#12 自分の意思でやりたいこと

「なんでそんな笑顔なわけ、今危なかったよな?」

「大丈夫だよ。君の炎が僕の家を燃やすことは無い」

「あ、そう」

 おかしいのが俺なのか、それともコイツなのか、俺には分からなかった。

 俺の持っている知識、つまり約三年前までに眠留みんとが得ている常識は、人間にそんなことを制御出来るはずが無いと叫んでいる。

 仮に第三者から制御出来るとしたら、俺だって鉱石のことでこんなに困っていないだろう。

 あれは、ただ光が強くなるか光らないと濫は想定していたが故の事故で、俺を怖がらせないように嘘をついている。

 そう考える方が、よほど自然だった。

「それに、白華はっかの声がよく出てるから」

「……あぁ、それは、そうだな」

 しばらく配信から距離を取ろうと決めたからか、声は掠れていないし、咳払いも出ない。

 つかえの取れた喉を自覚した途端、安堵と焦燥が同時に襲い掛かって来た。

 配信をしなければ喉は大丈夫らしい。

 でも、喉を使う用途の半分は配信だから、これじゃあ何の意味も無い。

「配信はじめてから一年とかそれくらいが、悩む時期とか言うもんねぇ」

「お前もそうだった?」

「割と。僕の場合はね、一年目の繁忙期かなぁ。残業から帰ったら、配信しなきゃいけないのかなぁって考えてた時期が一番つらかった、睡眠時間削ってたし」

 とにかく眠かったと語る彼の声色が今までに見たことが無いほど深刻で、なんだか笑い出しそうになってしまった。

 睡眠不足は思考も鈍るし、体調も悪くなるし、本人にとっては一切笑いごとなんかじゃなかったんだろうけれど。

「今は?」

「そう思うくらい忙しい時期には配信してない!」

「俺も、それが良いと思う」

「でしょ? 白華はっかもしばらく休んでさ、お休みの間に何かやってみたいこととか、考えてみたら?」

「やって……みたいこと……?」

 咄嗟に何も出て来ない、そんな自分自身に対して溜息が出そうだ。


 思い返してみれば、退院してから一年と少し、誰かの指示以外で動いた記憶なんて無かった。

「濫だったら、例えば何?」

「えー、そうだなぁ。思う存分ゲームしたいとか」

「配信でも無いのに?」

「そっか、そうなるのか。遊園地は?」

「遊園地、行ったことないから知らん」

「旅行……」

「無い」

 俺の記憶が正しければ、眠留みんとが抱いている濫への印象は、外出を好む人間だ。

 ほとんど家から出ない俺との会話が噛み合わないのは、むしろ必然だったのかもしれない。

「普段のスケジュールは? 配信者だと生活習慣ぐっちゃぐちゃの人も多いけど。ちゃんと午前中に起きてる?」

「毎日、朝の五時起きだけど」

「おじいちゃんじゃん……」

「眠留がそれくらいの時間に寝るから、入れ替われるように時間決めてんだよ。起きて最初にやることだって、眠留みんとからの申し送り事項の確認だし。それから……」

 朝食の後は昼まで、動画の編集作業が無い日は流行りの曲や漫画についてチェック。

 眠留みんとが見た映画やアニメのあらすじや良かったポイントを暗記。

 毎日のように、本来であれば娯楽と呼ばれるものをノルマのように履修していた。

 流行りの話題についていかないといけないし、流行りの曲を歌えないといけないから。

 動画編集作業がある場合は、他のVTuberの配信やアーカイブを見ながらの作業。

 昼頃に眠留みんとが起床、一緒に昼食を摂りながら打ち合わせ。

 食後、夕食までは配信もしくは歌の練習。

 夕食後は風呂に入って寝るだけ。

「家にずっと居るのに、室内でやる娯楽が仕事になっちゃってるんだ……。それはストレス溜まるよ、もっと外出しよう? 今日は久々に家出たの?」

「……この前、お前とスタジオで会った日以来はじめてではある」

「やっば! コンビニとかスーパーに行ったりしないの?」

「しない。食料の買い出しは全部眠留みんとがやってる。それに……」

「それに?」

「……なんでも、ない」

 今日の通院にあたって、カラオケぶりの外出をする前に幽禍かすかへの一報は入れていた。

 俺のアリバイは既に成立していて、もう幽禍かすかが俺のことを見張る必要だってなくて、つまり俺が外出を躊躇う理由は何もない。

 それでも尚、抵抗感が拭えないのは、石化した被害者を病院で目撃したばかりだからなんだろうか。


「やりたいこと、一個あったわ」

 自分でも驚くほどあっさりと、思いついたど同時にそれを口から吐きだしていた。

 少し前から喉の奥に引っかかっていること、石化事件について。

「え、なになに?」

「石化事件の犯人捜し」

「へ? 最近、ローカルニュースになってるやつ?」

「そう」

「……それは、カトリの仕事だよ」

「知ってる。でもさ、どうせ事件が解決したって、犯人が誰かは分かんないだろ」

 例えば狼人間が、服用する薬を飲み忘れたか、薬の効きが悪かった結果満月の夜に変身し、誰かを傷つけてしまったとして。

 その事件はもちろん、過失傷害になる訳だけれど、狼人間が誰であったかが報道されることは無い。

 精神疾患の患者が犯人である場合に名前がニュースに載らないのと、恐らく似たような理由だ。

 悪意が無いから、どうしようもない。

 報道したところで、何の抑制にもならない。

 百歩譲って薬の飲み忘れだったら気をつけようと身を引き締めるかもしれないけれど、何かしらの神の影響で薬の効きが悪かった場合なんてどうしようもないじゃないか。

 八百万の神への対処法を編み出せるほど、現状の人類は万能でもない。

「犯人が自分じゃないって、どこぞのメドゥーサでも見て安心したいんだよ、俺は」

 鉱石という共通点がある怪異によって、自他境界がぐちゃぐちゃに掻き乱されているんだろう。

 俺のせいだったらどうしよう、なんて。


「それじゃあ、今僕が知ってるところまで教えてあげるよ」

 濫は黒革の手帳をテーブルの上に置いて、開いて見せた。

 金色の紋章、黒髪だが見覚えのあるツラの顔写真、それと、怪奇現象取締官の文字。

「え、お前カトリ?」

 明るい髪に出来る、お堅い職場。

 カラオケ配信の後、つまり九時五時とは程遠い時間にもある仕事。

 病院で、警察官から会釈されていたこと。

 頭の端にまとめて寄せていた疑問の答えが、一気に提示されたような気分だった。

 黒革の手帳をポケットに手早く仕舞い直すところまで、やはり仕草のひとつひとつが速い。

 多分、俺が彼に対して感じていた動きの速さは、鍛えている人間に対するそれだったんだろう。

「そう、見ての通り。配信者って結構彼方者あっちものが多いから、僕みたいなカトリも潜り込んでるわけ。特にVTuberは顔出さなくていいからね、同業多いよ。カトリって大体、滑舌が良くて歌うまいし」

「は? 歌?」

「そうそう。彼方者あっちものみたいに勝手に精霊の方から来てくれないから、意思疎通を図ろうと思ったらこっちから声掛けないといけないの。祝詞って聞いたことない?」

「単語自体は聞いたことあるくらいだな、祭祀を見たことはない」

 VTuberとしてガワを被り人間のファンに向かって話し、歌い、芸を見せ、カトリとして衣装を纏い神に向かって話し、歌い、芸を見せているのだとすれば。

 カトリにとって、VTuberへの適性は自明の理なのかもしれない。

 だって、やっていることがほとんど一緒だ、芸を見せている先が違うだけで。

「あれ? ってことはお前、俺の実年齢知ってた?」

「もちろん。僕、演技得意だからね」

「ボイスを売ってるだけあるか」

 演技だって芸のひとつだ、むしろ普段は鳴りを潜めているだけで、コイツの最大の武器が演技でもおかしくない。

「で、何? お前は石化事件の担当か何か?」

「特定事件の担当って訳でもないけど、まあそんな感じ? 管轄地域内ではあるよ」

「協力者権限持ちの彼方者あっちものみたいだな」

「たしかに、割と近いかも。警察とは持ってる権限もちょっと違うし、マトリみたいに個人情報ガチガチで隠れてるって感じでもないし。正直、彼方者あっちものが絡んだ事件よりは八百万の神が起こした事象の後片付けの方が多いくらいだよ」

「カラオケコラボの時の仕事も?」

「そう! あの日は、ミステリーサークルが出来ちゃった田んぼの持ち主さんに原因の説明と補償の案内しに行ってた」

 柔らかな声色、つまり、初対面の人間の警戒を薄めることが出来そうな奴。

 仕事の中で説明と案内をして謝っている時間が一番長い、なんて続けた彼は、多分そういう適性を見込まれているんだろう。

 恐らく今から同じように説明を受ける身でありながら、その柔らかな声が羨ましくて仕方なかった。

 同時に、そんな彼の顔でさえ、ぐにゃぐにゃと動く肉の塊と認識して眩暈を感じ始めた自分の方が異端であることは、嫌という程理解していた。

「……白華はっか、大丈夫? 無理に目を合わせようとしなくていいよ」

「あ、じゃあ、別の部屋行って通話でいい?」

 見透かされている。

「通話というか」

 そう自覚した上での、彼に対する明確な甘えだった。

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