第32話 巡る因果

「とっとと歩け。何度もこけやがって、手間かけさせるんじゃねぇ」


 二人の賊に剣を突きつけられたアルベールとモーリスは、王宮の後方に広がる森林の中を、淡々と歩かされていた。


 口は布で塞がれていて、助けを呼ぼうにも声が出せない。おまけに手は後ろで縛られ、抵抗することも敵わなかった。


 筋書きが狂ってしまった。まさか地下牢に、賊が現れるとは。


(オレとしたことが、色事に浮かれて、油断していたのかもな)


 モーリスから聞いた話では、『おまえはアルベール殿下に騙されたのだ、現にこの国にやって来たではないか』とダリウスは言ったという。

 そしてモーリスに、挽回の機会を与えてやる、オーランドのために使命を果たせと、慈悲があるかのように語ったそうだ。


 もちろん予測はしていた。モーリスにも、アルベールが会いに来た、謝罪され、国に帰るからと言っていた。そう答えさせ、いかにも騙されている様をとるように言っておいた。

 加えて二日後にまた、アルベールが牢に来ると報告させた。ダリウスに二人の会話を盗み聞きさせ、動向を探るつもりだったのだ。


(ダリウスめ。打つ手を変えやがったな)

 

 モーリスのような忠義に熱い人間を使うより、金でなんでも請け負う野蛮な人間を雇うほうがうまくいく。そう判断したようだ。

 この手の輩は、悪事を悪事と思っていない。人を殺すことに、なんの躊躇いも持たないだろう。


「旦那、連れてきやしたで」


 木々の間を抜けた先には、丸太小屋があった。窓からは、明かりも漏れている。


 まあ、中にいる人物は、見なくても察しはつくが。


「大きな声を出すな。ほう、うまくいったようだな」


 案の定、開いたドアの向こうに立っていたのは、下卑げびた笑みを浮かべるダリウスだった。


「グズグズするな、早く入れ!」


 首根っこを掴まれたアルベールは、乱暴に部屋に押し込まれ突き飛ばされる。


「うっ──!」


 踏ん張りが利かず、不格好に床へ突っ伏す。


「手荒らな真似はするなよ。まだ交渉前だ。決裂ならば、好きなようにするがいい」


「うほ~、そりゃあいい。こんな綺麗な兄ちゃんのケツにぶち込めるなんざぁ、天にも昇るほど気持ちいいだろうな」


 よだれがでそうだと舌なめずりする男の気色悪さときたら、全身を毛虫にわれるよりぞっとする。


(くそ、クズどもめ)


 足と肩を使い、どうにか身体を起こしたアルベールは、膝をつきダリウスを睨みつける。


「ようこそ、アルベール殿下」


 慇懃無礼いんぎんぶれいなお辞儀をするダリウスの顔は、下衆げすそのもの。


「いったい何を企んでいるのです? 貧民街の住人を使って、随分とディアン様の株を上げたようですな。モーリスからは、二人は愛し合っている。国に帰したくないから死んだことにしてくれと、涙を流し懇願されたと聞きましたが……こうしてトシャーナ国にやって来た」


 目的を言えと睥睨へいげいされる。


「ディアン様は、すっかりあなたの虜だ。手玉に取ったあげく、国王に祭り上げようとするとは。相当な強欲心をお持ちのようだ」


 どうやらダリウスは、ディアンを国王の座につかせたあと、アルベールが実権を握り、トシャーナ国を意のままにあやつろうとしていると思っているようだ。


「モーリスも、あなたの口車に乗せられたのでしょう。あなたのことを語ったとき、目を潤ませていましたからな。まったく、この男は単純で、命令に逆らわないところが唯一の取り柄だったのというに。この役立たずめ!」


 アルベールの後方に、なんの抵抗もみせず立っているモーリスの腹に、ダリウスは容赦なく蹴りを入れた。  

 モーリスは衝撃で蹈鞴たたらを踏み、壁に背中を打ちつけ床にずり落ちてしまう。


 しかし、それだけでは、ダリウスの怒りは収まらなかった。

 ダリウスはモーリスに歩み寄り、今度は剣の柄で頭を殴りつける。


「うっ──」


 ガツンという鈍い音と共に、モーリスの額から、血がスーッと滴る。


「モーリス! 大丈夫か? モーリス──」


 呻き声のあと、そのまま動かなくなったところを見ると、気を失ったのかもしれない。


「私と組みませんか、アルベール殿下。共にこの国を治める。良案でしょう?」


 再びアルベールの前に立ったダリウスは、片頬を上げ見下ろしてくる。


 欲深い者同士と言いたいのだろうが、一緒にされるなど我慢ならない。


「これは失礼。取って差し上げましょう」 


 口を塞いでいた布を、雑にむしり取られる。


「っ──、考えが足りないようだな、ダリウス。オレは権力などいらない」


 的外れにもほどがある。自分が欲しいのは、ディアンと過ごす日常だ。


「ほう、支配する気はないと? ククッ……私はその辺の愚民とは違う、騙せると思うなよ。私があなたを、罪人にすることもできるのですがね。罪状など、なんとでもなる。おわかりでしょう、


 何を得意げに言っているのか。浅はかなやつだ。脅しているつもりだろうが、何が支配だ。アルベールがトシャーナ国を乗っとる気満々だと決めてかかるとは。


 まあ……あながち間違ってはいないか。ディアンの力になると決めたからには、自分の持てる知識の大盤振る舞いをすることになるのだから。


「これだけは言っておいてやる。もうおまえの居場所は、王宮のどこにもないぞ」


 ディアンにあだなす者は、王宮から去ってもらわねば。


「命が惜しくないようだ。ならば、モーリスの手にかけられ死ぬというのはどうです」


 わざわざモーリスを連れてきたのは、罪をなすりつけるためのようだ。自分の手は汚さず、他人を蹴落とす。


 そのやり口に、虫酸が走る。


「旦那、俺たちゃどうすりゃいいんだ。待ちくたびれちまった」


 成り行きを黙って見ていた賊の一人が、長剣を床に突き立てる。


「あとで存分に抱かせてやるから、もう少し黙っていろ!」


 苛立ったダリウスに怒鳴られ、「へいへい」とそっぽを向いた男は、チッと舌打ちをした。ダリウスの物言いがしゃくに障ったようだ。


 元々、好き放題に生きている荒らくれ者。ダリウスのような人間に、命令されたくないのだろう。


「おまえのような性悪王子、ただ殺すだけでは気が済まぬ。フランターナ国では、随分と邪魔されたからな」


 売り飛ばしてやる。慰み者として、汚れるがいいと高笑いするダリウスは、みにくく歪んだ顔をしていた。

 椅子に座り足を組む様は、高みの見物といった態度だ。


「まずは……私の目を楽しませてもらおうか。見た目だけは美しい王子が、賊の手で──考えただけで愉快だ。ひっひひひ……やれ!」


 ダリウスの号令に、賊の男はにやりと笑った。

 突き立てていた剣を抜き床に放ると、ベルトを外しながら近づいてくる。


「兄貴、どうしやす? 足を押さえやしょうか」


 若い男が、兄貴分に伺いを立てている。


 どうする、何か手立てはないのか。こうなっては、心理戦に持ち込むことは不可能だ。


(ディアン──オレを探してくれているか?)


 もう時間稼ぎは無理そうだ。覚悟を決めなければ。


「いらねえ、嫌がる様もそそっていいからな」


 後ろ襟を掴まれ、アルベールは床に引き倒される。

 背中の下敷きになった腕が痛むが、顔には出さない。


(こんな男、喜ばせるなどごめんだ)


 アルベールは動かず無表情で、声も発しない。


「ちっ、肝が据わってんな。もっと暴れろってんだ。これじゃ、犯しがいがねぇじゃねえか。あぁ……それとも慣れてるってか?」


 馬乗りにされても反応を見せないアルベールに、賊の男は酷薄な笑みを浮かべ「どうやってなぶってやろうか」と見下ろしてくる。

 ひげ面が近づき、赤い舌が覗いたとき、堪らず目を硬く閉じる。とそのとき。


「ぐおっ──」


 呻き声と共に、身体が急に軽くなる。


「なっ、なんだ、てめぇ」


 賊の声に目を開くと、自分を守るように剣を構えるモーリスの背中がそこにあった。


「おまえ如きがアルベール様に触れるなど、もってのほか!」


 許すまじ、と怒気を漲らせている。


(なかなかやるな、モーリス。気絶したと見せかけて、手の拘束を解いていたとはな)


 無抵抗を装うことで、反撃の機会を窺っていたのだろう。


 これまで数々のアルベールの策を聞かされてきたモーリスは、それなりに成長していたようだ。


「アルベール様、後方へ下がっていてください」


 自分がそばにいては、モーリスの邪魔になってしまう。


 アルベールは言われたとおり、尻で後退り壁際に寄る。


「何言ってやがる、俺の剣で格好つけやがって、ふざけたヤローだ」


 モーリスに殴り飛ばされた男は、切れた口の端を手で拭いながら立ち上がる。

 兄貴分が気色ばむと、子分は自分の剣を手渡し、代わりに長い木材をその手に握った。そしておもむろに、暖炉の火に近づける。


「モーリス!」


 二人がかりで打ち込まれ、モーリスは防戦一方だ。


「どいつもこいつも役立たずめ」


 憎々しげに睨めつけるダリウスの視線が、不意にアルベールへと向けられる。


愚鈍ぐどんな王子の分際で……忌々しい」


 暗く淀んだ目が、アルベールを見据えている。その目に込められているのは、『殺してやる』の一念だろう。


 椅子から立ち上がったダリウスは、アルベールを見据えたまま、腰に携えた剣を抜いた。


「アルベール様! 早く、そのドアから外へ!」


 モーリスは子分の手にある火のついた木の棒を弾き飛ばす。しかし、兄貴分が立ちはだかり、アルベールの元へ行くことができない。


「おまえを置いて、自分だけ助かろうとは思わない」


 アルベールの言葉を受け、モーリスは「うおー」と雄叫びを上げた。自身を奮い立たせるためだろう。


「素晴らしい心がけですな。ではその願い、叶えて差し上げましょう」


 ダリウスが剣を高く振り上げ、一歩ずつ歩を進めてくる。それを援護するかのように、ダリウスの背後から炎が上がった。その火はカーテンに移り、勢いを増していく。


(まずい、火の手が広がっていく──まぁ……いいか)


 ディアンを守れたのだから、後悔はない。


 ダリウスを道連れに、炎に焼かれてやるか。


 奇しくも自分は、前世と同じ末路を辿るようだ。生まれ変わっても、死に際が同じとは因果なものだ。


(すまない、ディアン──。抱かせてやれなかったな)


 たとえ切りつけられても、ダリウスをここから逃がしはしない。


 剣の軌道を見極めようと、アルベールは視線を離さずダリウスを射貫く。そんなときだった。


「アルベール!」


 木のドアが打ち破られ、ディアンが飛び込んでくる。


 がしかし、目は血走り、アルベールを殺すことしか眼中にないダリウスの剣は止らず、振り下ろされてしまった──。


「あ……ぅああああー、なぜだ……なぜこんなっ」


 剣の切っ先が服を裂き、皮膚までも裂いた。


「間に……合って……よかった──約束……したから……な」


 アルベールの頬に、苦しげな熱い息がかかる。


「オレの言ったことなど、建前に決まっているだろう。律儀に守るやつがあるか!」


 アルベールの身体を覆うように抱きしめていたディアンの腕の力が、次第に抜けていく。


「しっかりしろ、ディアン、ディアン!」


 身体を支えようと背に手を回すと、生温かい何かが手を濡らす。


 血……。


 それは、アルベールを発狂させるに十分だった。


 今度こそ、大切な人を守ると誓ったのに。自分はまた、守れなかった──。


「──ダリウス、オレはおまえを許さない。この手でおまえを──殺してやるっ!」


 セオドアによって取り押さえられたダリウスを見据え、呻くように発した自身の言葉は、アルベールの心をむしばんだ。


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