第4話 異世界への異動はお断りします④

 気がついたとき、私はまっ白な空間に立っていた。


 前後左右がわからないほどの白。天地さえも判断がつかない。

 どの方向へ首を向けてもただただ白く、広く、どこが地の果てなのか、それとも狭小の地に立たされているのかもわからない。

 目の前と思考がぼうっとしている気がする。

 ただただ白い。まるで霧だらけの世界。ここは大地で合っているのだろうか?


 そう考えたとき、私は元夫に殺されたことを思い出した。

 腹部だけならともかく何回も刺されているし、最後の目玉への攻撃は絶対に助からない一撃だ。

 だから今、私は天国へ来ているのだと思い至った。


「神がおる空間ではあるが……天国ではない」


 そうだと納得した瞬間、その結論を否定する声が頭上から聞こえた。

 女性の声だなと思うのと同時に、すぅ……と視界が開けた気がした。

 別に霧がかかっていたわけでもないのに、急に周囲が見えるようになったと感じたのだ。


 相変わらず目の前は最果てがわからぬ白い地平線。

 そんな訳のわからない状況下でも頭がスッキリとしてきたのは、目の前に人らしき姿をみつけたせいかもしれないし、言葉を聞いたからかもしれない。


 遠くから不思議な動作で人間が近寄ってくる。

 頭だけが大きく上下する歩き方で、足を引きずりながら歩くとこんな感じだろうか。人というよりは蛇の動き方に近いと思った。

 さらにその姿は、近寄るにつれてとてつもなく大きくなっていった。


「さて……人の子よ。しばしわらわの話を聞かぬか」


 目の前に立った相手を見た私は、思わず声の主である女性を凝視した。

 上半身は神々しい雰囲気を放つ美女でありながら、下半身は蛇。太く長い純白の胴で上半身を支えているため、人のように見えたのだろう。


 映画で見たような、赤と金が映える古代中国に着ていたかのような衣装。

 艶やかな黒髪がよく映えて美しい彼女の容姿に似合っていたが、その裾から伸びる、白金に輝く鱗の胴体には大きな違和感がある。


 さらに驚くべきは、その身の大きさ。

 山か巨人かと思えるほどに大きかったから、長身の私でも首が痛くなるほど見上げてしまった。


「……あなたは、人なの?」


「いや、わらわは神じゃ」


「か、神?」


 堂々と「神」と名乗るなんて、大胆にもほどがある。でも人間じゃなくて下半身が大蛇か。

 だけど私の不躾な質問に慌てたり怒ったりすることなく、しれっと答えるあたり、実は真実なのかもとも思う。もしくは感情の起伏が少ないだけか。


 それにしても宝石みたいにキレイな鱗。一枚手元に欲しいくらいに輝いている。顔の美しさや凜とした佇まいも相まって、彼女はとても美しい。

 そしてその声音は、驚くほどやわらかくて優しい。

 心を癒やすと言われているシンギングボウルを奏でたときの音色に似ていて、なんとなく逆らいたくないのだ。

 この感覚を表現するには例えがみつからず、とても不思議な感覚だった。


「私のいた国にはいない神様ね」


 おそらく、だけど。白蛇の神様がお金に関する神様だっていうのは、わりとよく聞く話ではある。でも上半身が女性っていう神様は聞いたことがない。


 とはいえ日本の神様をすべて網羅しているわけでもないから、他国の神様なんてもっとわからないんだけどね。


「己の世界どころか、己が暮らしていた国の神々も知らぬのに、よくもまぁ断言できたものだ」


 口元に手を当てて、神と名乗った大蛇の美女は楽しそうに笑った。

 私の考えていたことに対して、即座に返答できるとは……。神だと名乗るだけあって、心を読むなんてお手の物ということだろうか。


 私は内心のわずかな動揺をひた隠しつつ、開き直って大蛇の女神を見上げた。


「でも、あなたの姿を見たことがないのは事実よ」


「そうやもしれぬな。ここはそなたが暮らしていた世界とは異なるゆえ」


「異なる……?」


「そなたがおった世界では……確か『異世界』と言うはずじゃ」


「異世界……」


「そなたの世界は地球という星にあり、故郷は日本という国であろう? それに倣うのであれば、まったく違う星、そして国々と考えれば理解しやすいやもしれぬ」


 態度から私がまったく理解できていないと思ったのだろう。女神はわかりやすい例えを用いて説明してくれた。

 なるほどと思う反面、にわかには信じがたい言葉だとも思った。


 異世界だなんて……現実味が薄すぎる。元の世界で「天国に来た」と言われたほうがよっぽど納得できる。

 だけど、そんなことはどうでもいい気がした。

 問題は別にある。


 私は大蛇の女神をまっすぐに見上げた。


「それで、私はどうやったら日本へ帰れるのかしら?」


「ん? もしや、そなた……。覚えておらぬのか?」


 女神は心底不思議そうな顔をして私を見下ろしている。

 当然、私の頭の中には疑問符が浮かんだ。


「覚えて……? なんのこと?」


「ふむ……」


 大蛇の女神がずいっと顔を近づけてきた。そうして、私の瞳をジッと覗き込む。五分ほどそうしていただろうか。


「……なるほど」


 たった一言呟いただけだったが、女神には納得がいったようだ。体勢を戻した大蛇の女神は、改めて私を見下ろした。


「さて。日本へ帰れるか否かであったか」


「えぇ」


「難しいの。今の状態で向こうの世界に戻ることは困難である」


「今の状態……ということは、異世界とやらに転生してから死ねば、日本へ戻れると判断してもいいのかしら」


「そなたは察しが良いな。確かにそうすれば、日本の輪廻転生の輪に戻れる」


 続けて女神は、「異世界の輪廻の輪にも入れるが」とも付け加えた。


「わかった。それじゃ質問を変えるわ。私はなんでここにいるの? 自分の意思で来たの? でも私は殺されたはずよね?」


 女神は私をまっすぐに見下ろした。虹のように輝く眼がキレイだ。黒い瞳のなかに青や緑、ときには赤に輝く色が見える。

 まっすぐに射貫く眼は嘘をつく者の目ではない。


 彼女の眼を見ると、私はなぜか取調室の犯罪者を思い出した。彼らの多くは、自己保身のために平気で嘘をつく。それは醜いほどに、悪辣な嘘を。

 嘘を語るときの犯罪者の眼。今の大蛇の女神と真逆過ぎたから、思い出してしまったのだろう。


 大蛇の女神には、犯罪者の醜悪さがない。私の問いに対して真摯に答えようとしていることが、簡単に見て取れた。

 私が品定めをしていることを看破したのだろう。まぶたを閉じた大蛇の女神は、ゆっくりと呼吸をしてから再び目を開けた。


「よかろう。そなたが納得ゆくまで答えるとしようか。まず、そなたは日本で亡くなっておる。そして、用があるから我らがそなたを探し出し、ここへ連れてきた」


「我ら?」


「わらわの兄弟たちだ」


「なるほど。神様の兄弟ね。……で、私の意思は関係なく呼ばれたのよね?」


「今の状態では、そうなるの」


 なんだか含みがある言い方だった。

 先程も「覚えていない」だとか言っていたし……私は以前、この女神様に会ったことがあるのだろうか?

 ……いや、ない。それはない。

 こんなインパクトのある神様に会ったら、いくらなんでも記憶しているはずだ。


「勝手に連れてきた点に関しては、申し訳ないと思っておる」


「では、負い目を感じつつも、私をここへ連れてきた理由を教えていただける?」


「アンクティークゥムへ転生し、とある王国の王女の体へ入り、王位を継いでもらうためじゃ」


「……は?」


To be continued ……

―――――――――――――――――――――――――――――

●○●お礼・お願い●○●


最新話まで読んでいただきまして、ありがとうございました。


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