第4話 生存者発見!

 心地の良い夢を見ていたはずだった。

 暖かく清らかで、満たされていた頃の、今はもう消えてしまった何かの夢。

 そこに存在していたはずのものは今はもうない。

 記憶の中にすら存在せず、因果の彼方に溶けて消えた。

 なのに、どうして彼女は夢を見るのか。

 それは彼女自身にすらわからない。記憶ではないのか。幻想でも、妄想でもないのか。

 だが、思考とも呼べない一瞬の心の残滓は、現実的なる感覚情報の上書きによって、すべて押し流されて霧散する。

 感じたのは、ひどく不快な、何かが焼け焦げるような匂いだった。


「……おはよぉござぁいます」


 眉をひそめながら目を覚ましたクリアは、とても不機嫌そうな顔をして、誰ともなく挨拶をした。


「なんだよぉ。人がせっかく気持ちよく寝てるっていうのに、この匂いはぁ!」


 がばっと効果音が付きそうなほど勢いよく体を起こすクリア。


「ガウッ」


 すでに目を覚ましていたらしいカレンは、主人に挨拶を交わすかの如く、軽く吠えた。


「まだいたんだねー、カレン。お前も物好きだよ」

「ワウ」


 辺りはすっかり明るくなって――いなかった。まだ全然暗い。むしろ深夜と呼べるぐらいの時間帯だろう。


「って、全然おはようございますじゃないし。むしろ夜だし。大体、こんな暗いんじゃ何の匂いかもわからない……」


 ぶつくさ文句を言おうとしたクリアだったが、意外と周囲の様子がわかる程度には明るいことに気づいた。

 何かと思ってよくよく見てみれば、地面に転がっている円筒型の光源が周囲を照らしている。

 そして、その円筒型の光源のそばには、黒ずんだ大きな塊があった。

 考えるまでもなく、あれがこの匂いの発生源なのは明らかだった。


「……え、あれ、人? 人だよね? え、こわいこわいこわい。なんでこの人、ここで死んでんの? 焼身自殺? わざわざぐっすり寝てるボクのそばまで近寄ってきて自分の体に火つけたの? こわ、え、こわこわこわ。近寄らんとこ」


 などと言いながら、死体に近寄ってみるクリア。

 円筒型の光源を拾った。


「ふむ。いいね、これは。軽いし、明るいし、利便性完璧。わざわざ焼身自殺しに来たのはいただけないけど、これを運んできてくれたのだと思えば腹も立たないや」


 ありがとうございます、と焼死体に向かって合掌し、死後の安寧を願ってあげる。

 それから、軽くストレッチし、体の凝りをほぐした。


「あ~、ねむい~。体痛い~。柔らかいベッドでねむりたい~。うぇ~ん」


 さすがに匂いがひどくて、二度寝する気にもならなかったクリアは、光源を獲得できたこともあり、暗い中、再びの探索へと足を進めることにした。当然のようにカレンもついてくる。

 向かったのは、焼け焦げた死体とは反対方向だ。

 そちらの方角にはそのほかにも三体の死体があるし、鉄臭い機械人形も転がっているので、向かうには辛気臭すぎると思ったからだ。

 立て続けにこうも死体を見るのはもう懲り懲りなのである。

 だが、死体とはいえ、少なくとも数時間以内には生きた人間として動いていたはずなので、この近くを人がうろついているのは確かなわけだ。

 これまでの成り行きから言って、生きていたところでどうせすぐ死ぬのかもしれないが、少なくともその前に事情くらいは聞きたいところではあった。


「ここが日常的に死体の転がっているような場所だっていうのはわかる。人と見たら襲い掛かってくるあんな人形もあることだしね。ただ戦場ってわけじゃない。戦場と呼ぶにはあまりに静かすぎる。剣戟の音が響いているわけでも、むくつけき男たちの怒号が響き渡っているわけでもない。静けさと危険度のバランスが不釣り合いすぎる。普通、危険極まりない環境というのは、同じくらいうるさいものだろうに」


 あの武器だってそうだ。火薬を使って金属の弾丸を打ち出す仕組みらしいが、破壊力に見合った騒々しさがあの武器にはある。あの手の武器がこの近辺では日常的に使用されているのなら、それに見合うだけの音もまた響いてしかるべきなのだ。なのに、辺りの暗闇は不気味なほど静寂を保っており、その闇を乱すものは何もない。

 静かな夜というのは好むべきものだが、いつ体を穴だらけにされてもおかしくない状況では、うるさい方がかえって安心するというものだった。


「まーた、森の中を歩きますよっと。木、木、藪、藪、草、草、葉っぱ、と」


 明かりがあり、服もあり、靴もあるから、初めよりは歩くのが楽だが、見えてくるものは代り映えのしない植物ばかり。

 少々飽き飽きしてきたために、クリアは強引な手段に打って出ることにした。


「『物理障壁』」


 体の前面に『物理障壁』を張り、前方の障害物を強引になぎ倒して進むことにしたのだ。


「うわうわ、予想以上に快適」


 そうして試してみて初めてわかったが、この障壁には起点となる対象へのフィードバックが一切ない。クリア自身や弾丸といったように、『物理障壁』を張る対象を指定できるらしいのだが、その対象と障壁との間には物理的な相互作用は発生しない。何かが当たったという感覚はまったくないし、固いものにぶち当たったところで抵抗感などは欠片もない。ただ単純に、障壁に込められたエネルギーがぶつかったものよりも大きければ貫通するし、小さければ障壁自体が破壊される。そういう仕組みのようだった。

 だから、射出された弾丸に障壁を用いたところで弾丸の速度は落ちないし、あの固い鉄の塊でも撃ち貫けたということなのだろう。

 ゆえに、鉄に匹敵するような硬度を持つ物質など存在しない森の中では、道を切り開くのに最適なのだった。

 クリアが全力疾走で走っても、障壁はびくともしない。

 樹木があれば、抉るように幹を穿って進み、藪があれば、何の痛痒も感じず押しのけて進み、枝や葉などには目もくれずに前に進むことができる。擦り傷一つ負うことなく森を切り開き、気づけばクリアは森林地帯を抜けていた。

 その先にあったのは険しい斜面がところどころに覗く山岳地帯だった。


「森の次は山ですか」


 だが、この先には生きている人がいる。クリアはそれを認識していた。

 自分の内側に感じるエネルギーと同種のエネルギーの塊が、この先に一つある。自分のものよりはかなり小さいが、人間には違いない。

 『物理障壁』を使っていくうちに自然と自分の内側にあるエネルギーにも目を向けることになった。使えば使うほどそのエネルギーは消費されていくからだ。そして、その感覚は自分の外側にも向けることができる。さっき目が覚めたとき、焼死体にもわずかながらそのエネルギーを感じた。生命エネルギーに近い物らしく、死んで間もないから残っていただけだろうが、生きている人間ならばもっと明確に感じられるだろうと予想していた。その予想は正解だったわけだ。

 感じられる範囲では一つだが、もっと離れたところに行けばもう少しいるに違いない。その誰かからは情報を得られるはずだ。

 まずは一番近い一人から。

 目の前にある楕円形の小山の奥、おそらくは洞窟のような場所に潜んでいるようだ。


「場所がわかれば後は楽勝。レッツゴーっと」


 障壁でごり押せば障害は一つもない。障壁が障害を退けるなんて、ちょっと皮肉な話だが。

 ぐるりと小山を回り込むように迂回し、感じたエネルギーに最も近い洞窟の入口に足を踏み入れた。

 そのまま感覚を頼りに生きている人間を探す。

 洞窟内には明らかに人が生活している痕跡が見て取れた。

 動物の骨や皮、枯れ枝などがまとめて置いてあったり、松明を作ろうとして失敗したような太い枝が壁の穴に差し込んであったりする。洞窟暮らしをしてそう日は経っていないのかもしれない。試行錯誤の結果がそこかしこに感じられた。

 そうして十分ほど歩けば。


「――見つけた」


 動物の毛皮にくるまって眠る生きた若い男がそこにいた。

 年はたぶん、二十代後半といったところだろうか。

 黒髪にやや低めの鼻、目を閉じているので正確にはわからないが、割合整った造作をしているように見える。痩せぎすで線は細く、あまり体を動かすことに向いているとは思えない。昨日見た三人の死体と同じく、上下共に灰色の服を着ている。これはもう偶然ではなく、何らかの理由があると考えて間違いないだろう。


「ねえ、お兄さん」

「ぅう。ユリア、あと五分」

「……あの」

「……ユリア~」

「ユリアじゃねーし」


 恋人だか家族だか知らないが、人を知らない女と間違えるのはよしてほしい。クリアとユリアでちょっと似てるのが腹立つので。


「おい起きろ」


 仕方がないので、男の鼻をつまんだ。

 早朝に叩き起こすのはかわいそうだが、こちらもこちらで自然に起きるのを待っていられるほど、器が大きくはない。


「ふがっ。……おわあっ!! だ、誰ですか、あなたは」

「はい、どうもおはようございます。はじめまして、クリアクレイドです」

「え……、は、はじめまして、ヨークトーク・カルギュリアです」

「ワウ!」

「うわっ! な、なに?」

「あ、この子はカレンね。見ての通り、犬です」

「は、はあ」


 ぱちぱちと何度も瞬きをしてクリアの顔を見つめていた彼は、思い出したように壁の隙間に手を伸ばし、そこに置いてあった丸眼鏡をかけた。


「えっと……、君、見たところ大分、若いよね? 歳は? どうしてこんな場所にいるんだい?」

「それはボクが知りたいところだね」

 それから、クリアはかいつまんで自分の置かれた状況を説明した。

 記憶喪失であること。目が覚めたら森の中にいたこと。突然、あの機械人形に出会い、襲われ、何とか生き残ることができたこと。

 自分の用いた不思議な力については、何と説明していいかわからなかったので、保留としている。そのため、あの機械からは隙を突いて逃げ出したということにしておいた。


「そっかぁ……。大変だねえ、君も。十五歳で記憶喪失なんて……、うちの妹だって、その歳の時分にはまだ僕によく甘えてきたぐらいなのに」

「ああ、ユリアさん?」

「え、どうして妹の名前を?」

「寝言であと五分とかどうのこうの言ってたから」

「そ、そっか。恥ずかしいところを見られたね。僕、少し前まで妹と二人暮らししてたんだ。両親に先立たれて以来、家のこととか全部、妹にやってもらってて……。毎朝、起こしてもらったりなんかもして……、ほんと、よくできた妹っていうか……」

 ヨークがそれ以上ずれた話題を口にしようとする前に、クリアは鋭く差し込んだ。

「それで聞きたいんだけど、ここはどこなの?」

「あ、うん。そうだよね気になるよね」

 ヨークは軽く頬を掻いてごまかすように笑った。


「ここはね。アイアンガーデン。アルコイーリス七大企業国の辺境地、言ってしまえば死が決定された人のための処刑場だよ」

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