#13 交渉成立

『どう? こっちの方が楽?』

 モニターの向こう側で、濫が手を振ったような気がした。

「うん、だいぶ楽」

 俺だけがリビングに留まって、スマホで通話を繋いでいる。

 通話アプリで共有されたパソコンの画面上で、馬酔木濫あせびらんが揺れていた。

 丸っこくて柔らかい目元が、今さっきまで見ていた生身の濫と同じ形をしていることに気づいた。

 何が元になっていたのかを踏まえてから色眼鏡をかければ、元ネタが分からなくもない、それくらいの塩梅だ。

 学生服姿の馬酔木濫あせびらんは、生身の彼よりもずっと幼くあどけない。


 限りなく配信に近いこの形が、誰かの話を聞く時に最も馴染みのあるスタイルだった。

 もしも俺がコメントを書き込むタイプだったら、通話じゃなくてチャットにしようと言い出したのかもしれない。

 神波かんぱネラのアカウントで配信を見ることも多いから、コメントを打ち込んだことが無かった。

 神波かんぱネラとしてコメントしてしまったら、ただのリスナーではなく、演者の神波かんぱネラの意思になってしまうから。

 まあ、神波かんぱネラではないアカウントでも、結局コメントすることはないんだろうけれど。

 その場の思い付きで打ったコメントがずっと俺以外の誰かの動画に残り続けるなんて、怖すぎる。


『前、眠留みんとが鉱石を誤飲したことあるのは覚えてる? まだ白華はっかが生まれて間もない頃と思うんだけど』

 機械を挟んだ声、ガワを挟んだ表情。

 直接向き合っていた時よりもずっと情報量の絞られたこの状況になってようやく、話の内容に向き合えているような気がする。

 騒がしいゲームセンターの中で大事な商談をする人は居ないだろう、誇張するのならそれと似たようなものだ。

「なんとなく覚えてる。キッチン出禁になった」

『その時に、眠留みんとは 誤飲を申告して病院に行ってくれてて。だから、君の鉱石を人間が食べちゃった場合の効果は把握されてたんだよね』

「無害では無かった感じか」

『うーん、まあ大抵の人なら大丈夫ってくらいかな。血管拡張作用があって血圧を下げるから、人によってはふらつくかも。ニトロ化合物に似た物質なのかもね。ミントのアイスみたいで甘くて美味しかったよ』

 血管拡張作用、甘ったるい、ニトロ化合物。

 ざっくりしかない知識の中で近しいものだと、ダイナマイトにも使われているらしいニトログリセリン辺りが近い物質なんだろうか。

 昔は甘味料に使われていたなんて話を本で見たことがあるような気がするが、曖昧だから、これらは眠留みんとの記憶だろう。

「甘かった?」

『うん。眠留みんと以外のデータが無かったから、病院に泊まり込んでカメラの前で君の破片を飲んできた。晴れて君の鉱石単独の効果ではないことが証明されたよ』

「やってることヤバお前」

 見た目が大きく違うとはいえ、ニトログリセリンに近いと分かっていれば被検体として試してみる気持ちも、まあ……いや、分からん。

「てか、俺の鉱石をどうやって手に入れたんだよ。売ったことあるの、結構前のはずだけど」

幽禍かすかに貰った!』

「ああ、あれか」

 たしかにあの時、床に破片が落ちていたような覚えがある。

 それも、目視できるほど巨大な破片が。

一度床に落ちたものを口に入れたと思うと、さっきのコイツの話がよりヤバいことに聞こえてくるが。

『あの日さあ、ほんとは白華はっかに事件について話すつもりで行ったんだ。幽禍が先に言ってくれたから、その場で身分を明かすのもやめちゃったけど』

「あ、カラオケの時にお前が居たの、それ?」

『そうだよ。幽禍かすかに頼んで、コラボにねじ込んでもらったの。捜査や別件と並行して歌の練習するの、しんどかった……』

「突発で俺誘うくらい、自信満々に見えたけど」

『そのためにどれだけ練習したと思ってるのさ! えりすぐりの十八番を持って行ってあれだよ、歌が下手だったら見向きもされないんじゃないかと思って』

「そんなこと……」

 無いとは、とても言い切れない自分が居た。

『で、石化事件について。一連の事件と関係しているかは分からないんだけど、被害者は全員、血液から君の鉱石の成分が検出されたんだ』

「あ、マジで俺、関係者ではあるんだ」

『完全に無関係だったら、流石にこんな話出来ないからね。もう結構、調べはついてて……被害者さんのうち数名には、サウナっていう趣味があった』

 ガワのままで話す彼の姿を見慣れたのか、淡々と事実を述べる彼は聡明な大人に見えた。

 伏せられた目や、僅かに下げられた口角が、肉塊を前にした時のそれよりも遥かに分かりやすいからなのかもしれない。

「サウナ?」

『そう。ロウリュって知ってる? サウナストーンに水をかけるやつ。人によってはその辺の河原で拾った石を使う人も居るらしいんだけどね』

「知らない。でもまあ、話の続きは見えた」

『君の鉱石が、ある温泉のサウナでサウナストーンにされてたんだよね。もう回収したけど』

 元々、白華はっかとは顔見知りになっておきたかったんだよね。実は君、ものすごく難しいポジションなんだよ。公的にはこっちからほとんど動けない。責任能力が認められてない、三歳児扱いだから。仮に君が何かの犯人だった場合でも事故扱いにしかならないんだ』

 どこで息継ぎをしているのか疑問に感じるくらいの早口だった。

 仮に動画で塾の講義を配信したとしたら、似たようなものになるんだろうか。

 普段俺が見聞きしていたのは、娯楽用にチューンナップされたものでしかない。

 配信とガワという条件まで揃えられて初めて、その事実に辿り着いてしまった。

 俺からは、大きく欠落しているものが山ほどあるんだろう。

 三歳児とまでは言わなくても、未成年扱いくらいは甘んじて受けるべきなのかもしれない。


「例えばだけど、俺がさっきみたいにナイフを生成して、お前を刺したらどうなんの」

 これは多分、通話だからこそ叩ける軽口だった。

 同時に、動きの速さや鍛えている事実を認識した上で、それでも俺はおそらく彼を殺すことが出来るのだろうとなんとなく感じていた。

 だから肉塊……人間と接することに、半ば無意識の拒否反応があるのかもしれない。

 壊してしまったらどうしよう、なんて。

 足元を歩く赤子を蹴飛ばしてしまわないかと恐れるような、何か。

 幼子なのは俺の方なのに。

『僕が白華はっかに刺し殺されたら、事故として処理されるね。三歳の子どもが、家の中に落ちていた拳銃で誰かを射殺しちゃった場合と同じ』

 つまり、責任は問われないし、罪にもならないらしい。

 ついでに、俺が聞いたのは刺した場合、つまり傷害罪だけど、濫の答えは刺し殺した場合、つまり殺人罪だ。

 まあ、殺人罪でも罪に問われないのなら、傷害罪の場合なんて言うまでもないのか。

「なんで俺のこと野放しにしてんの……?」

 俺が働けないことよりも、よほど大きな問題だろう。

 俺に悪意があった場合に致命的すぎないか。

『わはは! 君がそういう返答を出来る人だからかな』

「性善説じゃん」

『そうだよ。僕は信じてるんだ、傷つくことよりも傷つけることに怯える君なら、大丈夫だろうって』

「大丈夫だろうって、コレクション棚もあるリビングに俺をひとりで置いて行くしな。不用心すぎるだろ、何するか分からない三歳児相手に」 

 返事の代わりに聞こえたのは、豪快な笑い声だった。

 顔を手で覆ったのか、大きくのけぞってカメラから離れでもしたのか、ガクンと揺れた馬酔木濫あせびらんが目を閉じる。

「そんな笑う?」

『自分でそう言う奴は、しないんだよ』

「それはどうも」

 ピコン、と、通話の奥で何かを起動した音が聞こえた。

 多分、濫は録画か録音を開始している。

『ところでさ、さっきも言った通り、君は公的には彼方者の三歳児扱いなんだ。例えば本来居ちゃいけないところに居ても罪には問えない。カトリの仕事、見てみたくない?』

「カトリ所属の人間であるお前が、犯罪行為を唆す理由は?」

『君を協力者に仕立て上げたいから。カトリってさ、本来協力者とのツーマンセルなのは知ってる?』

 ウェブカメラのすぐ近くに箇条書きの台本でも用意しているのか、彼の目はずっと真っ直ぐにこちらを向いている。

「知らん。警察が二人一組の印象だから、まあそうなのか、くらい」

『協力者って、基本的にはカトリ本人が彼方者あっちものから引き抜くの』

「へえ。幽禍かすかも?」

幽禍かすかは、特定の人と組んでない情報屋さんみたいな感じかな。最近ちょっと僕に協力して貰ってただけ。僕、研修終わったばっかりの新卒でさ、固定の協力者居ないんだよね。それで、幽禍かすかにフリーの彼方者あっちもの知らない? って言ったら、カラオケコラボに呼ばれた』

「待て待て、知り合いになっておきたかったってそういう意味?」

『うん。免許には年齢制限ついてるけど、協力者に対しての年齢制限は無いんだよね、実は。たまーに、引き寄せ体質の彼方者あっちものの人っているじゃない? そういう子は早めに協力者にしてこっちで守ったりするから。君もその枠にならない? 美甘縁みかもえにしくん』

「なるほどな」

『僕が求めてるのはある程度時間に融通の利く彼方者あっちもの、こっちから提供出来るのは仕事と報酬。配信から少し距離を開けたい今の君にはちょうどいいんじゃない?』

「その話、乗った」

 一切配信のネタには出来ない話だけれど、その制約がむしろありがたかった。

 録音を終了したのだろう電子音が、通話の向こう側から聞こえていた。

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