三章
#14 一件目
昨日は病院からの濫の家で、今日は濫と同行しての外出。
二日連続での外出は人生で初めてかもしれない。
体力に対する外出時間の上限ギリギリを攻めているという明確な認識があるからか、待ち合わせの現時点で既に不安だった。
通勤時間でもない今は、最も人口密度が少ない時間帯なんだろう。
それでさえ、人の多さに眩暈がしそうだった。
近くで話している、名前も知らない人たちの声が、意味を持たない雑音になって俺の頭を殴りつけて来る。
雑音の主のひとりひとりに俺と同じような、いや、俺よりずっと長い人生がある。
そんな当たり前のはずのことが、ただただ恐ろしかった。
待ち合わせ場所として指定された銅像の近くに腰を下ろし、イヤホンをつけてスマホの画面を叩いている。
音ゲーを画面も見ずにこなしていくこれが、暇な時の癖だと自覚していた。
ただし明滅を繰り返す画面をまともに直視出来ないから、新しい曲を入れるのには時間がかかる。
でも、画面をそんなに見ていないってことは、例えば目隠しをしてもクリア出来るってことだ。
目を閉じたまま音ゲーがクリア出来るからって、その特技の使い道は配信業以外に思いつかないけれど。
昨日、
今日、
》ネラの配信は今日もまた休みだ。
点滅やノイズの激しいもの、派手な画面構成を作れない
演者がひとりになった途端に
休んだ影響が如実に出ていることに対する、ほの暗い喜びを自覚していた。
よかった、二人でやっとひとりだった。
待ち合わせ時間のきっちり十五分前、堅苦しいスーツ姿の男性が、俺の正面に立って俺の顔を覗き込んだ。
「あれ、早いね」
多分そうだろうと朧気な推測は出来るものの、彼が濫だと確信出来るのはその声を聞いてから。
派手な髪色と、式典にでもそのまま参加出来そうなスーツ姿はあまりにもちぐはぐで、同時にアニメなんかで薄っすらと見覚えのあるカトリがそのまま画面から出て来たようでもあった。
濫の声の若々しさも相まって、高校生のコスプレと紙一重、若干ドラマ寄り。
「一時間前から居るからな」
「楽しみにしてくれてた?」
「いや、暇だっただけ」
実際に暇だったけれど、一時間も早く到着していたのは緊張に寄るものだ。
ちょうど到着するように出掛けた場合、間に合わないんじゃないかという不安があった。
実際、ここに到着する前に反対方向へ向かう電車に乗って二駅折り返したから、アプリで表示された移動時間の倍はかかった。
外へ出る時はイヤホンを着けて、音漏れしないギリギリの音量で好きな曲を流して、その曲に身を任せるようにして足を進めるから、割と衝動的というか。
ひとりで外出しない方がいいタイプであることだけは、疑いようがない。
「暇だからって、そんなに早く来る意味なくない?」
「癖みたいなもん。外出に慣れてないから」
「今度から、僕が家まで迎えに行こっか? せっかく同じマンションだし」
「……そうして」
前に別件があると聞いていなければ、今回だってそれを頼みたかった。
濫と一緒に向かうのは俺の鉱石を買った人の家や店で、つまり俺の鉱石を回収するのが濫の今日の仕事だ。
法律上は髪を売ったのと変わらない俺や
ただ、今のところ鉱石が石化事件にどう関与しているか不明瞭な以上、回収一択になるのは俺にでも分かる。
「仕事中、芸名で呼ばないようにしようね、お互い。身バレするから」
住宅街に入ってひとけが失せてから、濫は俺にそう囁いた。
「了解。本名?」
「うん。覚えてる?」
「……
水に人が有るから氾濫、苗字は忘れた。
「さては苗字、覚えてないな」
「バレたか」
「ま、それなら名前で呼んでよ」
「苗字教えてくれないのかよ」
「要らないでしょ? 僕も
「あっそ」
医療が発展したこのご時世に七歳以下で死ぬ子のうち、それなりの割合を虐待死が占めているから。
事故、生まれつきの心疾患、その次くらいが虐待だ。
なにしろ七歳以下の子どもは殺しても死なないから、傷害致死罪も自動的に傷害罪まで軽くなってしまう。
必然的に
「今日の訪問先は二軒ね。一軒目はピアノ教室をやってる個人宅で、二軒目はネイルサロン」
「なるほどね」
真昼間だからか、窓を開けたまま歌のレッスンでもしているらしい。
ピアノの伴奏に合わせて歌う子どもの声が、道端まで届いてくる。
オブラートに包むなら、子どもらしいあどけなさのある歌声だ。
率直に言うと音を外しすぎて不快。
ドレミの音程でミラファとでも歌っているみたいな、むずがゆい感触に、耳を塞ぎたくてたまらない。
声の聞こえてくる方角にある塀には、ピアノ教室と書かれた看板がかかっていた。
生徒のためなのか、砂利の敷かれた駐車スペースが玄関の前に広がっている。
太い線状に窪みがあるのは、車のタイヤ痕だろう。
砂利のところどころに、見慣れた匂いと輝きがあった。
ミントと言えば、繁殖力が強く、地植えはあまり勧められない植物だ。
だからなのか、駐車スペースには雑草の類が見当たらない。
「これ、破片をばら撒かれてね……?」
「そうだよ。今から拾うの。二軒目のアポまで三時間もあるからね、余裕ヨユー。僕は挨拶しに行くから、先に拾ってて。これ袋ね」
「はいはい」
屈んで破片を拾い上げ、渡された折り畳み式のエコバッグの中に突っ込んだ。
雑草を抜くのと同じくらいかそれ以上に、途方もない作業だ。
ピアノのある部屋の窓の先がちょうど駐車スペースらしく、道を歩いていた時とは比べ物にならないくらい鮮明な歌声が聴こえてくる。
まあでも、小さい子どもの歌声ってこうだよな。
幼少期の
歌というコンテンツの訴求力もそうだけれど、
眩しい画面や光の点滅なんかが苦手で、しかも画面酔いしやすくて、有名なFPSをなにひとつ出来なくても、雑談を滅多にしないことを公言していても、交友関係が狭い人見知りを明言していても、歌が上手いというその一点だけで
六歳から八歳の子どもが対象のコンクール、つまりセイレーンみたいなタイプの
何年も前のそれは、兄貴の才を如実に示している。
ほとんど同じ能力を持つ俺が、後から突然生えて来たことに対する、兄貴の気持ちは一体。
だからって、俺に歌を捨てることは出来るんだろうか?
仮に歌を捨てたとして、配信からも逃げて、俺に何が残るのか。
残るものを今から作れるのかどうかも分からないのに。
玄関から出て行く子どもの話し声が、背中の後ろを素通りしていった。
楽しそうに歌われていたポップスは、聞き覚えのあるもの。
聞き覚えどころか、歌った覚えがあるし、動画にもなっている。
遠ざかると同時に消えていく声が完全に聞こえなくなってから、その続きを紡いだ。
ぽつぽつ、こつん、からん。
囁くような歌声に合わせて、眼前に散らばる破片が微動している。
微動する破片を拾い集めるのは楽な作業だ、だって雑草が勝手に浮いてくれるようなものだから。
砕かれて小石になっても俺は俺なのか、それとも俺の歌は神との親和性が高すぎるのか。
神楽なんてものが大昔からある程度には、歌と踊りは神との距離が近い。
濫が戻ってきて、でも、俺に何かを話す訳でもなく、そのまま歌に加わった。
顔も名前も知らない家主が、ピアノで伴奏を弾いてくれている。
ミュージカルの舞台上ってこんな感じなんだろうか、だったら俺はミュージカルの世界に生まれたかった。
濫に主旋律を譲った途端、鉱石の破片が踊り始めた。
ガチャガチャとエコバッグの中に入っていくそれらは、そろそろ俺の表面積くらいを覆うことが出来そうだ。
仮に、思考実験じみた話として。
破片が思考能力を持っていたとしたら俺だったものは生物なのか?
ノームくらいの大きさまで固まって二足歩行する破片だったものに、小動物くらいの知性を感じてしまいそうだった。
一曲歌い終わって口を閉じた今もまだ動いていることで余計に、別の意志を持っているように見えた。
「俺、破片を集めておけば分身出来たりしてな」
冗句のフリを纏った、明るくはない思考だった。
所詮、人間の思考だって、電気信号に過ぎない。
俺は、人を象った化け物に過ぎない、なんて。
破片が俺の形をとったらそれは俺なのか?
「縁はさ、何がその人をその人だと定義してると思う?」
「はぁ?」
「なんか、ほら、あるじゃん、能力とか、記憶とか」
歌を通じて、濫に心の中まで覗かれていたような気がした。
突然降って湧いた話題の主旨は、お前は人間だと言いたかったんじゃないか、なんて。
「少なくとも能力と記憶ではないな、それだと俺と兄貴が同一人物になるから」
「ふーん」
「聞いておいて興味なさげな返事だな」
もしくは、そっけない返事で何かを誤魔化そうとしている。
本当に興味が無いにしては、嬉しそうな声色でもあるような気はした。
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