第六話 絶望の存在証明

 二人の間には始終気まずい空気が立ち込めていた。昨日あれほど散々な出会い方と別れ方をしておきながら、私は今彼の隣を歩いている。何を言えばいいのかわからぬまま、しかし立ち去ることもできず、私はただ彼についていくことしかできなかった。


 校門を出たとき以来の初めての言葉が交わされたのは、大きな川にかかった橋を渡っているときだった。


「ちょっとあそこで休もうか」


 彼が指さした先は堤防下に敷設されたサイクリングロード沿いにあるベンチだった。私は渋々頷いて、一緒に橋を渡り切ったところで曲がり、緩やかなスロープを下りる。彼が指さしたベンチは、スロープを下り切ったところを少し橋の方へ戻ったところに設置されていた。


 私たちは横長のベンチの端と端とに座った。その距離はまるで〝私〟と彼の間にある本当の距離を表しているようで、私はどうしようもなく切ない気持ちになる。五十沢幽の時はこんな距離はなかったというのに。


 再びの静寂が訪れる。もしかして、いじめの現場から救い出してくれたことに対して、お礼の一つでも言った方がいいのだろうか。実際の時間に反して異様に長い沈黙に、私は耐えきれなくなり始めていた。


「あの」


 思い切って口を開いた。しかしその言葉はちょうど彼から発せられた「あのさ」という声と綺麗に重なってしまう。思わず振り向いて互いに顔を見合わせるが、私は彼の顔を直視できずすぐに顔を伏せると、「どうぞ」と小さく呟いた。


 私の譲歩を受けた彼は、制服のポケットから何かを取りだすと、それを私の方に差し出した。


「昨日、これ落としてったから」


 見ると、それは私の学生証だった。彼が自己紹介すらしていない私の名前を呼ぶことができたのはこのためだったらしい。私は彼の目を見ずにそれを受け取ると、「ありがとうございます」と形ばかりのお礼をした。そしてそれをポケットにしまうと、立ち上がり、「それじゃ」と浅いお辞儀をして足早にそこを立ち去ろうとした。


「ちょ、待ってくれよ!」


 彼はベンチに座ったまま、私の手首を捕まえて立ち去ろうとする私を引き止めた。それはまるで、昨日私がやったことを彼が模倣しているかのようだった。


「昨日のことは悪かった。俺、ちょっと余裕なくてさ。大森さんに八つ当たりしちゃったんだと思う。本当にごめん」


 彼は焦燥のためからか、少し早口になっていた。しかし、〝私〟にとってその内容はもはやどうでもいいものだった。〝私〟が彼から逃げたいと思っている理由はもはやそんなところにはなかった。


「離してください」


 私は何の感情も籠っていない口調で言った。


「叫びますよ?」


 自ら発したその言葉の卑劣さに、からっ風が吹き抜けたかのような冷たさが走る。手首から彼の手が離れ、その隙間をじっとりとした気持ちの悪い空気が埋めていく。


「そう、だよな……嫌われて当然、だよな」


 そうじゃない。しかしそう言ってしまったら彼を避ける理由が失くなってしまう。五十沢幽の死を、伝えないではいられなくなる。


 私は彼に背を向けたまま歩き出した。これ以上この場にいると、罪悪感に押しつぶされそうだった。


「最後に一つだけ……! 答えて、くれないか?」


 数歩進んだところで、私は彼の言葉に足を止めた。振り返らずとも、気配で彼が立ち上がっていることがわかる。私はこれで終わるんだと思いながら彼の次の言葉を待った。


「幽は――」


 短く言葉を切った彼は、その先をひとしきり躊躇すると、まるで何かに脅迫でもされているかのように震えた声で続けた。


「自殺、したのか……?」


 その瞬間、私の頭に急激に血が上った。〝私〟にとってその言葉は「お前が殺したのか?」と言っているようにしか聞こえなかった。だから堪らずに振り返って叫んでしまう。「違います!」と。


 しかし、叫んだあとで気づく。もうどうやっても言い逃れができない状況に陥ってしまったのだということに。彼の呆気にとられた表情が、そのことを雄弁に物語っていた。


「違う……?」


 唖然として言葉を反芻する彼の前で私は俯いた。冷汗がつうっと背中を伝い、拳にこもった力が自然と手を震わせる。


「やっぱり何か知ってるんだろ? なぁ、頼むから教えてくれよ。幽は今どこに――」

「殺されたんですっ!!」


 限界だった。縋るように私の方へ一歩一歩近づいて来る彼が、まるで亡者のようにすら思われて、それを追い払うかのように声を張ってしまった。


「は……? 殺され、た……?」


 彼は目を見開き、口を半開きにして力なく私の言葉を繰り返した。それから顔に手を当てて数歩後退りしながらうわ言を並べ立てる。


「殺された……? 一体誰に? いや、そうじゃなくて……殺されたってことは、もう幽は――」


 まるで眩暈を覚えた人のようによろめく彼が次に顔を上げた時、そこには藁にも縋る足掻きの表情が浮かんでいた。


「証拠は……? 証拠はあるのか? 君は何でそれを知っているんだ?」

「え……?」


 私は答えることができなかった。当然のことだ。まさか本当のことを言えるわけがない。こんな状況でふざけたことを言うなとキレられるだけだ。しかしだからといって、代わりに口にする台詞があるわけでもない。私は言葉が見つからずに押し黙ってしまう。


「なんで黙るんだよ……? 質の悪い嘘だったら――」

「嘘なんかじゃ、ないですっ……!」


 私は歯を食いしばって必死に訴えた。


「ただ、絶対信じてもらえないってわかってるから……」


 この期に及んでも私は躊躇している。もう〝私〟の存在を明かすしかないところまで来てしまっているというのに、初めて訪れるその瞬間に〝私〟は果てしない不安を抱いていた。


 〝私〟の訴えはそれが虚言の類ではないということを彼に伝えることには成功したようだった。しかし、五十沢幽が生きている可能性を真っ向から否定された彼の表情は、より一層絶望に歪んでいる。そこから発せられる声は、もはやたどたどしくすらあった。


「わかんねぇよそんなの……。俺はただ……幽のことが――」


 覚束ない彼の口は遂にその先を諦めてしまった。彼は俯き、小さく震えている。彼にしても、五十沢幽がもうこの世にいないということには薄々感づいてはいただろう。ただその現実が受け入れらなくて、この時まで必死に抗い続けてきた名残が、今の彼を苦しめているのだ。


 私はもうそんな彼を見ていることができなかった。デイパックを肩から下し、その中に手を入れて、奥から今日一日私を苛み続けた四角い塊を取りだす。そして私は、それをゆっくりと彼の方へと差し出した。


「これは……?」


 彼はそれを私の手から受け取りながら、その意味を図りかねたような問いを発した。


「五十沢さんが襲われたところに落ちていたものです」


 私は努めて淡々と言葉を紡ぐ。迷いに抗うため、深く息を吸い、そして遂にその言葉を口にする。


「そして〝私〟が――その襲われた張本人なんです」




 がちゃん


 サムターンを回すと、お馴染みのあの音が玄関に鳴り響いた。リビングに繋がる扉に設けられた縦長のガラスからほとんど光が漏れてないのを見て、すっかり帰りが遅くなってしまったことを改めて認識する。


 リビングの明かりをつけて掛け時計を見ると、十八時を少し回っているところだった。洗濯は昨日したばかりなので、今日は夕飯の用意をするだけで済むのは運が良かったといえる。私は私服に着替えると、すぐにキッチンに立った。遅めの夕飯を終え、体中に張り付いていた汗を洗い流し、宿題まで片付けたころには時刻は二十二時半になっていた。


 慌ただしくルーティーンを済ませたのには理由があった。単純に時間がなかったからというのもそうだが、余計な思考を阻害するという目的の方が幾分大きかった。しかし、手持無沙汰になってしまった今、抑えつけていたそれらの思念は次々と頭の中で息を吹き返し始めていた。


――わるい。ちょっと整理つかねぇわ。


 〝私〟が自身の呪われた運命を初めて明かしたあと、彼が発したのがその一言だった。少し考える時間が欲しいから、今日は一旦解散しようということになった。


 私は自分のスマホに新しい通知が来てないことを確認し、彼がまだ結論を出しかねていることを知る。果たして彼は〝私〟の存在をどう受けとめるのだろうか。そう考える度、僅かな期待と圧倒的な不安が押し寄せる。


 読書すらまともに手につかず、敷布団の上で輾転反側しながらスマホとにらめっこを続ける。やっと通知が来たと思ったときには、思わず飛び上がるように上半身を起こしたが、そこに表示されていたのは〈システムアップデートのために再起動してください〉というあまりにも無機質な一文だった。


 一体何をやっているんだと額を押さえつつ、指示の通りにアップデートを開始した。プログレスバーが表示され、〈電源を切らないでください〉というメッセージが画面に張り付く。これで五分かそこらはこのスマホが通知を受け取ることはない。私は布団にスマホを投げ出して、寝室を出た。


 ちょうどそのとき、玄関の方で扉が開く音が聞こえた。私はリビングの電気をつけ、玄関に通じるドアから顔を出して「おかえり」と声をかける。


「あら、沙夜。起きてたのね。ただいま」


 リュックサックを肩から下して靴を脱いでいた母が、振り返って笑顔で応じてくれた。


 私なんかよりずっと疲れているはずなのに、それを私の前ではおくびにもださないこの母は本当に尊敬に値すると思う。もちろん、この気持ちには少なからず〝体〟の影響があるわけだが、その一方でストレスの捌け口を他人に求める人ばかりを見てきた〝私〟自身も、彼女のことを尊敬するようになっているのは確かだった。


「ごはん、温めるね」

「ありがとう、沙夜。いつもごめんね」


 感謝の言葉は素直に嬉しかったが、次に続いた言葉にこの〝体〟は敏感に反応した。それは母の口癖であり、この〝体〟が最も嫌っていた言葉だった。


 謝らなければいけないのは母が汗水流して稼いだお金を無抵抗に奪われている私の方だ。ここまで働かなければいけない状況をつくっている私のせいだ。そんな思念がじわじわと私を侵襲していく。


「煮魚と冷奴……これは野菜炒め?」

「うん」


 いつもより急いで作ったので、簡単に作れるものばかりが食卓には並んでいた。変に勘繰られたりしないかと少し不安になったが、母は特に言及するような素振りを見せなかった。いつもより簡素だなとは思っていただろうが、不平ともとられかねないようなことを母は口にしたりしないということを私は知っている。


「そういえば、落とし物はちゃんと届けてきたの?」

「え?」


 私は何のことかと危うく口に出しそうになったが、自分のついた嘘を思い出してすぐに軌道修正をする。


「あぁ、あのスマホね。うん、届けてきたよ」

「そう。落とし主、ちゃんと見つかるといいわね」

「うん……そうだね」


 母の悪気のない一言がまた私を揺さぶった。そのスマホはもう二度と持ち主のもとには帰らない。だからせめて、今はそれがその持ち主を探し続けた彼の手に渡っていることを救いだと思いたかった。


「沙夜、大丈夫? 今日はちょっと元気がないんじゃない?」


 気丈に振舞っていた私の仮面が一瞬剝がれたのを母は見逃さなかった。本当によく娘のことを見ている母親だなと感心しつつ、できれば今はもう少し鈍くあってほしいと困り顔で微笑した。


「うん。ちょっといろいろあって疲れちゃったみたい……。先に寝るね」

「そう。無理はしちゃだめよ。おやすみ、沙夜」


 それはこっちの台詞だよと思いながら、私は「おやすみ」と言って母に背を向けた。寝室のドアを開くと、布団の上に乱暴に放り捨てられたスマホが目に入る。アップデートは既に終わっており、電源ボタンを押すと顔認証に続いてパスコードの入力を求められた。再起動時のお決まりの動作だ。


 ひとまず私はスマホの充電が75%あることを確認し、それを枕の上に移すだけにして、そのまま布団の中に潜った。少しの間、布団の中でもぞもぞとする時間があったが、徐々に勢力を増す睡魔に身を委ねると気づいたときには目覚ましのアラームが鳴り響いていた。そして、そこには一件の通知が届いていた。




 彼が指定した場所は昨日と同じ堤防下のベンチだった。私はいつもの帰路とは違う道を歩きながら、心臓の重たい鼓動を感じている。決して速くはないし、なんならいつもよりも遅いくらいに感じられるそれは、大一番を迎える前夜の緊張感に似ていた。


 〝私〟自身、彼にどんな言葉を期待しているのかはよくわからなかった。いっそ嘘つきだと罵られ、突き放された方が良いのかもしれないとさえ思う。それでなにもかも元通りになるのだから。


 橋の前まで来て堤防の下を見ると、そこには既に一人の男子生徒の姿があった。私は生唾をのむと、ゆっくりと堤防下に向かうスロープを下りて行った。


「お待たせしました」


 膝の間で手を組み、地面を睨んでいた彼が顔を上げた。私は軽く頭を下げ、お辞儀する体で視線を逸らす。昨日と同様に、私は彼の目を直視できなかった。


「良かった。来てくれないんじゃないかと思ってた」


 彼がそう言ってベンチの隣を手で示したので、私は彼から近くもなく遠くもない位置に腰かけた。


「大森さんは甘いものは好き?」


 私が腰を落ち着かせたことを確認した彼が、藪から棒にそんなことを言った。


「好き、ですけど……?」


 私は躊躇いがちにそう答える。彼は私の返答を横目で確認してから、下したリュックのサイドポケットを探って何かを取り出し、それを私の方に差し出した。私も手を出してそれを受け取り、胸の前まで持ってくると、握った手のひらを開け――思わずはっとした。


「これ……」


 包装紙に包まれた小さな四角形が私の手のひらの上に乗っていた。私はしばらくそれを見て固まっていたが、何を思ったのか次にとった行動はその包装紙を開いて、その中に包まれていた黄褐色のかたまりを口の中に入れることだった。


 初めは固かった表面が次第に柔らかくなり、それと同時に脳髄の喜びそうな刺激が口の中に広がっていく。ほんのりと感じられるカラメルを焦がしたような香りが鼻を抜けていくのは、きっとこの商品が普通のそれとは違うからだ。


「こんな味だったんだ……」


 私は剥いた包装紙の真ん中に印刷された見覚えのあるロゴを見つめながら呟いた。あの時感じられなかった味。そしてあの後味わえるはずだった味。目の端に滲んだ雫を、私は手の甲で拭った。


「そんな反応されたら無理だわ」


 彼が前かがみになって目元を手で覆いながら言った。


「こんなん……信じるしかねーじゃん」


 諦めと悲しみの入り混じった声だった。見ると彼の口元は歪み、その頬を涙が伝っていた。次第に彼の肩は震え、押し殺した咽び声が聞こえ始める。私はその姿を見て、彼がこの瞬間五十沢幽の死を受け入れるしかなくなったことを理解した。


 胸が締め付けられた。もし〝私〟が自殺を選んだ結果として五十沢幽が死んだのだとしても、きっと彼は同じように苦しんだのだろう。そして〝私〟はあの時、自殺の選択肢を最後まで捨てることができなかった。それがどれほど罪深いことであるかも知らずに。


「ごめんなさい……」


 私の口から自然とその一言が零れた。その声はあまりに小さく、きっと彼の耳には届かなかっただろう。しかし、言い直そうとしてもその言葉はもう同じように形にはなってくれなかった。込み上げる感情に喉元が締め付けられ、うまく声が出なかった。


 それから暫く、私たち二人はそれぞれの苦悩と折り合いをつけるためだけに時間を費やした。彼の咽び泣く声はもう聞こえなかったが、膝の上に肘を乗せ、うなだれているその姿からは一切の生気が感じられない。それでも、先に口を開いたのは彼の方だった。


「ねぇ、大森さん」


 彼の発した声には何の熱もこもっていなかった。


「というより、その中にいる人――なのかな」


 言い直す彼の言葉に、〝私〟はびくりとした。それは初めて名指しされたことによる衝撃のためでもあったが、それ以上に彼の言葉がある種の攻撃性を纏っているような気がしたためだった。そしてその直感は最悪の形で的中することになる。


「ほんとは君が幽を殺したんだろ?」

「え?」


 刹那、私は息ができなくなった。その言葉には紛れもない敵意が込められており、その奥には「許さない」という強烈な厭悪が感じられた。


「ちがう……。〝私〟は……」


 小さくかぶりを振りながら私はうわごとのように呟き、彼に気圧されるようにベンチの端の方へ後ずさる。それでも、彼の語気は弱まることはなかった。


「もう何度も転生を繰り返してるって言ってたよな? それってさ、つまり何度も自殺してきたってことなんじゃないのか? まさか全部誰かに殺されたなんて言うつもりじゃないよな?」


 彼の視線は私ではなく、ずっと地面に対して向けられている。しかしそれは却ってそれらの言葉がこの〝体〟に対して向けられているわけではないのだということを主張しているかのように思われた。


「幽も――本当は殺されたんじゃなくて、君が自殺させたってことなんじゃないのか!?」


 彼は歯ぎしりの奥から血反吐でも吐き出すかのような声で〝私〟を非難した。そこには五十沢幽に対して向けられていたような優しさは微塵も感じられず、純粋な憤怒と憎悪だけが込められていた。


 否定したい。それなのに声が喉でつっかえて出てこなかった。まるで喉元に刃を突き立てられているかのような絶望に、私はただ喘ぐことしかできなかった。


 彼の言うとおり、私は何度も自殺を繰り返してきた。しかし、今〝私〟がここにいる理由だけはそれとは違う。そう主張することはできる。だが、完全に〝私〟を疑っている彼に、どうして今回だけは違うという主張が通るというのだろう。


 はじめて誰かに〝私〟の存在を意識してもらえたというのに、その結果〝私〟は憎しみの対象とされていた。それはまるで、〝私〟はこの世に存在してはならないと告げられているかのようだった。


 もう耐えられない。そう思ったときにはもう私は走り出していた。


 堤防へ上がる緩やかなスロープを駆け上がり、歩道へ出ると橋の方へと曲がる。とにかく彼と距離を取りたいと思った。遠くへ行かなければ。遠くへ。もっと遠くへ。


 そう思ったとき、私はふと足を止めていた。一体何をしているのだろうと自分で自分を訝しがりながら、私は今いる場所が橋のちょうど真ん中であることに気がついた。そして何を思うともなく、ふらふらと欄干に近づいてその下を覗き込む。


 川の流れは太陽光を反射するほどに全く穏やかだ。だが、橋脚が4本も必要な橋がかかるほどの大きな川だ。決して水深は浅くないだろう――そんな考えが自然と沸き起こる。


「あはは」


 気味の悪い笑い声が漏れた。自分が何を考えているのかがその時やっとわかった。


「そういえば、溺死ってまだやったことなかったっけ……」


 抑揚のない言葉が口から漏れ出した。私はデイパックを肩から下して歩道に置き、欄干の一部に足をかけた。


 遠くで、誰かが叫んでいる声がした。車がやけにクラクションを鳴らしていて騒々しい。だが、私はもう止まろうとはしなかった。ゆっくりと、しかし確実に、欄干の上に体を持ち上げ始める。もうこの〝体〟に未練はない。そう思いながら、私は頭を欄干の外へともたげていった。

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