。

 クリアの見慣れた、クリアの愛するもっとも忠実な臣下であり、もっとも大切な親友でもある彼女。

 父を早くに亡くし、昨年十四歳の若さで母を亡くしてから、ほとんど独りぼっちになってしまったクリアに残された、たった一人の家族。

 クリアは彼女の名前を呼んだ。


「――ねえ、カレン」


 カレン・リスリルは鋭くも優しい眼で以てクリアを見つめ、いくつも年下の妹の身を案じるかのように眉を寄せた。 


「……なんですか? 姫様」

「生まれ変わったら、何になりたい?」

「……」


 クリアの脳裏によぎるのは、世界のすべてが消え失せてしまってもなお、そばにいた彼女カレンの姿。

 世界のすべてが変わってしまってもなお、強く気高い彼女レンの姿。

 思えばいつだって、クリアはこの優しくも厳しい女性に勝てたことはなかった。

 魔法でも、それ以外でも。

 潜在魔力量では群を抜いているはずのクリアが、いざ模擬戦となると手も足も出ない。

 いつだったか、カレンがクリアを起こしに来たところを寝ぼけて火球をぶっ放し、髪を焼いたことがあったが、あれ以来、カレンがクリアに手加減することはなくなった。

 魔法を放てば、三重の魔法障壁に阻まれ、物理を交えた攻撃においても、物理障壁など張らずとも、身をひねるだけで簡単にかわされる。

 政治も、経済も、運動能力も、魔法運用能力も。

 何もかもがクリアを凌駕していて、なのに、彼女はいつもクリアの陰にひっそりと付き従ってくれた。


「突然、どうしたんです? そんな話はしてなかったじゃないですか。やっぱりどこか悪いんですか?」


 困惑するカレンの言葉をあまねく無視して、クリアはただただ無垢に彼女の顔を見つめた。


「国が滅んで、国土は全部、戦火に塗れて、国民たちも、臣下たちも、みーんないなくなって……。挙句の果てには、どこかの馬鹿のわがままで、この国が存在した歴史までもがすべて消えてしまって……、それでも、もう一度、この世に生まれ変われるとしたら……。カレン、君は何になりたい?」

「……」


 クリアのもっとも敬愛する女性は、まっすぐにクリアの顔を見つめ、迷うことなく即答した。


「犬になりたいです。私はあなたの犬になりたい。たとえカレン・リスリルとして生きたこの因果がすべて消え去るのだとしても、私はあなたの犬になりたい。死ぬまでも、死んだ後も、あなたにお仕えしていたい。それだけが私の幸せであり、それだけが私の人生の喜びです」

「……そう」


 クリアは静かに目を閉じて、それからまた、目を開いた。

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