第2話 機械人形と魔法

 丘を下ると、大きな森が見えてきた。

 裸で森を歩くのは体が傷だらけになりそうだったので、少し大きめの葉っぱを見つけてきて、胸部と腰部に巻き付けた。

 へそ出し足出し肩出しスタイル。

 原始的だったが、背に腹は代えられない。

 ちょうどよい長さの枝を折ってきて、杖代わりにした。

 そうして、歩くこと二時間。

 やっと人の痕跡を発見した。


「焚火の跡……」


 数人がここで火を囲んでいた形跡がある。

 枯れた葉っぱの敷物が三人分。その中心に燃え尽きた枝の残骸。

 少し時間は経っているようだが、この近辺に人がいることは間違いない。


「よかったぁ。まったく人の寄りつかない深い森だったらどうしようかと思ってたんだよね」

「バウッ」

「ね。よかったよね、カレン」


 子犬にはカレンと名前を付けた。他に話し相手もいないので、延々彼女に話しかけている間に、名前が欲しくなったのだ。ちなみに、雌雄しゆうは確認済みで、めすだった。


「で、この人たちがどっちに行ったのかってことだけど……」


 生い茂る木々の中、足跡の判別は困難だ。

 しばらくその辺をうろうろしてみて何もわからなかったクリアは直感に任せることにした。

 何となく人がいる気がした方角に進んでいく。


「……こーこはどこだー。ぼーくはまーいごー」


 泥だらけの棒っきれで足下を確かめながら、きれいな白い肌に擦り傷を増やしながら、どしどしと歩いていく。

 もうそろそろ日も沈もうかという頃合いになって、彼女はようやく人の気配を捉えることに成功する。

 それは、匂いだった。

 嗅ぐだけで眉をひそめてしまうような、不快で気持ちの悪い匂い。


「……?」


 どこかでその匂いを嗅いだ気がした。

 鮮烈なる衝撃と共に、耳をつんざくような暴音とともに、その匂いをクリアは覚えている。

 覚えていることだけは確かだった。


 ――視界が開ける。


「え……」


 森の切れ間にあったのは清流のような小さな滝と池。水音も響かないほど静かにゆっくりとそれは流れている。

 上流から透き通るようなきれいな水が滑らかな岩の間を滑り落ちてきて、小さな池に波紋を落とす。

 波紋はゆっくりと池の淵へと広がっていき、淵から流れ出る黒く濁った赤色と合流して、その透明度を台無しにした。


 その三人はたぶん、クリアが追いかけていた焚火を囲んでいた人たちだったのだろう。

 葉っぱしか巻き付けていないクリアと違い、全員同じような灰色ではあるが、ちゃんとした衣服を身にまとっているし、手には黒い武器のようなものを握っていた。背丈恰好からみて、三、四十代といったところだろう。全員が男だ。

 クリアよりはまともな装備であるはずの彼らだったが、全員が体を蜂の巣にされて、池の淵に転がっていた。

 せっかくきれいな清流が流れ込んでいるはずの池が、彼らの血に染まり、半分ほど黒く淀んでしまっている。


「なにこれ」


 クリアには記憶がない。

 記憶がないから経験がないし、経験がないから彼らがどうして死んでしまったのか、その詳しい事情を推し量ることはできない。

 ただわかるのは、彼らが何かに襲われて殺されたのだろうということだけだ。

 三人の男が成すすべもなく殺されて、無残に横たわっている。

 血が乾いていないことから、それはそれほど昔の話でもない。

 彼らを襲った相手は間違いなく近くにいる。

 そして、その相手がクリアを見つけたとき、彼らと同じように殺そうとしないとも限らない。


 それだけのことを瞬時に考えたクリアだったが、一方で、それほど動揺していない自分に驚いてもいた。

 記憶がなくなる前に何をしていたのかは知らないが、これだけの人の死を前にして平然としていられる自分は何なのかと。

 しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。

 心を動かさずに行動できるのなら、それだけこの状況から生存する確率が高まるのだ。幸運だったと割り切って考えるほかはないだろう。


「……よし、とりあえずは……っと」


 池の淵に転がっている死体の服を脱がせた。

 死者を辱めるようで悪いのだが、ここは生きている自分のために役立ってもらおう。

 本当にクリアは冷静だった。冷酷と言ってもいいかもしれない。けれど、それ以外に選択肢がないのだから仕方がない。

 これ以上、葉っぱの服を着ているのもそろそろ限界だったので、ある意味ちょうどよかった。

 穴だらけで血だらけではあるが、まともな服だ。肌にこすれて不快感を覚えることも、枝に引っかかって破れることも、そう簡単にはない。


「それに、殺されて間もないみたいだし、血は洗えばすぐ落ちるしね」


 ここが池だったことも、都合がよかった。

 血はすぐに流れ落ちて、びしょぬれではあるが、服はきれいになった。

 大人の男用なので、サイズはぶかぶかだ。ズボンは履いてもすぐずり落ちてしまうので、男の一人が持っていたロープで腰元をしばった。履いていた靴も、一番サイズが小さいものをいただいた。

 さすがに、下着は汚いのでそのままだ。


「本当はおじさんの服とかあんまり着たくないんだけどねー。こればっかりはしょうがない」


 それと男の一人が持っていた布袋を頂戴し、背中に担いだ。

 その中に男たちが持っていた黒い武器を入れる。全部で三丁。


「……これ、たぶん、武器だよね……? 握り方は死体の見ればわかるけど……。ここ引くの……?」


 死体の見よう見まねで武器を握り、ちょうど人差し指が入ったところの引き金を引いた。


「ぅうわっ……!」

「バウッ……!!」


 恐ろしいほどの轟音がなり、武器前方の穴から金属の塊が発射されるのがわかった。

 池の水をぺろぺろと飲んでいたカレンも思わず、体をびくつかせる。

 その金属の弾は、武器の直線状にあった木にめり込んでいた。

 穴を覗き込んだままやっていたら、確実に頭に風穴が空いていた。


「ああ、そっか。じゃあ、この人たちもこれにやられたのか……」


 そう思って周囲を見回してみれば、地面や池の中に似たような金属の弾が残っている。

 ただ、この武器のものよりは大きさがかなりでかそうに見えるので、同じような武器でもその性能差で負けたのかもしれない。


「っていうかさ……。今の轟音……」

「……バウ?」

「絶対、バレたよねー」


 カレンと目を合わせて、苦笑いを浮かべる。

 手っ取り早く移動しなければ、と考えたその時。

 ゴワァッ、というとんでもなく大きな音が遠くでしたかと思うと、空から大きな影が降ってきた。

 地を揺らすほどの衝撃に、カレンが吹き飛ばされ、そのまま慌てて森の中に逃げていくのがわかった。


「えー、こわ」


 それは、三メートルは越えようかという鉄の巨人だった。

 人で言うところの頭の位置に、赤く光る目玉のようなものがあり、ぴかぴかと怪しく光っては周囲を観察している。

 太い金属でできた骨組みに、左腕には高速で振動する刃、右腕にはぐるぐると回転する四個の筒が束になったものがついている。おそらくは先ほどの金属の弾を高速で打ち出すものだろう。

 また、先ほどの跳躍から見て取れる通り、脚には長距離を跳んで敵に接近するための機構が備わっているらしい。落下の衝撃に備えるためか、脚は腕の三倍は太くて、アンバランスだ。


「えいえい」


 クリアはさっそく手に入れた武器を使ってみることにした。

 手に持った武器を鉄の巨人へと向け、颯爽と引き金を引く。


「……っ――」


 轟音が耳にうるさかったが、構わず何発も発射してみる。

 何度か撃ったところで、弾は発射されなくなった。

 弾を撃ち切ったらしいが、巨人にはダメージはない。

 カンカンと甲高い音がしていたので、すべてあの鉄の体に弾かれてしまったのだろう。


「やっぱだめかー」


 鉄の巨体を見たところで薄々わかっていたが、この武器はこの巨人にはまったく通じないらしい。

 クリアの無謀な攻撃にも構わず、巨人の右手が回転し始める。


「あ、死んだ」


 口では諦めたようなことを言いつつも、彼女の体はまったく諦めていない。

 体を右前方向に投げ出す。右手の弾丸から逃れるためだ。巨人の動きは遅く、また右腕の武器も巨大なものだったので、取り回しに難があるだろう。巨人の懐に入りさえすれば弾丸で死ぬことはないはずだと考えて。

 弾丸が筒から発射されるのと、彼女が倒れこむように地面に伏せるのはほぼ同時だった。


「……っー、あぶねー」


 左頬を弾がかすめたが、かすり傷だ。

 全身を穴だらけにされるのと比べれば、こんなものは傷でさえない。

 だが、地べたに倒れこむクリアに、今度は左腕の刃が振り下ろされる。

 巨人の動きが遅いとは言っても、完全に体勢を崩した相手に立ち上がれる猶予を与えるほど愚鈍なスピードではなかった。

 刃が迫る。


「『物理障壁』」


 口が勝手に動いたことに彼女自身が驚いた。

 それ以上に驚いたのは、高速に振動している刃がまるで空中に生じた壁にぶつかりでもしたかのように停止したことだ。

 何もない空間に火花が散る。

 体を転がすようにして刃の下から出ると、その途端に刃は地面に突き刺さった。派手に土砂が舞い上がる。

 弾かれるようにしてクリアは立ち上がった。


「……『物理障壁』」


 今度は彼女自身の意思で口を動かした。

 障壁は生成されているのだろう。

 自分の周囲一メートルくらいのところに、物体の侵入を遮断する膜が存在しているのがわかる。

 それと、自分の中にある何かのエネルギーがその外側の障壁を作るために用いられたのだと、感覚でなんとなくわかった。

 そして、その感覚はすぐに消える。

 エネルギーを供給し続けなければ、障壁は消えてしまうらしい。

 ただそのエネルギーをコントロールする感覚は、なぜかなじみ深いもののように感じられた。

 やろうと思えば、手に取るように制御できる。そんな予感がする。


「これが何かは知らないけど、使えるもんは使うしかない!」


 巨人はゆっくりと刃を引き抜いた。

 不可解なものを見るように、巨大な赤い目玉を大きくしたり小さくしたりしている。

 すると今度は、右腕の照準をこちらに定めた。


「『物理障壁』」


 三度目ともなれば、展開自体は容易だった。それこそ息をするようにできる気がする。

 問題は、この障壁があの鉄筒の威力に耐えられるかどうか。


「……ってえ!」


 猛烈な勢いで金属の塊が発射される。 

 障壁に当たっているだけなのだから痛くはないはずなのだが、感覚的に自然とそう叫んでしまった。

 障壁にぶち当たった塊はひしゃげるように形を変形させて周囲に散らばった。

 障壁の強度自体はなんとかなっているようだ。

 ただそれも、もって数秒程度といったところか。

 今にも砕けて、次の瞬間には頭をトマトのように吹き飛ばされそうだ。

 こうなると、必要なのは攻撃手段。

 男たちが持っていた武器ではあの巨人にダメージを与えられない。

 逃げるにしても、あの右腕に背を向けた時点で蜂の巣にされるのは確定。その辺で転がっているおじさんたちと同様になる。それはごめん被る。


「うわっとぉ!」


 考えているうちに障壁が砕けた。

 寸前に地面に転がったから致命傷は避けられたが、運悪く左腕にかすった。表面の肉を浅く持っていかれる。


「……痛すぎて泣きそう」


 ごろごろと転がりながら涙を滲ませる。

 その間にも射線は迫ってきていて、数瞬前にいた場所が地面ごと抉られていく。完全に追いつかれる前にもう一度、障壁を張り直した。


「今度割れたらまじむり」


 割れる寸前に地面を転がるなんていう幸運が二度も続くとは思えない。

 だが、不思議と絶望感は心の中にはなかった。

 絶対になんとかしてやろうという自信だけがそこにある。

 なんとも不思議な精神状態だったが、悪くない。


『負けてたまるもんか!』


 ふとそんな声が頭に響いた。

 その言葉には心底、同意だった。

 クリアは死ぬほど負けず嫌いなのだ。


「今度、割れたら死んじゃうなら、その前に倒す」


 鉄筒の防御に必死な今、ここから動くことはできない。

 『物理障壁』は強固で、何十発、あるいは何百発の弾丸には耐えられるほどの強度があるが、数秒程度しかもたない。

 対してこちらの攻撃手段は鉄筒未満の飛び道具のみ。

 よって、これしかないならこれを使うだけだ!

 おぶさった布袋から、一丁取り出したるは、名も知らぬ無骨な武器。

 これまた名の知らぬおじさんの血がこびりついた鉄臭い一丁だが、全身鉄臭そうな巨人相手にはちょうどいい。

 クリアは鉄巨人にしっかりと狙いを定めながら、ゆっくりと立ち上がった。

 考えはある。

 だが、タイミングをミスれば自分が死ぬ。

 不安はない。絶望もない。自信しかない。

 なら、大丈夫。


「せーの!」


 『物理障壁』を解除するとともに、クリアは横っ飛びに飛ぶ。

 当然、射線は追随してくるわけだが、それよりも前に再び『物理障壁』を展開。

 引き金を引いた。

 今、打ち込めるだけの弾丸をすべて打ち尽くすつもりで、指先に力を込める。

 障壁と違って、使い慣れない武器ではあるが、的がでかい分、外す心配はあまりしなくていい。とにかく撃ちまくればどれかは当たる。どれかが当たってくれれば、効果はある、はず。


「おねがいっ!」


 クリアの体が地面についたとき、すべては終わっていた。

 ゆっくりと目を開ける。


「あははっ! ざまあみろ、鉄くず!」


 そこに立っていたのは全身を穴だらけにされた鉄の巨人だった。

 それも、直径五十センチほどの大きな穴が複数。

 当然、その動作は停止している。

 赤い目玉はほとんど消えかけのように明滅していた。


「名付けて、『壁弾』だね!」


 クリアが行ったのは単純に今できることの組み合わせだった。

 ・高速で射出された金属の塊よりも固い障壁を張ることができる。

 ・高速で弾丸を射出することができる。

 この二つを組み合わせ、射出した弾丸そのものに『物理障壁』を張ることで、防御の力を攻撃へと変えた。それだけだった。

 それだけで、「高速で射出される、鉄よりもはるかに固い弾丸」ができあがる。

 威力と攻撃範囲のみが桁違いに上がり、結果として、あの鉄巨人が三人の犠牲者にやったのと同じことが、鉄巨人本人に返ってくることとなった。

 威力の強い武器が威力の弱い武器を圧倒する。

 彼女自身知る由もないが、それは科学と魔法が凶悪なまでに融合した攻撃方法だった。


「さてと……」


 戦いに勝利はしたものの――。


「結局、ここはどこで、この人たちは誰で、この巨人は何なのか全然わかんないんだけどぉー」


 クリアの状況はまるで変わらない。


「無益な戦いだった……」


 クリアは大きくため息を吐いた。

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