第十話 苦し紛れの捜査線

 私たちがバスを降りるころには空はもうほとんど夜闇に飲み込まれており、地平線の際だけが赤く染まっていた。


 バスの中ではさもそれが約束であったかのように、お互いに言葉を交わそうとはしなかった。私も彼も、犯人に繋がる手掛かりが得られなかったことに悄然としており、早くも二人の間には手詰まりの感が立ち込めていた。


 しかしこのままではいけないと思ったのか、彼はバスを降りて深呼吸を一つすると暗黙の約束を破って口を開いた。


「沙夜、明日はなんか予定とかあったりするか?」


 私は彼の空元気に応えるように背筋を伸ばす。


「いえ、土日はだいたい家で過ごしてるので予定は特にないです」

「朝十時に東図書館に集合って出来そうか?」

「東図書館ですか? 学校も部活があるので開いてはいると思いますけど?」

「あぁうん。確かにそうなんだけど、ちょっと考えがあってさ」

「はぁ。わかりました」


 私は彼の意図を察しかねて生返事をする。しかし、突然実施されたアンケートをうまく利用する彼のことだ。きっと何かしら考えがあるのだろう。去っていく彼を見ながら、私はそんなふうに考えた。


 帰路を辿りながら、今日の夕飯は何にしようかと考えをめぐらせる。冷蔵庫にハンバーグを作ったときに余ったひき肉、それから冷凍庫に里芋があったはずなので、これでそぼろ煮ができるかもしれない。今日は洗濯もしなければいけないはずだ。帰る時間が遅くなって、急に忙しくなったなと感じる。


 それからあまり気は進まないが、母にお小遣いをねだらなければならない。最低限、明日東図書館までいくためのバス代が必要だからだ。


 金曜の夜はその週に溜まった睡眠負債を一気に返済するかのように次の日の昼頃まで熟睡する母なので、今日の夜のうちにお小遣いを受け取っておかないといけない。母に金銭的なお願いをするのはこの〝体〟にとって小学生以来のことだった。

 



「東図書館?」


 いつものように食事をする母と向かい合い、私は明日の予定について話していた。


「うん、そう。それでバス代が要るからお小遣いが欲しいなって」

「あぁ、そういえばもう九月だったわね……」

「もちろん今すぐ全額が欲しいってわけじゃないよ? とりあえず千円もあれば事足りると思うし」

「それは大丈夫よ。心配しないで。でも東図書館に何しに行くの?」

「えっと……学校の人と一緒に課題やろうってことになってて……」


 彼のことを「友達」と言うのは何か違うような気がして、咄嗟に出た三人称が「学校の人」だった。


「そう。で、何時に行くの?」

「十時集合になってるから家を出るのは九時ちょっとすぎとかになりそうかな」

「お昼はどうするの?」


 それは考えていなかった。彼のしようとしていることが何であれ、せっかく犯人捜しに時間を割ける土日を午前中しか使わないなどということはないだろう。であれば、やはり昼食の用意は必要そうだった。


「適当にお弁当でも作ってこうかな」


 私は一番母に負担がかからない方法を選んだ。もし外で買って食べるなんて言おうものなら母は自分がそのお金を出すと言って聞かないだろう。優しくはあるのだが、いかんせん頑固な母なので、そういう状況になると折れるのは大抵私の方だ。だからそれを回避する唯一の方法は、そもそもそういう状況に陥らないことだった。


「それでいいの? 沙夜、久々のお出かけでしょ?」

「いいよ別に。出かける機会なんてこれからいくらでもあるだろうし」

「そう……わかったわ」


 私の主張に母は素直に引き下がった。この防衛ラインを死守している間は大丈夫だ。そんな手応えを感じる。しかし――


「じゃぁバス代はお母さんが出すわね。勉強しにいくんだから、それにお小遣いを使う必要はないわ」


 私が満足げに守っていた戦線が一瞬で崩壊した。というより、私は防衛線を引くところを間違えていた。母は悠々と違う場所から侵攻してきて、私をその射程内に収めている。もうこうなってはなす術がない。


「往復でいくら?」


 母の微笑みが、まるで降伏しなさいと言っているように見えた。私は白旗を上げるように「780円」と答え、母から800円を受け取った。もし次があるのなら、出かける理由の方も工夫が必要だなと私は教訓を胸に刻んだ。




 目が覚めたのは朝の六時半だった。私は半開きの目を擦りながら体を起こすと、ぐっすりと眠っている母の頭の上を通って、静かにリビングへと出た。カーテンを開けると空はどんよりと雲で覆われており、いつ雨が降ってきてもおかしくなさそうだったので、今日は傘を持って出なければと考える。


 洗顔や着替えといった基本的なことを済ませ、朝食を作ると同時に弁当を用意した。朝食を食べ終えた後、私は口実などではない本当の学校の課題に取りかかる。それほど量はないので、出かける前に全て片付けることができた。


 私は九時十分に家を出て最寄りのバス停へと向かった。二十三分発のバスに乗れば五十二分には東図書館前に着くので、非常に具合が良い。バスの中では昨年本屋大賞をとったミステリー小説を読んで時間を潰した。役に立つことは多分無いだろうが、ミステリー小説を選んだ理由はそういうことだった。


 乗車していた数人の最後尾についてバスを降りると、目の前には大きな二階建ての図書館の威容があった。東図書館は市内では最も大きい図書館で、地域の資料館としての役割も兼ね備えているという。開館は十時のようなので、入り口や駐車場にはそれを待っているらしい人がちらほら見受けられた。


 入り口の方へ歩いていくと、ポーチの支柱近くに彼が立っているのが見て取れた。


「おはようございます」

「お、沙夜。おはよう」


 挨拶を交わしてから私は彼の横に並び、彼と一緒に開館を待った。その間、私は何の目的で東図書館に来たのかを彼に尋ねてみることにする。


「今日はどうして東図書館に来たんですか?」


 私の質問に、彼は周囲を一度確認してから声を潜めて答えた。


「幽の件と似たような事件が他にないか探そうと思ったんだよ。ここ、これまで発行された地方紙を全部保管しているらしいからさ、それを見れば何かわかるかもなって」


 アンケートを利用した時の機転はどこへやら、それはお世辞にもいいアイデアとは言えない話だった。地方紙をしらみつぶしに調べるなど途方もない作業になるし、そこから何か手掛かりを見つけようということ自体、雲をつかむような話だった。


「どれくらいかかるんでしょう……」


 私はどこか遠くを見つめるようにしながら呟いた。対する彼も「さぁ」と肩をすくめる。それらの動作はどちらもやりたくはないがやるしかないという、諦めとも決意ともつかぬ微妙な心境を二人の間に共有しているかのようだった。


 どうせ高校生に出来ることなんてたかが知れている。であれば、数少ない出来ることのひとつひとつを丁寧にこなす以外に道はないのだ。


 職員が出てきてチェーンのついたポールを入り口から撤去した。入り口の自動ドアの上に設けられた電光掲示板に開館中の文字が点灯し、それと同時に待機していた人たちがぞろぞろと中に入っていく。私たちもそれに交じって図書館の中へ足を踏み入れた。


 私たちは手始めに雑誌類が置いてあるコーナーに行き、そこに直近一ヵ月分の地方紙が置いてあるのを発見した。直近の地方紙の日付は昨日のものになっており、一面はLGBTQについて問題発言をした政治家の話題で占領されている。


 私はまるで興味のない一面を無視してそれを捲っていくと、四ページ目から地域色の濃い話題が目立つようになってくるのがわかった。そしてその中にはつい先日SNSで拡散された例の動画の件も取り上げられていた。


「うわぁ……」


 私は思わず顔をひきつらせる。記事には学校側の「すぐに調査と対策を講じます」という趣旨のコメントが掲載されていた。


「火曜日と金曜日に出てるみたいだな、この新聞」


 彼が棚の中に入っている一カ月分の新聞の日付をざっと確認してそう言った。地方紙なので、大手新聞社の様に毎日発行というわけではないようだ。途方もない作業になると思っていたが、これならなんとか二人でやれるかもしれない。


「とりあえずここにあるやつ全部確認しようぜ。それより昔のはカウンターに行って聞かないとわかんねーからさ」


 私はそれに頷くと、手に持っていた地方紙を畳んで棚に戻し、次に新しい地方紙を手に取った。対して彼は棚に並んでいるものの中で最も古いものを引き抜いてその内容を確認する。最終的には私が新しい方から六部、彼が古い方から四部の内容を確認したところでその棚に並んでいる分の確認は終わった。


「何もなし」

「ですね」


 端から直近一ヵ月分の地方紙に何か手掛かりがあるなどとは期待していない。本題はここからだった。


 二人でカウンターまで行き、古い地方紙を見たいと告げると、貸出対応を主な業務にしているその人は奥に言って担当の職員を呼んできた。


 出てきたのは老人と言っても差し支えない風采をした、物腰の柔らかそうな男性だった。私たちはその老職員の指示に従って学生証を提示し、用紙に必要事項を記入する。〈目的〉と書かれた欄には少々戸惑ったが、彼と相談して〈学校の課外活動のため〉と書くことに決めた。記入を終えると、私たちは案内されて二階へつづく階段へと向かった。


「いやぁ、嬉しいですねぇ。こんな若い方が地方紙に興味を持って下さるなんて。あ、実は私、昔はこの地方紙の編集部に勤めていたんですよ」


 老職員はゆっくりとした足取りで階段を上りながら、それと同期するかのような間延びした口吻で昔を懐かしむように言った。


「最近はインターネットやスマホっていうのが普及してきてるでしょう? そりゃぁ便利にはなりましたが、新聞を読む人もめっきり減ってしまいましてね。だから若い人が新聞を見たいって言ってくれるのがたまらなく嬉しいんですよ」


 あまりにも嬉しそうに話すその姿に、私は愛想笑いで応じるほかなかった。少なくともこれから私たちがやろうとしていることは、この人の期待に沿うものではないだろう。


 私たちは〈関係者以外立ち入り禁止〉の札の奥にある、ドアが左右にいくつも並ぶ廊下に案内される。


「ここが過去三十年間に発行された地方紙を全て保管した場所になります」


 老職員はその中の一つの前で足を止めると、そう言いながら落ち着いた手つきで鍵を開け、ドアを開く。その奥には備え付けのスチールラックが両サイドに並ぶ空間があり、そこには段ボールが積まれていた。段ボールの数は男性が言ったとおりの歴史の長さを物語っており、通路はちょうどその段ボールを出し入れできる程度の幅しかなかった。


 男性は入ってすぐ隣の壁にあるスイッチを押し、通路に沿って奥に伸びる蛍光灯に白色の光を灯した。視認性が良くなり、それぞれの段ボールの側面にどの時期のものかがわかるように日付が手書きされた紙がセロハンテープで張り付けられているのが見て取れる。


「左側手前が一番新しいものになっていまして、奥にいくとだんだんと古くなっていきます。で、折り返して右に行きますと、今度は奥が新しく、手前が古くなっております」


 要するにU字を描くようにして時系列順に地方紙が保管されているということらしい。左側の手前の棚がまだ空いているのはそこが直近の地方紙を収める場所だからということだ。


「それから注意事項がありましてね。持ち出しは禁止されているので、資料の閲覧にはこの廊下の奥にあります閲覧室の方を使ってください。取り出した資料はちゃんと元あった場所に戻すようにお願いしますよ」


 私たちがその注意事項に背筋を正して「はい」と答えると、老職員は満足そうに頷き、さらに補足を入れる。


「ここを離れる時にはカウンターに必ずお声がけ下さい。あと、閲覧室に脚立がありますので、高いところの箱を取るときはそれを使って下さい」

「ありがとうございます」


 彼の言葉に続いて、私も軽くお辞儀をした。老職員はそれを見て微笑むと、最後に「では、ごゆっくり」と言い残し、再びゆっくりとした足取りで廊下を戻っていった。


「さて……やるか」


 資料室の中を見据えた彼が、まるで年末の大掃除にでも挑むかのような調子で呟いた。私も同じような気持ちで最初の段ボールを見据える。ラックは五段組みになっており、最初の箱はその最上段に入っていた。


「とりあえず脚立もってきてくれるか?」


 その箱を指さして振り返りながら言う彼に私は頷くと、脚立を調達するべく廊下の奥にある閲覧室へと向かった。




「あぁ、だからか」


 調査を始めてすぐのことだ。七月下旬頃の記事に目を通していた彼が何かに納得した声を上げたので、隣にいた私は彼の見ている新聞を覗き込みながら何を見つけたのかを尋ねた。


「今年の六月に南高で首吊り自殺があったらしいんだわ。で、その理由がいじめだったんじゃないかって話になってて、それを調査した教育委員会の報告が載ってる。自殺したのは、えっと……あった。加納紀美子だってさ」

「え゛っ」


 酷い一音が漏れ、急いで口を塞いだが時すでに遅し。彼は私の方を見て驚愕の表情を浮かべていた。


「あ、え? まさか……」


 彼は顔を引きつらせながら〝私〟を指さした。この期に及んで言い訳をするわけにもいかず、諦めて〝私〟は白状する。


「五十沢さんの前に〝私〟がいた〝体〟です……」


 非常に気まずかった。五十沢幽の時とは違い、それは紛れもなく〝私〟が自殺させてしまった人だ。どんな批難の言葉を浴びせられても文句は言えない。そう思って唇を硬く引き結ぶ。対する彼はひとしきり悩むような様子を見せたあと、険しい顔つきで口を開いた。


「とりあえず今はこれからのことだけを考えよう。昔の話を蒸し返しても意味がないしな」


 彼はそう言って取り繕ったが、彼が苦悩するのも至極当然のことだった。彼からすれば隣にいる〝私〟は加納紀美子を自殺させた張本人なわけで、彼は今そんな〝私〟と協力関係にあるのだ。この事実を許容するのは容易なことではないだろう。だからこそ、彼の出した答えは保留だった。


 私は「わかりました」と小さく返事をしたが、やはりこの胸に残る罪悪感は簡単には消えそうになかった。彼も〝私〟もお互いに割り切れない部分があって、そのわだかまりが友達でも相棒でもないただの協力者という関係を二人の間に固持しているように思われた。


「で、本題に戻るけど――要するについ最近市内で自殺者が出てたからうちの学校も敏感にならざるを得なかったんだよ。どうりで対応が早かったわけだ」


 彼は努めて声音を整え、あくまでもいつも通りを装っていた。私も自分の頬を両手でぱちんと打って切り替えなければと自身に言い聞かせる。健全な関係ではないかもしれない。しかしせめて、良き協力者ではありたいと思った。


「私もやけに対応が早いなと思ってたんです。普通はもっと事実確認に慎重になるんじゃないかなって」

「だよなー。ん? なんか他にも妙なことが書いてあるな?」


 彼の指さした部分は報告の概要を説明した箇所で、そこにはこう記されていた。


――また、同校は今年一月に家出したとみられる生徒の捜索願を警察に提出しており、行方不明となった生徒といじめの関係についても明らかにしていくことが求められています。


「捜索願って親族とかじゃなくても出せるんだっけ?」

「どうなんでしょう?」


 私はスマホを取り出してブラウザを開き、捜索願について検索した。検索結果のトップを開き、目次のリンクから目的の内容にジャンプする。それによると、法改正によって親族以外の関係者からも捜索願は出せるようになったとのことだった。


「なるほどな。しっかしなんでわざわざ学校が捜索願を出したんだ? 家族はどうしてたんだよ?」

「わかりません。でも、家出したってことはやっぱり家庭に問題があったってことなんじゃないでしょうか?」

「まぁそれはそうなんだろうけどさ……」


 彼はどこか腑に落ちないと言った様子で言葉を濁したが、とはいってもその記事から得られる情報はもうなさそうだったので、記事を写真に収めるとそれを畳んで段ボールへと戻した。


 再び各々で記事に目を通す作業に戻る。教育委員会の調査報告以前にも加納紀美子の自殺に関する記事はいくつかあったが、その内容は加納紀美子の生前についてまとめたものや、学校側の謝罪会見などが主だった。


 また同時にその文脈でよく取り上げられていたのは、市の〈いじめ防止条例〉を土台に策定された〈家庭内暴力及びいじめ対策基本方針〉がただの張子の虎なのではないかという非難の声で、中には市内限定の世論調査の結果が載せられているものまであった。


「あんまり目ぼしい情報はないなー」


 彼はぼやきながら目を通し終わった六月二十三日の新聞を段ボールに戻す。〝私〟が加納紀美子として死んだのは二十日だったので、日付を遡って地方紙を読み進めている私たちにとっては、それが加納紀美子の自殺について書かれた最後の新聞となった。


 そこからはひたすらに無味乾燥な時間が流れた。なにせ事件はおろか、学校に関する話題すら数えるほどしか出てこなくなったのだ。お互いに会話を交わすことなく黙々と作業を進めるが、収穫のないまま時間だけが過ぎていく感覚は肉体的疲労以上のものを私たちに強いていた。


「舐めてたわ……これ、バカしんどい……」


 ひたすら文字を追う作業をこなす中、先に音を上げたのは彼だった。進捗としては雑誌コーナーで既に見た八月分を含め、やっと四ヵ月分が終わるかといった具合だった。


 慣れない作業だからというのもあるが、些細なことも見逃せないという緊張感が余計に疲労を助長する。見出し以外にも訃報欄の確認は必須で、特に若い人の訃報が出てきたときにはスマホで追加の情報収集を試みていたため、何よりもこの作業が一番時間を食っていた。


「もう一時回ってたんですね……。今読んでる分終わったら一旦休憩にしましょう」


 私はそう提案しながらちょうど読み終えた新聞を畳んで段ボールにしまい、未確認の新聞の山の上から次の一部を手に取った。ぱっと見、今年の分だけでもまだ三十部は残っている。


「だなー。腹が減っては戦はできぬって言うし」


 彼はそう言って大きな伸びをひとつすると、再び新聞に向かった。私も私で、既に何度人手が欲しいと思ったかわからないほどこの作業の辛さを実感していた。しかも、この途方もない作業の果てに何か成果が得られる確証はない。所詮、犯罪捜査と言うにはおこがましいほどの素人の思い付きにすぎないのだ。


「よし、終わり」


 彼が自身の手に持っていた新聞を机の上に放りだした。背中を背もたれに預け切り、全身を脱力しきって天井を仰いでいる。もしかすると普段文字を読むことに慣れているこの〝体〟より、彼の感じているストレスの方が幾分か大きいのかもしれないなと思った。


 私も彼より数分遅れて手持ちの新聞を読み終える。時計を見ると時間はすでに一時十五分になろうとしていた。


 ここまでの進捗を総括すると、約四カ月分でおよそ三時間を費やしたことになり、大雑把に見積もっても一年分ともなれば九時間は必要になる計算となった。しかしそれもこの集中力が続けばの話であって、午後は疲労のために効率が落ちることが予想される。彼が何年分遡る気なのかは知らないが、これは相当気の滅入る作業になりそうだと私は覚悟した。


「沙夜は昼どうすんだ?」


 私が手を止めたのを見て彼が昼食の話題を切り出した。


「えっと、お弁当作ってきてるので」

「おっけ。じゃぁ一緒に食うか――って、ここ飲食大丈夫なのか? ちょっと聞いてくるわ」


 彼はそう言うがはやいか、閲覧室から飛び出すようにして出ていった。私はその行動の素早さに、きっとお腹すいてたんだろうなと場違いにもほんの少し微笑ましい気持ちを感じるのだった。

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