第3話 夜と炎
「だぁ~! だめだ~。だれもかれも何の情報も持っちゃいない!」
外敵の脅威を退けたことで、可及的速やかにこの場を去る必要はなくなった。
三人の遺体と、一体の巨大な機械。
それらを十分に調べる余裕を得たわけだが、クリアが詳細にそれらを調べても、現在地の居場所も、この機械人形の持ち主に関する情報も何もなかった。
一点だけよかったことがあるとすれば、一人の男のポケットに弾薬がいくらかあったことくらい。
おかげで、あの小型の武器で打ち込める弾の数が増えた。残りは合計で十八発。
武器は三丁あったので、打ち尽くした一つを分解して、なんとなくだが仕組みは理解している。弾を込めるのもちょっと練習してできるようになった。
武器の仕組みを調べたり、鉄巨人を分解しようと試みたりしているうちに、辺りはすっかり暗くなっていた。
得体の知れぬ森の中、ろくな食料もないままに、夜を迎えてしまう。
「お腹減ったぁ~」
戦闘のあった場所から少し離れた池のほとりで、布袋を背にクリアは地べたに転がる。
傍らには、カレン。鉄巨人が跳んできた時点でどこかに逃げて行ったカレンだったが、クリアが辺りを調べている間に戻ってきていた。彼女自身よりも生存能力の高い犬である。
弾を四発ほど消費して、どうにか火は起こせたので寒くはないが、いかんせん食べ物がない。池に魚はいるかもしれないが、今は暗い上に道具もないので釣りどころではない。
池で水浴びはできたし、服も手に入った。後は食料さえあれば完璧。
「明日は食料調達と、地理把握だ」
凹んだお腹をさすりながら、クリアは眠りについた。
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『クリア、魔法使いにとってもっとも重要な魔法って何かわかる?』
クリアの母、先代国王であるメルティベスタ・ウィートゲーターは五歳になる幼い我が子にそう問うた。
クリアが魔法を学び始めてまもない頃のことである。
『わかんない。敵をたくさんやっつける大きな魔法?』
『いいえ、違うわ。それはね。防御魔法よ』
『防御魔法?』
意味がわからないとクリアは首を傾げた。
『いい? 剣術も学ぶ魔法騎士はまた別かもしれないけれど、ただの魔法使いにとって、もっとも警戒すべき攻撃は奇襲よ。魔法なんてどうしたって構築するのに時間がかかるものなのだから、気づかない間に近づかれて刃物でグサッってやられたらそれでおしまいなの。だから、いついかなるときでも即座に防御魔法を展開できるよう、魔法使いは常に訓練しなければならない』
『いついかなるときでもって、寝てるときでも?』
さすがに寝てるときは例外だろう。
半ばそう期待して母を見上げたクリアに、彼女は平然と頷き返した。
『ええ、そうよ。寝てるときでも襲われたらすぐに防御魔法を張りなさい。人間は敵を排除するためには手段を選ばないものよ。無防備な就寝中を狙えるならそれが一番確実なのだから』
『え~。無理だよぉ。寝てるときにどうやって襲われたことに気づくのぉ?』
『あなたもいっぱしの魔法使いになるのだから、周囲にいる人間の魔力ぐらい感知できるようになりなさい。そして、敵意の波長に伴う魔力の変化を覚えるのよ。その変化のパターンに対して、反射的に防御魔法を展開できるよう訓練するの』
『……え~』
母の言葉はただの誇張表現ではないことを、それからの数日でクリアは知ることになった。
ときには柱の陰から、ときには食事中に、ときには夜明け前に、母の腹心が訓練と称して、彼女の頭に魔法で固めた水の塊を投げ込んできたからだ。
そのたびにクリアはびしょ濡れになり、母から修行が足りないとお小言をもらうことになる。
何度も何度も頭の先から足の裏まで水浸しになったクリアは、ついにはこんなのできるわけがないといじけ、とある日の夜に母の寝室に忍び込んだ。
『どうせお母様だってできないくせに!』
静かに寝息を立てていたメルティベスタに、クリアが水球を投げ込む。
しかし、次の瞬間、水球は空中に生じた障壁に難なく防御された。
お返しとばかりに飛んできた水球を避け切れず、ずぶ濡れになったのはまたしてもクリアの方だった。
『甘いわよ、クリア。王たるもの、寝ている間も決して、油断してはならないのよ。家臣さえも本当の意味で信じられるわけではないのだから』
『……嘘だぁ』
その後、しまいには泣き始めたクリアを優しくなだめ、母が一緒にお風呂に入ってくれたのはクリアにとってはいい思い出だったが、同時に防御魔法の大切さを身に染みて覚えることにもなった。
なお、メルティベスタが水球に反応できたのは、事前に近衛兵から魔法連絡を受けていたからで、クリアが寝室に入った時点で目を覚ましていたからである。本当のところ、メルティベスタにとっても就寝中に攻撃を防御できるかどうかは、五分五分といったところなのだった。
しかし、それを知らないクリアは、それぐらい魔法使いならばできて当然なのだと思い込んだ。そして、後の十年にも及ぶ研鑽によって、就寝中に攻撃を受けても、それを無意識に防御できるほどにまで防御技術を高めることになった。さらにはそれだけでは飽き足らず、完全に寝たままでも、周囲の魔力に反応して初級の火球魔法を放つことさえできる。それで頭髪を焼かれたというメイドがいて、それ以降彼女は魔法障壁を三重に張り巡らしてクリアを起こすようになったというのは、家臣には有名な話だった。
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無防備に眠りこけていたはずの少女を前に、グレイス・メインは唖然としていた。
「うそ、だろ……?」
――相棒が焼かれた。
毎日午後十二時には収容ブースに帰投するはずのアイアンドールが帰ってこず、最終シグナルを確認したところ、昼過ぎにはすでに信号が途絶していたので、何らかの故障で動作停止したのではと疑われたのだ。その時刻に前後して、餌の三匹の生存反応も消えていたので、おそらくはその際の戦闘が原因だと推測される。庭の中にいる生存者は他にもいたが、どれも数ブロック先の山岳地帯を根城にしており、森に近寄るものはいない。グレイスと同じ深夜警備のフロック・カウマンと共に、アイアンドールを回収すれば提携企業から特別手当が支給される。ちょろい仕事のはずだった。
なのに――。
現場に赴いてみれば、囚人共は身ぐるみを剝がされているし、アイアンドールは完膚なきまでに破壊されている。しかも、その破壊状況は異常だった。空間でもえぐり取られたかのように機体には大きな穴がいくつも開いていて、動作停止どころか、戦闘データさえ残っていないのではないかと思われた。
「どういうことだ……?」
「わからねえ……。こいつらに渡したのは、ぼろいハンドガン一丁のはずだったよな……?」
「ああ。型が古すぎてID管理も効かないってんで、倉庫の隅で埃被ってた不良在庫のはずだ。こんなわけもわからん攻撃ができるはずはない」
困惑と底知れぬ不安に駆り立てられ、グレイスはすぐに帰ろうとフロックに提案した。
しかし、フロックは頑として聞かない。
「馬鹿野郎。アイアンドールがここまで破壊されてんだぞ。それなのに原因不明じゃあ、奴らにクレーム付けられちまう。特別手当どころか、下手すりゃ減給もんだ。このままおめおめと帰れるかよ」
そう言われてしまえば、グレイスにも反論できない。
ここ――アイアンガーデンでは、提携企業の意向は絶対なのだ。確かアイアンドールの開発元は零細企業だったはずだが、それでも無視はできない。
足早に池の周囲の探索を始めた彼らだったが、そこで発見したのは一人すやすやと眠る少女だった。年のころは十五歳くらいに見える。我が国では珍しい白色の髪をしていた。あの死体から奪ったらしい囚人服を着ている。
「おいおいこいつはどういうことだ……?」
「俺に訊かれても知るかよ。囚人どころかまだガキじゃねえか……。まあでも、かなりのべっぴんさん――」
そのときだった。
不用意に少女に近づこうとしたフロックの頭が突然炎上したのは。
「ああああああああああああああああああああッ――!!」
「フロック――ッ!」
グレイスは驚愕と共に、すぐにフロックを池に突き落として消火しようとする。
だがその前に、第二第三の火の玉が飛来した。
「ぎゃああああああああああああ」
全身を火の手に包まれたフロックにグレイスは近づくことができず、どころか、このままでは自分の命さえも危ない。
「ちくしょうっ! ……こんなっ、こんなことがっ!」
もつれる足を必死に動かし、少女から逃れようとするグレイス。
何がどうなっているのかわからない。
あの火の玉は一体全体、どこから出てきた。
森の中に火炎放射器の類を持った囚人が隠れていたとでもいうのか。
ありえない。生存者の反応はつい十分前にも確認した。周囲五キロに人間はいなかったし、森の中なんてなおさらだ。
アイアンガーデンに送り込まれる囚人はすべて、心臓の近くにICチップを埋め込まれる。生存反応をモニターするためだ。自力摘出は不可能だし、ここには腕利きの医師も設備もない。あれを取り出せるはずがないのだ。
では、あの少女は一体、誰だ……。
そもそもどうして未成年の女がここにいる。ここに送り込まれるのは誰も彼も罪を犯した屈強な男ばかり。女子供が紛れ込むはずがないのだ。
「くそっ……やべえっ!」
じりじりとうなじを焼かれる感覚がして、本能のままに地面に伏せた。
「ぐあああっ……!」
背中を炙るように焼かれたが、もろに火の玉を喰らうのだけは避けられた。服にも引火していない。
だが、このまま地面に倒れていては、間違いなく丸焼きにされる。フロックの二の舞はごめんだ。
ほとんど身投げする勢いで池の中に飛び込む。空中で一回転した彼の鼻先を追撃の火の玉が過ぎ去っていくのが見えた。
(顔を出したらやられる……っ!)
攻撃者は正確にこちらの居場所を狙ってきている。たとえ一瞬でも水面に顔を出せば、顔面をローストされるのは明らかだった。水中にいるから喰らっても死にはしないだろうが、誰が好き好んで顔をやけど塗れにしたいのかという話だ。
グレイスは死にもの狂いで息を止め、必死に手足を動かして少女とは反対方向の池淵へと向かう。
地面に上がろうと顔を出す瞬間には、臓腑を抉られるような恐怖を感じた。
一瞬で背後を確認し、追撃がないことを見て取ったグレイスは急いで淵に這い上がる。
そのまま全力で出口に走った。
「はあ……っ、はあ……っ!」
息を切らして鉄扉までたどり着き、中に入って鍵をかけたところでようやく息をつく。
「なんなんだよ――ッ! あの女はッ!」
ちょろい臨時収入を得るはずが、同僚を失い、背中にやけどまで負って、心には底知れない恐怖を刻まれた。
「くそっ……、いてえ……、いてえよ!」
そうしてその夜、背中を焼かれる痛みを代償に、グレイス・メインは魔法を知ったのだった。
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